和
十一月二十七日日曜日午後十二時三十分頃
一海寺庫裡(大座敷)
「こんにちは」
千華たちが玄関を入ると仁子が奥から顔を出した。
「ようお越し。お腹空いたやろ、早よ上がり」
きょうは昼食にお呼ばれして、千華、百華、桧川、田中が待ち合わせをし、一緒に一海寺に来た。
「お邪魔します」
大座敷に行くと片岡、日野、村島と織田奈々、東成美がすでに席についていた。
座卓の上にはおいしそうなごちそうがたくさん用意されている。
あの日から母親のいなくなった加野家の食卓は少し侘しい。
もちろん父親が自分も大変な身で娘たちのために心を尽くしてくれているのをわかっているから、我儘を言うつもりなどない。
本来甘えん坊の百華も健気に毎日を頑張っている。もちろん千華も家事を助け、百華が寂しくないようにと尽力している。
でもやっぱりスーパーの総菜より、こういうのがいいよね、と心の中だけでつぶやいた。
「百とこ、スーパーのおかずばっかやで、めっちゃ嬉しいっ」
涎を垂らさんばかりに百華が座卓にしがみつき、大きな声を放つ。
「百華……恥ずかし……」
千華は妹にそんなことを言わせてしまうまだまだ足りない自分が恥ずかしくて俯いた。
だが、そこにいる全員が優しい眼差しで二人を見ていることに気づいて少しだけ安心した。
「なんも恥ずかしないよ。千華ちゃんも百華ちゃんも頑張ってるんやもん。きょうはいっぱい食べていき。
お父さんの分も用意してるで。帰りに持っていきよ」
仁子はまだ立ったままの千華の背中をそっと押して席へと促す。
百華は早々と村島の隣席を陣取っていた。そこには日野が座っていたが、空いた隣へと尻をずらしてもらっていた。
村島の反対隣には片岡がいてその隣には織田、東が並んでいる。次に田中、桧川、そして千華がいて、右隣は空いていた。
「あの……小木原さんは?」
辺りを視線だけで探りながら仁子に訊く。
「あの子、祠に経上げに行ってる。もうすぐ帰ってくるん――」
言い終わらないうちに襖が開いて、「遅なってごめん」と小木原が顔を出した。
「来えへん言うてたけど、会うたんで連れて来た」
小木原が空いている千華の隣へ進むと、後ろから三上が入ってきた。
「すみません、断ったのに」
決まり悪そうに仁子に頭を下げ、小木原の空いているほうの隣に座った。
「ええよ、ええよ。ようさんこさえてるさけ遠慮せんといて」
仁子は愛想よく笑うと「ほな召し上がれ」と言って自分は台所のほうへと下がっていった。
一海寺と邪櫃神社はあれからすぐ動いた。
吉村家に事の真相を告げ、井戸のある土地の使用許可、祠建立に慰霊祭、被害者の合同葬儀を取りつけた。もちろん出資は吉村家だけでなく一海寺、邪櫃神社も協力した。
吉村家の現当主は最初、理由もわからず難色を示した。先祖の怠慢が原因とは言え、寝耳に水のことで仕方ないと言えば仕方ない。だが、前当主吉村作治の遺体の状態、一海寺に保管されていた古文書等の文献を見せられて承知せざるを得なかった。
あれだけの犠牲者があり、一部だが理由を知る地区の住民たちがいる以上知らぬ存ぜぬが通ることはなく、これだけの制裁で済むのなら吉村家にとっても有難いことだと考えた。
鎮の宣言通り、小木原はあれから毎日井戸で勤行を行った。井神を鎮めるためでもあったが、まきの供養のためでもあった。
小木原だけではなく、三上も毎日祈祷に出向いていた。示し合わせているわけではないので、出会うことはなかったが、たまに出くわすこともある。
鎮は祠が出来るまでと言ったが、建立した今も続けていた。
この先もずっと続け、ここを守っていくと誓っている。
この奇妙な事件はマスコミやSNSなどでずいぶん賑わった。
