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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

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影の中の約束(触れてはいけない温度)

作者: かも@ろん
掲載日:2026/02/25

放課後の空は、冬の色をしていた。

薄い雲が広がり、夕陽はその向こうでぼんやりと滲んでいる。

三浦ゆきは鞄を抱え、校門を出た。

冷たい風が頬を撫で、制服のスカートを揺らす。

あの日――あの人と別れた日から、胸の奥にずっとざわめきが残っていた。

怖い。

でも、それだけじゃない。

あの人の声。

あの人の目。

私にだけ向けられた、あの柔らかい温度。

思い出すたび、胸がぎゅっと締めつけられる。

「……名前、聞けばよかったな」

ぽつりと呟く。

彼の名前を知らないまま、心だけが先に動いてしまった。

でも、聞けなかった。

怖くて。

そして、どこか申し訳なくて。

そんな自分が、少しだけ情けなかった。

***

商店街に入ると、夕方の匂いが漂っていた。

揚げ物の油の匂い、焼き鳥の煙、どこか懐かしい音楽。

その中に、微かに混ざる“別の気配”があった。

誰かに見られているような、そんな感覚。

でも、振り返っても誰もいない。

「……気のせい、だよね」

そう思いたかった。

けれど、何度も感じるその気配は、気のせいとは思えなかった。

実はそれは、あの人がゆきを守るために配置した舎弟たちの視線だった。

だが、ゆきは知らない。

舎弟たちは、ゆきの姿を見るたびに、ひそひそと囁き合っていた。

「……若頭、なんでこの子なんだよ」

「もっと綺麗な女なんていくらでもいるのに」

「まあ、言えねぇけどな。殺される」

そんな声が、ゆきの耳には届かない距離で交わされていた。

あの人はその不満に気づいていたが、完全に無視していた。

理由はひとつ。

ゆきだけが特別だから。

***

その日の帰り道、ゆきは住宅街の角を曲がったところで足を止めた。

前方に、見覚えのある男子が立っていた。

同じ学校の生徒だが、話したことはない。

いつも数人でつるんでいて、あまり評判はよくない。

そして、噂では――

地元の半グレグループと繋がっているらしい。

ゆきが気づいたことに気づいたのか、男子はにやりと笑った。

「おー、三浦じゃん。ひとり?」

ゆきは反射的に後ずさる。

「……なにか、用?」

「別に?たださぁ」

男子はゆきの全身をじろじろと見て、鼻で笑った。

「お前みたいな地味なやつが、最近なんか調子乗ってね?」

「……え?」

「なんかさ、守られてるって噂?

