第6話『根源』 ~section2:泥に塗れた道化と、隠蔽された銃口(第一の矢)~
反転した密室。
万物を鑑定する者としての絶対的な宣言を終えた如月さんは、静かに目を開き、そのアメジストの瞳で談話室に集まった生存者たちをゆっくりと見渡した。
極限状態の恐怖と疲労に震える大人たちや、怯えるクラスメイトたち。しかし、彼女の瞳には彼らに対する同情や共感といった人間的な、あるいは柔らかな感情は一切浮かんでいない。そこにあるのは、純粋な物理的真理だけを映し出す、冷徹で無機質なガラス玉のような光だけだった。彼女はオカルトを暴く探偵でもなければ、人々を救う正義の味方でもない。ただ、事象の根源たる『ルーツ』を物理的鑑定眼によって辿るだけの、徹底した鑑定士なのだ。
やがて如月さんは、自らの背中で完全に封鎖していた重厚なオーク材の扉から、インバネスコートの裾を翻して一歩だけ横へとずれ、僕の方を振り返った。
「サクタロウ。わしが退いてやるゆえ、お主の目の前にあるその扉を開けるのじゃ」
「え……? 扉を……開ける?」
「いかにも。インフラが完全に沈黙し、主からの電子的な指示を失った哀れな物理的実行犯が、暗闇の海で迷子になっておる。ここへ招き入れてやるがよい」
その言葉の意味を脳が理解した瞬間、僕の背筋に氷のようなゾクッと冷たいものが走った。
見えない殺人鬼――あるいは、その手足となって泥臭い物理的作業を行っていた実行犯が、今この瞬間、この分厚い扉のすぐ向こう側に立っているというのか。
如月さんの宣告により、ただでさえ重苦しかった談話室の空気が、一気に絶対零度まで凍りついた。生徒たちの前に立つ明宮先生が鋭く息を呑み、護身用として暖炉から持ち出していた真鍮の火かき棒を両手で強く握り直す。
殺されたシェリーと一緒に旅行客としてこの館を訪れていたメアリーは、被っていた人見知りの猫を完全に脱ぎ捨てた素顔のまま、「ひぃっ」と短い悲鳴を上げて後ずさり、エイミー夫人の背後へと隠れた。そのエイミー夫人は、青ざめた顔で愛猫のサクラを腕の中にきつく抱きしめている。サクラも主人の異常な緊張を感じ取ったのか、小さく「ミャア」と鳴いて毛を逆立てた。
壁際に立つ桐生院誠は、彫刻のような完璧な微笑を崩さないように努めていたが、その瞳には微かな動揺と緊張が走っているのが分かった。佐伯陽菜や鳴海亜衣たちも、互いの服の袖を強く掴み合いながら、身を寄せ合って震え上がっている。
だが、僕は如月さんのアメジストの瞳に一抹の揺らぎも、計算の狂いもないことを見て取り、小さく、しかし明確に頷いた。
如月瑠璃が『開けろ』と言うのなら、そこに物理的な勝算と、解明されるべき絶対的な真理があるのだ。僕は恐怖で微かに震える右手を真っ直ぐに伸ばし、冷え切ったオーク材の扉の真鍮製ノブをしっかりと握りしめた。金属の冷たさが掌から伝わり、僕の心拍数を強制的に引き上げる。
僕は奥歯を噛み締め、重い軋み音を立てながら、分厚い扉をゆっくりと手前へと引き開けた。
開かれた扉の向こう側。非常用の独立したバッテリーランプだけが、オレンジ色の心細い光を点々と落としている薄暗い明け方の廊下。
その真ん中に、一人の男がうなだれるようにして立ち尽くしていた。
「……インフラが……神の雷が止まった……。次の……次の浄化の指示を……誰か……主よ……」
焦点の合わない虚ろな目で宙を見つめ、うわ言のようにブツブツと呪文めいた言葉を呟きながら、暗い廊下から談話室の灯りの中へとふらふらと足を踏み入れてきたのは、この館の広大な庭園をたった一人で管理している老齢の庭師、グリエルだった。
僕が夕方に厨房の裏手で見かけた時の、寡黙で職人気質だった、土を愛する庭師の姿は、そこには微塵も残っていない。
現在の彼の姿は、あまりにも異様で、悍ましいものだった。
深い緑色をした分厚いキャンバス地の作業着は、氷のように冷たい雨と泥水でぐっしょりと濡れそぼり、本来の色が分からないほどに赤黒く染まっている。足元に履いたゴム製の分厚い長靴からは、彼が一歩歩みを進めるたびにボトボトと黒い泥の塊が崩れ落ち、談話室の豪奢なペルシャ絨毯を無惨に汚していった。さらにその節くれだった大きな右手には、泥と、何か黒ずんだ鉄錆のような汚れがこびりついた鋭利な大型の剪定バサミが、力なく、しかし手放す気配もなく握りしめられていた。
