毛玉”
翌日、わたしは酷い衝撃を受けていた。目をまんまるにしたまま固まっているわたしの前で、茸に座ったオレがもう一度さっきいった言葉を淡々と繰り返す。
「セピラー国東方守護騎士団隊長シクルト・ヤミルだ。しばらくの間、お前の保護責任者となる。保護責任者として言わせてもらうが、服は着ろ」
オレは手を伸ばして、わたしの後ろに落ちていた脱皮物をわたしにかぶせた。
オレが、オレじゃなかった! オレって鳴いてたのに! いっぱいいっぱいオレって鳴いてたのに!
びっくりしていたけれど、よく考えれば確かにオレは名乗らなかった。どうやらオレとは自分を指す名称だったらしい。わたしもわたしと鳴くし、そんなものだろう。それをいえばわたしもケダマという名前ではない。でもオレがそう呼ぶのならわたしはケダマでいいのだけど、神様はないと鳴いていた。オレを立てれば神様が立たず。難しい。
まあ、何はともあれオレに会えて嬉しい。オレ、じゃなかった…………シク……ルトヤミ? まあいいや。オレだ! オレだ、オレだ、オレだ。昨日はふたつも会えて、今日も会えるなんて嬉しい。わたしが尾のある種族だったらぶんぶん振っていることだろう。
「方々に連絡は入れてある。しばらくの間はお前の身元を調べたりと慌ただしくなることもあるだろう。俺は一年間はお前の責任者となるため、お前の事情を把握することになる」
わたしは、よく分からないけれど白く平らな場所で寝ていた。周りも白いもので四角く囲まれている。脱皮した後の皮に似ていたけれど、丸はひとつも着いていない。真っ平らな囲いだ。まるで巣の中のようだけど、生き物の臭いはしないからどれかの巣というわけではないらしい。ここは草と刺激臭と血の臭いがする。すんすんと臭いを嗅いでいたところに白い囲いを開けてオレが入ってきたのだ。大変いい朝だと思った。
でも、オレは嬉しそうじゃない。朝なのに、これから活動時間なのに、あまりいい色の顔をしていないのだ。目の下にもまだ夜がいる。眠っていないのだろうか。
手を伸ばせば、オレは小さく身体を動かして避けた。オレに、避けられた。悲しくなった。まるで初めて会った頃のオレのようだ。警戒心が強くて、会う生き物会う生き物全部を警戒し、物陰に隠れてやり過ごしていた。
そういえば、オレはわたしが分からないから、初めて会う生き物として認識しているはずだ。なるほど。だから警戒心が強い状態に戻っているのか。それに、よく見たら硬い皮膚が全部なくなっている! なんということだ! せっかく成体になったのに!
「お前の身の振り方が決まるまで、お前は騎士団の管轄になる。何かあれば俺へ通せと言いたいが、お前は少し変わった生き方をしてきたと俺達は判断した。だから、お前には人をつける。これは決定事項だ」
淡々と、凪いだ水面のような声だ。
もしかしたら、頭の硬い皮膚がなくなったことで、全身の硬い皮膚も取れてしまったのだろうか。つまり、まだ成体になりきっていなかったのだ。それもそうだ。だって昼間にはまだ柔らかな皮膚のままだったのだ。それなのに夜にあのへんてこと達が襲ってきたから、まだ固まりきっていない身体で戦うしかなかったのだろう。可哀想に……せっかく頑張って成体になりかけていたのに。
それは警戒心も強くなるだろう。オレは弱いのだ。自分の身を守るために警戒心は強くなければならない。
「お前のような者を発見した場合、その地の騎士団が一年間面倒をみる。最低でも一年間はお前を付け狙う者がいないかこちらで判断する。その間、出来る限りの治療と知識を得てもらう。その後はお前の状態にもよるが、身の振り方は自分で決めるか、無理そうだと判断すればこちらで決めさせてもらうのが通例となる。以上がこれからのお前の予定だ。今の状態では無理だとは思うが、一応お前の意思と意見を聞く。ここまでで質問はあるか」
でも、大丈夫だ。オレは生きている。生きているなら成体になれる。大丈夫。今度成体になるときは、きちんと皮膚が固まるまでわたしが守ってあげる。
「無いか。では、通例通りこの予定で行わせてもらう。話は以上だ。服は着ろ」
手を伸ばした拍子に落ちた脱皮物をまたかけられた。これ、どれの脱皮物なのだろう。オレの臭いがしないからオレの脱皮物では無さそうだ。
オレは硬い皮膚が剥がれた後だから、まだ皮膚が出来ていなくてあんまり脱皮しないのかもしれない。残念だ。どれかの脱皮物をはおらなくてはならないなら、オレのがいいのに。
でも仕方ない。オレの身体に負担をかけたいわけではないのだ。
「…………よく、分かっていないんだろうな。大丈夫だ。お前が不幸にならないようきちんと取り計らう。お前はこれから幸せになるんだ。安心してこの場所で過ごせばいい。ただし、服は着ろ」
オレはわたしが守ってあげるから安心してね、オレ!
