スキルを司る俺は、弱小国を救うことにした
アークライト王国の王宮の一室は、重苦しい沈黙に支配されていた。玉座に座す国王の表情は険しく、その傍らに控える側近たちの顔にも疲労の色が濃い。
そして、円卓を囲む主要な面々――剣姫エリアーナ、騎士団を率いる若き司令官ノア、そして王国随一の知識を持つとされる白の賢者アラーネもまた、一様に厳しい面持ちで卓上の地図を睨みつけている。
そんな中、来栖白乃――シラノは、その会議にオブザーバーとして末席に座ることを許されていた。
異世界に転生し、剣姫エリアーナの「魔神の呪い」という名のスキルを、自身の職業【スキルクリエーター】の能力の1つである【スキル分解】で弱体化させてから数週間。
その功績により、彼は得体の知れない異世界人から、限定的ではあるが王国の協力者として認知されるようになっていた。しかし、彼がもたらした一時の光明も、王国が抱える根深い問題の前では些細なものに過ぎないのかもしれない。
「――以上が、斥候からの最新報告です。魔境『嘆きの牙』より、大規模な魔物の群れ…スタンピードが、三日後には我が国境に到達するとの予測」
報告を終えた騎士の一人が重々しく告げると、室内の空気はさらに冷え込んだ。
「またか……」
誰かが絞り出すように呟く。アークライト王国は常に魔物の脅威に晒されてきたが、今回のスタンピードはその規模は、感知される魔力の強さも尋常ではないという。
「ノアよ、現状の戦力で、これを防ぎきることは可能か?」
国王の問いに、凛とした佇まいの女性騎士――司令官ノアが静かに首を横に振った。腰まで届く黒髪を一つに束ね、怜悧な蒼い瞳を持つ彼女は、若くして騎士団の頂点に立つ才媛だが、その表情には隠せない苦渋が滲んでいる。
「陛下、率直に申し上げて、極めて困難です。兵力が分散して不足している上に、個々の練度、装備も十分とは言えません。正面からぶつかれば、我が騎士団は……半日も持たずに壊滅するでしょう」
その冷静かつ残酷な分析に、誰も反論できない。アークライト王国は、決して豊かな国ではなかった。
「魔法による広範囲殲滅は…アラーネ、どうだ?」
次に国王が視線を向けたのは、ゆったりとした白いローブに身を包んだ、穏やかな雰囲気の女性――白の賢者アラーネだった。彼女は伏せていた長いまつ毛を上げ、静かに答える。
「既存の攻撃魔法では、これほどの規模の群れを相手にするには威力が不足しております。また、報告によれば、今回のスタンピードには強力なリーダー格の魔獣が存在するとのこと。通常の魔法障壁では、その一撃を防ぐことすら難しいかもしれません」
アラーネの言葉は、最後の希望すらも打ち砕くかのように重かった。
シラノは、そのやり取りを黙って聞いていた。彼がこの世界に来てからまだ日は浅いが、アークライト王国が多くの困難を抱えていることは肌で感じていた。そして何より、エリアーナの存在があった。彼女の呪いはまだ完治したわけではなく、今もなお彼女の生命を蝕んでいる。その彼女が、国の危機に自ら先頭に立って戦おうとしているのだ。
(俺に何かできることはないのか……? 【スキルクリエーター】として、この状況を打開できるような……)
彼の脳裏に、自身の持つスキル群が浮かび上がる。【スキル購入】【スキル合成】【スキル付与】【スキル分解】……そして【特殊スキル生成】。 もし、これらのスキルを活用できれば――。
会議が停滞し、誰もが打開策を見出せずに俯いていたその時、シラノは意を決して手を挙げた。
「あ、あの……僭越ながら、よろしいでしょうか」
全ての視線が、異邦人である彼に集まる。訝しむような目、期待するような目、そして値踏みするような目。
「シラノ殿、何か策が?」