「な、何だあいつ……!」
ショートカットの鳴海が、その異様な風体に耐えきれずに大きく後ずさりしながら叫んだ。
「お、お前……グリエル! お前なのか……! なぜこんな所にいる! その恐ろしいハサミを捨てんか!」
グランバール卿は、自らの使用人の変わり果てた狂気的な姿に、ステッキを持った手をガタガタと震わせ、声を上擦らせて威嚇した。
「サモン!早く奴を止めろ!」
グランバール卿の怒声に応じ、部屋の隅で控えていた執事のサモンがビクッと肩を揺らして一歩前へ出た。だが、サモンの顔面も恐怖で蒼白になっており、泥に塗れた狂気の庭師を前にして、それ以上前に進むことができずに足が縫い止められていた。グリエルは雇い主の怒声にも、執事の制止にも反応することすらなく、ただ虚ろな目で部屋の中を彷徨っている。
パニックに陥りかける談話室の中で、如月さんだけはインバネスコートのポケットに両手を入れたまま、眉一つ動かさずに泥に塗れた庭師を冷徹に観察していた。
「ジェームスが鏡の廊下で頭部を粉砕されたという、不可解な密室殺人。デジタルデータしか信じぬ者や、己の思考を放棄した大人たちはそれを『見えない亡霊の呪い』などと騒ぎ立て、恐怖という情動の奴隷に成り下がった。だが、わしの鑑定によれば、あの事件の物理的真実は極めて単純にして、そして醜悪なほどに理知的なタイムラインによって構築されたものじゃ」
如月さんの凛とした声が、グリエルの放つ強烈な土と雨の匂い、そして部屋に充満する恐怖のノイズを冷酷に切り裂くように響き渡った。
彼女は懐中時計の秒針のリズムを脳裏で反芻しながら、事象のルーツを一つ一つ、正確な数式として解体し、目前の生存者たちへと提示していく。
「まず大前提として、あの鏡の廊下で起こった現象を整理するぞ。ジェームスを殺害した真の凶器……ジェームスの頭蓋を直接打ち砕いた物理的質量は、紛れもなくローレルの厨房から姿を消していた『純銀のおたま』じゃ。銀は極めて比重が重く、殺傷能力を生み出す運動エネルギーを保持するには十分すぎる質量を持っておるからな」
如月さんの言葉に、暖炉の傍らに立ち、腕を組んで事態を静観していた料理長のローレルさんが、微かに目を細めて重々しく頷いた。彼の顔には、自分の神聖な厨房の道具が人殺しの凶器に変換されたことに対する、静かな、しかし確かな怒りが滲んでいた。
「だが、勘違いしてはならぬ。ジェームスは『飛んできたおたま』に当たって死んだのではない」
如月さんは、あえて一度言葉を切り、室内を見渡した。
「犯人は、唐突な停電によって生み出された完全な暗闇に乗じ、自らの腕力で直接純銀のおたまを振るい、ジェームスを物理的に撲殺したのじゃ。そして絶命した死体を、すぐさま隠し扉の奥へと蹴り込んだ」
「な……撲殺された後だって……?」
明宮先生が思わず声を漏らすと、如月さんは冷徹に頷いた。
「いかにも。ジェームスの死は、あの廊下でメアリーが絶叫するより前に、すでに完了しておったのじゃよ」
「そ、そんなはずないわ! 私は確かに見たのよ! ジェームスさんの頭が、光る亡霊の呪いで吹き飛ぶ瞬間を!」
メアリーがエイミー夫人の背後から顔を出し、ヒステリックに叫んだ。
だが、如月さんはその情動の叫びを冷たく一蹴する。
「お主が暗闇の鏡の廊下で見たという、ジェームスの頭が吹き飛ぶ寸前の『光る亡霊』。あれは、隠し扉の裏側に潜んでいたこの庭師グリエルが、LEDを仕込んだドレスを用いて引き起こした、ただの低俗な視覚的錯覚に過ぎぬ」
「錯……覚……?」
メアリーが呆然と呟く。
「そうしてメアリーに悲鳴を上げさせ、その場にいた全員の注目を鏡の廊下に集めた直後……もう一人の真犯人が、安全な談話室の中からスマホを用いて、遠隔操作で『発射台』を起動したのじゃ」
如月さんはアメジストの瞳を細め、トラップの物理的構造と完璧なタイムラインを事細かに暴き立てた。