ところで、フクハキロってわたしの名前? あのね、オレ。オレは名付け上手じゃないって神様が鳴いてたから、これからは名付けないほうがいいそうだよ。でも、オレは名付けるのが好きなのかな。だったら可哀想だな……。仕方ない。それなら、わたしの名付けはしていいよ。ふたつ足のわたしはフクハキロだね、分かった!
殺される。困った。
白くて草と刺激臭と血の臭いがする場所から逃げ出したわたしは、とっても困っている。後ろからたくさんの声がするけれど、こんな場所にはいられない。わたしは森にかえ、ることは出来ないから、どこかにこっそり巣を作ってオレを守ろう。
硬くて滑る地面を走る。いつまでたってもこの洞窟から出られない。外は見えているのに、透明な壁があって出られないのだ。透明な壁の間には木が這っているから、ここはもしかして洞窟ではなく大木の洞なのだろうか。でも、中身がこんなにすかすかだったら、残念だが木は死んでいる。そのうち倒れてしまうから、巣の場所は移動したほうがいいと思う。
ぺったぺたと不思議な足音が鳴る地面に首を傾げながら、必死に足を動かす。眠ったからか、身体が意識に馴染み始めている。だから走ることが出来た。けれど遅い。ふたつ足の身体は重くて遅くて音が響く。皮膚も薄く、体毛も少ないから体温が逃げやすい。弱い。あまりいいことがない。確かに、これだけ弱ければ森の中で怖がっていたオレの姿も頷ける。脱皮して皮膚が硬くならないと、ふたつ足はとても弱い。
それなのに、ふたつ足達はどれかの脱皮をわたしにかぶせようとしてくる。しかも、ただかぶせるだけではなく、縛り付けようとするのだ。身体を縛るものが多くて苦しいし、身動きがしづらい。
「いたか!?」
「いや! そっちは!?」
「もうあんなに動けるようになったのか!? いいことだな!」
「な! よかったよな! だが、逃がした俺らは隊長から殺されるな!」
「なー!」
前からも後ろからもたくさんの気配が追ってくる。みんなわたしのような足音をさせていない。かつかつだったり、こつこつだったり、がつがつだったり様々だが、とにかくそれなりに硬い皮膚を持っているようだ。
どうしようかなと視線を走らせて、木が這っている透明な壁が一部なくなっている場所を見つけた。よく見ればその部分は外に向けて突き出した形になっていただけでなくなっているわけではないようだ。でも、わたしにはちょうどよかったのでこれ幸いとそこから抜け出す。
洞から地面へと下りれば、じぐっと足の裏が痛んだ。見れば、石で切ったのだろう。血が滲んでいる。ふたつ足、弱い。普段から地面に接する箇所だろうに、こんなに弱いのかとびっくりする。
中身がすかすかの巨大な木は、平らな側面をした珍しい木だった。その洞の中からわたしを追ってくる気配が近づいてきて、わたしは急いで地面を走り、草木が茂っている場所へと飛び込んだ。
いい枝振りの木を探し、登る。葉っぱの陰に隠れるように身を縮ませれば、たくさんのふたつ足が下を走り抜けていった。跳ねることが出来ないのは不便だ。でも、手足の使い方は、他のふたつ足を見ていれば何となく分かってきた。後は、オレが使っていた姿を思い出せば、どの角度に曲げられるのか、どんな動きが出来るのかはなんとなく理解できる。
すんすんと臭いを嗅ぎ、通り過ぎていったふたつ足が戻ってこないことを確認して身体の位置を整える。据わりのいい場所を探しながら、身体に縛り付けられた脱皮物を剥ぐ。どうしてこんなに邪魔な物をかぶせようとするのだろう。
