古強者トシ 狂戦士ヤマさんからSランクの噂を聞く
渋谷の雑踏を掻き分けて、一人の冒険者が道を急ぐ。
彼の名前はトシ。先ほどまでは残業戦士だったが、会社を離れた今は一人の冒険者。
残業が長引いたのであまり長居はできないが、軽く飲んでナカノさんから聞いた吸血鬼化を治すアーティファクトの噂を確かめよう。
ウキウキと足取りも軽く冒険者ギルドへの向かうトシの耳に、ふと聞きなれた音が届いた。
びよびよびよびよ。
そしてとても小さな「誰か、たす」
口を塞がれたのか声は途中で途切れた。イベントだ!
音は反響するので聞こえた方角が発信源とは限らない。けれど瞬時に脳内に描いた地図には、人を襲撃するのに向いた路地の候補をピックアップ。よれたスーツの裾をひるがえしながら候補の近い場所に駆け込んだ。
「いや、トシさんカッコ良いよ」
「やめてよマスター。俺ホントに何にもして無いんだから」
これは英雄へのおごりだよと注がれるぬるいエール。
「あら、結果はともかく行動を起こしたのは立派じゃないの」
孫のラノベにハマった最年長冒険者のウノさんも賛同し、トシの前にナッツの小皿を置く。
トシがイベントと勘違いして介入した『悲鳴を上げる女性』は、質の悪い酔っ払い達に絡まれた被害者だったのだ。トシが声をかけた事で周囲の人々が数人駆けつけて、囲まれていた女性は無事に逃げ出すことができた。その駆けつけたうちの一人が冒険者で、さっそく武勇伝としてマスターに語った結果がこれである。
「いや、イベントだと勘違いしたんですよ。何度か護衛ミッション受けてて。その時の音に似ていたもので」
「逆だよ。あの音は防犯ベルの音に似せて作ってるんだ」
「なんで……いや、こういう時の為ですか?」
「そう」
あんまり裏事情話すのは良くないんだけどな、と呟く店長をウノがキラキラした目で見上げる。
「避難訓練みたいなものになっていたのね、あの護衛ミッションは。私も一度だけ『逃げ出したお嬢様』のミッションをやってみたのだけど、本気で追いかけられるのが怖くてそれっきりなのよ。非常事態に慣れる事ができるなら、またやってみようかしら」
「普段聞きなれてないと、何の音だろうって思うだけですものね。防犯ベルって知っていれば助けに行くこともできるってわけですか」
「それ以前に、知らない音って聞こえてても気にしないんだよ。意識から抜け落ちる。ほら、カクテルパーティ効果ってあるだろ。アレみたいなもんだよ」
「名前呼ばれると、そこだけ聞こえるみたなヤツでしたか」
「冒険者はイヤホン越しとはいえ、あの音を探して渋谷をウロウロしてるだろう。だから、あの音が聞こえるとハッとするんだ」
趣味でやってるようなこの冒険者の店が世間の役に立っているとは驚きだった。
「普通に治安よくなってそうだよな」
「なってるよ。肉体派の冒険者が路地裏覗いて歩いてるし、酔いつぶれて倒れてる人とかもイベントかもしれないって声かけて警察まで連れてったりしてるし」
「私だけじゃなかったんですね」
安心したような、寂しいような気分になるトシ。
「うん。マッチョさんはこの間、イベントと勘違いして本物のカツアゲに名乗りを上げて乱入したらしい」
「なんて言ったの?」
「コートの裾をバサッと翻しながら『やめたまえ!君たち!』って言ったらしいよ」
「かっこいい!」
「素敵!」
身を乗り出す二人。
「カツアゲしていたチンピラたちも、おっさんには関係ねーだろとか、あんたが小遣いくれんのとか、まるで漫画のようなセリフを言ってきたから嬉しくなって『片手で相手してやろう、かかってこい』とかやっちゃったらしい」
「かっこいいじゃん!」
「それは……ちょっと?」
ますます鼻息が荒くなるトシと、少し引き気味のウノさん。
「さすがにナイフ持ち出したのはやりすぎだし、武器はギルドのルール違反だからおかしいと思ったみたいだけど」
「え、それマジで危ないんじゃ」
ここまで聞くとさすがに二人とも顔が青くなる。
「でもね、武器はルール違反だぞっていって、ナイフ持った手をギューって握ったらしい」
「普通に制圧してる……相手はギルドメンバーじゃなくて本物の犯罪者なんだよね?」
「襲われてた人がいつまでたってもギルドカード出さないで、普通にお礼言ったり警察呼び始めて、初めてガチだったって気が付いたんだって」
「さすがだわー。あの人は天然だから」
「かえって危なかったのでは」
そこに別の冒険者達がわりこんでくる。
「万が一マッチョさんじゃなかったらケガしてたんじゃない? 危ないよね」
