【連載版始めました】無能と言われて家を追い出されましたが、凄腕錬金術師だとバレて侯爵様に拾われました
私は小さい頃、お母様がやっていた錬金術を見て憧れた。
それは錬金術というにはちっぽけなものだったけど、とても美しいものだと思った。
亡くなったお母様は別に錬金術が得意ではなかったらしいが、人並み以上には出来ていた。
『いつかアマンダも出来るようになるわ』
『ほんと!?』
『ええ、だけど錬金術だけじゃなくて、他のことも頑張るのよ。そうすれば錬金術も上手く出来るようになるわ』
『錬金術のことじゃなくても、錬金術が上手くなるの?』
『ええ、きっと』
お母様の優しい笑みを覚えている。
だから私は王都の学院に入学した後、錬金術はとても力を入れて頑張ったが、それ以外の科目も頑張った。
私は学院を首席で卒業し、錬金術が思う存分出来る職場に就職した。
しかし、今……。
「おいアマンダ! まだ出来ねえのか! この無能が!」
私は上司に無能と罵られて怒られていた。
上司のモレノさん、私が働くヌール商会の会長だ。
「すみません、だけど一人でこの魔道具を百個も作るのはなかなか時間がかかります」
「あぁ? お前が無能で作業が遅いだけだろうが」
「そうかもしれませんが、他の人にも手伝ってもらえればもっと早く終わりますが」
「お前の尻拭いをなんで他人にやらせようとしてるんだ!? お前がやればいいだけだろ!」
私の言うことは何も聞いてくれない。
もうこれ以上怒らせるのは面倒ね。
「かしこまりました、すみません」
「はっ、お前はその魔道具を全部作り終えるまで、帰るんじゃねえぞ。どれだけ夜遅くなってもな」
はぁ、また残業は決まりね。
どうせこの残業代は、私に支払われないだろうけど。
「わかったな? 返事は?」
「かしこまりました」
「はっ、生意気なことを言わずに最初から頷いてればいいんだ、お前みたいな無能は」
モレノさんは満足そうに顔をニヤつかせて、私の仕事部屋から離れていった。
ここは私専用の仕事部屋で、普通に考えれば待遇はいいんだけど、私にずっと仕事をさせるためだけの部屋に近い。
他の従業員などもいるようだが、私はほとんど会ったことがない。
朝にこの職場に着いてから、ずっとこの部屋で仕事をしているから。
私以外の従業員はちゃんと仕事をしているのかしら?
まあそんなに興味はないけれど。
「やりましょうか」
ただこの職場は上司が最悪で、給金はまともに支払われないけど、良いところが一つある。
それは、誰にも邪魔されずに錬金術をいっぱい使って、物を作れるということだ。
私が職場にずっと望んでいたことだ。
魔道具を作るのは楽しいからいいんだけど、さすがに百個は多い。
いや、多いというよりは、同じものを百個作るのはつまらないわね。
これが全部違うものだったら百個でも千個でも楽しく作るんだけど、同じものは本当に飽きるわ。
私は楽しく錬金術がしたいのに、この職場だと出来ていない。
正直、給金や待遇よりもそこが大事なのに。
はぁ、家の夕食の時間には間に合わせたいけど、今日は無理そうね。
その後、私は一人で同じ魔道具を作り続けた……つまらないわ。
職場を出てから、寒い夜空の中を歩いて家に戻る。
私はナルバレテ男爵家の令嬢なのだが……こんな夜中に一人で歩いて家へと向かう令嬢なんて、私くらいだろう。
普通の令嬢はまずこんな夜中まで仕事をしていないだろうし、たとえ夜中まで外にいたとしても馬車で迎えがあるだろう。
もうこの時間に一人で帰ることに慣れてしまったからいいんだけど。
数十分歩き、ナルバレテ男爵家の屋敷に着いた。
「ただいま帰りました」
中に入って使用人の方々が見えたので、そう挨拶をする。
しかし軽く会釈をされただけで、私のもとから離れていく。
お父様にそう指示をされているので、仕方ない。使用人の方々が悪いわけじゃない。
私は自分の部屋に戻り、軽く身支度を整えてから食堂へと向かう。
夕食の時間は少し過ぎているけど、運が良ければ……と思ったのだが。
食堂の私の席にはもう食べ物はなく、水だけが置いてあった。
「あら、お姉様。こんばんは」
「サーラ、こんばんは」
私の妹のサーラが、なぜかまだ食堂にいた。
赤い長い髪が綺麗で、私の金髪とは全く違う色だ。
何が面白いのかよくわからないけど、なぜかニヤニヤとした笑みを浮かべている。
「少し遅かったわね、お姉様。ついさっき、使用人がお姉様のご飯を下げてしまいましたわ」
「そう、じゃあまだ捨ててないかもしれないわね」
何分前なのかはわからないけど、調理場に行けばまだ間に合うかも。
そう思って食堂をすぐに出て行こうとしたのだけど、後ろから呼び止められた。
「あっ、お姉様、申し訳ありません。今日の夕食は最初からお姉様の分はなかったかもしれませんわ」
「えっ、そうなの?」
「はい、お父様が『どうせあいつは残業で帰ってこないから、夕食なんて準備しても意味がない』と言ってました」
そうだったのね、じゃあ今日はどれだけ早く帰ってきても意味なかったのね。
私が残業で夕食に遅れるとたびたび捨てられていたから、それなら最初から作らない方が食材も無駄にならずに済んでよかったのかもしれない。
「教えてくれてありがとう、サーラ」
「っ、ええ、無能なお姉様に教えられてよかったです」
今は別に無能とか関係ないと思うけど。
サーラは私が嫌いなようなので、傷つけたいと思っているようだが、そのくらいの揶揄いは可愛いものだ。
「じゃあ私はお父様に少し用があるから行くわね」
そう言って食堂を出たのだが、出る直前に見えたサーラの表情はどこか悔しそうにしていた。
お父様の執務室へと行き、ドアをノックして「お父様、アマンダです」と告げる。
数秒ほど経ってから「なんだ?」と冷たい声が響いてきたので、私は「失礼します」と言って入る。
ナルバレテ家の当主、ジェム・ナルバレテ男爵は私のお父様だけど、当主の仕事はほとんどやっていることを見たことがない。
執務室の椅子に座っているが、背もたれに全体重をかけていて机の上の書類などは片付いていない。
どうせ使用人の方にやらせて、自分は適当に遊びに行くんだろうけど。
「何の用だ、俺はお前の顔なんか見たくないのだがな」
「申し訳ありません、一つお伝えしたいことがありまして」
執務室の机越しにお父様と対面する。
お父様は座っているが、私を睨みながら話す。
「なんだ、夕食についての文句か? お前が残業で帰ってこないことを予測して作らせなかったのだから、むしろ感謝してほしいのだが」
「はい、それについては感謝してます。わざわざ料理人の方に作ってもらったのに毎回捨てられていては、私も心苦しかったので」
私がそう言うとお父様は舌打ちをする。
お父様も私が傷ついていないとわかると、不機嫌になるのだ。
「じゃあなんだ?」
「はい、私はそろそろ今の職場を辞めようと思います」
二年ほどあの職場で働いていたが、もう決心した。
錬金術が思う存分出来る職場として入って、確かに錬金術は出来ている。
だけど同じ魔道具をずっと作らせられるのは、もう耐えられない。
私はもっといろんな物を作りたいのだ。
だからあそこを辞めて、他の職場にしようと思ったのだが……。
「はっ、何を言うかと思えば……無理に決まっているだろ、馬鹿が」
お父様に嘲笑されながら否定された。
「なぜですか?」
「お前が無能だからだよ。無能なお前を他のところがとってくれると思うか? モレノが私の友人だから、今の職場をクビになってないのだ」
お父様とモレノさんは友人らしく、私が職場に入ってから知った。
二人が友人なようなので、私は一応お父様に辞めることを伝えたのだが……。
「学院でどれだけ良い成績を残したとしても、お前の仕事ぶりはモレノから聞いている。残業をしないと一日のノルマすら出来ないのだろう?」
「あれはモレノさんがすごい量の生産を頼むせいで……」
「言い訳など聞かん。それに上司でお前に仕事を与えてくれているモレノを悪く言うなんて、本当にお前は人間として出来ていないな。だいたいお前は――」
「……」
嬉々として私を無能だ、使えない出来損ないだ、と罵るお父様。
まあ予想はしていたけど、やっぱりダメっていうのね。
私はお父様と妹のサーラ、そして義母のパメラ夫人にとても嫌われている。
お父様とパメラ夫人はもともと恋人同士だったようだが、お父様は親が決めた政略結婚で私の実母と結婚することになった。
私の生みの親、ミリアムお母様はとても優秀な人だったらしい。
お父様が遊んでいても男爵家の事業を成り立たせ、むしろ事業成績を上げるくらいには。
そんな優秀なお母様を、お父様は嫌いだったらしい。
そして私が生まれて、私が五歳の頃……お母様が事故で亡くなった。
お父様はすぐにパメラ夫人を娶ったのだが、異母妹となるサーラがすでに夫人のお腹の中にいた。
それから私は男爵家の邪魔ものとして扱われている。
お父様は学院で私が良い成績を残しても全く喜ばず、むしろ不機嫌になった。
優秀だったお母様のことを思い出してイラついていたようだ。
だからここ二年、私が職場で無能だと言われていることを喜んでいる。
「おい、何か言ったらどうだ、アマンダ」
お父様が私を罵り終わったようだ、右から左に聞き流していたけど。
「何か、とはなんでしょうか?」
「はっ、話も通じないみたいだな。いいか、お前は無能で、今の職場以外じゃやっていけない。それがわかったのなら、もうそんな妄言は言うんじゃない」
「私が他の職場でやっていけないのかは、やってみないとわかりません。そして私はやってみたいので、やるだけです」
「やかましい! お前はモレノの下で馬鹿みたいに魔道具を作ってればいいのだ!」
椅子から立ち上がって怒鳴ってくるお父様。
まさかここまでお父様が反対してくるとは思わなかった。
適当に「勝手にしろ、無能が」とだけ言うのかと思ったけど、なぜ今の職場を辞めさせてくれないのか。
モレノさんとそんなに仲良しなのかしら?