エリアーナが、わずかに身を乗り出して問いかける。彼女の瞳には、シラノへの信頼が宿っていた。
「策と呼べるほど大それたものではありません。ですが、私にできることがあるかもしれません」
シラノは一度深呼吸すると、はっきりとした声で続けた。
「私の力…【スキルクリエーター】の能力を使えば、皆さん…いえ、この国の戦力を強化できる可能性があります。具体的には、新たなスキルを『創造』し、それを必要な方に『付与』します」
「スキルを…創造し、付与する、だと?」
最初に鋭い声を上げたのは、司令官ノアだった。彼女の蒼い瞳が、シラノを射抜くように見据える。
「聞いたこともないな。そのような正体不明の力に、この国の命運を軽々しく託せるものか。貴殿がエリアーナ様の呪いを和らげたという話は聞いているが、それとこれとは話が別だ」
ノアの言葉は、現実主義者である彼女らしい、もっともな反論だった。戦場に生きる者として、確証のないものに賭けることの危うさを誰よりも知っているのだろう。 白の賢者アラーネも、細い眉を僅かに寄せた。
「スキルの『付与』自体は、古の伝承にも記述が残ってはおります。ですが、新たなスキルを『創造』するとなりますと……それは神の領域にも等しい御業。にわかには信じがたい話ですわ、シラノ様」
アラーネの言葉は静かだが、その声には深い懐疑の色が滲んでいた。 エリアーナだけが、シラノの言葉を信じ、力強く彼を後押しする。
「お父様、ノア、アラーネ。シラノ殿の力は、私たちが想像する以上のものです。現に、私のこの呪いを和らげてくださった。彼ならば、きっと……!」
シラノは、エリアーナの言葉に勇気づけられ、改めて国王に向き直った。
「陛下。確かに私の力は未知数かもしれません。ですが、このまま手をこまねいていては、状況は悪化する一方です。どうか、私に機会をいただけないでしょうか。必ずや、お役に立ってみせます」
彼の真摯な眼差しと、エリアーナの必死の訴えに、国王はしばらく目を閉じて何かを考えていたが、やがてゆっくりと目を開いた。その瞳には、苦渋と、そしてほんの僅かな期待の色が浮かんでいた。
「……分かった。シラノ、そなたに賭けてみよう。ただし、時間は限られておる。スタンピード到達まではおよそ三日間。必要な支援は可能な限り行おう。それで成果を示せぬ場合は……」
その先の言葉は言われなかったが、シラノにはその意味が痛いほど伝わってきた。失敗は許されない。
「感謝いたします、陛下。必ずやご期待に応えてみせます」
シラノは深く頭を下げた。
◆◇◆◇◆◇◆◇
国王からの許可を得たシラノは、王宮の一室を作アトリエとして借り受け、早速スキル開発に取り掛かった。残された時間は三日。焦りがないと言えば嘘になるが、それ以上に、自分の力がどこまで通用するのかという未知への挑戦に、かつてないほどの高揚感を覚えていた。
まずは、スキルを付与する対象である三人――エリアーナ、司令官ノア、そして白の賢者アラーネ――から、それぞれ現状の能力、戦い方や仕事の進め方、そして何よりも「どのような力が欲しいか」という具体的な要望を詳細にヒアリングすることから始めた。
エリアーナは、剣の達人。呪いの影響で本調子ではないとはいえ、その剣技はシラノが以前目の当たりにした通り、人間離れした領域に達している。彼女が求めるのは、純粋な剣技のさらなる強化と、呪いへの抵抗力を少しでも高める補助的な力だった。「月光のような、清らかで邪を断ち切る一閃」というのが彼女のイメージだ。
司令官ノアは、女性でありながら騎士団を率いるだけあって、極めて現実的かつ合理的な思考の持ち主だった。彼女自身も優れた剣士ではあるが、求めているのは個人の武勇よりも、部隊全体の生存率を高め、兵士たちの士気を維持し、的確な指揮を下すための力。
