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井神   作者: 黒駒臣
第三章 結
31/44

解1

        

  

 十月十二日水曜日 午後四時十分

 一海寺本堂


「実際に異形ものを見ていなければ信じられないお話ですね。先にこれを読んでいても、ただのお(とぎ)話としか思わなかったでしょう」

 猪狩山異聞を床に置くと三上が溜息をついた。

 (しか)(つら)で、俯いて聞いていた光悦が「ん~」と唸る。

「そない大層(たいそ)な規模やのうたけど、一昨日(おとつい)の大雨で猪狩山崩れたて聞いたわ」

 鎮も神妙な面持ちで、「井神を封じ込めた井戸が潰れてしもた言うことやな――」と腕を組んだ。

「そんな(おと)ろしもんが、こんなすぐ(はた)にあったやなんて……」

 呻くように聖徳がつぶやいた。

 小木原は早朝の山の中で見た人影を思い浮かべた。

「あれ憑りつかれた吉村のじいさんやったんかもしれんな」

「あー、オレと(ちゃ)うかて、言うてたやつ――」

 片岡の言葉にうなずく。

「あんな場所まで行けんの吉村のじいさんやて、日野か村島言うてたし。崩落の様子見に行ってやられてしもたかも」

「今まで祭祀どころか、そんな重要な祠の有無も聞いたことありません。安らかに鎮められていたとは到底思えないですね。封印が解けたと同時に溜まった怨念がいっきに放出されたのでしょう。

 ――もしかしたらまきの魂も井神の一部になってしまっているかも」

 三上の二度目の溜息に、みな何とも言えない表情をして俯いた。

 小木原も深くて重い息を吐く。

 鎮がそっと桐箱のふたを開け、中に納められている長い数珠と赤い(かんざし)を取り出した。

 その下には一海と見習の直筆か、二種類の黄ばんだ護符がそれぞれ数枚ずつ入っていた。

「このお札、今俺が書いてるんと(おんな)じや。そん時の護符やったんやな」

 鎮が一枚を手に取り、みなに見せた。

「うちのはこっちと同じです」

 三上が別のほうを指さす。

「お札だけはちゃんと伝わってたんやなぁ」

 光悦がしみじみとうなずいた。

 小木原は数珠と簪を鎮から受け取り、しみじみと眺めた。

「これが一海さんの数珠で、これが生贄になったまきの簪か――」

 年代を経ているというのに黒い数珠も赤い簪もつやつやと色を放っている。

 これがまきが最後につけていたものだったと思うと鼻の奥がツンとなった。

「お札もあるんやさかい、数珠も簪もほんまもんなんやろなぁ」

 横から覗き込んだ片岡も感傷的になったのか、声が震えていた。

 三上が『一海寺覚書』と書かれた折本を手に取り表紙をめくる。

「これはそう古いものではありませんね。とはいっても現住職より三代ぐらい前になるのでしょうが」

「な、何が書かれてるんや?」

 鎮と光悦が同時に身を乗り出す。

「ざっと言えば、猪狩山異聞から以降のことをまとめたものです。

 今から要点をかい摘んで説明しますから、お二人(、、、)――特にお父さんは、話の腰を折らずに黙って聞いてください」

 三上に睨まれ、鎮と光悦は押し黙った。

 小木原は片岡と視線を交わしながら笑いをかみ殺し、聖徳は気まずそうに頭を掻いた。

「ずっと伝わってきたのはお伽話のようなこの巻物だけで、数珠や簪などの謂れ、鎮守の必要性などは、吉村家当主、歴代一海寺住職と邪櫃の神官での口承のみだったようです。それでも滞りなく伝わり、守られていた。

 ですが、伝説の風化や祭祀等の中止もあり、鎮守の意味が消えると危惧し、後世のためにこの伝書で残すことに決めた――」

 三上が折本を軽く掲げてから、「で、内容ですが――」と続ける。

 三上の要約した内容は――

 井神退治以降の祭祀と供養は年々行われ、猪狩山異聞と木箱もそのつど寺社間で交代に保管されてきたという。

 だが長い年月が経ち、村人たちの心から祭祀や供養の必要性が薄れ、やがて亥の年だけになった。

 それはまだよかったほうで、吉村家の世代交代が進むにつれさらに薄れ、江戸時代辺りでとうとう猪狩山での祭祀すべてが中止された。

 当時の住職や宮司が、すっかり吉村家の遺訓を忘れた当主に祭祀と供養の必要性を説いたが、忌まわしいだけの伝説が自土地に残っていることに不満を抱いていて祭祀等すべて縁起が悪いと否定し、その考えを改めることはなかった。

 一海寺と邪櫃神社は伝承を完全に風化させないよう巻物と木箱の交代制の保管を継続、各寺社内での祭祀供養をして尽力した――

「――のですが、この覚書を書いた住職の時代にはそれすらもなくなったそうです。

 吉村家と同じで世代が変わるごとに、だんだんと面倒になっていったんでしょうね――遺物をどうするかで揉め、当時の宮司が一海寺にすべてを押し付けた時点で、口承が消えることを危惧した住職がこれをまとめたみたいです。

 ですが、こういう結果になったのは、井神の脅威が終焉したことを意味しているのでは、と考察もしています。

 だから万が一のため記したものの、積極的に次代へ引き継ぐことがなかったのでしょう。住職たちが知らなかったのはそういうことではないですか」

「わしは――」

 光悦のつぶやきに三上が「ちっ」と小さな舌打ちをし、鋭い視線を向けた。


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