「ですが私は……」
「まだ言うのか!? もういい、出ていけ!」
お父様は机の上にある書類を適当に掴み、私に向かって投げた。
顔に当たって頬が切れたような痛みが走ったが、私はお父様と視線を合わせ続ける。
「くっ、本当にお前は腹が立つ……!」
「お願いします、お父様」
「もういい。一晩、外で頭を冷やしてこい。その部屋着でこの寒い中、外で凍えていろ」
「……それをしたら私が職場を辞めるのを考えてくれますか?」
「やかましい! 絶対にやめさせないに決まっているだろ!」
お父様は顔を真っ赤にして怒鳴り散らす。
なぜこうも辞めさせてくれないのかわからないが、もう今は冷静に話が出来ないようだ。
「かしこまりました。お忙しい中、失礼しました」
「ああ、二度と私の前に立たないでほしいくらいだ」
私は一礼して、執務室から出た。
「お嬢様」
「あっ、イーヤさん」
部屋を出たところにイーヤというメイドの方がいた。
この方は私が小さい頃からいたメイドで、ミリアムお母様とも仲良かったメイドだ。
だからお父様がメイドや執事に「アマンダと仲良くするな」という命令を無視して、よく話してくれる。
とても嬉しいんだけど、それでお父様やパメラ夫人に怒られているのを見て申し訳ない気持ちもある。
「大丈夫ですか? 廊下にまで当主様の声が聞こえてきていましたが」
「大丈夫です、特に何もされませんでしたから」
「っ、お嬢様、頬に傷が……!」
あっ、そういえば紙で切れたんだったわね。
「すぐに手当てを……!」
「いえ、このくらい大丈夫よ。それよりも私はお父様の命に従って、一晩外にいないといけないから」
「本当になさるのですか?」
その命令も聞こえていたようで、イーヤさんは目を見開いて驚く。
「そんな薄着で今外に出ては、本当に凍え死んでしまいます。お嬢様、どうかお考え直しください」
「大丈夫ですよ。私は錬金術師ですから」
私はニコッと笑ってイーヤさんを安心させる。
「ですが……」
「では行ってきますね。一晩ということなので、明日の朝には戻ってくる予定です」
イーヤさんにそう言ってから、私は廊下を歩いて自室へと向かう。
お父様はこの格好で外へ行けと言っていたけど、準備するなとは言ってなかったわね。
さすがに薄着の部屋着でこの寒い夜を過ごせるとは思ってないので、錬金術を使うつもりだ。
そして自室で用意した手提げ鞄だけ持って、屋敷から出た。
屋敷の外へ出てしばらく歩くと、多くの店が並ぶ商店街の地区に出る。
……というか、寒いわ!
「は、早く上着を作らないといけないわね……」
私は鞄から小さな布の塊を出した。
鞄の中にはいろんな素材を小さくした物が入っていて、上着ならこの素材だけで十分だ。
「『拡張』」
まずは小さくしていた布の塊を元の状態に戻す。
「『解放――錬成』」
そして私が作りたい形をイメージして、錬成していく。
小さな布の塊があっという間に私の身体に合った上着が出来上がった。
「ふぅ、寒かったわ」
そろそろ雪も降り始める季節の夜に、部屋着一枚は寒すぎる。
朝まで部屋着のままだったら、それこそ凍え死んでしまう。
もしかしたらお父様は私に死ねって言ったつもりだったのかしら?
まあ例えそうだしても、死ぬつもりなんて全くないけれど。
あの家では誰も私を家族だとは思ってないし、私も思っていない。
とりあえず上着は作ったけど、このまま夜中に街中を歩いていては危ないだろう。
最低限の自己防衛は出来るけど、疲れたから眠りたい。
どこか少し広くて空いている場所……裏路地の広場でいいかしら?
あそこは人通りがなく、夜だからさらに少ないだろう。
だからこそ危ないとは思うけど、そこは錬金術で作れるものがあるから大丈夫なはず。
ここでもたもたしても時間が過ぎるだけね、とりあえず行ってみよう。
私は寒いので身体を動かすために、少し早足で路地裏の方へと向かった。
路地裏に行くためにはまず商店街の大通りに出て、それから路地の方へと行かないといけない。
大通りも人通りは少ないが、まだ何人か人がいるし店が開いているところもある。
その中に食事を売っている出店があって、いい匂いがしてきたのをグッと我慢する。
さすがにお金は持っていない、というか私が自由に使えるお金はほとんどない。
今の職場ではあまり給金をもらえないし、もらえたとしてもお父様が家に入れろと言ってくるので、私に残るお金は子供のお小遣い程度だ。
私は物欲があまりないのでそれでもいいのだが、こんな時に食事を買えるお金くらいは持っていたかったかも。
横目に食事を提供している出店を見ながら、私は路地裏の方へと向かっていく。
すると、私は目の前から歩いてきた人にぶつかりそうになってしまった。
「あっ、すみません」
私はギリギリで止まって、目の前の人をチラッと見上げる。
フードをしていてあまり顔は見えなかったが、少し見える髪は黒色で着ているコートはとても高級そうだ。
ここは平民の方も通っている大通りなのだが、どう見ても貴族の方だ。
「申し訳ありません、急いでいたもので」
「いえ、こちらこそ」
声や体格からして男性で、私は軽く頭を下げてからまた早足で歩き始める。
どこの貴族の方だろう、あの人もこんな夜中まで仕事をしていて、その帰り道かな?
