C級ニンジャ シノダさんのセキュリティインシデント
シノダの朝は早い。夜明けとともに目を覚まし、熱いコーヒーを入れる。
そして出社ギリギリまでオンライン対戦のゲームをして過ごす。早朝は徹夜で遊んでいた連中が疲労してくる時間帯。勝ち易きに勝つ。相手が弱っている所を狙う。戦術の基本であった。
出社時間。一日で一番憂鬱な時間だ。しかし最近はリモートワークが導入され、通勤時間の分が丸ごとゲーム時間になった。
さらに、リモートワークの時には化粧をしなくていい。
これは大きなメリットだというのに、一部の会議では顔出しが必須とされる。特に、トラブルがあってのセキュリティチームの上司との面談などは。
小さくため息をつくと、オンライン会議の為にマスクをつけ、眼鏡をかける。自分のためのメイクは楽しいが、会社に行くためのメイクは面倒くさい。そんなものなのだ。
オンラインミーティングの画面に、直属の上司を含めた数人の顔がアップになる。何か喋っているようだが声は聞こえない。
『ナカノさん、ミュートになってますよ』
『失礼。えー、聞こえてますか』
「聞こえてます」
『この、先日の事件の顛末について話して下さい。どういう事なのか』
「どうと申されますと」
『君がラーメン屋で足元のカバン……入館証入りのカバンを盗まれた時の』
「ああ。入館証などを一時的とはいえ紛失してますので、報告した件ですね」
『それはいいんだ。キチンと報告してもらえているし、すぐに警察からも帰ってきたし』
「それなら何が問題ですか」
入館証の入っていた鞄を一時的にとはいえ紛失した。それはセキュリティの事故として扱われる。その為、シノダは即座にトラブル時の連絡体制に従って上司に連絡している。
隠そうとせずにキチンと報告している以上、叱責されたりはしない。シノダの会社はそういう所はホワイトだった。そんな事をしたら誰も報告をしなくなってしまう。
『鞄を持って逃げ出した20代と思われる男性を追い掛けて、とっさに懐に有った手裏剣を投げて脚に命中。転んだところを足を掴んでSTFを仕掛け、片手で警察に電話をかけた。と報告書にあるが』
ざわざわするミーティング。上司が全員をミュートにする。
「STFはステップオーバー・トーホールド・ウィズ・フェイスロックです。足をひねり上げながら顔も拘束できます」
『そうじゃなくて』
「はい」
『なんで手裏剣を持ち歩いているの。警察でも問題になったのはそこだろう?』
「渋谷の忍者BARに行った際にお土産として買いました。武器ではなく、あくまで記念品です」
『ニンジャBAR?』
最近よく一緒に飲んでいる冒険者仲間のせいで、武器を持ち歩く事へのハードルが下がっていた。あの斧を持ち歩くマッチョにはドン引きだが、やはり武器を持ち歩くという行為にはあこがれるし、実際にやってみると鞄に武器を隠し持つ事の高揚感は堪らない物があった。もっとしっかり一般人に偽装しなければ。
「今度いかがですか」
『ぜひ行きたいけれど、それは置いておいて』
「はい」
『いやまぁ、警察でもそういったんだろうけど。社員が武器持ち歩いているとかちょっとね』
「武器ではありません。記念に灰皿を買っていたら灰皿を投げていましたし、ペナントを買っていたらペナントを投げていますよ」
『ペナントとか懐かしいな。三角形の奴だろ。中学生とかが修学旅行で買う……ねぇ君たちペナントって知ってる?』
『知らないです』
『名前だけは』
『現物見たことは無いですね』
『だよね』
「私だって見たことないですよ。たまたま手元にあった記念品を投げた、というのが正しいです。アレです、手裏剣の形をしたコースターです。金属製ですけど」
『コースター。用途はともかく、手裏剣っていう文言は削っておく。手元にあった物を投げつけたという形にしておくよ』
「はい、それでお願いします。あ、刺さってないですからね。刃物じゃないです」
『わかった。わかった。報告書にはそう書いて置くけど、マジ気をつけてな?』
「はい」
業務用のアプリを立ち上げ、面倒くさい資料整理を数分で終わらせるマクロを起動すると、タブレットで最近見ている海外ドラマの続きをスタートさせる。ああ忙しい。今日は資料整理で一日が潰れてしまう。
そんな多忙な朝だというのに、グループチャットに『手裏剣投げたって本当ですか!』などのコメントが入る。
イラっとしたシノダは、壁のダーツボードに向けて手を振る。
ダダンッ!
鈍い音を立てて突き刺さる手裏剣。
「刃のついてない方で良かったなぁ……」
斧を持ち歩く料理人と比べて、常識を持ち合わせていた事にほっとするのであった。