「壁の裏……隠し通路の内部には、あらかじめ数十キロの鉄の重りを吊るした『ストライカー』が仕掛けられておった。ジェームスを撲殺した後、犯人は血塗れになった純銀のおたまを、そのトラップにセットしたのじゃよ」
如月さんの言葉が、事件の悍ましい真実の輪郭を浮き彫りにしていく。
「すべては、すでに撲殺されて死んでいるジェームスが、あたかも『今まさに亡霊の呪いで殺された』かのように全員に錯覚させ、恐怖のルーツを構築するための、極めて悪趣味な舞台装置じゃよ。その後、実行犯である庭師のグリエルは、隠し通路を通ってジェームスの死体をワインセラーへと運び、梱包して隠蔽した。……これが、ジェームス殺害の物理的タイムラインじゃ」
誰もが息を呑んだ。亡霊の呪いなどではない。二人の人間が綿密に連携し、視覚的な錯誤と物理的なトラップを組み合わせた、醜悪なほどに計算し尽くされた殺人計画だったのだ。
「そして、シェリーの死もまた、亡霊の仕業などではない」
如月さんは、震えるメアリーを一瞥し、そして再び虚ろな目をしたグリエルへと視線を戻した。
「シェリーは自己の欲求――ジャーナリストとしての特ダネと金になる情報という利己的な利益を満たすために、パニックの中で自らの意志で暴風雨の外へと足を踏み出した。そして、外で待ち伏せていた犯人たちによって首を物理的にへし折られ、東棟の旧客室へと死体を運ばれたのじゃ」
「待ってください、如月さん」
その時、明宮先生が一歩前に出た。彼の表情は、教育者としての責任感と、拭いきれない疑問に満ちていた。
「桐生院くんと私が体当たりでドアをこじ開けた時、あの旧客室は内側から頑丈なかんぬきが掛けられていました」
「密室など、建具の隙間からタコ糸一本と摩擦力を利用すれば、外部から容易に施錠できる古典的な物理トリックに過ぎぬ。重要なのは、そのような児戯にも等しい密室の構築ではない。犯人があの部屋から『シェリーの手帳』と『柱時計の心臓部と針』を意図的に奪い去ったという事実じゃ」
如月さんの指摘に、僕はハッとした。
そうだ。シェリーの遺体を発見した時、彼女が常に持ち歩いていたはずの取材手帳はどこにも見当たらず、部屋の壁に掛けられていた古い柱時計からは、針と内部の機械が丸ごと抜き取られていたのだ。
「現場でも言った通り、犯人はただ腹立ち紛れに時計を壊したのではない。専用の工具を用い、物理的な時を刻むための心臓部と、それを示す針を的確に解体し、持ち去った。この密室から、被害者の命とともに『時間という概念のルーツ』そのものを、意図的かつ象徴的に奪い去ったのじゃよ」
如月さんは、グランバール卿を冷たく見据えながら、その真のメッセージを解明する。
「なぜそのような回りくどいことをしたのか。それは、かつてこの土地と館を不当な手段で奪われた者たち……A・Eの血脈の怨念による、明確な宣戦布告じゃ。数百年前、ドリス家にこの館を簒奪された瞬間から、彼らの時間は止まっておる。ゆえに、『偽りの貴族であるドリスの時間は今夜で終わる。ここから先は、真の主の時間が動き出す』……そういう、己の血塗られたルーツに執着した哀れなメッセージじゃよ」
グランバール卿が、その言葉に「A・Eの……血脈だと……?」と顔面を蒼白にさせた。
「そして、もう一つ消えたもの。シェリーの取材手帳じゃ」
如月さんは淡々と続ける。
「彼女は特ダネを追い、この館の真の歴史――A・Eの血脈の生き残りが、身分を偽ってこの館に出入りしていることに気づいてしまった。だからこそ口封じのために殺され、情報源である手帳を奪われたのじゃ。……旧客室の暖炉には、紙を燃やしたような灰や、手帳のワイヤーリングの燃え残りは一切存在しなかった。情報という質量は、そう簡単には消せぬ。真犯人が、己の正体を隠蔽するために今もその懐の奥深くに後生大事に隠し持っておるからじゃ」
「……間違いない。俺の収集したデジタルデータはハッカーによって無効化されましたが、論理的推論とアナログな化学的痕跡が正しければ、如月さんのその仮説は、科学的に完全に証明されます」
