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井神   作者: 黒駒臣
第二章 顧
30/44

        

  

 生い茂る枝葉を切り除き結界が張られた雑木林を通り抜け、村長は与平と数人の男達とともに集落跡へと到着した。

 篝火の明かりに影を集め嘉助たちが待っていた。

 枯れ木や雑草に埋もれていた集落跡は草刈りし整えられ、注連縄を張って逆結界が施されている。片隅に座り込んだ神社の見習が一心不乱に大幣(おおぬさ)を振っていた。

 井戸の傍らには封印にすばやく対応できるよう木蓋と多量の護符が台に置かれ、土盛も準備していた。

 化けもんを封じた後、井戸の上に土饅頭を盛り、祠を建ててまきとともに祀る。

 村長は化けもんの中身は古猪だけではないと考えていた。無惨に殺され食われた権三家族に、村の男衆、食われはしなくとも怒りや悲しみの中で命を奪われた嘉助の女房や巳代治、利用されたあげく食い散らかされた猪たち。それらすべての無念が混ざり合わさってともに変化(へんげ)したに違いない。

 まきがその化けもんを鎮めてくれる。

 せめて痛みや苦しみを味わいませんよう――一海様、邪櫃様――頼んます。

 村長は心の中で手を合わせた。

「もうそろそろやろか――わしちょっと見てくるわ」

 待ちかねて与平が結界道を下っていく。

 村長も嘉助とともに数十歩下り、結界に綻びができないよう注意しながら木々の隙間から逆結界の道を覗き込んだ。

「うまいこと引っ掛かりますやろか」

 嘉助が心細げにつぶやく。

「そやな、心配なんは化けもんがまきについて来れるかや。古猪ん時はおとろしぐらい早かったで策にかかったけど――あの権三のかっこで走って来れる思えん。せやけ罠に気づくかしれんな」

 村長は唸りを発して深いため息をついた。

 その時、激しい葉擦れを立てて与平が戻ってきた。

「ま、まきがきたどっ」

 顔がいまにも泣きそうに歪んでいる。

 道の向こうから足音が近づき篝火の中にまきが見えた。

 ここに来るまでなにがあったのか知る由もないが、村長の懸念通り、誘き寄せにずいぶん骨を折ったのだろう。

 かつに梳いてもらった髪は振り乱れ、白い肌にはあちこち擦りむいた傷が何本も入っていた。あんなに喜んでいた晴れ着の袂も裾も引き千切れて泥に(まみ)れている。

 そして後ろからは中身も露わに化けもんが迫っていた。その正体は猪の形でもなく人の形でもない、皮膚のない剥き出しの赤く大きな肉の塊だった。上端を持ち上げ、まだ身にへばりついた権三の皮を引きずりながら地面を這ってまきを追ってくる。

 ぶつ切りの断面のような頭部には目も鼻もなく裂け目だけの口があり、まきに近付くとかぱっと開いて中から複数の黒い触手を伸ばした。だが、その度にまきは速度を上げ、それを逃れる。


 正体を(さら)してまで女子供の精気を欲しているのか――いや、生前に食らいたくて食らえなかったまきに執着しているのだろう。

 計画通りに事が運んでいるとはいえ、村長は脚の震えを止めることができなかった。

 じゃらじゃらと数珠の音を立て化けもんの後を追いかけてくる一海が見えた。まきと同様着ているものは裂け千切れ、今にも昏倒しそうなくらい赤い顔をして息を切らしていたが、何とか追いついてきている。

 村長は急いで嘉助たちとともに井戸のそばに戻った。


 ――その瞬間はあっという間だった。

 まきが井戸に向かって踏み切った時、ぼろぼろの権三の皮を飛び散らして肉塊も跳ねた。黒い触手が下降していくまきの身体に絡んで吸いつき、ともに井戸の中へと落ちていく。

 村長にはその一瞬が止まったように見えた。

眉を寄せて力強く踏ん張って飛んだまきの顔や、ぬらぬらした肉塊の皮膚に走る血の筋も、はっきり目に焼きつくほど――

 ばしゃぁぁぁん、と激しい水音がして村長は我に返った。

 苦い塊が喉をせり上がってくる。

だが、まきを犠牲にした悲しみに浸っている間はない。その死を無駄にしてはならないのだ。

「はよ蓋せぇっ、札貼れっ。蓋にも井戸にもようけ貼るんやっ、二度と出てこんようにっ」

 血を吐くように叫び、嘉助たちがそれに応え、素早く行動する。

 井戸の前に立ち、息も継がず読経する一海も含め、みな頬に流れる涙もそのままに、蓋をした井戸全体に隙間なく護符を張り付けた。

 張り終わった井戸には見習がぐるぐると注連縄を巻き付けた。

 嘉助たちがその上に土饅頭を築いていると地の底から咆哮が響いてきた。

 一海がさらに大きく読経を重ね、それを消す。

 その後、静かになり、何も聞こえてくることはなかった。

 丹念にたっぷりと土を盛り固め、その天辺に見習が大幣を突き立てた。

 後はここに祠を建てる。

 村長は一海の隣でずっと拝していた手を外し、読経を終えた僧に顔を向けた。

「一海様、この村は小さいでたいしたこともできませんけど、ずっとここに残ってもらえませんやろか。

 わしらだけやったら、満足に化けもんを鎮めることもまきの供養もできませんで頼んます」

 村長は深々と頭を下げ「あの見習さんにも残ってもらお思てます。一海様と邪櫃様とでこの村を守っていただきたいんです」

 そう言うと、一海が懐に手を入れ何かを出した。まきの簪だった。

「途中、あの子の髪から落ちたで拾うておいた。わしはこれをあの子の亡骸や思て供養していくつもりや」

 村長はそれを一海の承諾だと受け取った。


 辛うじてすべての災を乗り越えた新関村に半年以上が経過した。

 村長の下、みなが協力し、猪狩山のあの場所に祠を建て、麓には安普請ながらも寺と神社も建立した。

 あの日から一海の読経は止むことなく続き、邪櫃の見習は報告のためいったんは和座村に帰ったものの、神主の許可を得て再び今度は新関邪櫃神社の神主として戻ってきてくれた。

 それから毎年、まきと古猪、その他の犠牲になったものを鎮めるため、一海の名をもらった一海寺と邪櫃神社で祭祀が続けられることになる。


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