第一章 第七話
第一章 第七話
「計算機です。」
「なんだそれは?」
「例えばですよ。一つ銅貨で二枚の品を七つ買うとします。二七十四で全部で銅貨十四枚です。」
「うむ。」
「あれ?計算速いって驚かないですか?まぁ、商人さんですし九九くらいじゃ、さすがに驚かないですね。」
「九九?」
「いやいや、では銅貨14枚の物を87個では?」
「いや、さすがにそれはすぐに計算できぬ。算木があればできるが……。」
「そこでこれです。」
「この物差しか?」
「下の線を14に合わせます。そしてこの真ん中を87に。」
「ふむふむ。」
「そしてこの、今回は左端のところを見ますと。」
「うむ。」
「1.22……、くらいですね。1220前後ということです。正確には1218ですが、大まかに計算ができます。」
「む、ほう、これは便利だな。乗算だけか?」
「同じようにして割り算、えっと、除算もできます。」
「む?それはすごいな。ほかにもできそうだな?」
「対数とか、三角関数とか、平方根もこれで出せますが……、商売にはあまり関係ないですね。ただ測量とか、そうですね建築、職人、あああと船乗りなら三角関数で陸までの正確な距離が出せます。そういう人たちには役に立つでしょうね。木や銅の板に目盛りを切るだけなので、作るのも簡単です。」
「むう、これはいいぞ。算木より簡単で誰でも扱えるな。」
「これはサクシードさんが売ってください。メルイーウ王にも献上しますが、まぁ、この時代の軍隊にはそれほど役には立たないでしょう。海外に売るなら、おそらく数年以内に複製されてしまうと思います。その時はこの計算尺の名前をタライバン尺やサクシード尺とかにしておいて、名前を定着させてください。東の島の賢者が発明したとかの物語を添えれば、学者を集めるのも楽になるかもしれません。」
「ほう、それはいいな。チハル殿の名前でなくていいのか?」
「僕は極力表にでない方針です。」
「むぅ、チハル殿がそれでよいのなら別に構わぬ。」
「ええ、まぁ、今日はこのくらいです。なにか他にありますか?」
「いや、ない。」
「では、また。たぶん近いうちに外出が許されるということなので、次はそれからにしましょうか。」
「そうだな。その前に何かあればまた連絡しよう。」
「はい、ではそれで。」
チハルは机の上の紙や計算尺を懐にしまい居室に戻った。部屋に戻ると侍女が寝台で寝ていたので、チハルはその髪を撫でてその傍らに横になった。
「しかし疫病かぁ、自分の身を守るので精いっぱいだけど、国づくりを手伝うなら防疫とかもやらなきゃかな。サクシードさんを通じて住民には手洗いの方法くらい伝えとくか?食事は自分で再加熱して食べよう。」
あれこれ考えているうちにチハルはまどろみ、眠りに落ちた。起きたのは翌日、日が少し高くなってのことである。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
数日するとチハルが開発した電信の使い方をメルイーウ軍上部に指導してほしいという王宮からの依頼があった。またそのまま王から電信の発明について褒美が渡されるという。チハルとサクシードは仮の王宮である旧サクシード商会の本部へ向かうことになった。軟禁開始後初めて許された外出である。
仮の王宮は軟禁されていた建物から歩いて10分ほどである。最初は輿に乗っての移動するよう提案されたが、チハルの強い要望もあって徒歩で向かうことになった。チハルたちの周囲は6人ほどの軍人がぐるりと囲んで警備についている。住民との接触は許可されていないが、軽く手をふったりするくらいは問題ないようだ。一緒に歩いているサクシードを見つけては声をかける住民も多い。チハルは目が合った住人らににこやかに笑いかけ軽く手を振っていた。
「おお、チハル殿、あれよ。あれが亜人というやつだ。」
サクシードはもの珍しさに自分たちを囲む南タライバンの住人の一角を指さして声を上げた。
「おお!あれが!」
サクシードが指さした一角には頭頂部に犬の耳をはやした人がいた。顔つきは人そのものだが、どことなく犬の面影がある。肘から先は毛におおわれており、爪もするどい。ズボンのような下ばきの臀部に穴があけられており、しっぽが揺れている。特徴としてはイヌというよりオオカミに近い。