さすがに私と同じようにこんな寒い中で一晩外に出ていろ、なんて言われているわけではないと思うけど。
そんなことを考えながら路地裏へと向かう私の背を……その人がずっと見ていたのを、私は知らなかった。
路地裏の広場に着いた、やはりここは誰もいない。
ここなら私の錬金術で、あれを建てられる。
鞄からまた小さな塊を出す。
「『拡張、解放、錬成』」
塊を元の素材に戻して、作りたいものをイメージして錬成する。
私が今作ったのは、テントだ。
学生の頃、休みを使って王都を出て一人で素材採取の旅に出ていた時があった。
その時に作ったもので、最近は作ってなかったから作れるか心配だったけど、大丈夫だったようだ。
中に入ると暖かくなっていて、これは私がテントに付与した魔術で、快適な温度になるようにしてあるのだ。
テントの中だったらコートはもういらないので、脱いで『圧縮、解放』と唱えて小さな塊の素材に戻す。
そしてまた鞄に入れて、鞄から素材を出していく。
錬金術を駆使して、いろいろと家具を作る。ベッドや椅子、テーブルなど。
本当なら食べ物も錬成など出来るのだが、私はあまり好きじゃない。
というのも、食べ物を錬金術で作っても不味いのだ。
味などを考慮して錬成するのは不可能だから、錬成して食事を作っても食材を適当に混ぜ合わせた味がする。
素材採取の旅をする時に、最悪食べ物が旅先で用意出来なかった時に作っていたけど、あまり作りたいものではない。
だから今日も食材を持ってないのだが……今日くらいは持っておいた方がよかったかもしれない。
「お腹が空いて、眠れない気がするわ……」
そういえば昼食も忙しくて食べていなかった気がする。
モレノさんの命令でずっと魔道具を作り続けていたから……いや、錬金術となると私は集中しちゃうから、モレノさんのせいではないかもしれないわね。
それにしてもお腹空いたわ……どうしよう。
お金が手に入れば出店で食事が買えるけど、お金なんてないし、今から魔道具などを売ろうとしても魔道具店などもやっていないだろう。
今から何か作って売ろうにも、さすがに質屋も魔道具屋もやっていないだろう。
あっ、そういえば私、頬に傷を負っていたわね。
私はまた素材を鞄から取り出す。
「『拡張、解放、定着』」
薬草や純水などを取り出して、空中に留まるように維持しておく。
「『純化、抽出、錬成』」
素材をさらに綺麗にし、必要な素材分だけを抽出し、錬成する。
宙に数滴ほどのポーションが生まれたので、私は掌でそれを掬って頬の傷に塗る。
うん、これで大丈夫、治ったわね。
使わなかった素材はまた小さくして鞄にしまっておく。
ポーションを作って傷は治せたけど、これでお腹が膨れるわけではない。
このまま我慢して寝るしかないわね……明日も朝から仕事だし、早めに寝ないと。
はぁ、またモレノさんに無理やり同じ魔道具をずっと作らせる日々が続くのね。
辞めたいのにお父様もなぜか辞めさせてくれないし……どうしようかしら。
そんなことを考えながらベッドに潜ろうとした時、訪問を知らせる音が鳴った。
このテントを建てる時は外で寝泊まりすることが多かったので、魔獣が侵入してきた時用の警戒音が鳴ることがあった。
警戒音だけでそれ以上の危険が迫った時の音が鳴ることはあまりなかったけど。
それ以上に、訪問を知らせる音が鳴ることは一回もなかった。
この音は入り口に吊ってある呼び鈴を、外にいる人が鳴らさないといけない。
……誰だろう?
夜中にこんな路地裏に人が来ることがあるのかしら?
少し警戒しながら、私は入り口の近くに立って声をかける。
「失礼いたします、どなたでしょうか?」
外の様子はわからないけど、私の声に反応して少しだけ入り口で足音がした。
「失礼、俺はカリストという者だ」
外から聞こえてきたのは男性の声だ。
テントが遮っているからよく聞こえないが、どこかで聞いたことある声な気がする。
気のせいかしら?
「カリストさん、私にどんな用でしょうか?」
「君がこのテントを建てたのか?」
「はい、そうです」
「ふむ、そうか……」
なぜか外にいるカリストさんは悩んでいる様子だ。
……はっ! もしかして、カリストさんもここで夜を過ごすつもりだったのかしら?
私が先にここを占領してしまったから、どこで寝るか悩んでらっしゃる?
それだったらとても申し訳ないわ。
「あの、カリストさん。外は寒いでしょうから、よかったら入られますか?」
「ん? いいのか?」
「はい、今開けますね」
私がテントの中にいる時は外からは開けられないようになっているので、中から開ける。
外にいたのはやはり男性で、暖かそうなコートを着ていてフードも被っていて……って、あら?
この方、さっき道ですれ違った人かしら?
そういえば声も聞き覚えがあったし、多分そうだわ。
だけどなんでここに?
さっきすれ違った時は、私とは真逆な方向を歩いていたはずでは?
「入ってもいいか?」
「あっ、はい! どうぞ!」
カリストさんを中に入れて、寒いのですぐにテントの入り口を閉じる。
「ほう、中は温かいのだな」
「そういう魔術をかけていますので」
「なるほど、凄まじいな」
カリスさんはテントの中が気になるようで、立ったまま周りを見渡す。
あっ、そういえば椅子が一つしかないわ、作らないと。
鞄から素材を出して、と。
「『拡張、解放、錬成』……カリストさん、こちらにお座りください」
「っ……今のは、錬金術か?」
私の錬金術を見て、カリストさんはすぐにそう聞いてきた。
わからない人が見たら魔術と思うはずなので、錬金術の知識はあるようだ。
「はい、そうです。私、錬金術師のアマンダ・ナルバレテと申します」
まだ名前を言ってなかったから、名乗りながらお辞儀をする。
「ナルバレテ、というと男爵家の?」
「はい、そうです」
ナルバレテ男爵家のことを知っている? ということはカリストさんも貴族の方?
「あの、カリストさんは……」
「このテント暑いから、コートを脱いでもいいか?」
「あっ、はい」
質問をしようとしたけど遮られてしまった。
まあ後で聞けばいいかしら。
フードを外してコートを脱いだカリストさん。
黒髪で男性にしては少し長い髪、一目見ただけだと女性と勘違いしてしまいそうになるほど綺麗な顔立ちだ。
身長は私より頭一個分大きく、体格は男性らしく少しがっちりしていた。
目も黒くてパッチリとしていて、少し目尻が上がっている。
私よりも少し年上、二十五歳くらいだろうか。
どこかで会ったことがあるというか、見たことがある気がする……気のせいかしら?
「あの、カリストさんはなぜここに? こんな夜中に路地裏の広場に来て……もしかして、カリストさんも私と同じくここで野宿をしようと思ったのですか?」
「……野宿?」
カリストさんは不思議そうに首を傾げる。
「はい、それだったら申し訳ありません。私も今日は一晩外で過ごさないといけないので、広場でテントを勝手に立ててしまいました」
「……ふふっ、いや、俺は野宿をするつもりはないから大丈夫だ」
「そうですか?」
なぜかカリストさんは笑いながら「ああ、そうだ」と言った。
「しかし、野宿か。確かにテントは野宿に向いているが、ここまで快適なテントはすごいな」
「お褒めに預かり恐縮です」
「このテント、そしてテントの中にある物は全部、アマンダが錬金術で作ったものなのか?」
「はい、そうです」
「すごいな。椅子を作る時も思ったが、かなり技量がある錬金術師だ」
「あ、ありがとうございます!」
久しぶりに錬金術の腕を褒められて、嬉しくて声が上ずってしまった。
「しかしそれだけの技量を持っていて、錬金術師のアマンダの名を聞いたことがないな。名を隠しているのか?」
「いえ、隠していませんよ。しっかり錬金術の職場で働いていますので」
「本当か? 俺は錬金術などの事業で顔が広いと思っていたが……君が働いている職場はどこだ?」
事業で顔が広い? モレノさんみたいに、どこかの社長さんなのかな?
