◆独活の大木
◆独活の大木
一昨日私に面会を求めてきたジャーナリストが久しく名を呼んだので、すっかり忘れていたことだったのだが、私の名は武藤俊吾であることを思い出した。長らく番号で呼ばれ続けたせいでおおよそ全てのアイデンティティを剥奪されていた私にあって、それはとても新鮮なことに思えた。ぴったりとコンクリートで覆われた部屋の真ん中は薄いアクリルの、しかし頑強なる透明な壁によって、ジャーナリストと私の領分をはっきりと二分している。刑務官が扉の外で息を潜め密室内で行われる面会を物珍しそうに聞き耳を立てるという空想が頭にちらつくのを押さえ、私は男の顔を見たのだった。
そうだ、私は名探偵を殺した。狭苦しい圧迫感しか感じられぬ部屋で、一昨日、私は再び認識した。私が刺したかも分からない包丁の感触、襖に鮮やかな朱を彩った、六月の西日が欄間をすり抜け畳に淡い影を落とす様、鉄さびの匂いと思えば鼻腔の奥で結実する血の臭いが脳裏にありありと浮かび上がった。
はたしてジャーナリストの名前は思い出せない。森本だとか盛岡だとかそういうありふれた名前だった。ただ、彼の云った「本当にあなたが殺したのですか」という問いが心の奥底に蓋をして隠した何かに共鳴したことは確かだった。あなたが殺したのですか? いいや、違う。
いいや、違うというこの一言がくせ者であることに変りはなかった。なぜなら私が殺した名探偵と宿泊客四名――殺した順で云うなら宿泊客の方が先だが――は、どうあがいても私が殺したことに他ならないのであるから。例えばアリバイトリックはたった一つのワイヤーが元でばれてしまったし、錯覚を利用したトリックも、全く同じシチュエーションを用いたその地の伝承にある方法であったことが不幸の元であった。たまたま同じ旅館に宿泊していた私が殺した名探偵では「ない」名探偵がたちどころに暴いてしまったのだ。それも警察の手が偶然の土砂崩れで阻まれている間にだ。
いよいよ警察の手が入る段にあって、私はすっかり観念していた。逃げ切れるわけがない。私が殺したのだから。指紋や現場に残された僅かな毛髪から私が犯人だと物証的に証明されてしまってはどうあがいても言い逃れは出来まい。いや、言い逃れする気など毛頭なかったのではあるが。
パトカーに乗せられ護送される際、最後に見たもう一人の名探偵の顔。勝ち誇ったように、自らの推理の妥当性が公権力によって裏打ちされたのを知って、甘美なる勝利の蜜を吸う奇妙な人型をした虫。狡猾そうな逆三角形の顔は蟷螂のように見えて仕方がなかった。
都合五人が死んだ事件はセンセーショナルな扱いを受けた。名探偵が日々難物な事件を解決していく中にあって五人殺しは被害者が多い方であったし、なにより高名な名探偵が一人殺されていることもあって、話題に事欠くような微細なインパクトでは無かったのだ。それに見た目はともかくとして内実のところこの事件を解決した名探偵も、そうとう苦労して私が犯人であると指摘したことも手伝っているように思う。例えばアリバイトリックがワイヤーという些細なミスで見破られなければ真っ先に疑われていたのは旅館の主人で、これは私のミスリードさせようという力も強く働いていたのであったが、各部屋のスペアキーを自由に使えるのは当然主人だけであって、やはり真っ先に疑われるべくするのは主人の筈だったのだ。主人が犯人では面白みに欠けると云いだした名探偵を、私は今でもひどく怨んでいる。許せるはずがない。
私の容姿と旅館の主人の容姿が似ているという事実。人の記憶の曖昧さ。この二つを利用した偽証も誘導尋問からうっかり漏らした一言によって、伝承との符号を見つけた名探偵によって見破られた。共潜りなぞという妖怪が存在するのは初耳だった。
