篭2
鎮、聖徳、三上と光悦の四人は大座敷から鎮の部屋へと場所を移した。
六畳の和室は小さな本棚と文机を置いただけの部屋だった。文机には立派な硯が置いてあり、木製の筆掛けには使い込まれた筆が掛けられてあった。
「先生の訊きたいことってなんや」
車座になってすぐ、鎮が向かい側に座る聖徳に訊ねた。
隣に陣取った光悦とその向かいに座った三上も聖徳に注目している。
「あの……えっと……住職や宮司は先代さんから聞いたことありませんか? その……井神いう化けもんの話を」
「井神? 聞いたことないなぁ」
鎮が首を捻る。
そこで光悦がぱんっとを膝を叩いた。
「わしは知ってるっ! それやっ、お前に言いたいんは。わし、そのこと前に訊いたやろが。それをお前は無視しくさって」
光悦が鎮に詰め寄る。
三上が父の袂を引っ張って、
「お父さんは知っているんですか? いったい井神とはなんなんですか? あの異形もんと関係が?」
「ぐ、宮司はご存知やったですかっ?」
同時に聖徳も身を乗り出す。
「い、いやくわしいは知らんけど……」
光悦が言い淀むと三上はあからさまに溜息を吐いて肩を落とした。
「知らんのやったら黙っとけ!」
鎮がふんっと鼻で嗤う。
いらいらと歯噛みする光悦を聖徳が制し、
「ボクは祖母から聞いたんですが、井戸の井と神様の神で井神と呼ぶそうです。昔の井戸に封じられた化けもんのことで、祖母は自分の親から、その親もまた親から、ずっと言い伝えられて来たんやそうです」
「ほんで、その井神いう化けもんてなんや?」
腕組みをした鎮が唸るような声で訊く。
「もとは大きな猪やったそうで、人を喰うて化けもんに変化したんやとか……猪の神、言われてたんが、井戸も関係して井神に転じたん違うかな思てます」
「住職の俺や宮司のこいつが知らんことを――まあこいつはあほやで知らんで当然やけど――なんで先生とこの一族がそないなこと知ってんやろ」
「ボクもそこんところは詳しいわかりませんが、井神――猪の化けもんを封じ込める際に何らかの形でかかわっていたと聞きました。
人を喰うたことで猪は人に執着したらしいて……そやけボクはあの化けもんは井神や思うんです」
「あれ……猪には見えませんけど」
三上のつぶやきに、「元の形が朽ちてほんまの化けもんになったいうことやろ」と鎮が唸る。
「で、ボクが住職らに訊きたいんは――これも祖母が存命時によう言うてたんですけど――神社か寺に井神についての古文書が残ってるはずなんです。
もしあったら退治のヒントになるんちゃうか思いまして――思い当たるようなもんないですか?」
聖徳が鎮と光悦を交互に見た。
三上は古文書があるなど、今まで光悦から聞いた事がなかったので、一海寺の住職のほうを見た。
だが、鎮はまるで他人事のような顔をしている。つまり思い当たるものがないのだろう。
部屋に重い沈黙が降りたが、まず光悦がそれを破った。
「わしは先代宮司が亡うなる前に、そんなんあるいうの聞いた事ある」
「うそつけっ、知ったかぶりしよって!」
間髪入れず口汚く罵る鎮を見た三上は二人の似たり寄ったりの性格に心の中で嘆息した。鎮も代々続くこの寺の住職だというのに。
「ほ、ほんまや! うそちゃうわっ。
異形もんを封じたいう古文書が昔あったらしいんや。
寺と神社で交互に預かり伝えてきたんが一海寺に行ったまま戻って来んようになったて、先々代に聞いたいうてな。
そん時にお前に訊いたんや。寺のどっかに古文書ないか? て。ふんっ、お前に訊きとうなかったけどな、もしかの時に大事なもんや言うてたで、仕方のう訊いたんや。
そやけどお前は「知らんっ」ゆうて、けんもほろろやった。わしはちゃんと調べとけ、言うてやったのに。こんなことなったんはお前のせいやっ」
「はあ? しょうもない言いがかりつけんなっ、くそがっ。古文書みたいなもんら、ここにはないわっ」
鎮は今にもつかみかからんばかりに身を乗り出して光悦を睨む。
「本当にないんですか?」
三上は光悦の前に身を乗り出し、鎮の目を真正面から見据えた。父親を庇うわけでなく、こんなつまらない口喧嘩をさせている場合ではないのだ。
三上の気迫に鎮の毒気が抜かれ「え?」と間抜けた顔になる。
「本当にないと確かに言えるんですか? 住職が知らないだけではないんですか?」
三上に畳みかけられ、
「う……ん……確かにないんやなて言われると心許ないんやけど……捜したわけでなし……」
「ほれみぃっ!」
「うるさいわっ!」
「もうっ、二人ともやめてください。
とにかく住職は古文書が保管されていそうな場所を探してみてください」
三上は自分を避けて睨み合う鎮と光悦の間に再び割って入った。