その時、僕の隣で自身のタブレット端末を大事そうに抱きしめていた五味鉄平が、ズレた眼鏡を中指でクイッと押し上げながら、一歩前へと進み出た。
インシュロックで縛られていた手首の鬱血はまだ痛々しい。彼は以前は如月さんの感覚的な鑑定を「非科学的だ」と敵視していたが、デジタルインフラが物理法則(純銀の匙によるショート)によって完膚なきまでに破壊された今、彼女の圧倒的な論理を認めざるを得なかったのだ。
「ゲオスミン、および2-メチルイソボルネオールです。特有の土壌細菌――放線菌やシアノバクテリアが生成する揮発性有機化合物で、いわゆる『雨上がりの土の匂い』や『カビ臭さ』の主成分となる物質です。大浴場の脱衣所で俺を背後から襲い、インシュロックで縛り上げた奴からは、強烈なゲオスミンの匂いがしました。そして、ジェームスさんの死体が消えた壁の隠し通路の奥からも、全く同じ成分の土の匂いが漂っていた」
五味は、グリエルの足元から絨毯にボトボトと崩れ落ちている、黒い泥の塊を真っ直ぐに指差した。
「シェリーさんの死体が埋まっていた東棟の外の花壇の泥。そして、今そこに突っ立っている庭師の服や靴にこびりついている泥。構成成分も、放つ匂いも、物理的かつ化学的に完全に一致しています。見えない亡霊などという非科学的な存在ではない。俺を縛り上げ、死体を運んだ実行犯は、グリエル……あなただ」
五味の科学的かつ冷徹な宣告に、談話室は凍りついたような静寂に包まれた。
誰もが、泥だらけの庭師・グリエルに恐怖と非難の視線を向ける。言い逃れのできない物的証拠を突きつけられたのだ。普通なら、ここで泣き崩れるか、あるいは逆上してハサミを振り上げて襲いかかってくるかのどちらかだ。
だが、如月さんはその五味の指摘に対して、さらなる深い鑑定を下した。
「……五味よ。お主の科学的アプローチは評価するが、事象のルーツを半分しか捉えておらぬぞ」
「え……? ルーツを、半分……?」
「グリエルが泥に塗れているのは、結果ではない。明確な『目的』を持った偽装工作じゃ」
如月さんはインバネスコートのポケットから銀の懐中時計を取り出し、その冷たい金属の表面を純白の指先でなぞりながら告げた。
「グリエルは、ジェームスの死体をワインセラーに隠蔽した後、そのまま隠し通路を通って館の外へと脱出した。そして、返り血で汚れた服を脱ぎ捨て、いつもの庭師の作業着に着替えた。そこまではよい。……だが彼はその後、わざわざ暴風雨と泥土の中で土いじりを行い、自らの全身に泥と土壌細菌の匂いを意図的に擦り付けたのじゃ」
僕たちは息を呑んだ。ただ単に作業で汚れたのではなく、自ら泥を被ったというのか。
「自身に『泥と土の匂い』という強力なアナログの属性を付与すること。それこそが、彼が『高度なデジタルインフラを操るハッカーなどではない』という逆説的な証明となるからじゃ。シェリーを殺害し、旧客室に遺体を配置した後、彼はそのまま泥だらけの姿で東棟の廊下を歩き回り、わざとわしとサクタロウに遭遇して花言葉を呟いてみせた。すべては、オカルト的な狂気を纏ったダミーの実行犯として、我々の目を欺くための理知的なカモフラージュじゃよ」
「……私は、殺しなどしていない」
突如、グリエルの口から漏れたのは、懺悔でも弁明でもなく、狂信的な響きを帯びた異様な呟きだった。
「私はただ……ドリスの穢れた血と欲望を吸って育つ、この庭の醜い雑草を引き抜いただけだ。館の腐敗を取り除き、かつての正当なる持ち主であった偉大なる血脈のために、神聖なる浄化の儀式を行ったに過ぎない。……ああ、それなのに。神の雷が止まってしまった。大いなる声が聞こえない。主よ、私を導きたまえ……」
罪の意識など、彼の心には欠片も存在していなかった。
ただ己の行った殺人や死体遺棄を『神聖な儀式』であり『雑草を抜く作業』と信じて疑わないその狂信的な態度は、ジェームスやシェリーの凄惨な死体を見た時よりも遥かに悍ましく、背筋が凍るような根源的な恐怖を僕たちに植え付けた。
グリエル自身もまた、A.Eの血脈という何百年も続く復讐のルーツの末端に連なる者であり、その狂気に完全に洗脳された、哀れな情動の奴隷なのだ。