薄くて柔く弱い、今は自分のものとなったふたつ足の皮膚をじっと見つめて考える。もしかして、生まれたてのふたつ足はあまりに弱いから、成体の脱皮物をかぶせて身を守らせようとしているのだろうか。なるほど。それならわざわざ身動きしづらく煩わしいものをかぶせようとしてくる理由にも納得がいく。
……だったら、かぶっていたほうがいいのだろうか。生まれたては成体からの保護が必要なのは分かるけれど、単体で存在できないほど弱いとは思わなかった。
途中まで剥いだ状態で悩んでいると、風下からふたつ足の気配が戻ってきた。
「申し訳ありません、昨日の今日でお忙しいところを……」
「構わん。必要な報告は昨夜の内に済ませてある。逃げた理由に心当たりは?」
オレだ! 凄い、昨日はふたつ会えて、今朝もひとつ会ったのに、日が沈みも昇りもていないのにまた会えた! こんなにたくさん会えたら、会えた回数を数え切れなくなる。ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、いつつ、むっつ、たくさん!
オレと話しているふたつ足はふたついる。片方は、昨日オレといたふたつ足で、もう片方はさっきまでわたしといたふたつ足だ。『せめてシタギだけでも。何はともあれシタギだけでも。同じ女としてつらいです』と鳴いていたふたつ足である。でも、そのせめてが終わっても、次から次へとはおらせてくるのでわたしは悟った。このままだと、はおりすぎてわたしは潰れてしまうと。潰れたら死んでしまう。大変だ。
「服を着ることを嫌がっていたのに、無理に着せてしまったからだと……」
「そうか」
「いやそれ、ヤシィーは悪くないだろ。でも、そうなると昨日言ってた作戦は失敗だったんだな」
「ええ。服を着る習慣が身についていないとのことだったので、出来る限りゆとりを持たせ、女物にこだわらず男物も用意して、色形も好きな物を選べるよう数を揃えてみましたが…………等しく嫌がりました」
「そうか」
オレ、あまり鳴かないなぁ。元気がない。当たり前だ。せっかく成体になろうとしていたのに、硬い皮膚が全部無くなってしまったのだ。がっかりもするだろう。それに、オレ、朝見たときと皮が変わっていないから脱皮していない。幼体時はいっぱい脱皮できるけど、一度成体になりかけた個体は脱皮の回数が減ってしまうのかもしれない。
「女の子ですし、出来るだけ早く服を着せたほうがいいのでしょうが、これだけ嫌がるとなると、人目につかない場所を用意するほうが先決かもしれません」
「分かった」
「しかし、隊長。逃亡を阻止するなら三階辺りがいいのでしょうが、そもそも三階から飛び降りると危険という判断力があるのでしょうか。俺は、その辺りの思考も怪しいと見ますが」
「……私もそれを憂慮しております。服も問題ですが、どこまで一般常識を把握しているかが全く分かりません。人間として生活してこなかった可能性がある以上、危機管理能力に不安が残ります。三階から落ちれば死ぬかもしれないと分かっていないかもしれません。隊長、その場合は私一人では手に余るものと思われます。女騎士がこの隊にいないと承知しておりますが、騎士ではない私ではあの子の動きに追いつけません。現に今も振り切られてしまいました。暴れたり、嫌悪を抱かれていないことは救いですが……少々難しいです」
他のふたつ足はいっぱい鳴いているのに、オレはほとんど鳴かない。朝はもうちょっと鳴いていたと思うけれど、今はほとんど口を開かない。群れの中だとあまり鳴かないのだろうか。でも、確かに森に来ていたときにたくさん鳴いていたというわけでもないので、もともと静かなのかもしれない。