「そうだな。私が前線に立つことで、一人でも多くの兵を生還させたい。そして、どんな劣勢でも決して崩れない鉄壁の戦線を築きたい」
その言葉には、部下を思う将としての強い責任感が滲んでいた。
白の賢者アラーネは、その膨大な知識量とは裏腹に、どこか自信なさげな表情を浮かべることが多かった。彼女の悩みは、知識はあれど、それを実用的な形に繋げたり、危機的状況で瞬時に最適解を導き出したりする応用力、発想力の不足にあるようだった。
「書物に記された古の知識は無数にございます。ですが、それを読み解き、今の状況に活かすための『閃き』が…私には足りない気がします。特に、今回のスタンピードを率いる未知の魔獣…その弱点や行動原理を見抜くための、深い洞察力が欲しいのです」
三者三様の願いを聞き届けたシラノは、それぞれに最適なスキルをデザインし始める。SPはエリアーナの呪いを弱体化させた際に消費し、その後も隙あらばスキルを購入していたため、決して潤沢とは言えない。そこで、アラーネの協力を得て王宮の書庫に眠る古いスキル教本や魔法理論書を借り受け、それらに宿る情報やスキルを抽出し、合成の素材とすることにした。これは、SP消費を抑えるための苦肉の策であり、同時に彼の【スキルクリエーター】としての本領が試される試みでもあった。
アトリエに籠もったシラノは、まるで新しい絵画の構想を練るかのように、あるいは複雑な彫刻を彫り上げるかのように、スキルの組み合わせとイメージの構築に没頭する。
最初に手掛けたのは、司令官ノアのためのスキルだった。
(素材は…【指揮心得Lv3】、騎士団の基本戦術でもある【防御陣形Lv2】、そして古い英雄譚の記述から得た「不屈の魂」という概念情報…これを組み合わせる)
シラノは目を閉じ、強くイメージする。
(前線に立ち、その声一つで兵士たちが勇気を取り戻す。彼女の存在そのものが盾となり、決して崩れない鋼の戦線を構築する。個々の兵士を守り、的確な指示で被害を最小限に抑え、勝利へと導く、鉄壁の指揮官の姿を――!)
【スキル合成】を発動。
SPが消費され、目の前に淡い光が集束し、新たなスキルが形作られようとする。しかし――。
【スキル【不動の頑固者Lv1】が生成されました。効果:自身の防御力を僅かに上昇させるが、柔軟な思考がやや困難になる】
「……ダメか」
思わず苦笑いが漏れる。イメージが強すぎたのか、あるいはスキルの相性が悪かったのか。SPが200ほど無駄になったが、落ち込んでいる暇はない。気を取り直し、再度素材の組み合わせやイメージの方向性を微調整し、何度も合成を試みる。額に汗が滲み、集中力とSPがみるみるうちに削られていく。
(【防御陣形】のレベルを上げるか…?いやそれだとバランスが悪い。なら【拡声Lv1】を追加して指揮力も上げれば…)
そして、数十回にも及ぶ試行錯誤の末――。
(部隊全体の盾となり、味方を鼓舞し、戦線を維持する。個ではなく、集団を守り活かす力……)
眩い光と共に、ついに新たなスキルが完成した。
【堅塞指揮Lv1】:指揮範囲内の味方ユニットの防御力と士気を中程度上昇させ、指揮官自身が受けるダメージを軽減する。さらに、戦況に応じた最適な陣形変化の戦術パターンを直感的に提示する。
「これなら…!」
シラノは確かな手応えを感じた。
次にアラーネのスキルに取り掛かる。彼女には、膨大な情報を高速処理し、洞察力を高める力が必要だ。
(素材は…【魔力感知Lv2】、【高速思考Lv1】、そして古代遺跡の碑文から分解した「真理の欠片」という情報…)
シラノは、アラーネが書庫で無数の書物に囲まれながらも、その中から瞬時に必要な情報を見つけ出し、複雑な事象の背後にある法則性や敵の弱点を鋭く見抜く姿をイメージする。 これも数度の失敗と調整を経て、新たなスキルが生み出された。