「ひっ、狂ってる……! 執事さん、早くあいつを捕まえてよ!」
メアリーが恐怖に顔を引きつらせて悲鳴を上げるが、サモンは後ずさるばかりだ。明宮先生は、いつでも火かき棒をフルスイングできるように、グリエルとの間合いを慎重に測りながらジリジリと立ち位置を変えた。
「オー! マイガッ! 恐ろしいオジイサンデース!」
その極限の緊張状態を、能天気で大仰な声が唐突にぶち壊した。
このベルグラヴィアツアーの専属現地ガイド、ミハイルだ。彼はディナー用に用意された安っぽい化繊のスーツを泥水で汚し、首元の派手な蛍光ピンクのネクタイを揺らしながら、大げさに両手を天に掲げて僕たちの前へと進み出た。
「ミナサン、これで真犯人が完全に分かりマシタね! 館の呪いでもなんでもなく、この頭の狂った庭師がすべての元凶だったんデスカ! いやー、暗闇の密室で一時はどうなることかと思いマシタが、これでスーパーハッピーエンドデース! ボーイのメガネのお友達も、そしてお嬢様も、スバラシイ推理デシタよ! グッジョブデース!」
ミハイルは額の汗を拭うようなわざとらしい仕草を見せ、あからさまな安堵の芝居を打って見せた。
「さあ、このアブナイおじいさんは、ワタシが責任を持ってしっかりと縛り上げておきマース! だからミナサン、もう安心して休んでクダサイ! ガイドとしてのワタシの仕事も、これでお客様の安全が守られて一安心デース! 警察が来るまで、あとはのんびりティータイムでも……」
すべての元凶はこの洗脳された老齢の庭師。
極限状態の恐怖から早く解放されたいと願っていたエイミー夫人やメアリー、執事のサモン、そして一部の生徒たちの中には、ミハイルのその底抜けに明るい言葉と『事件解決』という響きに、安堵の息を漏らしかけた者もいた。これ以上、恐ろしい真実など知りたくないという、人間の防衛本能だ。
だが、その安直で醜い情動の流れを、絶対零度の刃が唐突に切断した。
「小芝居は終わりじゃと言ったはずじゃぞ。己の滑稽な姿にすら気づかぬとは、とんだ三流の道化じゃな」
如月さんの声には、一切の容赦が存在しなかった。
彼女は、まるで汚物を避けるかのように虚ろなグリエルの横を通り過ぎると、ミハイルの正面へとゆっくり歩み寄り、冷たく見下ろすようにアメジストの瞳を向けた。
「たしかに、ジェームス殺害時の暗闇に乗じた死体の処理や、五味を背後から襲撃して拘束するといった、物理的な質量と労力を伴う『泥臭い作業』を行ったのは、その洗脳された哀れな庭師じゃろう。だが……お主らのような凡庸な脳髄で、少しでも物理的に考えれば分かることじゃ」
如月さんの言葉は、ミハイルの能天気な仮面に決定的なヒビを入れるように、淡々と、そして鋭く突き刺さっていく。
「スマートシティの心臓部たる高度なPLCネットワークを完全に掌握し、外部との通信を遮断する強力な妨害電波を正確なタイミングで起動し、館中の電子錠のプログラムを遠隔で書き換えて完璧な密室を構築する。さらには、射出トラップのソレノイドバルブをミリ秒単位で制御し、シェリーの手帳から情報を抜き取る。……泥と狂気に塗れた庭師の脳髄で、そのような極めて論理的で高度なハッキングが可能なはずがないのじゃ」
ミハイルのわざとらしい笑顔が、ピクリと不自然に強張った。
顔や手に無数の擦り傷を作り、ずぶ濡れになりながらも明るく振る舞っていた彼の大きな手が、微かに震えているように見えた。
如月さんは純白の手袋で自らの前髪をスッと払い、決定的な真実を言い放つ。
「オカルトの裏には、必ず物理的な証拠が残る。現場を這い回った泥だらけの物理的実行犯と、その後ろの安全な場所で、狂った数式とネットワークを組み上げた『真の設計者』は別におる。……そうじゃな?」
轟音を立てて窓ガラスを打ち据える嵐の音の中、如月瑠璃の冷徹な宣告が談話室の隅々にまで反響する。
彼女の揺るぎない眼差しは、エセ外国人という滑稽な道化の仮面を被り続けてきた男――ミハイル・ルストヴァニアの正体を、一切の逃げ場なく真っ直ぐに射抜いていた。




