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ぶつぶつの常連

 

 カランカランッと軽い音を奏で、店の扉が開いた。


 ここは喫茶“仏々”。気色の悪い名前をしているが、そこそこ評判のいい喫茶店だ。なかなかレトロな雰囲気で年配客からのウケもいい。

 外装はレンガを基調としていて、店内には至る所に観葉植物が置かれている。

 そんな店内のカウンターで、ブラジル産の豆を挽く青年の姿がある。


 ふわふわの、タンポポを思わせる金髪。パーカーにエプロン。そして、おでこのど真ん中にあるホクロ。

 “仏々”の店長である、藤原竜忌(ふじわらたつき)だ。

 似た名前の俳優が居るが、勿論全くの別人である。当然だが顔も全く似てはいない。

 店長は太めの眉を上下させ、丸い目を客に向けて愛想よく「いらっしゃいませー」とあいさつをした。


 来店したのは、この店の常連客だ。赤い服を着ているのでよく目立つ。

 カウンターに腰を下ろしながら、店内をきょろきょろと見回している。

 因みに、他の客はテーブル席に座っている女の子ふたり組のみ。各々、タブレットとノートパソコンを見ていて新しい客を気にする様子はない。


「雪ちゃん、今は買い出しに行ってるよ」


 コースターの上にグラスを置きながら、竜忌が言った。

 すると、まだオーダーを済ませていない男性客はあからさまに肩を落とした。


「仕込み用のお肉を買いに行っただけだから、あと十分くらいで帰って来るよ。で、ご注文は?」


 男性客は顔を明るくし、ウインナーコーヒーを頼む。

 この客が従業員である雪乃(ゆきの)に好意を抱いていることは誰の目にも明白だ。コーヒーを飲んだ後は、きっと雪乃の手作りケーキでも頼んで味を褒めちぎり、好感度アップを図るのだろう。

 竜忌はそんな予想を立てながら、ソフトクリームのように絞った生クリームが(そび)えるコーヒーを男性客の前へ差し出した。

 この人の恋は99%実らずに枯れていくんだろうな、と思いつつ。


 少しして、カウンター裏から一人の女性が現れた。

 明るい色のTシャツに、店名が書かれたオレンジ色のエプロン。その上からでも分かる豊かな胸……雪乃だ。


「さとしさん、いらっしゃいませ。コーヒーと一緒にケーキはいかがですか? 今日はいちぢくのケーキと、ブルーベリータルトがありますよ」


 カウンターの男性客――『さとし』ににっこりと微笑めば、さとしは口元をゆるゆるにして「どっちもください」と注文を重ねる。

 それに笑顔で返事をして、雪乃は再びカウンター裏へ引っ込んだ。


 さとしがデレデレとその後ろ姿を見守っていると、カランカランッと客の来店を報せる音がした。

 入ってきたのは、長身の黒髪と、それより少し背の低い金髪。どちらも若い男だが、金髪の方は見るからにヤンキーだ。耳にピアスも見える。黒髪の方はメガネだから、きっと学級長が不良を説教しに来たに違いない。と、さとしは偏見だらけの予想を立てた。


 そう。さとしは妄想癖の持ち主なのだ。

 だがしかし、さとしの予想とは裏腹に、二人は仲良く並んで歩いて入ってくる。

 すると、店長の竜忌がいつもよりワントーン高い声で「いらっしゃいませー」とごあいさつ。


「カウンター席とテーブル席、どっちにする? おれは、拓ちゃんが目の前に来てくれたら嬉しいな!」

「言われなくてもカウンターに行くっつーの。他にも客が居るんだからあんま騒ぐな。クレーム入るぞ」


 金髪が(たしな)める。

 竜忌は気にする様子もなく、お冷の準備を始めた。

 さとしと二人の間には、ふた席空いている。さとし側が金髪で、その隣にメガネの黒髪。

 各々メニュー表も見ずに「玉露」と「ケーキセット」を頼んでいる。しかも、玉露などメニューにない。


 竜忌の接客態度を見る限り、この二人も常連なのだろう。ただ、週三で仏々に通っているさとしだが、この二人を見たことはなかった。


「二人がこの時間に来るなんて珍しいよね。学校は? サボリ?」


 現在は朝の九時。確かに、高校生ならば学校へ行っている時間だ。

 竜忌の質問に、黒髪が答える。


「僕らのクラス、テストの結果が良かったから、午前中は自由学習になったんだ。お昼までに戻れば大丈夫。レポート提出は必要だけど、僕はここのコーヒーとケーキについて書くし」