完璧な犯罪が存在しないのは名探偵が存在するからだ、と身に染みて感じる。重犯罪が発覚し犯人が逮捕される一端には名探偵が絡んでいる。そんなはずはないと思っていられるのは罪を犯していない、清廉潔白とは云わぬ物の、やましいところの少ない人間だけだろう。
私の世界は六畳一間に狭まってしまった。半分腐った畳と和式便所。鉄格子から覗ける空に焦がれてみても、昼休みに中庭から望む青も箱庭からはほど遠い。地の底で濁るような人間ではないと心のどこかで思ってみても、どうしようもない。
悲観が頭を満たす。その波間に来訪者を触媒として、いつだったか私をここへ入れる原因となった名探偵が面会に来たことを思い出した。
名探偵は余裕たっぷりだった。嘲笑うように次々と殺されていく被害者を目の当たりにして、次の被害者は自分ではないかと恐れおののいていた時とは全くの別人のようだった。最後の被害者である名探偵が死んでのちに、些細なきっかけを見つけて私を追い込んだ時の顔とは別人である。アクリルを挟んで向こう側の彼は刑務所内の生活を聞く。輪転機を回して有名な本を刷る私の姿と、よもや刑務所で作られた本とは知らずに買い求める客を思い笑うその顔はとても醜悪で、こんな人間にしてやられたのかと思うと腹が立った。そして同時に、今日という日まで心の奥底に蓋をして閉じこめた思い、私は実は犯人ではないのではないか、という疑念の種を植え付けたのは名探偵その人だった。なぜ今まで忘れていたのか。これはえん罪というものではないか。だがしかし証拠と記憶が私の罪だと示している。
そうだ名探偵の推理は絶対だ。それを忘れてはならない。あらゆるミステリの、本格というジャンルの鉄則として名探偵が颯爽と事件を解決してみせるのはコードではなかったか。そこから逸脱する変格とて根幹である本格という色があってこそのジャンルだ。名探偵は間違えない。
いやまて小説と同じように名探偵が存在すること自体不自然ではないだろうか。本当に名探偵という人物が、人種が存在していてもいいのだろうか。エラリー・クイーンもフェル博士もポワロも法水麟太郎も金田一耕助も、全て架空の人間ではないか。
私は思い出す。あの日旅館に宿泊していた私が何をしていたのか。私と同じ宿泊客を『刺していなかった』日を思い出す。あの日の私は旅館の一室であいにくの雨の中、史跡を巡ることすらできず、鬱屈とした気分の中にうち沈み、こんなにも退屈ならば殺人でも起こってしまえばいい、そう益体のない空想を膨らませながら、時間を空費していただけではなかっただろうか。
アクリルを挟んで向こう側の探偵が何事かを喋っている。私の耳はそれを聞き流しており、何を得々と語っているか分からない。そこでふと私の脳裏に、人が認識している物だけ存在している、という今日日中学生でも夢想しない突飛な、全く以て意味のない思いが頭に浮かんだ。人は頭の後ろに目がついているわけではなく、後ろを見るには頭をぐるりと回さなければならない。視界を外れた物は既に人にとって存在しておらず、視界に収まった物だけそこに出力されるのだ。ちょうどゲームでマップをロードするが如く、目に見え感じる物だけが出力される。世界はそうしてなりたっているのではないだろうか。
私が犯人であるゆえんは皆が私を犯人と定義したからである。そして、定義できる人間とは警察や探偵、あるいは殺人者でありたいと願う一般人ではないのか。世界の成り立ちに触れるストーリー・ライターがこの世には何人もいて、彼らはしばしば歴史に名を残す。ホロコーストが存在しなかった、という学説はもしかすると本当で、ホロコーストという共通の認識を連合国側に描き出されたのではないか、そういう話なのである。
探偵は帰り、私は鉄格子に戻される。明日は我が身と思いつつ狭い空に思いを馳せる。むろん誰も私の胸中など知らない。