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魔女 ウノ 主婦

「岩手県にもあるんだってよ、渋谷!」


 C級冒険者ナカノがギルドの中に入ると、珍しくマスターが大声を出していた。

 駅近くにある喫茶店やBARと違って、港区寄りのはずれにある居酒屋『ナズル』は、かなり入りにくい雰囲気の店だ。ガード下の雰囲気と言えばいいだろうか。


「渋谷区なのか渋谷駅から近いことなのか前に確認しただろう?そう、『あなたの思う渋谷が渋谷です』って答えたよ、ちゃんと」


 ギルドマスターの声を聴いて、ナカノも黙って席に着く。何人かいる常連も強面のギルドマスターの電話内容に耳をそばだてているようだ。


 屋台や煙草屋など、いくつかある窓口からもクエストを受注することはできるが、ギルドカードの発行や銀貨の両替などを管理しているのは、大きめの店舗に限られる。喫茶店、BAR、居酒屋などそれぞれのギルドマスターは全て渋谷支店と呼んでいるが、ここが支店なら本店はどこだというのかは常連冒険者たちの尽きない謎の一つだ。

 その支店のマスターが電話で誰かに問い合わせをしている。もしかしたらギルド本部の人間なのではないだろうか。店内はサイレンスの魔法を打ったように静まり返っていた。


「だからー!岩手県の渋谷に住んでる冒険者が、山の中で吸血鬼に捕まったんだってさ。知らないよそんなこと!」


 内容も気になるが、長らく謎とされていた冒険者活動の範囲というルールについて開かされようとしているのも興味深い。


 薬草カードの配置や、護衛任務など、冒険者ギルドで受注できるクエストは、場所が広範囲になることが多い。そのため、事前に範囲は『渋谷内のみ』と決められていた。その事は説明されているのだが、それでももめることは多い。どこまでが渋谷か、という境界線が不明瞭だからだ。


「魔物の嫌う匂いの薬草を産出する渋みの谷……いや、そういうのじゃなくて、私有地なの!山が。そう!その山!」


 マスターが声を荒げる事は少ないのだが、かなりイラついているようだ。


「岩手まで追ってった奴マジ凄いな」

「いや、怖いよ」

「怖いの通り越してキモイって」

「俺、岩手の人知ってる。わざわざ冒険者しに通ってきてるんだぜ、新幹線で」

「似たもの同士なのか…」

「冒険者ワールドはとうとう都内どころか関東を飛び出してしまったのか」

「何言ってんだ。もともとヴァナ○ィールとかそっちよりだろ」

「俺、カクハバー○とかのが好き」

「俺にとっては○レクラストとかのが近くないか?」

「その大陸の南に位置する呪われた島が好きだな」


 マスターの電話の邪魔をしないようにしつつ、常連同士で『好きな異世界』について語り合う。クエストも楽しいが、こういう同好の士があつまるのも楽しい。店の隅に置いてある交流ノートの昭和っぽさなど、昔のゲームセンターを思い出して涙ぐんでしまうほどだ。


「いいのね!前例できるからね、しらないわよ!」


 強面のマスターの唐突なおねぇ語におびえながらも、行儀よく『どうしたの?』という視線を向ける常連一同。


「渋谷が示す範囲は、渋谷区でも渋谷駅周辺での地名に渋谷ってついているところでも、魔物の近寄らないビターバレーでもいいらしい。公式決定だ」


 低い声で告げるマスター。こういう情報は本来はわざわざ言わないものなのだが、電話が五月蠅かったお詫びのつもりなのだろう。


「しかし、それだと際限なく広がっちゃわないかな」

「なんで」

「知人に渋谷さんって人がいるんだけど、自宅は渋谷家なわけです」


 理屈っぽいナカノが言い出したのは、酷い言いがかりであった。


「セーフ」

「セーフなの?!」


 自分で言い出しておいて驚くのも酷い話だが、周囲の常連も驚いている。


「あなたの考える渋谷が渋谷です。だってさ」


 それによ、とマスターが続ける。


「クエストのほとんどは一人じゃ完結しねぇ。いくら薬草群生地見つけても、怪盗が潜伏してても、他の冒険者がいなくて見つけて貰えねぇんじゃ」


 そこでマスターは唐突に天井の角に設置しているテレビをつける。

 それを見た常連たちはさりげなく手元の携帯や雑誌に視線を落とし、ナカノも奥のクーラーボックスから勝手にぬるいエールを取り出して席に戻る。


 そのタイミングでドアに付けられたベルがカラリと音を立てる。この店ではテレビがついている時は『冒険者以外の一般客が居るため通常営業』のサインであり、テレビが消えている時だけが『店内には冒険者しか居ないので引かれる心配なく会話してよし』という事になっている。


 ドアを開けて入ってきたのは髪の毛に白いものが混じる老婦人。女性の一人呑みがそう珍しいというわけでもないが、この小汚い店に入ってくるにはやや上品な身なりの人物だったため、思わず店内は不自然に静まり返ってしまう。狙ったわけでもないのに、『初めて入った冒険者ギルド』のように、急に静かになった店内で値踏みするような視線を受けた老婦人は、少し脅えたように足を竦ませたが、まっすぐにマスターの元に行き、一枚のカードを手渡す。

 そして強面のマスターはニヤリと不敵な笑顔を浮かべてこう言った。


「ようこそ。冒険者ギルドへ。期待のルーキーだと聞いてるぜ」


おおおおおおお、という意味のない歓声が店を揺らす。


「安心してください。ここにいるのは全員冒険者です」

「あら良かった。何かおかしな事をしてしまったのかと思ったわ」


 そっと口元を手で覆うと、こんなおばあちゃんが冒険者だなんて、おかしいかしらと呟く。

 そんな事はない。ここには会社をつぶしたおっさんも休憩中のタクシー運転手も学生も自称芸術家もいる。その共通点が冒険者だという事なのだ。


「孫の置いていった本棚にね、異世界にいって冒険するお話がたくさんあったのよ。暇に飽かせてついつい読みふけってしまってね。この間は孫が帰ってきたときに続きが買ってあるって驚かれたわ」

「いいですねぇ。私の妻なんてライトノベルの表紙見てえっちな本だと思ってたそうですよ」


 宇野と名乗った老婦人はすぐに冒険者たちに溶けこみ、驚くべき速さで冒険者ランクを上げていくことになる。



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