誰にだよ。そんな価値あんの?」

胸がざわつく。

足が震える。

言葉が出ない。

男子はさらに続けた。

「顔も普通。性格も普通。取り柄もない。

そんなやつが、誰に守られてんの?」

ゆきは唇を噛んだ。

痛い。

でも、それ以上に心が痛かった。

「……そんなの、関係ない」

震える声で言うと、男子はさらに笑った。

「図星かよ。

お前みたいなやつ、誰も気にしねぇよ」

その瞬間だった。

空気が変わった。

肌が粟立つほどの圧。

息が詰まるほどの緊張。

「……今の、もう一回言ってみろ」

その声は、低く、冷たく、氷のようだった。

ゆきは振り返る。

そこに立っていたのは――

あの人だった。

黒いコートを羽織り、風に揺れる髪。

整った顔立ちに、怒りの影が落ちている。

その姿は、恐ろしいほど美しく、そして恐ろしいほど冷たかった。

男子は一瞬で青ざめた。

「な、なんで……あんた……」

あの人はゆきの横に立ち、男子を睨みつける。

その視線だけで、男子は後ずさった。

「二度と、この子に触れるな。

言葉でも、視線でも、近づくことすら許さない」

その声は静かだった。

静かすぎて、逆に恐ろしかった。

男子は震えながら逃げていった。

ゆきはその場に立ち尽くす。

心臓が早鐘のように鳴っている。

あの人はゆきの前に立ち、低く言った。

「……怪我は」

「な、ないです……」

声が震えた。

でも、あの人の顔を見た瞬間、涙がこぼれそうになった。

怖かった。

でも、それ以上に――

彼が来てくれたことが、胸に沁みた。

あの人はゆきの頬に触れそうな距離まで顔を寄せ、静かに言った。

「……遅くなった」

その声は、さっきまでの冷徹さとは別人のように優しかった。

胸が熱くなる。

「……あの、」

ゆきは勇気を振り絞った。

「あなたの……名前、教えてください」

あの人は一瞬だけ目を見開いた。

その表情は、驚きと、どこか戸惑いが混ざっていた。

しばらく沈黙が落ちる。

そして、彼はゆっくりと口を開いた。

「……篠原迅」

ゆきはその名前を胸の中で何度も繰り返した。

そして、震える声で言った。

「……じん、さん……」

その瞬間、迅の表情がわずかに崩れた。

誰にも見せたことのない、柔らかい顔。

ゆきは息を呑む。

迅はゆきを見つめたまま、静かに言った。

「……その呼び方、許すのはお前だけだ」

その声は、氷が溶けるように柔らかかった。

ゆきの胸は、熱く、痛いほどに締めつけられた。

怖い。

でも、それ以上に――

この人の優しさが、忘れられなかった。


*****

冬の夕暮れは、街を静かに沈めていく。

川沿いの遊歩道には、冷たい風が吹き抜け、枯れた草がかすかに揺れていた。

その少し離れた場所――

街灯の下に、四人の男が立っていた。

金髪に豹柄ジャケットのカズ。

黒パーカーにピアスをじゃらつかせたユウタ。

スーツ姿で煙草をくゆらせるシンジ。

そして、黒いロングコートにオールバック、無駄に威圧感のあるタケル。

タケルは迅の熱狂的な信奉者だ。

迅の言葉は絶対、迅の判断は完璧、迅の美学は世界の中心――

そんな危ういほどの忠誠心を持っている。

「……なあ、マジでやるの?これ」

カズが寒さに肩をすくめながら言った。

「若頭に言われたんだろ。“三浦ゆきを見張れ”って」

ユウタがポケットに手を突っ込んだまま答える。

「いや、それは分かってるけどさ。

なんで俺らが女子高生の見張りなんだよ。

もっとこう……敵対組織の動きとか、そっちじゃね?」

シンジが煙草をくゆらせながら、低く言った。

「文句言うな。

若頭が動くってことは、それだけ重要ってことだ」

「重要……ねぇ」

カズがぼそっと言う。

その瞬間、タケルが鋭い目で睨んだ。

「おい。

若頭の判断に文句つける気か?」

カズはびくっと肩を跳ねさせた。

「つ、つけてねぇよ……!」

タケルは鼻で笑う。

「若頭が守れと言ったなら、守る。それだけだ。

理由なんて必要ない」

ユウタが小声でカズに囁く。

「ほら出たよ、タケルの若頭教……」

「聞こえてるぞ」

「すみませんでした」

タケルの圧に、ユウタは即座に謝った。

シンジはため息をつき、煙草を消した。

「……まあ、タケルの言うことも一理ある。

若頭があの子を気にしてるのは事実だ」

「それが納得いかねぇんだよ」

タケルが吐き捨てるように言った。

「なんであんな地味な女が、若頭に特別扱いされてんだ」

カズとユウタが同時に固まる。

(言った……!)