「ヌール商会、という魔道具を主に扱っているお店です」
「ヌール……ああ、確かモレノという店主がいるところか?」
「あ、そうです。ご存じでしたか?」
「もちろんだ。モレノは……君のところの店主を悪く言うようだが、あまり好きじゃない人種だ」
「わかります。私も好きじゃありませんから」
「ふっ、そうか。だが腕は確かで……いや、待てよ? まさか……」
カリストさんは話の途中で顎に手を当てて考え始める。
真剣な表情で考えているようで、私はよくわからないけど邪魔したくはないので話しかけない。
私も錬金術の実験とか研究をしている時、こうやって考えることがあるから。
「……すまない、話の途中で黙ってしまって」
「いえ、大丈夫です」
「ありがとう。それと質問をさせてくれないか? アマンダはモレノのところで、魔道具を作っているのか?」
「はい、そうですよ」
「あまり他の商会の内情を聞くのはいけないと思うが、一つだけ聞かせてほしい。アマンダは一人で何百個も同じ魔道具を作っていたりしないか?」
「えっ? は、はい、そうです。作っています」
まさか私の仕事環境をズバッと当てられるとは思わず、とてもビックリした。
「やはりそうか。モレノのやつ、胡散臭いとは思っていたが、まさか本当に……」
「あの、どういうことでしょうか?」
「……そうだな。アマンダは知る権利があるだろう」
カリストさんは深刻そうな表情で話してくれる。
「モレノは、君の手柄を自分のものにしている」
「私の手柄、ですか?」
「ヌール商会の魔道具でいくつかモレノが特許を取っている商品がある。それはとても優れた商品で、モレノは錬金術師として注目を浴びていたが……おそらく、いや間違いなく、その商品は君が作ったものだろう」
なるほど、確かにモレノさんが自分で魔道具を作っているところを見たことがない。
あの人が錬金術師なのかどうかも知らない。
「カリストさんはなぜ私が作ったものだと思ったのでしょうか?」
「今、君の腕を間近で見たからだ。それに世に広まっているモレノの魔道具は、どれもクオリティが同じなんだ」
「クオリティが同じ? それは当たり前なのでは?」
「いや、当たり前ではない。普通なら大量生産をする際、何人、何十人もの錬金術師が作るからクオリティの差が出る。特に難しい魔道具であればわかりやすいのだが、ヌール店が出している魔道具は全部クオリティが同じだ。一人の錬金術師が作ってないとありえない」
「そうなのですね」
私が作っている魔道具を他の人が作っているところを見たことがないので、初めて知ったわ。
「やはりアマンダ、君はモレノに手柄を奪われている」
「はぁ、そうなんですか」
「……怒りはないのか?」
「特にはないですね、あまり手柄というものに興味がないので」
「そうなのか?」
「はい、私は錬金術が出来ればそれでいいのです」
それにモレノさんが悪いことをしていることは、なんとなく気づいていた。
だからショックはほとんど受けていない。
「そうか、アマンダは欲がないのだな」
「欲はありますよ。錬金術を思う存分やりたい、という欲です」
「ほう、それならモレノの職場でもいいのか?」
「いえ、それが全然ダメです。モレノさんのところだと、同じ魔道具をずっと作り続けないといけなくて。それがとてもつまらなくて」
「ああ、なるほど。確かにそれはつまらないかもしれないな」
カリストさんはそう言って笑ったが、私にとっては大きな問題だ。
「給金がまともに払われなくても、手柄を取られてもいいんです。楽しく錬金術が出来れば」
「えっ、給金もまともに払われてないのか?」
「はい、正確に言えば私が稼いだ額はお父様が勝手に奪うので、私が使えるお金はほとんどないって感じですね」
「それは酷いな。ナルバレテ男爵家ではそれが当たり前なのか?」
「いえ、妹のサーラには多くの額を渡しているようです。私はお父様に嫌われていますから」
「……そうなのか」
私の話にカリストさんが気まずそうな表情をする。
いけない、こんな身の上話を初対面の人にしてしまったわ。
「すみません、余計な話をしてしまいました」
「いや、私から聞いたことだ。むしろ話しづらいことを話させてしまってすまない」
「いえ、それは大丈夫です」
「いろいろとアマンダに聞いてしまったから、何かお返しをしたいのだが……」
カリストさんはそう言ってくれたのだが、ただ話をしただけだからお礼なんて、と思ったのだが……一個だけ、今欲しいものがあった。
「その、カリストさん、私は今日お金を持っていなくて後悔しました」
「ん? どういうことだ?」
「今日はお父様に家から追い出されてここで野宿するつもりなのですが」
「待て、追い出された? こんな夜中に男爵令嬢が?」
「あ、はい、まあそれはいいんですが」
「いや、よくはないと思うんだが……すまない、話を止めてしまったな」
「はい、それで夕食も食べられずに追い出されてしまったもので。テントや衣服は錬金術で作れるのですが、食事は作れないので買うしかないのです」
「ふむ、だがお金がないので食事をしていないと?」
「はい、だからお腹が空いて眠れず……よければ食事代をいただけませんか? お話の対価に合っていないのであれば、私が今持っている素材で道具などを作って、それと引き換えでも構わないのですが」
「いや、食事代くらいは問題ない」
カリストさんは快く頷いてくれた。
なんて優しい人なんでしょう……!
「あ、ありがとうございます!」
「だがちょっと気になるのだが、今持っている素材で何が作れるのだ? 見たところ、素材はそんなに持っていないようだが」
「鞄の中に縮小した素材が入っております。今作れて高価なものでしたら、ポーションなどでしょうか」
「ポーション? まさかそんなものが作れるのか?」
「はい、作りましょうか?」
「……いや、貰うわけにはいかないから大丈夫だ。だが本当に作れるのか?」
「もちろん、素材があるので」
「そうか……普通は素材があるだけで簡単に作れるようなものではないと思うのだがな」
カリストさんが小さく呟いていて、私の耳には聞こえなかった。
なんて言っているのか聞き直そうとした時……私のお腹から、ぐうぅーという大きな音が鳴った。
「……」
「……ふっ、では食事を買いに行こうか。夜遅いがまだ売っているところはあるだろう」
「すみません、ありがとうございます……!」
は、恥ずかしい……!
絶対にカリストさんにも聞こえたはずだ、それで気づかないふりをしてくれたのがなおさら恥ずかしい。
私とカリストさんは上着を着てからテントの外に出て、商店街の方へと歩いていく。
「食事を買ったらテントに戻るのか?」
「はい、朝までテントで過ごすつもりです」
「本当に一晩、野宿するのか。今はテントだけを残しているが、大丈夫なのか?」
「はい、私以外に入り口を開けることは出来ませんので。テントを奪うことも壊すことも難しくしてあります」
「なるほど、さすがだな。おそらく大丈夫だろうが、気をつけてくれよ」
「はい、お気遣いありがとうございます」
カリストさんは優しい人ね、だけどなぜかまたフードなどで顔を隠している。
もう日も沈んで真っ暗、街灯の光だけしかついてない中で、フードを被るなんて。
よほど見つかりたくない相手がいるのかしら?
そういえば、私は野宿するために路地裏の広場に来たけど、カリストさんはなぜあそこに来たのだろう?
「カリストさんはなぜあの路地裏の広場に来たのですか? 何か予定があったのでは?」
「ん? いや……正直に言うと、君を追っていたんだ」
「えっ、私を?」
「ああ、君が路地裏に入っていく前に、すれ違ったことを覚えているか?」
「あ、はい、覚えています。ちょうどここら辺ですよね」
私達は商店街の方まで歩いてきて、確かここら辺でカリストさんとすれ違ったのを覚えている。
今も着ているけど、とても高級そうなコートを着ていたから、私のテントに来た時はすぐに気づいた。
「勘違いしないでほしいが、すれ違った女性を全員追いかけているわけじゃないぞ」
「ふふっ、それだったら怖いですね」
まだ会ったばかりで短い時間しか喋ってないけど、カリストさんがそんなことする人ではないと思っていたけど。
「本当に違うからな? ただこれは感覚で、あまり説明しづらいのだが……すれ違った時に、勘が働いたのだ。今の女性を追いかけた方がいい、と」
「勘、ですか?」
「ああ、勘だ。だから説明しづらいが、私は自分の勘を結構信じていてな。時間もなかったが、追いかけたのだ」
「なるほど……」
勘か、あまりわからないけど、私も錬金術をやっている時に勘で適当に作ったものが、今までにない出来になったことがある。
カリストさんとは違う勘だけど、そういうこともあるのだろう。
「その勘はどうでした? 良い結果になりましたか?」
「もちろん、アマンダという素晴らしい錬金術師に出会ったのだから、勘に従ってよかった」
「それは光栄です」
私もカリストさんと話しているのは楽しかったから、彼が来てくれたのは嬉しかった。
それに……今から食事を奢ってもらうしね。
商店街で夜遅くまでやっている出店のところへ行き、いくつか商品を買った。
「本当にありがとうございます、カリストさん。これで空腹で朝まで眠れない、ということはなくなりそうです」
「そうか、それならよかった。では俺はこれで自宅へ帰るとするよ」
「はい、わかりました」
私が頭を下げてお礼を言って、カリストさんとここで別れると思ったのだが……。
「アマンダ、最後に一つだけ質問を」
「なんでしょう?」
カリストさんはフードを被っているが、近くで下から顔を覗く形なので表情が見える。
彼はとても真剣な表情で、私に問いかけてきた。
「君は今の職場、モレノのところでは満足できていないのだろう? なぜ辞めないんだ?」
「私も辞めたいのですが、お父様がモレノさんと知り合いのようで……いつもは私のことなんて気にしないのに、なぜか職場を辞めるのだけは断固反対してくるのです」
「ふむ、なるほど……それなら、辞められるのなら辞めたいと?」
「はい、もちろん」
もうモレノさんのところでは満足に錬金術も出来ないし、同じものを作り続けるのはつまらない。
「それならアマンダは、次の職場を探すのか? 当てはあるのか?」
「いえ、今のところは全くないです。どこか良いところがあればいいのですが……」
「君の良いところ、というのは具体的な労働環境は?」
なぜここまで聞いてくるのだろう?