「イヌ族よ。足が速く夜目も効くのでな、伝令や警備などをさせることが多い。ここでは一番数が多い亜人だな。イヌ族の女はよいぞ。そういう店もある。」
サクシードは下品に笑った。
「いやぁ、驚きですねぇ。ロマンですよ、ロマン。僕たちの世界には居ないですし。言葉は話せます?」
「はは、チハル殿が驚いた顔を見るのは初めてかもな。もともと奴らは部族ごとに違う言葉を使っていたが、ここに住むものはみなタライバンの言葉を話せるはずだ。少し発音はおかしいがな。」
「タライバンの言葉とメルイーウの言葉は違うんですか?あ、いや、そうか、あれだけ離れてればそうですよね。」
「うん?違うぞ。メルイーウの言葉は大陸北部の言葉だ。タライバンは対岸からの移民が多い、使われているのは対岸の言葉だ。フォーシュ語という。メルイーウ語は文字があるが、フォーシュ語はない。俺は両方使える。」
「ふーん、そうだったんですね。研究してみたいですねぇ。」
「はは、いずれな。チハル殿ならすぐに覚えられるだろう。」
南タライバンの雑踏はそれなりに薄汚く、どこから漂ってくるかわからない糞便臭もあった。現代人であるチハルからすればお世辞にもきれいな街とは言えなかった。住民らの服装もみすぼらしく、肌は日焼けして土埃で薄汚れている。しかし歩いている大通りの幅は広く、その両脇の店では客引きが大声を上げている。道を走り回る子供も多く、人の往来にもそれなりの元気があった。チハルが「入浴と消毒の習慣かぁ、上水の整備から始めないとダメか?」などブツブツとつぶやいていると、サクシードがチハルの肩を引いて立ち止まった。どうやら目的地に着いたらしい。
「従十位タライバン渡航臨時統括官サクシード・ジュアン、および通門の者、マトゥオカ・チハル、入城である!」
大きな門の横に備え付けられた物見から太鼓の音が響き、物々しく扉があいた。仮王宮はサクシードのの商館を軽く改築したものなので、サクシードにとっては勝手知ったる場所である。しかしサクシードは扉の開け方ひとつでこうも雰囲気が変わるものかと素直に感心していた。チハルは王宮にしてはやっぱり少しみすぼらしいななどと思いながら扉が開くのを待っていた。
扉が完全に開き切ると二人は中庭へ通され、待機していたイ神官に促されて電信機の前に着席した。チハルたちの前には簡素な服装ではあるが、肉体が激しく自己主張する軍人たちの集団があった。そこから下がって一段高い場所にも座席があり、数人の男が座っていた。
「チハル殿、後ろのあの高くなっている場所の真ん中、椅子に座っているのが将軍よ。」
「なるほど、強そう……、ですが、あれはやばいですね。」
「……、やはりか?」
サクシードがチハルに伝えた場所にいた将軍と呼ばれた男、従一位総将軍ミンチ・リューは気丈に椅子に座り背筋を伸ばしてはいたが、その顔色は悪く、眼窩は眼球がこぼれ落ちそうなほどくぼんでいた。頬もこけており、その身の健康状態に異常をきたしていることがありありと見て取れた。
「おそらく何らかの疫病でしょう。サクシードさん、あの人には絶対に近づかないように。」
「うむ、分かった。予想が当たったな。」
「絶対にですよ。絶対に近づいてはいけません。この場も早々に切り上げます。」
そうして電信機の使用法の説明が始まった。チハルは当初用意していた説明の大部分を端折り、これだけ覚えておけば最低限使えるという部分だけ説明を行った。電信を応用した暗号文の作り方なども伝える予定だったが、その部分などはすっぱり切り落とた。とにかく早く講義を切り上げることに努め、質疑応答などは後日書面でまとめて解答することにした。
それでも講義中の軍人たちは電信の技術に驚きっぱなしであった。実際にチハルが40-50m離れて建物の陰に隠れてから電信を鳴らし、あらかじめ設定していた"敵軍発見、数3000"のメッセージが軍人らに伝わると、一部の軍人は腰を抜かさんばかりの勢いで驚いていたそうだ。
……。
「では、これで今回の発表は終わります。軍で暗号を組むことがあれば、もちろん敵に漏れないように注意してください。では。」