【慧眼解析Lv1】:五感及び魔力感知によって得られる情報の処理速度と分析精度を飛躍的に高める。対象の微細な魔力の流れや構造的弱点、法則性の乱れなどを感知しやすくなる。稀に、未来の出来事の断片的な予兆を感じ取る。
「うおぉ!未来の予兆?!思った以上の完成度だ!」
自分の能力に自信付いたシラノは最後に、エリアーナのスキル創造に取り組む。彼女の剣技をさらに高め、呪いへの抵抗力も補助する──そんなスキルを…
(素材は…彼女自身が持つ【王家の剣術Lv5】の構造情報をベースに、なけなしのSPで買った【下級聖魔術Lv1】、そして以前彼女の呪いを分解した際に得た情報…これを反転させるイメージで…)
シラノは、月光の下で舞うように戦うエリアーナの姿を思い浮かべる。その剣閃は清らかで、あらゆる邪を浄化し、彼女自身をも守護する光の刃となる。 転生してから多くの時間を彼女と共に過ごしてきたからか、自然とスキル、そしてそれを使う彼女のイメージが思い浮かぶ。数回の調整を経て完成したのが、このスキルだった。
【月華ノ太刀Lv1】:剣による攻撃速度と威力を大幅に向上させ、武器に微弱な聖属性の魔力を纏わせる。魔属性に対する特効効果と、自身への呪詛系スキルに対する抵抗力を高める。精神集中により、一時的に身体能力を限界以上に引き出すことが可能。
「よし…!これで三人のスキルが揃ったな」
全てのスキルを創造し終えたシラノは、疲労困憊しながらも、満足げに息をついた。消費したSPは合計で5000近く。決して少なくないが、それに見合うだけのものができたという自信があった。
スタンピード襲来を翌日に控えた夕刻。 シラノは完成した三つの新スキル――それぞれの効果が記された羊皮紙を手に、王宮の謁見の間にノア、アラーネ、そしてエリアーナを招いた。 緊張した面持ちの三人を前に、シラノは一つ一つのスキルについて、その効果と、どのようなイメージで創造したのかを丁寧に説明する。
ノアとアラーノは、スキルを創りそれを他者に付与することができるか疑っている様子だ。エリアーナは、【月華ノ太刀】の説明に静かに耳を傾け、その名前に込められたシラノの想いを感じ取ったのか頬を微かに赤らめた。
「――以上のスキルを、皆さんに【スキル付与】したいと思います。よろしいですか?」
シラノの問いに、三人は顔を見合わせ、そして頷いた。 まずノアが前に進み出る。シラノが彼女の肩に手を置き、【スキル付与】を発動。ノアの身体が淡い光に包まれ、彼女は目を見開いた。
「これは……! 頭の中に、無数の戦術が…兵の動きが、手に取るように…!」
次にアラーネ。彼女の額にシラノがそっと触れると、驚愕の表情を浮かべた。
「特殊スキルとも遜色ない… 。これなら私でも戦えそうです」
最後にエリアーナ。シラノが彼女の手に触れると、エリアーナの全身から清浄な魔力が溢れ出し、その瞳が一層強く輝きを増した。
「力が…漲ってきます…!ありがとう、シラノ殿。この剣で必ず勝利を掴んで見せましょう!」
三者三様の反応。それは、新たな力が確かに彼女たちの中に宿った証だった。 シラノはSPが大きく減少したことによる軽い眩暈を感じながらも、彼女たちの変化を目の当たりにし、静かな満足感を覚えていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇
スタンピード襲来の朝は、不気味な静けさと共に訪れた。
アークライト王国の東の平原に築かれた防衛線の最前線。司令官ノアは、緊張した面持ちで地平線の彼方を睨み据えている。彼女の傍らには、同じく戦場に立つ覚悟を決めたエリアーナ、そして後方指揮所との連携のため、魔道具の通信機を傍らに置いた白の賢者アラーネの姿があった。 シラノは、アラーネと共に後方の 天幕に設けられた指揮所に詰めていた。彼にできることは、祈ることと、そして万が一の事態に備えてスキルの案を考えておくくらいだ。