よくわからないけど、一度自分でも次の職場に求めるものを考えてみる。
「そうですね……錬金術の研究、開発が思う存分に出来るところですね」
「なるほど、他には? 給金や待遇は?」
「お金は特に求めてないですね、今日みたいな時に食事を買えるくらいあれば。待遇で言うと……出来れば、住み込みが出来るところがいいですね。それと錬金術の研究や商品の開発が思う存分出来て、素材なども揃っているような」
家族には嫌われているので、一人暮らしをした方がお互いのためになると思う。
亡くなったお母様に「錬金術だけじゃなくて他のこともしっかり頑張るのよ」と言われていたので、家事などは全く問題ない。
錬金術の研究もいっぱいしたい、素材も揃っていれば研究も捗るだろう。
まあこの条件が揃っているような職場なんて、ほぼないだろうけど。
「ふむ、なるほど……わかった。答えてくれてありがとう」
「いえ、これくらいは大丈夫ですが……」
なんでこんなことを聞いてきたのかよくわからない。
「じゃあ、今度こそ帰るか。アマンダ、また今度会おう」
「はい、カリストさん。またいつか」
「ふっ、いつかというほど遠い日にならないと思うぞ」
「えっ?」
カリストさんは不敵な笑みを浮かべていた。
「すぐにわかる。じゃあな、アマンダ」
「あ、はい……」
カリストさんは最後に謎を残して、夜の闇の中へと消えていった。
遠い日にならない、って……またすぐに会うってこと?
なんでそれがわかるのかしら? カリストさんの方から、私に会いに来るのかしら?
それなら大歓迎だけど……最後の含みある言い方は、何かありそう。
何があるのかわからないけど、とりあえず。
「テントに戻ってご飯を食べましょう」
私は持っている食事の良い匂いに耐えながら、テントに戻った。
そしてカリストさんに感謝しながら食事をして、ゆっくりと眠った。
翌日の朝、私はナルバレテ男爵家の屋敷に戻る。
帰ってすぐに玄関で出会ったのは、学院に行こうとする妹のサーラと、それを見送るパメラ夫人だった。
「あっ、アマンダお姉様、おかえりなさいませ。もう帰ってこないと思ってましたわ」
「サーラ、おはよう。それとただいま、私も一晩出て行けと言われたんだから、帰ってくるに決まっているでしょう?」
「寒い夜の中、凍え死んだのではと心配しておりましたの。ねえ、お母様」
「ええ、帰ってこなければよかったのに」
妹のサーラはまだ直接的に嫌味を言っているわけじゃないのだが、パメラ夫人は悪意を全く隠さずにぶつけてくる。
今もサーラは嘲笑的な笑みをしているが、パメラ夫人は不快そうな顔を隠さずに私を睨んでいる。
「パメラ夫人、ただいま帰りました。私もすぐに仕事へと出かけますが」
「ええ、早く私の前から消えなさい。同じ空気を吸っていると思うだけで吐き気がするわ」
とても口が悪いパメラ夫人、男爵夫人としての振る舞いとしては最悪だけど、私の前だけだから大丈夫なのかしら。
「はい、私も早く職場へと向かいたいです。ここよりかは空気がよいと思いますので」
まあモレノさんが厄介だけど、それでも錬金術が出来るという一点だけで、男爵家の屋敷よりかは居心地がいい。
「それなら早く行きなさい。目障りよ」
「はい、行ってきます。サーラも、学院の勉強頑張ってね」
「お姉様に言われるまでもないわ」
そんな冷たい家族の言葉を交わしてから、私は準備をして職場へと向かった。
はぁ、またつまらない仕事が始まるわ……いつまでやればいいのかしら。
絶対に仕事を辞めたいけど、次の職場も決まってない。
せめて次の職場を決めてから、また辞める話をするべきかしら。
そんなことを考えながら、だけど仕事が忙しくて実行できずにいたのだが……。
私が野宿をした日から、三日後の夜。
その日の仕事はなぜかモレノさんが午後からいなくなり、久しぶりに定時で上がれた。
だから久しぶりにストレス発散もかねて、思う存分に錬金術の研究でもしようかな、とか思いながら屋敷に帰ったのだが……。
屋敷の前に、とても豪華な馬車が停まっていた。
男爵や子爵などではない、もっと上の貴族の方が使うような馬車だ。
どなたが来ているのかしら?
そんなことを考えながら屋敷の中へ戻ると、私と話してくれる唯一のメイドさん、イーヤさんが慌てたように近づいてきた。
「アマンダお嬢様! お嬢様にお客様が来ております!」
「私にお客? え、もしかして前に停まってた馬車って……」
「は、はい、お嬢様のお客様の馬車です」
嘘でしょ!?
私、あんな身分の高そうな知り合いなんていないけど!?
それで、私が帰ってくるまで待たせていたってこと!?
「ど、どこにいらっしゃるの?」
「応接室です! 当主様や男爵夫人、サーラ様もお待ちになってます!」
私以外の家族が総出で対応しているの?
おそらくそれだけの貴族の方ってことね。
私は着替える間もなく、すぐに応接室へと向かった。
応接室に着くと、扉の前にいる執事の方が私の姿を確認してから、「アマンダお嬢様が帰って参りました」と声をかけた。
すぐに「入れ!」とお父様の慌てた声が聞こえてきて、執事が扉を開けてくれる。
そして中に入り、私は待っていた人を見て声を上げてしまう。
「えっ、カリストさん……!?」
応接室の奥のソファに座っていたのは、私が野宿をした夜、一緒に話したカリストさんだった。
カリストさんの後ろには執事の男性が一人、騎士の方が一人いた。
二人とも男爵家の者ではないことは確かで、カリストさんの配下というのがわかる。
「やあ、アマンダ。久しぶりだな」
ニヤリと笑ったカリストさん、あの夜の最後に見せた笑みと全く同じだった。
私は状況がよくわからずに呆然としてしまったが、カリストさんの対面に座るお父様が話し始めた。
「カ、カリスト様、娘のアマンダをお呼びとのことでしたが、娘が貴方様に粗相をしましたでしょうか?」
自分よりも偉い人に気に入られようとするような、機嫌を窺うような声だ。
はっきり言ってダサいというか、みっともない声って感じね。
「……」
お父様の言葉がイラついたのか、私に向けていた笑みから打って変わって、とても冷たい表情になるカリストさん。
お父様が真ん中で左右にパメラ夫人、サーラが座っている。
私が座るところはないので、とりあえずソファの後ろくらいに立っていた。
「そ、その、娘のアマンダの方は我がナルバレテ男爵家でも無能でして、サーラはとても優秀で愛らしいと評判なのですが……アマンダが粗相をしたのなら、本当に申し訳ございません!」
お父様が私のことで頭を下げている……という感じだけど、あれはただ自分が、男爵家が助かりたいから頭を下げているだけね。
男爵家の当主としては正しいのかもしれないけど、親としては最低。
「……例えば、アマンダが俺にとんでもない失態をした、と言ったらどうする?」
カリストさんがとても冷たい声でそう言い放った。
というか……え、まさか本当に、私がカリストさんに粗相を?
