憎
「わいの腕しらんかぁ、なぁ探してぇやぁ」
左腕を噛み千切られ傷から血を流した巳代治が村長に縋る。痛みと恐怖ですでに気が触れていた。
「お前の腕はもうない。あきらめて早よ手当てしてもらえ」
「ないんやぁ、なぁ探してぇやぁ」
村長はなおも縋ってくる巳代治を引き剥がし近くにいた女たちに預け、作業する村人たちの様子を見て回った。自身も頭を負傷していたが横になっている場合ではない。
あの後、屋敷を避難場所とし周囲を石や竹で防護塀を築いていた。男達はみな大なり小なり傷を負い、着の身着のまま家を捨て、傷を癒す間もなく作業に没頭している。
権三はいまだきぬと子供たちの亡骸に会えておらず、嘉助も愛娘を失った悲しみに浸る間も、たえを弔う間もない。
古猪を退治するまでの辛抱だが、もうすでに十数人の命を奪われている。山の亡骸はそのまま放って来た。それを食らっている間、奴はまだ姿を見せない。食い尽くしてしまえばここへ来るに違いなく、もし来たらこんな防護塀などひとたまりもないだろう。
早くなんとかしなければ村が全滅させられる。
気持ちは逸るも村長には何の策も浮かばなかった。
「なぁわいの腕しらんかぁ」
救護の手をすり抜けて巳代治が再び現れた。そして石を積み上げている嘉助を見つけ、
「おのれのせいやっ。おのれがあれを連れてきたんやっ」
そう叫んで、残った右手で石ころを拾うと嘉助にぶつけた。
「な、なにすんなっ、わしのせいやないわ」
額を押さえながら嘉助が反論する。
「いや、巳代治が合うとる。全部おまえのせいやで」
そばで作業する権三が嘉助を睨みつけた。
周囲の村人たちも手を止めて嘉助を見つめる。
「わいの腕かえせぇぇ、おのれも食われぇぇぇ」
血を吐くような叫びを上げ、巳代治がばったりと倒れた。
権三が駆け寄り様子を窺ってから首を横に振る。
「もう死んだで。
な、村長、穴掘って罠つくれんか? 巳代治に悪いけど、これ餌におびき寄せるんや」
落とし穴はいい考えかもしれないが、それには賛同できない。目の下に黒い隈を作りぎらぎらと目を光らせた権三はどう見ても常軌を逸している。正常な思考で提案していると思えなく、その証拠に「たえの肉も使たらええんや」と高笑いする。
嘉助が殴りかかろうとしたその時、村長を呼ぶ声がし、みないっせいにそっちを見た。
与平が首根っこをつかんで少女を連れてきた。
数カ月前、他所の村から入って来て村境の廃屋に勝手に住み着いた少女だった。十になるかならないかくらいの歳で必死に鹿のような長い脚を跳ねさせている。だが力自慢の与平の手は外れない。
「なんやどうしたんや」
「いっぺん家見てこ思て行ったんや。そいたら中に居って。
こらっ、じっとせんかいっ」
びょんびょんと飛び跳ね暴れるのを止めない少女を一喝して与平が続ける。
「なんど食いもんでも探しとったんやろ。んなもんどこにもないのに」
「はなしてっ」
少女が逃げようと身体をひねる。
「たまに食いもんなくなるん、こいつのせいやったんや。
そやけどまぁ、足速うて捕まえんの難儀したわぁ」
与平が少女を持ち上げる。浮き上がった足がばたばたと太い腿を打っても気にも留めない。
「もう放しちゃれ」
村長が少女をつかんだ与平の腕を下ろす。
「なんでや、盗っ人やのに」
「今はそれどころやないで」
放された少女は村人たちの顔を窺い、その場から逃げようとした。
「ちょっと待ちっ。古猪が下りてくるで、ここにおらんと食われてまうど」
村長は鋭く、だが優しい声色で少女を止めた。
「食われたらええがな。いらんやつから餌にしてったらええんや」
権三が笑い、それを聞いた少女の顔色が変わった。
村長は少女の前にしゃがみ込んだ。
「名前なんや?」
「まき」
「お前、弟妹いてたな」
まきがうなずく。
「おい誰ど、この子と一緒に行って弟妹も連れてきたって」
だが、みな顔を見合わせて動こうとしない。どこかに潜む古猪を誰もが恐れていた。
「わしが行く」
嘉助が手を上げた。
「おーおう、たえを餌にするん嫌やさけ張り切っとるで。餌になるもんおってよかったなぁ」
嘲る権三に、
「ええ加減にせっ。お前の気持ちはようわかる。そやけどな、今は生きてるもん守らなあかんのや、そんなことばっかり言うてんなっ」
村長はついに怒鳴った。
権三が舌打ちしそっぽを向く。
それ以上かまわず村長は嘉助に向き直った。
「気ぃつけてな。もし古猪に見つかっても何とかして子供守っちゃれ」
「わかってます。みつやたえの代わりに絶対守ります」
力強くうなずき嘉助がまきを連れて村境に向かうため防護塀の入り口を出た。
「嘉助やん、わしも行くわ」
与平がその後をついて出ていく。
村長はみなと協力して急いで防護塀を完成させた後、権三の案を取り入れ、屋敷から山へと続く道の途中に巨大な落とし穴を作り始めた。同時に穴の底に設置する竹槍の準備もした。
日が暮れる前に無事子供たちを連れた嘉助と与平が戻って来た。まだ村境あたりに古猪の気配はなかったという。
まきには弟妹が三人いた。村人たちに白い目で見られ、屋敷内には入らず庭の片隅で抱き合うように座った。
村長の女房かつが痩せてがりがりのまきたちにふかし芋を与えた。なけなしの食料だが不憫に思ったのだろう。
村長は日頃がみがみうるさいかつの優しさに感心した。
そしてすぐ飛びつかず、まきの号令でわずかな芋を分け合う子供たちに、やむを得ず盗人をしているものの本来は賢くて道理を弁えた姉弟たちなのだと、これにも感心した。