「ギルドクエストの治安維持だと、やめろって声かけるまでがクエストだよ。そこで被害者役がカード出して達成証明受け取れる」
「チンピラ側だと脱走した王子とか姫を捕まえるクエストなんだよな」
「いろいろあるよ。怪盗を追いかけて盗んだ印章取り返すっていうシナリオやったことある」
乱入した冒険者は椅子ごと移動してトシの隣に座る。すると次々と人が集まりだした。
「あれ、被害者だったり脱走王子だったりする側もクエストなの?」
「一時間のヤツとか、数日またぐやつとかいくつかあるよね。C級だけ?」
「護衛対象が子犬だった事あるぞ。二時間散歩した」
「それマスターの飼い犬だろ。ポメラニアンの」
「短時間のはさ、制限時間まで追跡者の持ってるビーコンから逃げ回って捕獲者と守護者をまとめて人目のないところで同時に接触せよって鬼の難易度だった」
「あれ、いつも良いタイミングだとおもったら掌の上だったのか」
「追う側、逃げる側、守る側で色々パターンあるんだな」
ガヤガヤと騒がしくなった店内に、また一人冒険者が入ってくる。
Tシャツの袖をパンパンに盛り上げる二の腕、分厚い胸板。斧を持ち歩いて本気で怒られた男、ヤマさんである。
「おお、ちょうど君の話をしてたんだよ」
「俺のですか」
「護衛系クエストで本物の暴漢を制圧したんだって? 一杯奢るから話聞かせてよ」
話を聞きたい風を装って、一度言っててみたかった台詞を口にする男達。
しかし、残念ながら期待した武勇伝は出て来ない。
「あぁ、それ俺じゃないな。他の人じゃないですか」
そう言うと、冒険者ギルド用にわざわざ作った革袋からあらかじめ買っておいた銅貨のトークンをおいてぬるいエールを受け取る。少し飲んで眉を顰める。様式美なので仕方なく飲むが、できれば美味い物を飲みたいタイプなのだ。
「え、ナイフ持った手をマッチョが握りつぶしたって聞いたけど、キミじゃないの?」
「マッチョさんですか。Sランクの人だな、それは」
「そんなに何人もいるのか、こんなデカいマッチョ」
それを聞いてジッとして居られないのがトシである。
「ちょっとまって、今の話聞かせて。Sランクってあるの? もちろんあるんだよね、そこまで行った人いるの?!」
ざわりとする店内。ここにいるのはあまりランクのあがっていないウノさんを除いてはCランクの人が多い。
薬草採取や調査。そして運搬や護衛などのクエストでランクをあげてはいるが、皆が大好きな異世界の冒険者ギルド物と決定的に違う所が一つある。『討伐』だ。もの探しに人探し、鬼ごっこ。そんなゲームにフレーバーを付けたものを遊んでいるだけなので戦いは発生しない。だから、特異個体やドラゴンを倒してSランクになるというお約束は体験できないのだ。それなのに、Sランクの冒険者が居ると言う。
「一度、他の支店で会いましたよ。良い筋肉してるなって」
「何その声の掛け方」
トシがトークンを指で弾いてマスターに投げる。
「彼に氷魔法で冷やしたエールを飲ましてやってくれ。で、その話聞かせて貰おうか」
いいなあれ、俺もやりたいとか、その注文有りなのかとざわつく冒険者たち。カウンターの下から冷えた瓶ビールを出して見えない位置で注ぐマスター。
「氷魔法……疑似べるちぇ効果とかいう」
「いいから、Sランクの人の!」
冷たいビールで唇を湿らせると、ヤマさんはSランク冒険者と会った時の会話内容を話し始めた。
「Sランクってどういうクエストがあるんですかと聞いてみたんだよ」
「直球だ」
「ここから三日ほど北に行ったところにグンマという国があって、そこでワイルドボアという恐ろしい魔物の討伐依頼を受けたことがあるって」
「地元だよ!」「電車で一時間ですよ!」「イノシシ狩るのは冒険者じゃなくて猟友会だから!」
ファンタジー感の無い猟師っぷりに冒険者達の突込みが間に合わない。
「でも、イノシシ狩るのは確か免許とかいるのよね。そのSランクの方は本業なのかしら」
「そこは関係なくて、明らかに渋谷じゃないし、もしクエストだとしても我々がクリアできないのが問題なんですよ」
「他にも、徒歩では何日も掛かる遠くの街まで、鞄に入りきらないいくつもの家具を運ぶ任務を、受けた事があるらしい。ギルドマスターから直指名で」
「それギルマスの引っ越しの手伝いなんじゃ」
「……」
なにをやったらそこまであがるのとか、そういう事を聞きたかったのにどうやら煙に巻かれたようだ。上位クエストの情報は話しちゃいけない規則なのだろう。