それに、タイチョーとは一体何だろう。オレはオレで、オレ以外の名前もタイチョーという名ではなかった。だけど、深い息を吐いたふたつのふたつ足は、オレをタイチョーと呼んだ。オレ、名前がいっぱいで忙しいね。
「健康面では問題ないとのことでしたが、朝食も食べてはくれませんでした。朝食の前に着替えをさせようとしたのが問題だったのか、それとも……」
「ヤシィー、気になることがあったら言ってくれたほうが、俺も隊長も助かる。憶測でもいいから、君が思ったことを教えてくれ」
「失礼しました。どうも、朝食を朝食と判断していなかったように、私は感じました。粥を目の前に出しても、匂いを嗅ぐだけで一切口にしようとはしていませんでした」
チョウショク。何だろう。朝からのことを思い出す。起きたら、白い毛のしわくちゃふたつ足にいろいろ調べられた。しわくちゃは「うむ、元気!」と大きな声で鳴いた。その後、いっぱい脱皮物をかぶせられ、それをはいではかぶらせられの攻防を繰り返した。それからそれから。記憶をひとつずつ辿る。そういえば、よく分からない匂いのよく分からないどろどろが出てきた。それのことだろうか。
温かくてどろどろしていて少し甘い匂いがしていた。きっと腐っている。ああいうのは、土に混ぜてしばらく置いていたらいい芽が出る。どうやらわたしにくれたようだが、今のわたしは縄張りを持っていないので、あれを埋められる土地がないのだ。もらっても困るので返した。求愛で、巣や食べ物、綺麗な石をもらったことはあるけれど、土地を肥えさせるどろどろをもらったのは初めてだ。びっくりした。
「背中の刻印についても後ほど報告が上がると思われますが、医師と魔術師によると、今のところ当てはまる術式は発見できていないようです。花のように何重にも円が描かれていました。花びらと仮定しますが、花びらの数は全部で364個あったそうです」
「364……相当執念深く入っているな。無意味に入れたにしては数が多すぎる。それほど手をかけたのなら、そう簡単に逃がしはしないはずだ。隊長、やはり早く見つけないとまずいですね。敷地内から出てはいないはずですが、裸以上に彼女を捕えていた人物に捕まるほうがまずいです。密偵の線も捨てきれませんが、何より保護が優先でしょうね」
「ああ」
オレ、やっぱり鳴かないなぁ。森で聞いていたより随分固い声だ。硬い皮膚をなくして落ち込んでいるのだろう。可哀想だ。わたしも毛皮をなくしたらきっとしょんぼりする。……そういえば、今のわたしは毛皮がなかった。しょんぼりしなければ。
オレも硬い皮膚や毛皮がないからしょんぼりしているのだろうか。ふたつ足は弱い皮膚を守るために脱皮物をはおるようだし、もしかしたらオレははおる脱皮物が足りないのかもしれない。それだったらこの脱皮物をあげよう。
さっき剥いだ脱皮物をオレの上に落とす。
風が起こった。何だと瞬きした間に、ふたつの爪が現れていた。どうやら、オレともうひとつのふたつ足が爪を出したようだ。
オレがこっちを向いて嬉しくなる。オレの目はまんまるだ。オレの目がいっぱい見られて嬉しい。
「………………隊長、発見しましたね」
「……そうだな」
「………………気配を全く感じませんでしたね」
「……そうだな」
「………………えらくご機嫌ですね」
「……そうだな」
「………………やっぱり脱いでやがるっ!」
「……服は着ろ」
呼んだ?