タケルは続ける。

「若頭は完璧だ。

女を見る目も完璧であるべきだ。

なのに……なんだあの子は。

華もない、強さもない、ただの女子高生じゃねぇか」

シンジが低く言った。

「タケル。

その口の利き方はやめろ。

若頭が聞いたら殺されるぞ」

「若頭は聞かない。

あの子のことで頭がいっぱいだからな」

タケルの声には、嫉妬と苛立ちが混ざっていた。

そのとき、遠くから制服姿の少女が歩いてくるのが見えた。

三浦ゆき。

カズが目を細める。

「……来たぞ」

ユウタがフードを深くかぶり直す。

「今日も地味だな」

「お前、声でかい」

シンジが低く叱る。

ゆきは四人の存在に気づかず、ゆっくりと歩いていく。

マフラーをぎゅっと握りしめ、寒さに肩をすくめながら。

その姿は、どこか儚くて、守りたくなるような雰囲気をまとっていた。

タケルが鼻を鳴らす。

「……あれのどこがいいんだ。

若頭の隣に立つ器じゃねぇ」

カズが小声で言う。

「でもよ……なんか、普通にいい子そうじゃね?」

「お前は黙ってろ」

タケルの一喝で、カズは口を閉じた。

シンジはゆきの背中を見つめながら、静かに言った。

「若頭は、あの子にだけ優しい。

それが気に入らないやつも多い。

だからこそ、俺らが守る必要がある」

タケルは舌打ちした。

「守る必要なんてねぇよ。

若頭の足を引っ張るだけだ」

ユウタが呆れたように言う。

「お前、嫉妬してんの?」

「してねぇ!」

タケルは即答したが、その声はどこか焦っていた。

四人はゆきの後ろを、距離を保ちながら歩き始めた。

ゆきは気づかない。

ただ、夕暮れの河川敷を歩いているだけ。

だが、舎弟たちは知っている。

この子が泣けば、若頭は壊れる。

この子が傷つけば、若頭は狂う。

だから――

守らなければならない。

たとえ文句を言いながらでも。

***

ゆきは橋の上で立ち止まり、川を見下ろした。

冬の風が髪を揺らし、頬を刺す。

「……じんさん、今なにしてるんだろ」

その声は小さく、風に溶けていった。

タケルが眉をひそめる。

「……じんさん、だと?