「映画館やゲーセンに行った奴もいるぜ」


 金髪が補足した。


「相変わらず自由過ぎる学校だよね。楽しそー」

「ま、映画の評論やクレーンゲームで景品を落としやすい物理法則とか書くんだろうね。発表が楽しみだなぁ」


 メガネの奥にある瞳を輝かせながら、黒髪の青年が両手を絡ませる。

 そこへ、いちぢくのケーキとブルーベリータルトを盆に乗せた雪乃がやって来た。


「お待たせしまし……あ、い、いらっしゃいませ」


 雪乃の声のトーンが上がった。少し焦っているようだ。それにいち早く気付いたさとしは、隣の二人を見やる。

 もしや、この二人に何か脅されているのではないか? そんな憶測が浮上する。

 自分の前に置かれたケーキとタルトには目もくれず、さとしは二人の観察を始めた。




 先程も思った通り、普通の学生に見える。私服だが、会話の内容から高校生だろう。

 さとしはぬるくなったウインナーコーヒーを口に含むと、クリームの髭を手の甲で拭った。

 黒髪は、今日のコーヒーはどこ産の豆を使っているのか、挽き方はどうか、煎った時間は……などと竜忌に質問を重ねながら、広げたノートによく分からない図式と文字を書いている。

 金髪は黙ってそれを眺めながら、玉露が入っているであろう湯呑を口につけていた。

 黒髪がそれに気付いて「拓人は何を提出するの?」と訊いている。


「あー……オレはこの玉露の味が時間の経過とともにどう変化していくか書いてまとめとく」


 黒髪は、ふぅん、と呟いてから自分の手元へ視線を戻した。かと思うと、ブラウンシュガーをドバドバとコーヒーに投入し始めた。

 さとしの視線は砂糖にくぎ付けだ。コーヒーへの冒涜としか思えない行いに、我が目を疑った。

 そんなさとしの怒りは彼に届くはずもなく、ついには砂糖が山のように(そび)える形となった。

 黒髪は何食わぬ顔でカップの中をスプーンで三回混ぜてから、カップを口へ運んだ。三席向こうだというのに、じゃりっという音がさとしの耳に届く。

 さとしは憤慨しそうになるも、黒髪があまりに幸せそうにしているので、怒鳴り声は喉奥でぐうと鳴るのみに留まった。


「相変わらずすげー音だな」

「おいしいよ? 拓人も飲む?」

「いらね。オレと景の“美味い”がイコールで結ばれねぇのは分かってっけど、ソレは『飲んでる』んじゃなくて『食ってる』んだってことは断言できるぞ」

「うーん。否定は出来ないな。でも、僕の中でこれはコーヒーだから、飲み物だよ」

「いいや。コーヒーが染み込んだ砂糖だ」


 さとしにとって、それは正論だった。

 この金髪ヤンキーと握手を交わしたいと思えるほどだった。

 まともだと思っていた黒髪メガネが、こんな異常者だったとは。さとしは己の考えを改めた。


「拓ちゃん、玉露のおかわりは?」


 竜忌が訊ねると、金髪はかぶりを振った。


「おかわりっつーか、この湯呑はここに置いといて、次、同じの百度のお湯で淹れてくれる?」


 玉露を淹れる時、お湯の適温は五十から六十度と言われている。熱湯を注ぐと、苦みや渋みが強くなってしまうのだ。

 さとしはいちぢくのケーキにフォークを刺し込みながら、奥へ引っ込む雪乃の後姿を眺めていた。さっきの上ずった声は一体何だったのだろうか、気になってしょうがない。

 この二人の内のどちらかに何か脅されているのだろうか。それとも、単に異常者が来たからビビっただけなのだろうか。

 そんなことを考えながら、さとしはケーキを平らげた。クリームの甘さは控えめだが、イチジクの甘みが引き立っている。スポンジ部分はしっとりとしていて、口の中の水分が持って行かれることもない。