オレは頭が痛いのか、眉をきゅっと寄せて大きな息を吐いた。爪をしまいながら、頭にかぶった脱皮物を手に巻き付けるように取る。どうやらはおらないようだ。
「あの、隊長……」
声が高いふたつ足が、オレに声をかけた。
「何だ」
「彼女、隊長に物凄く懐いているように見えるのですが……」
「……昨夜が初対面だが」
「彼女、今朝から一度も表情を動かさなかったんです。それなのに、こんなに笑って…………隊長、騎士の妻であるだけの私が差し出がましいことを申し上げますが、彼女は隊長の傍に置いたほうがいいのでは」
オレより大きさの小さいふたつ足が、声の高いふたつ足を向いた。
「そういえば、昨夜も隊長にだけ懐いて、隊長の顔を撫で回していたんだ。ヤシィーから見てもそう見えるか」
「ええ……すみませんが隊長だけ少し距離を取って頂けますか」
声の高いふたつ足がそう鳴けば、オレが木の下から離れていく。オレが行ってしまう。わたしは慌てて木から滑り降りた。力の入れ具合を間違えて、一度べしゃりと地面に落ちてしまった。どうにもふたつ足は難しい。転がったり、はねたりすればすぐなのに、接地面が少ない状態で縦に長い身体を支えなければならなかった。腕に力を入れて、すぐに起き上がる。
少し離れた場所に立っているオレの元に走りより、その前に立つ。オレだー。嬉しくなって見上げていると、オレは大きな息を吐き、さっきわたしがオレにあげた脱皮物を渡してきた。いらないけれど、とりあえずオレがくれたものだし持っておこう。持ったままオレを見上げていると、もう一度大きな息を吐いた。どこか痛いのか、眉をきゅっと寄せている。その理由はすぐに分かった。オレが脱皮し始めたのだ。ふたつ足の脱皮はどうやら少し痛みを伴うようだ。でも、いいことだ。わたしは嬉しくなった。オレはまたいっぱい脱皮して、早く成体になれば安全になるから嬉しい。強くなるのはいいことである。
オレの脱皮はすぐに終わった。身体の前についている丸を指でいじれば、すぐに身体から剥がれおちたのだ。わたしも、オレにあの丸をもらったのに、死んだときにどこかへ行ってしまった。後で森に探しに行こう。無くさないよう飲みこんでおけばよかっただろうか。でも、そうしたら見ることが出来なくなる。なかなか悩ましい問題だ。
そういえばここから森までどのくらいの距離があるのだろう。そんなに遠くないといいのだけれど。それに、これからどこに住もう。森にはもう住めないから、早く新しい寝床を決めなければ。
オレに会いたいから、ここからあまり離れていない場所に巣を作ろう。そのためには、この辺りに住んでいる生物の縄張りと行動を把握しなければ。巣の周りの規則も早く調べなければいけない。一番強い生き物はどれだろう。攻撃的な生き物がいる場所からは離れておきたい。今日は何も食べていないから餌も探そう。そのついでに巣の材料になりそうな物も見繕わなければ。うむ。忙しくなりそうだ。
ずっとオレといたいけれど、そうもいかない。とりあえず、餌探しと散策をしがてら、森を探そう。
結論が出たのを見計らったわけではないだろうが、結論が出た瞬間、オレは自分の脱皮物を私にかぶせた。身体が温かくなり、ぱちりと瞬きする。なるほど。脱皮物はこういう用途もあったのか。それに、オレの匂いがする。かぶせてもらった物に顔を寄せ、すんっと鼻を動かす。オレの匂いだ。知らない生き物の臭いがする物は、縄張りを主張されているようで好きではないが、オレの脱皮物は好きだ。巣に飾りたい。ところでこの脱皮物、もらっていいの? わたしがもらっていいの? こんなに大きなオレの物、もらっていいの!? よし、飾るよりこれで巣を作ろう。
「脱が、ない……私の、朝からの三時間が一瞬で解決……脱がない……いえ、いいことです。よかった。着てくれる服があって本当によかった。十代半ばと思われる少女が全裸で走り回るだなんて事態を回避できて、本当によかったわ。ねえ、クロウ…………今は下着を着けてくれているのは、脱ぎ方が分からなかったのでしょうね……」
「ああ、そうだな、ヤシィー。昨日の晩、ゴミのように捨てられた俺や隊員達のマントと上着もこれで報われる。ほんとぺいって捨てるんだよ、こいつ……心の底からこんな物いらんわって思っているのが分かる捨て方するんだよ……」
