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「不安人」10円
ここは、病院の待合室。多くの患者が診察を待っていた。院内は、無機質な作りで、老朽化している。平日なので、男性や若者は少なかった。看護師が次の患者の名前を呼ぶ。
「Fさんどうぞ」
「はい」
白いカーテンの奥に案内された。丸い椅子に腰かける。F氏は、周りをちらちら見て、落ち着かない様子。医者は、眼鏡をかけた初老の男。
「今日は、どうされました?」
「先生、不安なんです」
「不安とは?」
「階段を降りると、転んで下まで落ちないか。エレベーターに乗り込もうとすると、ドアに挟まれないか。道を歩いていたら、マンホールの蓋が外れていて、穴に落ちるかもしれないと。横断歩道を渡るときは、車にひかれやしないか。電車に乗る時は、ホームから線路に転落しそうで」
「それは、重症ですね」
「聞いて下さい。部屋を掃除したらゴキブリが出ないかとか。ガス漏れが起こり、発火しそうな。軽い地震でも、床が抜けるんじゃないか」
「かなり、悩まれていますね」
「とてつもなく。工事現場の足場の近くでは、私の向きに倒れてこないか。マンションの側を通ると、植木鉢が頭上に落ちやしないか」
「妄想癖がひどいですな」
「癖じゃありません。日常です!人とすれ違うだけで、財布をすられないか。友人と喫茶店で、コーヒーを飲むときは、ひっくり返しそうで。ビルの屋上に人影を見ると、飛び降りやしないか。とにかく不安です」
「わかりました。F氏のような症状は、不安を取り除くのが一番です。不安が無くなる薬を飲みますか?」
「ええ、ぜひ」
「お薬出しときますね。それではお大事に」
医者が、机に向かってカルテを記入していた。
「先生、ありがとうございました」
F氏は、椅子から立ち上がり、ロビーに戻る。
F氏は、ソファーに座り会計を待っていた。
「Fさん」
「はい」
「今日は、592円になりますね」
「本当に592円です?もっと安いのをわざと高く言っていませんか」
「いいえ、こちらの医療明細書を見て下さい。同じ金額でしょう」
「確かに」
「処方箋は、薬局にお出し下さい」
「ありがとうございました」
「お大事に」
F氏は、病院を後にした。
F氏は、薬局に入った。受付に、処方箋を渡す。
「Fさんお預かりします」
「よろしくお願いします」
「おかけになってお待ちください」
「このまま、一時間も待たされませんよね?」
「大丈夫ですよ。十分もかかりません」
「嘘じゃないですよね?」
「真実です」
「では、立ったまま待っています」
F氏は、薬剤師を睨んだまま、五分ほど待った。
「Fさんお待たせしました」
「あ、はい」
薬剤師が、赤い薬を指差した。説明してくれるようだ。
「こちらの錠剤、ナイトコマールが食後一日三錠です。効能は、不安を取り除きます」
「毒じゃないですよね?」
「ナイトコマールは、お薬でして。効能は、不安を取り除きます」
「わかりました」
薬剤師が、銀色の袋を指差した。
「で、こちらの粉薬ウタガワーヌが、食後に一日三回服用してください」
「それは、体に害がありませんか?」
「体に優しい漢方薬ですから、ご安心ください。効能は不安を取り除きます」
薬剤師は、黄色い薬を指差した。
「こちらのカプセル、キオクナクナールは症状のひどい時に、一日一錠だけ飲んでください。けして、二錠飲まないようにご注意を」
「二錠飲むと、頭が痛くなりますか?」
「二錠飲むと、お腹が緩くなります。効能は不安を取り除きます」
「副作用は、たいしたことないですね」
「ですね。容量用法は、正しくお使いください。それぞれ、一週間分出しておきます」
「はい」
「今日のお薬代は、810円になりますね」
「実は、800円?」
「いいえ、お薬の領収書をご覧ください」
「なるほど、810円と書いてある」
「ご納得いただけましたか?」
「はい」
F氏は、薬の入った袋を受け取る。
「お世話になりました」
「いえいえ、お大事に」
F氏は、薬剤師の言うとおりに薬を飲み続けた。ひどい時には、キオクナクナールも服用し、不安の療養に努めた。
一週間が過ぎ。平日の病院は、お年寄りや女性ばかり。
看護師が次の患者の名前を呼ぶ。
「Fさんどうぞ」
「おはようございます」
医者は、F氏の表情を観察する。
「おはようございます。その後、不安は解消されました?」
「おかげさまで、不安は微塵もありません」
「よいじゃないですか。今日はどうされました?」
「先生、不安がないことが不安です」
「それは、Fさんが元気な証拠です」
「まったく不安が無いです、生きていても安心しかないです。このままでは、退屈に支配されてしまう」
「では、不安になる薬を飲みますか?」
「ええ、ぜひ」
「その他、症状はありませんね?」
「健康体です」
「お薬出しておきます。それではお大事に」
医者が、机に向かってカルテを記入した。カルテには、不安有、不安無と繰り返し書かれてあった。
「先生、ありがとうございました」
F氏は、椅子から立ち上がり、ロビーにもどる。
完




