幾世界の幸福
山相学園。市内はもちろん、市外からも通う生徒のいる定時制高校。
夜間の生徒は年齢が十代から五十代と幅広いが、昼間の生徒は他の高校同様、十五歳から十八歳が殆どだ。中学まで不登校だった生徒も数多く通っている。
幾世界もその一人。
中学の卒業式にすら出ていない。そんな彼にこの高校を勧めてくれたのが、当時担任だった先生だ。
中卒で就職も考えていた界だったが――
「高校来てよかったー」
現在は満面に笑みを湛え、山相学園の中庭で母が作った弁当を食べている。
頭頂部からアホ毛を出している友人が「どうして?」と問えば、界は笑顔を崩さず「楽しいもん!」と答えた。
おにぎりの白米が数粒飛んだが、気にしない。
「俺も毎日楽しいよ。楽しいのは良いよね。だって楽しいもん」
と、友人は難解な事を言っている。つまり、楽しいのだろうから界もうんうんと大きく頷いた。
「おれたち、無事二年生になれそうだし! よかったねー!」
勉強には全くついていけていないが、その分、校内ボランティアで内申点を稼ぎ、内容はどうあれ提出物をきっちり出すことで留年は免れた。
出席日数も充分。何故なら、毎日が楽しいからである。家からは少し遠いが、学校へ来れば気の合う友人がいるから通学も苦にならない。
界は昨日のHRで担任が言っていたことを思い出した。
「二年生からクラスが成績順で分けられるんだよね」
「何それ、差別?」
友人は眉根を寄せて、からあげを食べている。
「差別じゃなくて区別だよー。頭のいい人たちと同じクラスだと、授業がどんどん進んじゃってわけわかんないまま終わっちゃうから、おれは成績順で分けてくれるの嬉しいな」
界は決して記憶力は悪くない。ただ、人に言われたことを自分の中で消化するのが苦手なのだ。例えば、夏休みの宿題で出た“読書感想文”。「本を読んでその感想を書きましょう」と言われると出来るのだが、「読書感想文を書きましょう」と言われると難しく考えてしまい、理解が追い付かなくなる。
だから、いちいち説明するのが面倒だ、と周りから置いていかれた。「出来の悪い子ほどかわいい」とは言うが、教師も一人で三十人以上を相手にしなければならない。たった一人に時間を割くわけにはいかないのだ。
そもそも、塾に通っていることが前提のように勧められていく授業に、界のような人間がついていけるはずがない。
小学生にして教師に見捨てられ、会話が成り立たないので友人もいなくなり、不登校となった。それを経て、現在の環境。
教師が匙を投げた勉強も、友人が親身になって教えてくれる。目の前でからあげを咀嚼している、この友人ではないが。
部活や同好会には所属していないが、美化委員として活動もしている。掃除は苦手だが、ゴミ拾いなら出来る。出来ないことを克服することも大切だが、自分に出来ることを伸ばすことに力を入れるようになった。すると、出来ることも増えた。友達も出来た。
「ねぇねぇ翔。来年は同じクラスでがんばろうね!」
「あ、えーっと、ごめん。何の話だっけ?」
そう。こんな“会話の成り立たない人物”であっても、界にとっては大切な友人なのだ。
界は大口を開けて八重歯を見せると、おにぎりにかぶりついた。
何てことのない日常に、しあわせを感じながら。