お父様がこれだけカリストさんに下手に出ているということは、男爵家よりは上の爵位、子爵か伯爵……さらに上の侯爵ということもあるのかしら?
そんな方に私は……食事代をせがんでしまったの!?
こ、これは確かにとんでもない失態だわ……!
するとお父様が私の方をチラッと見て、「余計なことを……!」というような表情で睨んできた。
どうやらお父様も、私が失態を冒したと思ったようだ。
「そ、それならアマンダを煮るなり焼くなり、好きにしてください! ナルバレテ男爵家の恥、無能なので……アマンダの身一つを、どうぞお好きに!」
「ほう? アマンダを好きにしていい?」
「は、はい! アマンダをカリスト様に捧げますので、男爵家には手を出さないでいただきたく……!」
ソファの前にあるローテーブルに頭が当たるほど下げる。
お父様と一緒に座っているパメラ夫人とサーラも「お願いします!」と言って頭を下げた。
なんというか、本当に私はナルバレテ男爵家の一員として数えられてないのね。
もともとわかっていたけど……こうまで言われると、少しだけ寂しい思いがある。
私が何も反応をせずに立ったままでいたら、お父様が後ろにいる私に怒鳴ってくる。
「おい、お前も頭を下げろ! お前がカリスト様に粗相をしたんだから、お前が生贄になるだけで済むように――」
「黙れ」
お父様の言葉に、カリストさんが怒気を込めた声で制した。
「ひっ……も、申し訳ありません!」
「静かにしていろ、俺をさらにイラつかせたくないのであればな」
「は、はい……!」
お父様は小さく返事をして、また頭を下げたまま固まった。
隣に座っているパメラ夫人とサーラも頭を下げたまま震えている。
三人の情けない姿が見られて少し胸がスッとするけど……お父様の言う通り、私も頭を下げた方がいい気がするけど……。
「私が聞いたことだけに返事をしろ、ジェム・ナルバレテ男爵。アマンダを、好きにしていいと言ったな?」
「は、はい、言いました」
「その言葉に二言はないな?」
「はい、もちろんでございます」
「ふむ、では……アマンダが、ヌール商会からすぐに退職出来るように手筈しろ」
「……はい?」
カリストさんの言葉に、お父様が顔を少し上げて気の抜けた返事をした。
私もカリストさんの命令のような提案に驚いた。
「なんだ? 出来ないのか?」
「も、もちろん出来ますとも! ええ、カリスト様の御言葉に逆らうことはありません!」
「そうか。それとアマンダの一人暮らしの許可と、俺が運営する商会に錬金術師として就職する許可が欲しいな」
「えっ!? ア、アマンダが、カリスト様の……ファルロ商会に、ですか!?」
「無理なのか?」
「で、出来ますが……」
お父様がとても驚いている様子だが、私もそれに負けず劣らず驚いていた。
ヌール商会から退職出来て、一人暮らしが許されるようになって、次の職場にすぐに就職出来るようにしてくれているの?
それに、ファルロ商会?
そこって帝国でも一、二を争うほど大きな商会で、貴族も平民も誰でも使える道具を多く出しているところじゃなかった?
カリストさんが、ファルロ商会を運営している? それってまさか……。
「い、いいのですか? アマンダは無能で、仕事もとても遅くて、ファルロ商会に適した人材とは到底思えませんが」
お父様がそう言うと、カリストさんの眼光がさらに鋭くなった。
「ファルロ商会の会長である俺の意見に、物を申すのか? それほどの価値があると? お前の意見に?」
「め、滅相もありません! 出来損ないの娘ですが、こき使っていただけたら幸いです」
「……もういい。許可が取れたのなら用済みだ。あとで正式な契約書を持ってこさせるから、そのつもりでいろ」
「か、かしこまりました!」
テーブルに頭をくっつけている体勢が様になってきたお父様。
「わかったなら出ていけ。ここからはアマンダと二人で話すことがある」
「は、はい!」
お父様が様になっていた姿から立ち上がり、パメラ夫人とサーラを連れて応接室を出て行った。
出て行く際、三人から睨まれたりしたが、いつも以上に気にならなかった。
三人が出て行ってから、応接室の中が一度静まり返る。
「アマンダ、改めて久しぶりだな。邪魔者もいなくなったから、座ってくれ」
「あ、はい」
カリストさんにそう促されて、私はソファに座った。
まず、私がすることは……。
「カリストさん、いえ、カリスト様。この度は私が大変ご迷惑をおかけして申し訳ございません」
「待て待て、なんでアマンダが謝っているんだ?」
私がお父様と同じような体勢で謝ろうとしたのだが、寸前でカリストさんが止めてきた。
「えっ、だって私が失態を冒したから、カリストさんが男爵家まで文句を言いに来たのでは?」
「いや、違うけど。なんでそう思ったの?」
「さっき『アマンダが俺にとんでもない失態をした』とおっしゃったではないですか」
「……あれはナルバレテ男爵の言質を取るために、適当に言った言葉だぞ」
えっ、そうだったの? それにしては真に迫っていた気がするというか、とても怒っていたように見えたけど。
「それにアマンダが俺にした失態は別にないだろう?」
「食事をせがんだこととか……」
「それは俺がアマンダの話を聞いたり錬金術の腕前を見た対価で、全く問題はない。むしろあれくらいじゃ足りないくらいだった」
「それならいいのですが……」
だがそれなら、まだいろいろと疑問が残っている。
というかまず、カリストさんは何者?
だいたい想像は出来ているけど……。
「その、カリストさんってどういう方なのでしょう? ファルロ商会の会長、と言ってましたが……」
「ああ、まだ言ってなかった。そろそろ家名も言おうか」
やはり家名があるということは、貴族の方ということね。
それにお父様が頭を垂れてゴマをするような相手、ということは……。
「カリスト・ビッセリンクだ。一応、侯爵家だな」
「……こ、侯爵様?」
「ああ、そうだ」
ほとんど社交界に出ない私でもビッセリンク侯爵家は知っている。
帝国の中でも数少ない最上位の貴族でとても有名だ。
男爵家よりも上の爵位の方だと思っていたけど、まさか侯爵だとは……!
そんな有名なビッセリンク侯爵家のカリストさん、いやカリスト様が、なぜここにいるの!?
「し、失礼しました。知らなかったとはいえ、無礼な態度を取っておりました」
「いや、俺がわざと隠していたのだからな。謝る必要などない」
確かにそうだったけど、私も気づくべきだった。
ビッセリンク侯爵家の方を見て気づかない貴族の令嬢なんて、私くらいだろう。
ここ数年、全く社交界に出ていないから。
「こちらこそ申し訳ないな、アマンダ。君の意見をほとんど聞かず、職場や一人暮らしを決めさせて」
「いえ、それは全く問題ないというか、むしろとても嬉しいことなのですが……なぜこんなことを?」
私がカリスト様に「今の職場を辞めたい、一人暮らしをしたい」という望みを言った。
だけどなぜ侯爵家のカリスト様が、私のためにこんなに動いてくれたの?
「理由は一つ、俺がアマンダを気に入ったからだ」
「……はい?」
カリスト様がニヤリと笑って言った言葉に、私は驚いて目を丸くした。
するとカリスト様の後ろに控えていた執事の方が、「カリスト様」と口を挟む。
「そのような言い方をしてはアマンダ嬢が勘違いしてしまいます。貴方様は侯爵家の次期当主、不用意な発言はお控えください」
「わかってる、今のはただの冗談だ。いや、ある意味冗談ではないのだがな」
「カリスト様?」
「はいはい、キールはいつも通り厳しいな。だからお前からバレずに、先日は馬車から抜け出したのだが」
「もう一度説教を食らいたいですか?」
「嫌にきまっているだろ。それに俺が抜け出したお陰で、これほど素晴らしい錬金術師に出会うことが出来たのだ」
よくわからないが、カリスト様はキールという執事の方に頭が上がらないようだ。
そして私を気に入ったというのは、女性としてではなく錬金術として、ということだろう。
「アマンダには申し訳ないが、ここ数日で君のことを調べた。実母が亡くなっていること、家では今のように家族に嫌われていること、そして……とても優秀な錬金術師だということを」
さすが侯爵家、一人の男爵令嬢を調べるのに数日で足りるのね。
だけどとても優秀な錬金術師、というのはどうなのだろうか。
「その評価はありがたいですが、身に余る評価かと思いますが……」
「いや、それはないだろう。ヌール商会を調べたが、ほとんどが君のお陰で成り立っているような商会だ。しかも君の才能を活かしきれていないにもかかわらず」
えっ、そうなの? ヌール商会ってそんなに小規模な商会だったかしら?
