彼と捕虜の
絆創膏って、何の為にあるんだろう。
割と最近まで、僕はその意味を知らなかった。
そんな小さな傷が存在する日常が、どこかに存在しているなんて。
所属していた部隊の戦闘員は、誰もが傷だらけで、そうじゃなければ綺麗に地面に転がっていた。銃弾一発で二度と傷つかずに済む奴なんて、そんなに居なかったけれど。
寝ている者は人に踏まれ楯にされ、もしくは身を隠す障害物代わり。立っている者は、とにかく致命傷を負うまで怪我を負い続けるのが義務みたいに。この国は僕が物心ついた頃からこんな感じで、戦える者は戦えなくなる物になるまで、そうして生きているのが当たり前になっていた。誰も疑問なんて持っていなかった。だってずっとこうだったから。
きっと、ちゃんと弱かったならこうはならない。きっと、無駄に耐久性があったのが、逆に悪かったんだろう。
敵っていうのが何なのかさえもまともに知ろうとしなかったのに、僕らがこの戦争について、考えられるわけも無かったけれど。
「君は……君達は、敵国の兵士だね?」
そんな、無駄に長引いていた戦争が終わった。誰もが死傷していた国なんだから、敗戦するのは当然だったんだろう。そんな事、上の人達なら分かっていた気がするけれど、でも本当にこの国が死ぬ寸前まで終わらなかったのは、こんなに長く戦っていたのは、もしかして何か勝つ見込みがあったんだろうか。何も知らなかった僕が考えつく結果なんて、上の人ならとっくに考えついていただろうし。
でも、結局この国は、敗けた。
竜巻や嵐、洪水や土砂崩れ、そういった自然災害による被害が相次いだから。
だから、本当はもっと長引いていたかもしれない。このイレギュラーな被害が無かったなら。
そしたらきっと、僕は他のみんなみたいに寝ていただろうな。
「……君“達”ではありません、私一人です。」
敵の司令官の一人だって言うその人に、訂正を入れる。この人だって最初に単数で話したのに、どうして複数に言い直したんだろう。
こちらに銃を突きつける何人もの人々、その輪が途切れた僕の真正面、そこにいるその人は、ほんの少し首を傾けて言う。
「いいや、君“達”だよ。見たところ5・6人は生存者がいる」
「彼らはいずれ死にます」
そんなの明らかだ。腕や足が千切れた所からは出血し続けて、腹の肉が大きくえぐれてて、一人なんかは脳みそがはみ出している。あれはまだ生きているのが不思議だ。でも早く眠りたいだろう事は、その拷問に遭っているような顔を見れば一目瞭然。
反抗的な態度と思われたのか、視界にある銃の一つが眼球のすぐ前にやってきた。この位置なら一発でいけるだろうけれど、場所が場所だけに威圧されて、精神的にくるものがある。
「こら、やめなさい」
まるで戦場に合わない、子供をなだめるような声が聞こえた。司令官の声に、その銃口が元の位置へおさまる。
傾けた首を戻して、
「確かに、そうだろうね。しかしまだ生きている」
ゆっくりとこちらに近づいてきた。
生きている。生きているから何だと言うんだろう。数に数えるのか。もう、どんな治療をしても助からないのに。むしろ、まだ生きている事が彼らにとっての地獄だ。もし僕が敵に囲まれて銃を突きつけられていなかったら、いっそひと思いに――
「けれど、この状態で生きているというのは、死んだ方がマシだろうね。」
ひやり、と、冷たさを感じた。
そんなはず無いけれど、確かに、冷たいと、体の中へ冷気が入ってきたのを感じたのだ。
いつの間にか小銃を構えたその人へ、さっき僕の眼球に突きつけた兵士が言う。
「中尉、私が」
「おや、そんなに私は下手そうかい?」
「いえ、貴方自らなど」
「私は既に戦場に立つ、今更何を?」
「どうか」
食い下がる兵士に、ふうっと、仕方ないなとでも言うみたいに溜め息をついて、彼は小銃を下ろした。
それと連動するように照準の向きを変える銃が、一回、二回、三回、四回、五回、
血と肉だらけの音を響かせた。
「君は捕虜という扱いになるだろうが、しかし向こうの国のトップは最早機能していないし国自体も壊滅寸前だ。おそらくこのままこちらの国へ丸ごと吸収されるだろうから、実質はうちの国の暫定兵士ってところだろうな」
そこら辺に転がっていた奴らを簡単に埋葬して、敵国の兵士達は帰路についた。僕を伴って。
途中で休憩をはさんだ時に、敵の司令官の彼は僕のところにやってきて、説明を始めた。水と少し食べ物を、こちらに渡しながら。
「あの、これ……」
「多少は胃に入れておきなさい。次に時間が取れるのはいつか分からないから。まぁ、縄のせいで少し食べづらいとは思うけど……」