やがて、地響きと共に黒い津波が押し寄せてきた。
「来たか……!」
ノアの呟きと共に、魔物の群れ――スタンピードがその全貌を現した。オーク、ゴブリン、巨大な狼型の魔獣、そしてそれらを統率するかのように中央を進む、山のような巨体を誇る一際大きな魔獣――その額には歪んだ一本角が生えており、おそらくあれがアラーネの危惧していたリーダー格、「災厄の巨猪」と呼ばれていた存在なのだろう。
予測を遥かに上回るその数と威容に、歴戦の兵士たちですら顔を引きつらせる。
「全軍、構え! 魔法部隊、第一斉射用意!」
ノアの凛とした号令が戦場に響き渡る。それを合図に、アークライト王国騎士団と魔物の群れとの絶望的な戦いが始まった。
降り注ぐ矢弾、炸裂する初級魔法。しかし、魔物の勢いは止まらない。次々と防衛線を突破しようと押し寄せ、騎士団は瞬く間に劣勢に立たされた。特に、「災厄の巨猪」の突進は凄まじく、その一撃で防護柵は砕け散り、屈強な騎士たちですら木の葉のように吹き飛ばされる。
「くっ……陣列を崩すな!!魔術隊は援護を!!立て直すぞ!」
ノアは歯噛みする。前線で自ら剣を振るい兵士を鼓舞するが、多勢に無勢。戦線はみるみる後退し、指揮所にまで魔物の咆哮と血の臭いが届き始めていた。
(駄目だ…このままじゃ…!)
シラノが息を呑んだ、その時だった。
「――まだだ! アークライトの盾は、これしきでは砕けんッ!」
ノアが、天に向かって咆哮するかのように叫んだ。その瞬間、彼女の全身から淡い金色のオーラが立ち昇る。シラノが付与したスキル、【堅塞指揮Lv1】が、ついにその真価を発揮し始めたのだ!
「全軍、我が声を聞け! 陣形を再編! 密集円陣にて敵の突進を食い止めよ! 我らが姫君に道を開くのだ!」
ノアの声は、まるで魔法のように戦場の隅々まで響き渡り、絶望しかけていた兵士たちの瞳に再び闘志の炎を灯した。彼女の指揮の下、騎士団は驚異的な粘りを見せ始める。個々の兵士の動きが見違えるように連携し、盾はより堅固に、槍はより鋭く魔物を捉える。そして何より、ノア自身が受けるはずだった致命的な攻撃が、スキル効果によって周囲の兵士にわずかな負担として分散され、彼女は指揮に集中しつつ前線を維持し続けていた。
「おお…! ノア様の指揮で、兵たちの動きが…!」
指揮所の兵士の一人が、驚きの声を上げる。
「好機です、ノア! エリアーナ様!」
同じ頃、後方のアラーネもまた、その瞳に知性の輝きを宿らせていた。
【慧眼解析Lv1】。彼女の脳は、戦場の膨大な情報を恐るべき速度で処理し、分析していく。
「『災厄の巨猪』、先ほどの突進の後、約一秒間、右前足の付け根に動きの淀みが生じます! そこがおそらく古傷、あるいは構造的な弱点です!」
アラーネの声が、魔道具の通信機を通じてノアと、そして前線で孤軍奮闘していたエリアーナの耳に届く。
「一秒…! よくぞ見抜いた、アラーネ!」
ノアはアラーネの言葉を信じ、即座に指示を飛ばす。
「側面部隊、陽動! 中央を空けろ!」
そして、エリアーナが動いた。 ノアが作り出した僅かな隙間を縫うように、彼女は戦場を疾駆する。その手に握られた愛剣が、まるで月光そのものを宿したかのように淡く、しかし力強い輝きを放ち始める。シラノが付与したスキル、【月華ノ太刀Lv1】。
「はぁぁぁっ!」
エリアーナの気合一閃。彼女の身体能力は限界以上に引き出され、その剣速はもはや人間の目で捉えることすら難しい。月光を纏った刃は、アラーネが示した「災厄の巨猪」の右前足付け根へと、吸い込まれるように突き刺さった!