「だからこれは少し手荒いが、引き抜きだ。優秀な錬金術師を囲んでしまおう、というな」
「そう、なのですか?」
「いろいろと手回しをしたが、必要なかったな。ナルバレテ男爵家の当主が馬鹿でよかった。アマンダほどの逸材を手放すとはな」
いや、あれはカリスト様がかなり脅していたからだと思うけど……。
「だがアマンダ、まだ君の意志を聞いていなかった。勝手に決めてしまったが、まず君はヌール商会から退職し、一人暮らしすることが決まった」
「はい、ありがとうございます」
本当にそれは嬉しい、私はこれで自由になれた。
「そして、アマンダ。ぜひ、俺のファルロ商会で働かないか?」
カリスト様が真っすぐと私の目を見つめて、真剣な表情で勧誘してきた。
「給金も男爵家に奪われることはないし、家も今すぐにでも住めるように準備済みだ。アマンダは錬金術の研究、開発がしたいとのことだったので、その役職も用意している」
そ、そんな好待遇を……!?
給金については衣食住が問題なければなんでもいいけど、研究と開発が出来る役職を用意されているなんて。
しかもファルロ商会だから、魔道具の開発をするための素材がどれだけ用意されているのか……!
だけど、本当にいいのかしら?
「とても嬉しい話なのですが、私のためにそんなにいいのですか? カリスト様とは一回しか会っておらず、そこまでやっていただくと恐れ多いのですが……」
私が申し訳なさそうに言うと、カリスト様は笑みを浮かべながら答える。
「このくらいは大した労力じゃない、優秀な錬金術師を引き抜こうとしているのだから、普通だったらもっと大変だと思っていたが」
「私にそれほどの価値を見出してくれているのは、なぜなのでしょうか? 特に今まで目立った功績を残してないと思いますが……」
「学院を首席で卒業し、ヌール商会をほぼ一人の力で成り立たせていたのだ。まあ後半はモレノという奴に功績を奪われていたから、確かにアマンダの功績にはなってないがな」
カリスト様はニヤリと笑いながら続ける。
「それに言っただろ、俺は勘を信じていると。俺の勘が、アマンダを絶対に引き入れろ、とうるさいのだ」
そういえば、あの日の夜もそのようなことをおっしゃっていたわね。
カリスト様は勘で、私を引き入れようとしてくれている。
私も錬金術師としての勘が……いえ、これは勘なんかじゃなく、確信ね。
「私も……ファルロ商会で働いた方が、絶対に楽しいことが出来る気がします」
「ふむ、ということは?」
「これからよろしくお願いします、カリスト会長!」
私の言葉にカリスト様がとても嬉しそうな笑みを見せた。
「ああ、よろしく。アマンダならすぐにでも功績を残してくれることを信じているぞ」
「が、頑張ります」
そこまで期待されているとプレッシャーがすごいけど……。
こうして私は、ヌール商会を辞めてファルロ商会に就職することが決まった。
そしてついでに一人暮らしも。
私の生活がとても楽しいものになっていく、そんな予感がする。
◇ ◇ ◇
アマンダがファルロ商会に行ってから、半年が経った。
ヌール商会のモレノは、ナルバレテ男爵家の屋敷に呼ばれていた。
応接室にいるモレノ、半年前までは生気に満ち溢れていた顔だったのが、今ではその見る影もない。
それもそのはず、ヌール商会は破産する手前まで来ていた。
今まではずっと上手くいっていたのに、半年前……アマンダがいなくなってから、一気に崩れた。
どうしてこんなことに、と思いながらため息をついたモレノ。
その瞬間、応接室の扉が開いて当主のジェム・ナルバレテが入ってきた。
「モレノ! 何をしているんだお前は!」
ジェムは怒鳴りながら入ってきて、ドカッとモレノの対面に座った。
「……何をしている、というのは?」
モレノは毎日ヤケ酒で遅くまで飲んでいるので、ジェムの大声が頭に響いてきて痛さからイラついたように返事をする。
「お前の商会から最近、全く上納金がないではないか! そのせいで私は遊ぶ金がないのだぞ!」
ジェムとモレノは友人というよりは、契約の上で成り立っていた関係だった。
ジェムはアマンダの母、ミリアムが嫌いだった。
両親から無理やり結婚させられたのだが、ミリアムはとても優秀だった。
男爵家の当主として優秀じゃないと判断されたジェムだから、両親がせめて夫人は優秀な人にしようということで、ミリアムと結婚させたのだ。
その劣等感から、ジェムはミリアムが嫌いだったのだ。
そしてミリアムに容姿も似ていて、学院を首位で卒業するほど優秀なアマンダも嫌いになった。
ジェムは、アマンダを無能として下に見たかった。
だから、アマンダがヌール商会に就職するときに、モレノに頼んだのだ。
アマンダをこき使って、無能として扱うように。
そしてアマンダの功績をモレノのものにして、アマンダを絶対に目立たせないように。
モレノも自分の功績が増えるのであればと協力をして、半年前まではアマンダを無能として扱っていた。
モレノは自分の功績が増え、ヌール商会の売上は伸びていた。
その売上はジェムのお陰というのもあったので、その一部をジェムに渡していたのだ。
しかしアマンダがいなくなってから、上納金を払う余裕はなくなっていた。
「無理に決まっているじゃないですか。ヌール商会はずっと赤字で、そろそろ潰れるかもしれないのに」
「くっ、それを何とかするのがお前の役目だろ!」
モレノも自分の店が潰れるのは嫌なので頑張ったが、無理だった。
アマンダを無能として扱っていたが、実質アマンダ一人で成り立っていた。
貴族向けの魔道具などをずっとアマンダに何百個も作らせていて、それがヌール商会の売上のほとんどだった。
しかしアマンダがいなくなってから、まず魔道具を作れる錬金術師が少なかった。
アマンダが一人いれば成り立っていたので、従業員は最低限の人数だった。
新たに雇っても、アマンダのように高速で作れる錬金術師はいなかった。
モレノも錬金術師の端くれなので作ったが、アマンダが十個以上作る時間で、モレノは一つしか作れなかった。
モレノはアマンダを無能と罵っていたが、どれだけアマンダが優秀なのかは理解していた。
だからアマンダがいればヌール商会は安泰、だったのに……。
「そもそも、ジェム様がアマンダを勝手に引き渡したからこうなったのですよ」
「なんだと!? 俺が悪いというのか!?」
その通りだ、とモレノは言ってやりたかったが、さすがに貴族のジェムに言うことは出来なかった。
「そうとは言っていませんが……」
「仕方ないだろ! ビッセリンク侯爵が脅してきたのだ! アマンダを渡さないと痛い目に遭わせるぞ、と! 男爵家が侯爵家にそう言われたら、言う通りにするしかないだろ!」
実際はそんな脅しはされていないのだが、ジェムは自分が悪くないと正当化するために大袈裟に言った。
「それにアマンダ一人がいなくなったところでなんだ! あんな無能がいなくなっただけで、ヌール商会が立て直せなくなるほど落ちぶれたというのか!?」
「それは……」
まさにその通りなのだが、これも答えるわけにはいかないとモレノは判断した。
ジェムの前で「アマンダは優秀だ」と言うと、さらに面倒なことになるからだ。
「ふん、ヌール商会はその程度だったということだな。失望したな」
「……」
失望したのはどちらなのか、とも言ってやりたいが、もう言う気力もなかった。
モレノはジェムと今後も付き合っていくつもりはない、今日呼ばれたのはちょうどよかった。
「そうですね、そんな商会にはもう用事はないと思うので、私はこれで失礼します」
モレノはそう言って立ち上がり、扉の方へ向かう。
「おい待て、どこへ行く!?」
「帰るのですよ。もうジェム様と私は契約関係ではないのですから」
「なんだと!?」
「私達の契約はアマンダがいないと成り立たない。もういないのだから、ナルバレテ男爵家に上納金を納める理由はないですよね?」
「くっ、それは……!」