確かに手首を縛られてはいるけれど、彼が持ってきた物は掴んで口に運べばいいやつで、だからどうって事ない。ただ僕は、よく分からなかった。途中休憩ってだけの時間に、貴重なはずの食糧を敵の捕虜に与える意味が。
手に持った食べ物とその人とを交互に見ていたら、どうやら勘違いされたみたいだった。
「大丈夫だよ、毒は入っていない。まぁ、勝敗を決して国に帰るだけの部隊の誰かさんが、わざわざ上司を毒殺しようとしてたなら別だけどね」
こっちに気遣うように手を左右に振って、いたずらっぽく笑った。内容から察するに、どうやらこれはこの人の分の食事らしい。ますます僕へ与えた意味が分からない。部隊長の食事を削って、撃つだけで片付けられる捕虜へ、どうしてわざわざ。
「今、国へ帰還する旨を先駆け達が報せに行っていてね。彼らが帰ってくるまで暇だから、何か質問があったら答えるけれど。どう?」
頬杖をついた目の前の人が、まるで心を読んだみたいに話し出す。
一回その人の目を見て、でも見ていられなくて、結局僕の視線は彼の膝の辺りに落ち着いた。
「…………なぜ、私をわざわざ生かして連れて帰るのですか。食事まで、与えて」
彼が少し顔を傾けたような気配がした。
「うぅん、わざわざときたか。そこは意見の相違だね。私にとっては、いや、多分私の兵にとっても、そして君にとっても、誰かを殺す事の方が“わざわざ”している事なんだよ」
「……生かすより、殺す方が手間だという事ですか」
どう考えたって逆だ。
頬杖をやめた手が、彼の膝に置かれた。そうしてこちらに手のひらを見せる。
「誰かの生を止めるというのは、ストレスになる事なんだ。それそのものに快楽を見出さない限り。頭のどこかでずっとそれを考えてしまう。相手の姿、殺した時の様子、感触、その後はどうだったか。どんなに気丈な奴でも夢に見たりする。それに慣れても、無意識のうちに記憶を掘り返す。自分が生きている間はね」
そこまで言って、少し間を空けた。
「……まぁ、誰かを殺す事が当たり前になってしまっている子も、いるんだけどさ」
彼は笑ったみたいだった。でもそれは、嬉しいとか楽しいとか、建て前とかでもなくて、どっちかというと悲しいとか寂しいとか、そういう感じの笑い方だった。ような。
「だから私は、殺さなくていいなら生かすようにしてる」
「ストレスだから?」
「うん、そう。あー、こう言うと身も蓋も無いなぁ……」
困ったように空を仰ぐその人を横目で盗み見て、今度は視線を胸の辺りに落ち着かせた。
「他に質問は?」
まだ答えてくれるらしい。
それなら、と、質問を口にした。
「どうして、“彼ら”を殺したんですか」
僕以外の、あの時地面に横たわってた“彼ら”。
この人は殺す事がストレスだって言った。でも、それならどうして、放っとけばすぐに動かなくなる彼らを、そう……“わざわざ”撃ったんだろう。
ううん、結局撃ったのは彼の部下だったけど。
それでも彼は自ら撃とうとした。ストレスなのに。なんで?
僕はうっかりしていたんだ。だってその答えはあの時、確かに聞いて、そして僕は反応したんだから。
「死んだ方がマシだったからだよ」
冷たさを全身に感じていたんだから。
僕は見た。答えを既に聞いている事を思い出して、遮ろうとして、彼の顔を、目を、まっすぐに見てしまった。
金茶の、目。それだけ。
ただそれだけだ。
嬉しいとか、悲しいとか、痛いとか、怖いとか、辛いとか、そういう感情も他の感情も、何にも無い、ただの目。
そんな目をして彼は言ったんだ。『死んだ方がマシだったからだよ』。
彼は、彼はストレスを感じているの?その目は何も表してないのに、何も迷いが無いのに。それとも快楽を見出してる?まさか、だって彼の目にはそんな感情がない。じゃあ、じゃあ彼は、人を殺し過ぎた?慣れたのか?でも、彼は部隊長で、彼の部下は彼自らがするのを嫌がってて、それじゃ、彼自身が手を下す事なんてそれほど無い気がする。それならこの人は一体、
どうしてこんな、まっすぐな目を。
無意識にごくりと、唾をのみ込んだ。手足から感覚が薄くなっていくのが分かる。心臓はどくどくいってて、けれどそれは多分、気持ちが高揚しているからで、僕はその意味の分からなさに体を震わせる。
それに気づいたらしい目の前の人が、本当に優しく、困ったように笑った。
恐かったのかもしれない。その穏やかな躊躇いの無さが。
嬉しかったのかもしれない。その残酷な優しさが。
「彼」はアナログで描いてるオリジナルの主人公で名前もあるんですが、この話じゃ出てきませんでした。次ぐらいには判明するんじゃないでしょうか。
そう、次です。
短編小説ですが、中身が関連している小説を他にも投稿するつもりです。別にアナログの方が進まないからじゃないです。小話書いて憂さを晴らそうなんてしてませんし。ちーがーうーしー。