 竜忌があいた皿を片付けていると、湯呑みを盆に乗せた雪乃が出てきた。


(あち)いから、そこから直接もらうわ」


 金髪はそう言って湯呑みを受け取ると、白い湯気が立ち昇るそれを傾けた。

 口を離して、湯呑みを置くと、渋い顔をする。熱湯で淹れたから渋みが強かったのだろうか。


「熱くて味がわかんねーや」


 バカなのだろうか。

 百度の熱湯。運ぶ時に多少冷めていたとしても、熱湯に変わりはない。昭和のガンコ親父でも飲みはしないだろう。


「拓ちゃん、おれがベロチューして冷ましてあげるよ!」

「雪乃さん、水の中に氷入れてきてくれる?」


 店長が何か言ったが、見事にスルー。

 雪乃はまたしてもカウンター裏へ行ってしまった。

 さとしは思った。「さっきから何なんだこいつらは。雪乃さんをこき使いすぎだろ」と。雪乃は奴隷ではないのに、と。

 頭がファンタジー世界にトびそうになったところで、雪乃が戻ってきた。気のせいだろうか、顔が少し赤い。


「お待たせしました」

「ありがと」


 水を飲む金髪野郎の隣からは、まだじゃりじゃりと音が聞こえる。その合間にいちぢくのケーキを食べる黒髪野郎。


「雪乃さん、このイチジクすごく甘いですね。どこのを使ってるんです?」

「裏の青果店さんです。今ならたくさん並んでますよ」

「ねー、拓人。帰りに買って行こうよ」

「お前、イチジク持って学校に戻るのかよ」

「え、ダメ?」


 普通はダメだろう。

 しかし、こいつらは普通ではなかった。


「まぁ、空中様のする事に文句言う奴はいねーか」


 さとしの中で「何なんだこいつら」という思いが募っていく。もしや、学校を牛耳っている帝王か何かだろうか……と。さとしの頭の中にはファンタジー世界が広がっている。

 さしずめ、黒髪男は悪の帝王で、この辺り一帯を掌握しているような世界観だろう。

 脳内が異世界へトんでしまっているさとしだが、周りから見れば何かを真剣に考え込んでいるようにしか見えない。なので、竜忌も雪乃も話し掛けようとはしない。


 まさに、さとしは脳内で異世界へ行っていた。そこでは自分が主人公で、悪者をバッタバッタとなぎ倒し、途中で中ボス的なヤツにやられるもパワーアップを繰り返しつつ、やはり敵をなぎ倒す。そしてついに、姫的なヒロインを助け出すことに成功した。まさに、その物語はクライマックスを迎えていた。愛の告白をして、さとしと姫的な二人はめでたく結ばれ、末永く幸せに暮らすのだ。

 気分は最高潮。


「僕と結婚してください!」


 さとしは立ち上がり、まっすぐ前を見据えて、元気に叫んでいた。

 そこには、元々丸い目を更に皿のように丸くした竜忌が立っている。


 現実世界へと戻ってきたさとしは青ざめた。

 隣を見れば、学生二人組も居ない。

 雪乃はテーブル席へいちぢくのケーキを運んでいる。何故か、添えられている生クリームがエベレスト級だった。

 そして、顔面を前へ戻すと、何ともいえない竜忌の顔がある。


「えーっと、さとしさん。ごめんね。おれ、好きな人がいるからさ。あと、ん-……急に結婚はムリかなぁー……って……」


 完全にドン引きしている。

 空いた皿を持って戻ってきた雪乃は、


「さとしさん、プロポーズの予行演習ですか? OKがもらえると良いですね。応援しています」


 微笑みながらカウンター裏へ消えた。


 さとしは青から赤へ顔色を変え、ブルーベリータルトを口へ掻っ込み、コーヒーの残りを飲み干して会計を済ませると足早に店を去った。




 その後。

 さとしが“仏々”へ姿を見せなくなって一週間経った。


「さとしさん、お元気にされてるのでしょうか……」


 雪乃が心配そうに竜忌に声を掛ける。

 すると竜忌は吹き出してカウンターを叩き出した。


「もー、思い出させないでよぉ! プロポーズは置いといて、あの顔ホントにツボって未だに笑えるんだから!」


 二人が最後に見たさとしの姿は、口の周りに白いクリームをつけまくった間抜け面だったのだ。

 会計を担当した雪乃がクリームの事を伝えようとするも、振り向きもせず去ってしまったのである。

 その姿で商店街を歩いたものだから、一部では『季節外れのサンタさん』と呼ばれたとか、どうとか。


 しかし、さとしがこの商店街に現れることは、二度となかった。




 

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