若頭をそんな呼び方で……」

カズが慌ててタケルの口を塞ぐ。

「おい!聞こえるって!」

「聞こえていいんだよ。

あの子が若頭を呼び捨てにしてるのが気に入らねぇ」

「呼び捨てじゃねぇよ、“さん”ついてるだろ」

「そういう問題じゃねぇ!」

タケルの声は怒りで震えていた。

シンジが低く言った。

「……静かにしろ。

誰か来る」

ゆきの前方から、派手なコートを着た女性が歩いてきた。

長い髪を巻き、ヒールを鳴らしながら近づいてくる。

ゆきよりずっと綺麗で、強そうで、近寄りがたい雰囲気をまとっていた。

舎弟たちは一瞬で緊張した。

「……誰だ、あれ」

「見たことねぇ女だな」

シンジが目を細める。

「いや……噂で聞いたことがある。

迅さんの仕事を手伝ってる情報屋だ」

タケルの顔が歪む。

「若頭の女か?」

「違う。

若頭が一番嫌うタイプだ」

ゆきは女性に気づき、立ち止まった。

女性はゆきを見て、冷たい笑みを浮かべる。

「あなたが……三浦ゆき?」

舎弟たちは物陰から見守る。

カズが焦った声で言う。

「どうする?止めるか?」

ユウタが首を振る。

「若頭の指示は“見張れ”。

“介入しろ”じゃない」

「でもよ……」

タケルが低く言った。

「……若頭が来る」

その瞬間、空気が変わった。

風が止まり、世界が静まり返る。

ゆきの背後から、ゆっくりと足音が近づいてくる。

舎弟たちは一斉に姿勢を正した。

「若頭……!」

迅が現れた。

黒いコートが風に揺れ、整った顔立ちに影が落ちている。

その目は、氷のように冷たかった。

タケルは息を呑んだ。

「……若頭……」

その声には、恐怖と崇拝が混ざっていた。

迅はゆきの頬の赤みを見た瞬間、表情を変えた。

怒り。

焦り。

そして、壊れそうなほどの苦しさ。

舎弟たちは息を呑む。

「……若頭、マジで怒ってる」

「やべぇ……」

「誰か止めろよ」

「無理だろ。

あの顔の若頭に近づいたら殺される」

タケルだけは、別の意味で震えていた。

「……若頭が、あの子のために……」

その声は、嫉妬で濁っていた。

***


冬の夕暮れは、空の色をゆっくりと変えていく。

川沿いの遊歩道には、冷たい風が吹き抜け、枯れた葦がかすかに揺れていた。

三浦ゆきは、マフラーをぎゅっと握りしめながら歩いていた。

静かで、広くて、どこか心細い場所。

でも、ここに来れば――

あの人の影を感じられる気がした。

「……じんさん」

名前を呼ぶだけで、胸が熱くなる。

でも同時に、不安もあった。

私はただの女子高生。

じんさんは、危険な世界の人。

「……私なんかが、そばにいていいのかな」

そんなことを考えながら歩いていると、

前方にひとりの女性が立っているのが見えた。

長い髪を巻き、派手なコートを着た大人の女性。

ゆきよりずっと綺麗で、強そうで、近寄りがたい雰囲気をまとっている。

女性はゆきを見つけると、ゆっくりと歩み寄ってきた。

「あなたが……三浦ゆき?」

ゆきは驚いて立ち止まった。

「……はい。あの、どなたですか」

女性は笑った。

けれど、その笑みは冷たかった。

「私はね、迅さんの仕事を手伝ってるの。

情報屋って言えば分かる?」

ゆきは息を呑んだ。

迅さん――

この人は、じんさんの世界の人だ。

女性はゆきを上から下まで見て、鼻で笑った。

「……ほんとに、あなたなのね。

若頭が守ってるって噂の子」

胸がざわつく。

昨日の不良たちと同じ言葉。

でも、この人の声はもっと鋭くて、もっと痛かった。

「あなたみたいな子が、迅さんのそばにいるなんて、信じられない」

ゆきは唇を噛んだ。

「……私だって、信じられません。

でも、じんさんは……」

言いかけて、はっとした。

“じんさん”と呼んでしまった。

女性の表情が一瞬で変わった。

「……じん、さん?」

ゆきは後ずさる。

女性はゆきの腕を掴み、顔を近づけた。

「あなた、迅さんをそんな呼び方で呼んでるの?」

「ち、違……」

「違わないでしょ。

あの人が、そんな呼び方を許すわけないのに」

女性の目は嫉妬と怒りで濁っていた。

「あなたみたいな子が……!」

ぱん、と乾いた音が響いた。

ゆきの頬に、強い痛みが走る。

叩かれた。

ゆきはよろけ、地面に手をついた。

「……っ」

涙が滲む。

痛い。

でも、それ以上に――

心が痛かった。

「迅さんは、私のものよ。

あなたなんかが触れていい人じゃない」

その瞬間だった。

空気が変わった。

風が止まり、世界が静まり返る。

「……誰が、触れていいって?」

低い声が背後から響いた。

ゆきは振り返る。

そこに立っていたのは――

篠原迅だった。

黒いコートが風に揺れ、整った顔立ちに影が落ちている。

その目は、氷のように冷たかった。

女性は青ざめた。

「じ、迅さん……これは……」

迅はゆきの頬の赤みを見た瞬間、表情を変えた。

怒り。

焦り。

そして、壊れそうなほどの苦しさ。

「……誰が、ゆきに触れた」

女性は震えた。

「ち、違うの。

私はただ、あなたを思って……」

「思って?」

迅の声は静かだった。

静かすぎて、逆に恐ろしかった。

「俺の前で、その言葉を使うな」

女性は後ずさる。

そのとき、少し離れた場所で舎弟たちがひそひそと囁いていた。

「……若頭、マジで怒ってる」

「やべぇ……」

「タケル、顔色悪いぞ」

「当たり前だろ……若頭が、あの子のために……」

タケルの声は、嫉妬で濁っていた。

迅は女性に一歩近づいた。

「二度と、ゆきに触れるな。

視線も、言葉も、近づくことすら許さない」

女性は震えながら逃げていった。

ゆきはその場に座り込んだまま、震えていた。

迅はゆきの前に膝をつき、そっと顔を覗き込んだ。

「……痛かったか」

「……じん、さん……」

その声は震えていた。

でも、確かに届いた。

迅は息を呑んだ。

「お前が呼ぶと……名前が、違って聞こえる」

ゆきの目に涙が溜まる。

「私……じんさんが怒るほうが、つらいです……」

迅はゆきの頬にそっと触れた。

その手は驚くほど優しかった。

「……ゆき」

「はい……」

「俺のそばにいる覚悟はあるか」

ゆきは震えながらも、はっきりと答えた。

「……あります。

じんさんの優しさを知ってるから」

迅は目を閉じ、ゆっくりと息を吐いた。

そして、ゆきをそっと抱き寄せた。

「……もう離さない」

その声は、甘くて、危険で、どうしようもなく優しかった。

ゆきは目を閉じ、その温度を受け止めた。

怖い。

でも、それ以上に――

この人の優しさが、胸に沁みた。



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