このふたつ、よく嗅げば同じ匂いがする。番だ。いいな。どっちが巣を作ったのだろう。どんな巣を作ったのか気になる。ふたつ足はどんな巣を作れば気に入ってくれるのだろう。オレの好きな物を知りたい。オレの好きな食べ物と、好きな石と、枝と、葉っぱと、土。匂いも分かれば尚よしだ。それとなく色々持ってきて試してみたけれど、オレは『見せてくれるのか? ありがとうケダマ』と優しく微笑みわたしを撫で、全て等しく置いて帰った。期待させるだけさせて、全部要らなかったのである。悲しかった。
オレは熟していない酸っぱい木の実を食べたような顔をして、わたしにかぶせた脱皮物の丸いのをいじっている。オレの手が離れていった後、脱皮物は前でぴったり止まっていた。なるほど。声の高いふたつ足がわたしにいろいろかぶせた後、必死の形相で手を伸ばしてきていたのはこれをしたかったのだろうか。確かにこれをすれば簡単にははがれない。脱皮した後、かぶるように作られた突起なのだろう。ふたつ足は面白い進化をしている。
「服は着ろ……」
呼んだ? それとも気が向いたから鳴いただけ? オレは、わたしがふたつ足の姿になった後もケダマと小さく鳴いたりしていたから、ひとつ鳴きをするくせがあるのかもしれない。これは呼んだのかひとつ鳴きしただけなのか。
「…………ボタンを、止めた……ボタンを、一つも止められなかった三時間が、数秒で……」
「ヤシィー、その独り言は自分を傷つけるだけだ!」
ふたつ足うるさい。
その後、オレがついてこいと言うのでついていった。もしかしてオレの巣につれて行ってくれるのかと、どきどきわくわくしていたのに、別のふたつ足がいる洞の中に戻されただけだった。残念である。わたし、色々やることがあるんだけどな。
しかくい物と草がいっぱいある洞の中に座っているふたつ足は、ふたつ足にしては長い。がたいがいいとはいえず、ひょろりとしているのに縦には長い。蔦かな。もう少し細く、そして自意識がなければ巣を組み立てる素材に役立ちそうだ。
「彼女が?」
「ああ」
「帰還そうそう休む間もないですねぇ。さて、お嬢さん、はじめまして。俺はセピラー国東方守護騎士団所属の魔術師ユダルだ。朝に君を見たという爺さんは身体の医者。俺はその他の医者と考えてくれたらいい。まあ、君がどこまで俺達の話を理解できているかは分からないんだけどね」
私と、オレと、ふたつ足が座っているのは、茸じゃなくて椅子という物らしい。座るために自分達で作った道具なのだろう。道理で、食べられ無さそうだと思ったわけだ。茸の傘のような部分はくるくる回って面白い。お腹は満たせないけれど、これはこれでいいものだ。
「遊ぶな」
オレに叱られてしまった。でも、オレも遊べばいいのに。これ楽しいよ。オレも遊んで楽しくなれば、その今にも泣き出しそうな顔も綻ぶんじゃないかと思うのだ。
「シクルト隊長、無意識で恐ろしい形相になるいつもの癖、せめて患者の前ではやめて頂けません?」
「…………生まれつきこういう顔だ」
「いや知ってますけどね。よくこの子泣き出さないなぁ」
まじまじ見てくるふたつ足は無視し、ようとして、そういえばオレの名前をもう一度言ってくれたふたつ足だと判断して一応存在は認識する。ユダル、だ。
オレ、一回しか名乗ってくれなかったのでちゃんと聞き取れなかったのだ。シクルト、シクルト、シクルト。よし、覚えた。四つ以内は覚えやすい。
オレは、シクルト。いい名前だね。意味知らないけど。いい音だと思う。だってオレの名前なのだ。オレを見ていると、心がほかほかする。オレに関連する音も同じだ。オレは存在がこの世の春だと思う。そこにいるだけで心も身体もほかほかして、温かくて、柔らかくて、ふわふわする。わたしはいま重たいふたつ足だけど、風に乗って飛べそうなくらいだ。
「うっわ……にこにこしてる。この子精神ぶっ壊れてるのかな……ちょっと失礼」
ユダルが手を伸ばしてきた。ぺしりとはたき落とす。びっくりした顔をされた。こっちがびっくりだ。ふたつ足って、他者の領域に遠慮なく触れてくる。でも、そこまで考えて思い出した。同族だからかもしれない。わたしも今はふたつ足だから、気にせず触れてくるのだろうか。多種族同士なら、気をつけないと無闇に触れたら食べられてしまうので気をつけたほうがいいと思う。