「グギャアアアアアアアアアアアッ!!」
山のような巨体が、初めて苦悶の絶叫を上げる。その一撃は致命傷には至らずとも、巨猪の動きを確実に鈍らせた。エリアーナの剣には微弱な聖属性が付与されており、魔獣に対して絶大な効果を発揮していたのだ。呪いの影響など微塵も感じさせない、気迫に満ちた一撃だった。
三人の女性の、シラノが生み出したスキルによる覚醒。 ノアが【堅塞指揮】で鉄壁の戦線を築き、兵士たちの盾となる。アラーネが【慧眼解析】で敵の弱点を見抜き、勝利への道筋を照らす。そしてエリアーナが、【月華ノ太刀】でその道を切り開く。 それぞれのスキルが、まるで最初からそうであったかのように見事に連携し、相乗効果を生み出していく。 シラノは、指揮所の天幕の隙間からその光景を目の当たりにし、全身に鳥肌が立つのを感じていた。
(すごい……俺の作ったスキルが、本当に戦況を覆している……!)
それは、彼が前世でどれほど渇望しても得られなかった、「自分の作品が誰かに認められた」という実感だった。 その時、ふと自分のステータスウィンドウに意識が向く。SPの数値が、微かではあるが上昇していることに気づいた。
(もしかして、スキルを付与した彼女たちが活躍したことで……!?)
新たな可能性の発見に、シラノの胸はさらに熱くなった。
戦況は、明らかに変わり始めていた。リーダー格の「災厄の巨猪」が深手を負い、動きが鈍ったことで、魔物の群れの統率が乱れ始める。そこへ、ノアの的確な指揮と、エリアーナの追撃が加えられ、スタンピードの勢いは徐々に削がれていく。
指揮官を失った魔物の群れは統率を失い、蜘蛛の子を散らすように敗走を始める。騎士団はこれを追撃し、被害を最小限に抑えながらも、見事スタンピードを王国領から駆逐することに成功したのだった。
東の空が白み始め、朝陽が血と泥に汚れた戦場を照らし出す頃には、アークライト王国の勝利は確定的なものとなっていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇
王都は、未曾有の危機を乗り越えた歓喜に沸き立った。 城壁の上で、あるいは広場で、市民たちは騎士団の帰還を熱狂的に出迎え、その勇姿を称えた。
特に、鉄壁の指揮で戦線を支え続けた司令官ノア、的確な分析で勝利への道筋を示した白の賢者アラーネ、そして獅子奮迅の活躍で災厄の巨猪に最後の一撃を加えた剣姫エリアーナの三人は、「救国の三女神」とまで呼ばれ、吟遊詩人たちの詩の新たな題材となった。
そして、その三女神の輝かしい功績の陰に、一人の異邦人の存在があったことを知る者は、まだ少数。だが、国王をはじめとする王宮の重臣たち、そして何よりもノア、アラーネ、エリアーナ自身は、シラノの力がなければ、この勝利はあり得なかったことを深く理解していた。
数日後、王宮の一室。シラノは国王から改めて最大限の感謝の言葉と共に、破格の報奨(小国にしては)を与えられた。
しかし、アークライト王国が抱える問題は、今回のスタンピード撃退だけで解決したわけではない。疲弊した国力、依然として脅威であり続ける魔境、近隣大国との緊張関係、そして何よりも、エリアーナの「魔神の呪い」も完治したわけではない。シラノによる救国譚は、まだ始まったばかりなのだ。