古強者 D級吸血鬼トシさん 酔っ払いの常連たち
「マスター、いつもの」
そう告げながらC級冒険者ナカノは小汚い居酒屋の暖簾をくぐる。
ここをスイングドアにしてくれればいいのに、と何時も思う。他の常連からも同じ要望は出ているらしいが、周囲の店から浮くので改装はしないとの回答が店長から返ってきている。冒険者ギルドは一目見て違和感を感じさせてはいけないのだ。あくまでひっそりとした一般的な店に埋没した中で行う遊びなのだから。
それならそれで、冒険者ギルドじゃなくて盗賊ギルドにした方があっているのに、とも言われているが、頑として冒険者ギルドであると主張している。
汗を拭きながら狭い店内のカウンターに腰かけると、木製ジョッキに注がれたヌルいエールを啜る。まずい。だがこれがいい。と言いたいところなのだが、わりと本気でマズい。わざわざそれを飲みに来ているのだから文句は言わないが、本当にマズいし薄い。
「暑い外から入ってきたら、クーラーの効いた店内と冷たいビールは期待しちゃうよな」
「なに? うちにもトリアエズナマを置けって?」
「いや、この店はこれでいいんだよ、表が暑いって話だよ。しっかし、冷たいビールなんか異世界で売ったら飛ぶように売れるよな、クーラー無えんだもの」
そう言った途端、隣の客がトントンと肩を叩いて、口の前に指を一本立てる。そしてニュースを流すテレビを指さした。
失敗した。スーッと血の気が引く。今の店内はこういう会話をしていいモードではなかった。その原因である現代日本のお客様がテーブル席で荒れていた。
「あー、とりあえずビールで」
「トリアエズナマじゃなくてかい?」
「……? 生、あるの? なら、それ」
「いや、ないけどさ」
「無いのかよ。じゃ瓶のでいいや」
「瓶もないんだわ」
「は? なんで居酒屋にビールないんだよ」
「エールならあるよ」
「まぁ、それでいいよ。冷えてりゃ」
新規の客はネクタイを外し、手で仰ぎながら冷えたエールを注文する。
しかし。
「冷えてないよ、常温。今日はくそ暑かったから、ぬるくなってるよぉ?」
「ふざけんなよ、やる気あんのかこの店!」
男は席を立って出て行ってしまった。
この店はラガーではなくエールを出している。それも、あえて冷蔵庫にはいれずに温いエールとして。表向き普通の居酒屋だが、冒険者の店と言う裏の顔を持っているので、このぬるいエールはおっさん冒険者達に飛ぶように売れるのだ。ソーセージの盛り合わせや干し肉とともにドンドン注文が入る。じゃがいもをふかした物はエールにもあうのだが、それがファンタジーかどうかについて毎日戦争になる。そんな言い争いもまた楽しい。
先ほどのトラブルは、酒場に普通の客が来てしまったパターンだ。
マスターはテレビを消した。
店内の冒険者たちは即座に擬態モードを終了させた。野球の話で盛り上がっているように見えたテーブルは、キメラの脳みそはどこにあるのか、どの頭を潰したら死ぬのかについて真剣に話し合い始めたし、最近のおすすめのライトノベルの話をしていた連中は、一瞬会話を止めて問題がないと判断するとそのまま会話を続ける。
出ていった一般客と入れ替わる様に入ってきた客が、テレビが付いていない事を確認して嬉しそうにナカノのテーブルに座る。
「チーフ、早いですね」
「ナカノだよ、社外でまでチーフ呼びやめてよぉ」
落ち武者カットの貧相なサラリーマン、その実体はC級目前の古強者トシさんである。
「今の人、新人さんじゃなかったのね?」
「いや、一般客。ぬるいエールはお気に召さないらしい」
「現代日本は冷えたビール主流だからねぇ。この店冷房もないもんな」
「なに言ってんだ、冷蔵庫も置いてないぜ」
飲み物は、陶器か木製のジョッキにぬるいエール。食べ物はソーセージや、具のないスープか豆だけの薄いスープ。そして硬いパン。硬いパンと薄いスープは手軽に駆け出し冒険者の気分を味わえる人気メニューだ。これを懐かしいななどと良いながら食べるのがこの店での流儀である。
月に一度だけ米の飯が出る突発的イベントがあるが、それも日本の米ではなく、わざわざ長粒種の米を仕入れて「異世界でなんとか米を食えた風」に仕上げるという徹底ぶりだ。
利益を出すつもりがないなどと店長は言うが、嘘みたいな話だが儲かっているらしい。薄いスープなどの浪漫メニューが高いのと、常連がダラダラ飲む事の二つが店主の懐を潤す。
「薬はなんとかなった?」
「いや、まだ吸血鬼のままです」
「吸血鬼のままC級上がろうよ」
「治療薬の方のクエスト行きたいんですよね」
堅い黒パンを油大蒜につけて齧りながら悩みを漏らす。吸血鬼化を治療することができる薬師が渋谷のどこかにいるはずなのだ。だが、相談しているナカノはトシを噛んで吸血鬼にした本人なので、解決策を知るはずもない。相談相手が間違っているのだ。
「掲示板、頼っちゃおうかなぁ」
「我々、チート勇者じゃないんだから一人で事件解決とか無理よ?」
「ですよねー」
ごくりとエールで脂っこいパンを流し込んで気が付く。
「ナカノチーフ、パーティ仲間が欲しいだけなんじゃないですか? なんかやけに俺をC級に上がらせようとしてますよね」
「ばれたか」
トシは店の隅にある古いガチャガチャに500円玉を入れて回す。カプセルからは古びた銅のトークンが入っている。
カウンターにパシッと叩きつけると、オヤジお代わりだと告げてエールを受け取る。
渡す店長もトシもニヤニヤして気持ち悪い事この上ない。
この銅のトークンは、クエストで貰える銀貨や、それを集めて交換してもらえる金貨に比べてかなりチャチな造りだ。
それというのも、常連たちの『銅貨と引き換えにエールを受け取るのがやりたい』という要望に応えて、近所の金属加工工場で特注して作って貰ったからなのだが、それならば銀貨や金貨はいったい何なのか。
コイン収集家でも見たことが無い硬貨。妙に風格があり、使用感すらある。
店内の常連たちは誰もそこには触れない。もしかしたら、という気持ちをなくさないために。
みんな、浪漫が大好きなのだ。