広義が終わると一部の軍人らはすぐにその場で討論を始めた。開発者であるチハルは逃げるようにして仮の王宮に移動し、準備された待機室でサクシードと一息ついた。サクシードによるともともとこの部屋は応接室であったそうだ。調度品のいくつかが王宮から持ち込まれたものに差し替えられているようで、サクシードはそれらを手に取っていろんな角度から眺めている。
「さて、チハル殿の予想は当たりそうだな。」
「ですね。僕は病気の知識はありませんが、あれは明らかにヤバそうでした。」
「まぁ、この時期のタライバンでは毎年疫病が流行るのでな、占い師などは大儲けよ。まぁ、ヒトも亜人も命を落とすものが多い。どうにかならぬか?」
「基本的には、手洗い、うがい、でしょうね。患者の糞便や体液に触らない、それと衣服やシーツは煮沸して殺菌か……。」
「ふむ、その方法、ぜひ詳しく聞きたい。」
「そうですね。石鹸……、そうか、石鹸くらいならすぐに作れるかな。抗生物質が開発できればいいんですけどね。そういやどっかの漫画であったな。」
「そういえば電信機だがな、名前を……。」
コンコンと部屋の扉がノックされ、イ神官と神官長が並んではいってきた。
「失礼する。」
「ハイリマス。」
「……。」
「これより王と面会だ。平伏してすべて"ハイ"と答えるだけで良い。顔は許可がなければ決してあげるなよ。ここからは神官が同行して通訳する。」
神官長の話を翻訳したサクシードが答えた。
「俺はここで待っている。あとは神官と一緒に行けばいい。」
「分かりました。」
「カオヲアゲナイ、シツモンニハスベテ"ハイ(メルイーウ語)"デオネガイシマス。」
「了解です。では、今からですか?」
「ハイ、オウガオマチデス。」
「じゃ、行ってきますねー。」
手のひらをひらひらとさせてチハルは神官らと部屋を出て行った。同じ建物の中に玉座の間もあるので、すぐに到着するはずだ。懐かしい商館の応接室を見渡し、椅子に座りなおしたサクシードは大きくため息をついた。
「チハル殿の言う通りになったなぁ。」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
サクシード商館の一室、おそらくは元々はサクシードの居室であったのだろう、チハルは神官の案内で一等広い部屋に通された。おそらく宮廷から持ち込まれた宝物であろう、恐ろしく精巧な細工や刺繍が施された調度が室内には整然と置かれている。
部屋の一番奥には玉座が設えられており、その辺りは部屋の床より数段高くなっている。チハルは神官に促されるまま床に跪き、土下座のようなポーズで動かないように言われた。
シャンという鈴の音が鳴り、むせるような香の香りがした。硬質な靴音を響かせながら幾人かの人間、おそらく護衛の軍人が先に入室し、安全の確認が行われてからさらに数人の者が入室したようだ。おそらくその中に王がいるのだろう。
玉座に座る音がし、王が着席したことが分かった
ドンという太鼓の音が響き、室内は緊張と静寂に包まれた。しばらくして後、聞いたことのある神官長の声が室内に響いた。王の着席が告げられたのだろう。
チハルは横に同じような姿勢で蹲るイ神官をちらりと眺めたが、彼は微動だにせず床に伏したままである。
「……!」
「ツウモンシャ、チハル、コノタビノ"でんしん"ノカイハツ、ミゴトデアル。」
「……!」
「めるいーうオウヨリ、カンイトホウビヲサズケル!」
「……。」
「ツウモンシャ、マトゥオカチハルにXXXXXXXXノクライト、ミナミタライバンデノコウドウノジユウヲアタエル。コレカラモめるいーうニツクセ。」
「……。」
「オウトダッカンニハ、チハルノサラナルチカラガ、ヒツヨウデアル。ヒツヨウナモノガアレバ、イウガヨイ。」
部屋がざわめいた。おそらく段取りにはない発言なのだろう。王の発言を翻訳したあと、イ神官が小さく呟いた。
「チハルドノ、ソノママノカタチデ、ウゴカズニ、ヒツヨウナモノガアレバ、イッテクダサイ。」
「えっーっと、それでは。」
チハルは一度息をのみ、イ神官だけでなく室内全体に響くように声を出した。
「たぶん、僕を呼び出した秘宝以外に、モノを取り寄せたりする秘宝がありませんか?それについて教えてほしいんですけど。」
「……。」
イ神官が翻訳すると、王より先に神官長が返事をした。
「理由を述べよ。」
「リユウヲキイテイマス。」
「亜人です。」




