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井神   作者: 黒駒臣
第二章 顧
27/44

       

  

村長(むらおさ)ぁぁ村長ぁぁ」

 数時間後、奥座敷で居眠りしていた村長は忠治の叫び声で目を覚ました。

「どうしたんや大声出して」

 縁側に出ると忠治が庭にへたりこんでいる。

「いき――いき――あな、あな――」

 血相を変え何か伝えようとしているがさっぱり要領を得ない。

 騒ぎに嘉助たちも庭へ集まり、奥からかつも出てきた。

 村長はかつに水を持ってくるよう指示すると忠治のそばへ裸足で下りた。

「なんやどうしたんや。古猪は?」

 忠治がかつの持ってきた柄杓の水を一気に飲んだ。

「し、死んだ――村長がいんでから半時ほどで動かんなった――」

「そんでええやないか。なに慌てとんじゃ」

「い、伊吉つぁんが――」

 忠治がつっかえながら今起きた出来事を話し出す。

 それはにわかには信じられないもので、穴から出てきた何か得体のしれないものに伊吉が襲われたというのだ。

 一同顔を見合わせ苦笑した。

「穴ん中は猪と古猪の死骸しかないで、他に何が出てくるんや」

 常に寝ぼけているような忠治だから夢でも見たのだろうと村長は考え「ちゃんと一から言うてみぃ」ともう一杯水を飲ませた。

 権三たちは死んだ後の古猪をしばらく放置していた。様子見をし、その後村長に報告するつもりだったらしい。

 だが再度、確認のため穴を覗き込んだ伊吉が下から飛出してきた大きな何かに頭から咥え込まれたという。

「古猪やけど古猪ちゃう。わい見たんや、口んとこからぱっくり割れて赤い肉から黒い蛭みたいなもんが何本も伸びて伊吉つぁんの頭に吸いついた思たら――もう身体半分呑みこまれてんや――」

 忠治ががたがたと震え出す。

「お前寝ぼけてるやろ」

 笑う与平を村長は手で制し、忠治の続きを聞く。

「権三はん松明であぶったんやけど剥がせんで――い、伊吉つぁん、だんだん萎んで、か、皮だけなって――」

「ほんでお前だけ逃げてきたんかっ」

 嘉助が責めると忠治が慌てて首を振る。

「ちゃ、ちゃう。権三はんが行け言うたんや。村長に早よ伝えて来いて」 

 村長は呻いた。

「古猪め――死んで、ほんまもんの化けもんになってもたか」

「村長、早よ行かな権三もえらい目に合うで」

 嘉助の言葉に村長はうなずき、男達に指示を出して再び鍬や鋤を握りしめ落とし穴へと向かった。

 篝火の明かりが見えてくるとその中に権三の後姿があった。

 足元に着物を身につけたままの伊吉らしい人皮と口がぱっくり割れた古猪の槍穴だらけの大きな毛皮が落ちている。

「よかった、無事やったか。そやけど化けもん仕留めるて、さすが権三や」

 村長の安堵した声に権三が首だけ真後ろにねじくれさせて振り返った。

 どう考えても人の動きではない。

 「うっ――」

 嘉助が喉を詰まらせる。

 仕留めたのではなく、化けもんが()を取り替えただけなのだ。

 首に続いて身体がこちらを向く。全身の皮膚があちこち捩れて引き攣れ、まるで歩き始めた赤子のようによたよたと向かってくる。

 みなじりじり後退った。

 いくら化けもんに乗っ取られたとはいえ、さっきまで仲間だった者だ。鍬や鋤をその身体に叩き込むのは誰もが躊躇(ためら)った。

「引けっ」

 村長は叫んだ。

 数人の男達が背中を見せて走り出そうとするのを静かに制する。

「待てっ、目離さんとゆっくり下がるんや」

 後退しながらできるだけ権三から離れなければ。

 だがその後どうすればいいのか何も思いつかない。

「うわっ」

 何かに足を取られ茂六が仰向けに倒れた。嘉助が慌てて起こそうとするも権三が目の前にまで迫って来る。

 恐慌に陥った茂六が嘉助にしがみつき、二人とも立ち上がることができない。

「早よ立つんやっ」

 村長は声の限り叫んだ。

 裂けた口をぱかりと開き、目鼻を後ろにぶら下げた権三が間近に迫る。

「早よ逃げぇぇぇ」

 茂六だけでなく嘉助も魅入られたように動けなくなっていた。

 与平が石を拾い投げ、それが権三の肩に命中する。

 他の男達も次々石を投げたが化けもんは怯むことはなく口中の黒い触手を嘉助へと伸ばし始めた。

「もうだめだ」

 思わず目を閉じた村長に与平の声が届く。

「む、村長、あれ見てくだせ」

 そっと目を開ける。権三が足を止めていた。それだけでなく嘉助に伸ばした触手も口中に戻っていく。

「ど、どないしたんや――」

 戸惑う自分たちの遠く背後から静かに読経が流れてくる。それがしだいに大きくなり、朗々と声を響かせて襤褸袈裟(ぼろけさ)をまとった僧が暗闇の中から現れた。手に巻き付けた長い数珠がじゃらりと鳴る。

「い、一海(いちかい)様っ」

 寺社のない村に時折説法に来る放浪僧だった。

 身なりは貧しいが徳を積んだ僧侶だと村長は見透している。

「今んうちに屋敷へ戻られぇ」

 一海が読経の隙を作らぬよう口早に伝え、権三にゆっくり向かっていく。

 嘉助が急いで茂六を立たせると一海の後ろに回り込んだ。

 今度は権三が後退し、ねじくれたその身を闇に溶け込ませる。

 ぐわぁぁぁぉぅぅぅ

 口惜しそうな咆哮が闇を切り裂き気配が消えた。

 それでも読経を止めない一海につき従いながら、村長たちは屋敷へと戻った。


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