各局ワイドショーのコメンテータ―が、あの地区だけを覆い多数の死亡者を出した霧現象を、気象や地下の天然ガスなどと結びつけいろいろ勝手に考察していたが、井神の存在について語る者はいなかった。
それらも日が経つにつれて下火になり、取材で滞在する記者やリポーターも徐々に減っていった。
有識者の考察を信じない人たちは不可解な事件をオカルト的な意味で見ていて、ネット内を賑わし続けた。だが、そこにも井神に触れる者は一切おらず、かといって新関地区の事件当事者たちは事実を公表したいと誰も考えなかった。
神社の事務員である羽中は社務所に籠り無事で、光悦と再会を喜び合った。
その他、先祖代々家に井神伝説が伝えられていた住人たちも霧の充満する中で何とか隙を見て神社に避難し、無事が確認されていた。一海寺に生徒たちが集まっていたことで井神の関心がそこに集中し、より神社への避難移動が容易かったと考えられている。
神社には時々咆哮や気配が近づいてきたらしいが、鳥居の内側には入ってこなかったという。
伝説の詳細を知らない家でも、年末年始や何かの折に買った神社や寺のお札を玄関などに貼っていたところには井神が来なかったらしい。
家人はその時その理由に気づかなかったが、後々聞いた理由に納得した。
死亡者は新関地区住人、新関高校生徒など合わせて五十数名。多くは生徒たちだった。
高校の生存者は一海寺に避難した生徒たちだけでなく、校内でうまく隠れて逃げ延びた者も多数いた。
新関地区の外では地区を覆う霧を見るための野次馬が大勢集まっていたが、徐々に広がってくる霧と怪奇な犠牲者――新聞記者一名――が出たため大騒動になった。
井神を封じていなければ、地区外の被害はもっと拡大していたに違いない。
「そらそうと、千華ちゃんは小木原のこと、さん付けで呼ぶんやなぁ。俺らにはお兄ちゃんて呼んでくれるのに」
村島がふふんと鼻にかけるように嗤った。
「え? なんよ千華ちゃん。俺のことお兄ちゃんて呼んでくれへんのか?」
小木原がエビフライを頬張りながら焦るも、
「そりゃそやで。寺のお兄ちゃんは最初にお姉ちゃんのこと泣かしたもん。気安う『お兄ちゃん』とか呼べんわ」
百華の言葉に村島がにやりと反応する。
「ふうん、そんなことあったんや――ま、俺の勝ちやな」
「勝ちってなんですか? 井神退治に尽力したんです。尊敬しているからこその呼び方でしょ。何もしていない村島君とは違います。僕のことも三上さんと呼んでくれるし。あ、でも、片岡君はお兄ちゃんでしたね」
三上がふっと嗤って嘯く。
「はあ? オレも頑張ったし。なんならオレが一番頑張ったし。な? そやろ? な?」
片岡が三上に詰め寄る。
「あ~もう、わかりましたよ。あなたが一番頑張りましたっ」
「あいつら何揉めてん。けど、あん時はほんまごめんな。これから気安うにお兄ちゃんて呼んで」
小木原の笑顔に千華は戸惑いながら「……はい」と返事した。
「小木原だいぶ鈍いな。乙女心わかってへん」
反対側の席で桧川のつぶやいている声がした。
振り返ると、
「お兄ちゃんなんかやない! ってことやん、な?」
桧川の言葉に千華は顔が赤くなってくるのがわかった。
「ところでさぁ桧川、聖徳に告ったやつどうなったん? 先生もてなさそうやし脈あり違うの?」
織田がにたにたして桧川に訊いている。
「あ、あれな……なっ、あんたら知ってた? 聖徳、嫁おってんで。めちゃめちゃラブラブやて。ってことでこれ以上聞くなっ。うちはな、次に進むんや」
気の毒そうな表情を浮かべ織田と東、田中が顔を見合わせる。
「次?」
「邪櫃神社神主、三上光悦を落とす」
桧川の宣言に三上が飲んでいた茶を吹き出した。
「うまいこといったら桧川は三上のお母んになんのか……」
小木原のしみじみしたつぶやきに、三上以外のみんなは大笑いした。