アマンダを無能として扱って、アマンダの作った魔道具の売上を上納金として納めていた。
だが今はアマンダがおらず、売上もない。
もうヌール商会とナルバレテ男爵家を繋げるものはないのだ。
「今までありがとうございました。最後に一つ、遊びはほどほどにしといたほうがいいですよ、ジェム様。もう上納金もないので、今までのように遊んでは破産しますよ」
自分達の商会のように、と言う前にジェムが「黙れ!」と声を上げた。
「お前ごときにそんなことを言われる筋合いはないわ!」
「そうですか、では失礼します」
モレノは扉を開けて一礼してから、応接室を出て男爵家の屋敷を出て行った。
帰り道、商店街を歩いていたモレノ。
これからどうすればいいか、ヌール商会をどう立て直せばいいのかと考えているが、答えは出ない。
そんな時、目の前に現れた人物に目を丸くした。
「ア、アマンダか……?」
「えっ? あ、モレノさん」
商店街の魔道具店から出てきたアマンダ。
ナルバレテ男爵家の中では唯一の青髪、実母のミリアムから遺伝したのだろう。
半年前までは枝毛が多く艶もなかった髪が、艶やかになり綺麗になっている。
こき使っていた時は寝不足や疲れでやつれていた顔も、血色がよくなり表情も明るくなって、美しくなっていた。
「お久しぶりです、モレノさん」
「あ、ああ、久しぶりだ……元気にやっているようだな」
「はい、お陰様で」
ニコッという可愛らしい笑みに心臓が少し跳ねる。
アマンダがここまで美しい女性だというのを、モレノは初めて気づいた。
職場を変えただけでここまで変わるものだろうか。
(いや、それだけじゃないのか)
残業続きでつまらない職場。
家でも家族に味方はおらず、使用人からもほとんど無視をされていた。
自身の身なりを気にする余裕はなかったのだろう。
「モレノさん、いきなり辞めて申し訳ありませんでした」
「……」
「本当はご挨拶をしたかったんですけど、いろいろと忙しくて。最近は落ち着いてきたのですが」
「……ああ、本当だよ。お前がいなくなったせいで、俺の商会はめちゃくちゃだ」
これは八つ当たりだ、というのはモレノも理解していた。
しかし言わずにはいられなかった。
「お前さえ、お前さえいなくならなければ! 俺は安泰だったんだ、ずっと成功者だったんだ!」
アマンダがヌール商会にいれば、モレノはほとんど何も仕事をしなくても大金を、名声を得られ続けた。
今では魔道具の生産が追い付かず、半年前のアマンダ以上に残業に追われ続けている。
何人か錬金術師を雇っているが、その人達も忙しさと給金が見合ってないと文句を言っているので、破綻するのは時間の問題だろう。
「この二年間、誰のお陰でずっと仕事が出来たと思っている! この恩知らずめ!」
「申し訳ありません、モレノさん。ですが私も、譲れないものがあったので」
「っ……!」
アマンダの真っ直ぐな目に、モレノはたじろいだ。
職場でアマンダに罵倒をして命令をしている時に、モレノはアマンダの顔をほとんど見ない。
あまり堪えている雰囲気もないし、何より目が嫌いだった。
顔はやつれて髪もパサパサだったのに、青く輝く目は美しかった。
それは容姿が綺麗になった今も変わらず、むしろあの時よりも輝いているように見えた。
「給金がまともに払われなくても、私の功績を奪われても、私のやりたいように錬金術が出来ていれば、あまり不満はありませんでした。ただ自由に開発や研究が出来なかったことだけが、譲れない部分でした」
「っ、クソが……!」
アマンダの視線に耐えられずに、視線を下に落としたモレノ。
するとその時、魔道具店から一人の男性が出てきた。
「アマンダ、遅れたな。会計が手間取ってな」
「カリスト様、大丈夫です」
出てきてアマンダと話す男性、カリスト・ビッセリンク侯爵だ。
モレノは商会の会長同士で数度しか会ったことがないが、侯爵家でありながら商会を運営している珍しい男だという印象だ。
だがその敏腕ぶりはいろいろなところで聞いており、侯爵家の中でも権力が一番強いと言われている。
そんなビッセリンク侯爵が、アマンダを認めて引き抜いていった。
「ん? お前は確か、ヌール商会のモレノか」
「っ……覚えていただいて光栄です、カリスト・ビッセリンク侯爵様」
モレノはカリストに頭を下げる、商会の会長という同じ立場だとしても、地位や権力の差はかなりある。
「アマンダ、話していたのか?」
「はい、ご挨拶も出来ずに商会を辞めてしまって申し訳ないと謝っておりました」
「お前が謝る必要はないのではないか? 商会を辞めさせたのはナルバレテ男爵家だ」
「いや、辞めさせるように仕向けたのはカリスト様では……?」
「そうだったか? 特に覚えてないな」
ニヤッと笑ったカリストに、モレノは奥歯を噛みしめて怒りや悔しさを押し殺す。
絶対に覚えているし、目の前に一番の被害者がいるというのに。
むしろモレノをイラつかせるために話しているようだ。
「だが俺は正規な手続きをしたぞ。確実に契約書も書かせて、アマンダを引き抜いたのだ。あとからあれこれ言われても困るな」
「それもそうですが、モレノさんに挨拶出来なかったのは心残りだったので」
「アマンダ、お前は優しすぎる。お前を騙し続けて甘い蜜を吸っていた虫に対しても優しいのだな」
「っ……」
カリストの最悪な言い方が屈辱的で叫びたくなるが、何も言わずに我慢する。
「別に優しくなんかありませんよ。ただ仕返しをするほど興味がないだけで」
アマンダのその言葉に、モレノは身体や心に冷水をかけられたような感覚に陥った。
「ふっ、そうか。アマンダらしいな」
「そうですか?」
「ああ、お前は錬金術にしか興味がないからな。今日のデートも魔道具店を回るという色気もないデートを望んでいたしな」
「だ、だって楽しいじゃないですか」
呆然と立っているモレノの前で、二人は男女の仲になっているかのような距離感で話している。
「まあいい、そろそろ次の店舗へ行くか。夕食を予約している時間も迫っているからな」
「あ、はい、そうですね。ではモレノさん、私達は行きますね」
「あ、ああ……」
アマンダは最後に軽く会釈をして、カリストはモレノを一瞥してから何も言わずにその場を去っていった。
モレノはその場で二人の背を見送るしかなかった。
この半年、何があったかは知らないがとても仲良くなっている様子だった。
特にカリストの態度は商会で働く一人の錬金術師に対しての振る舞いではなかった。
アマンダは学院で首席卒業するほど優秀で、今は見た目も麗しくなっているので、侯爵家当主でも惹かれる可能性はある。
侯爵家当主が惹かれるほどの女性が、半年前まではモレノの手元にいたのだ。
それを、奪われた。
奪われたというとアマンダがモレノの物だったという言い方だが、モレノにとってはそんな感覚だった。
とても優秀な錬金術師でもあり、見目麗しい令嬢でもあったアマンダ。
あれは自分の物だったとモレノは思ったが、もうそんなことを思っても無意味だ。
全てはもう遅いのだから。
「アマンダ、また社交会があるのだが、俺のパートナーで一緒に出てくれるな?」
「またですか? カリスト様は侯爵家当主なのですから、パートナーになりたい女性なんていくらでもいるでしょう?」
「俺が令嬢をパートナーにすると面倒な勘違いをされるからな、嫌なんだよ」
「そうですか、まあ私だったらそんな勘違いはしないから楽でしょうけど」
「……別にお前に関しては勘違いしてもいいのだが」
「? 何か言いましたか?」
「なんでもない。それで、やってくれるか?」
「うーん、カリスト様のパートナーになると、参加している令嬢の方々からやっかみの視線を受けて大変なのですが……」
「貴重な素材を買ってやるぞ」
「もちろん行きますよ、カリスト様。全力でパートナー役をやらせていただきます」
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