「えーと、触っちゃ駄目なのかな? 隊長には抱きついたって聞いたんだけど、触らなきゃ見られないから、隊長、ちょっと押さえてもらえませんか?」
「……俺がか?」
「他に誰がいるんですか」
呆れた声に促され、オレがわたしの肩に手を置いた。オレ、手、大きいなぁ。それに温かい。オレの体温がじんわりと映ってきていい心地。大変幸せである。
オレを見ていたかったのに、オレはわたしの肩に置いた手に少し力を入れ、わたしの身体をくるりと回してしまった。わたしの視線は、オレではなくユダルを捉えるしかなくなる。この椅子、回るのは面白いけど、今は余計な特徴だなと思う。
「うっわ、ご機嫌……こうまで明確な差をつけられると、特になんともないはずのことでも傷ついた気がしますね。……まあ、いいです。じゃあ、ちょっと診ますよ」
ユダルの手が、平らな部分全てをわたしの胸の間につけた。じわじわと体温が映ってきて、大変不快である。オレの手がわたしの肩に置かれていなかったら、即座にはたき落としていただろう。不快感に機嫌が悪くなる。だから、オレの体温に意識を集中させた。オレ、温かい。ユダル、生ぬるい。
「…………声が出ないのは呪いではなさそうですね。精神的な問題でしょうか……いや、何か引っかかりがある。うまく嵌まっていないような、何かがずれているような……それに、全体的に馴染んでいない……隊長、この子の身体妙ですよ。まるで、昨日今日生まれた赤子みたいな不自然さです」
「どういう意味だ?」
「魂が身体に馴染んでいないんです。どんな環境であれ、ここまで育っているのならこの手足は自分のもの、その認識はあるはずです。ですが、この子の魂はそれが出来ていない。昨日ろくに歩けなかったと聞きますが、手足の存在を魂が認識できていなかったからでは? 声が出ないのもそれが原因かもしれません。それに背中の、ちょっと失礼、この入れ墨のような物。これ、入れ墨じゃないし、痣でもない。それなのに呪いでもない……何だこれ。あと、胸の中心に妙なものがある」
「これ以上何の妙があるんだ……」
ユダル、以外と鋭いなぁ。こんなに観察力があるのに、他者に迂闊に触れたら食われるって分からないのは鈍い。ふたつ足、よく分らない種族だ。
「印、ですかね、これは」
「印?」
「何か意味を持つような力はこめられていない。けれどやけにはっきりと見えるんです。存在は主張しているのに、これ自体に効力はない。そうなると、印と考えるのが妥当でしょう」
「……所有印ということか?」
神様がレクマーに仕返しするときに間違えちゃわないようにとつけてくれた印だろう。ふたつ足は、鼻も目も耳も利かないようだが、代わりに別の方法で以外と物が見えるらしい。ふたつ足、不思議な進化をするものだ。
オレもユダルも黙り込んだ。何か考えているようだ。むっつ数える。まだ喋らない。用事は終わったようだ。
わたしは立ち上がり、洞から出て行こうとした。
「どこへ行く」
オレに手を掴まれた。進めない。
餌をとりがてら色々してくるんだよ、オレ。オレの餌もとってこようか? ぱたぱたと手を振ってみたけれどどうやら伝わらないようだ。
「……そういえば、さっきもどこかへ行こうとしていたと聞きましたが」
「服を着せられることが嫌で逃げようとしていた可能性も高いが」
「いっそ行かせてみるのも一つの手でしょう。まあ、服は着てもらうべきですが。隊長、午後はお暇ですか?」
「昨日レクマーから大がかりな襲撃を受けて、暇だと思うか」
「まさか森に手を出すとは思わなかったですしね。そっちに人を割いてていなかった分流石に焦りました。次からは、いくら貴方がいるといってもあの人数で突っ込むのはやめてください。確かにそのおかげであの被害なのに死者0の快挙ですが、貴方に死なれると困ります」
オレは忙しいらしい。じゃあ、餌を狩る時間もないだろう。やっぱりわたしが餌を取ってこよう。番にどれだけ貢ぎ物が出来るかを示すのも、番の甲斐性だ。ろくに餌を取れない番を選んでくれる個体はそういないだろう。
オレが渋い木の実を食べたみたいな顔をしている。これはやっぱり空腹なのだろう。わたしはすっくとふたつ足で立ち上がった。餌をとってくるから待っててね、オレ!