36
――――――
「さぁ、お前ら下がった方が良いぞ。どうにも、今日は虫の居所が悪いみたいだ」
「おい!」
ライドの掛け声と同時に、怱々と辺りに散らばる周囲の様子で思わず声が漏れる。
足早に解散した一同を目で追った、その瞬間……凄まじい風圧が、外套を靡かせる。
――――――しまった。
振り上げられた槍斧、浮かべる不気味な笑みに、背筋が凍り付く様な感覚を覚える。
振りかぶっただけで、今の風が?。
「チッ」
驚いている暇も、考えている暇も無いか。
空を斬り裂く轟音と共に振り下ろされる槍斧、僅かに身体を逸らし、何とか躱しきる。
「ほう、余程目が良いみたいだな」
答えてやってる余裕は無いな。
先ずは周囲の状況を……。
自由に動ける程の広さがあるこの部屋だが、あの長い手で槍斧を振り回されるとなると、とても対処しきれないな。
どうしてくれようか……。
「っう……」
軽々と振り回された槍斧が鼻先を、微かに斬り裂く。
クルダーですら、腰を据え両手で扱う様な長物だぞ……よくもあんな棒切れの様に。
あの調子じゃ周囲も巻き込み兼ねないな……早く何とか対処しなければ。
「どうした?忠臣よ。躱してばかりでは、つまらないでは無いか……早く、その腰の剣を抜いてはどうだ?」
「ったく、しつこい奴だな……」
「では、こうすれば……どうだ?」
身体を捻り……槍斧を投擲。
そう来るか。
俺の背後にはライド、そしてミーナが居る……ライドだけなら構わないが、ミーナが居るとなると話は変わる。
避けられないな。
二本の柄を握り絞め、抜剣。
主の手元から放たれた、槍斧を間一髪で受け止める。
「良いぞ!忠臣よ!それでこそだ」
続けざまに繰り出される体当たり。
大きな体からは想像が出来ない程に素早い捨て身かと思わせる、その突進。
刃の側面を前に向け、構える……そして衝突。
足元が少々、揺れるが問題は無い。
衝撃は剣から伝い全身へ、そして地面へとその力が逃げて行く。
「ライド、ミーナを連れて離れてくれ」
「あぁー……何というか、うちの大将が済まないな」
あぁ、本当に勘弁してほしい物だ。
しかし、この体当たりどうするか?一時は勢いを殺せたが、今度は徐々に押力が強まっている。
これなら……いけるか?
左へ一歩、当然異形と重なっていた俺の正中線がずれる。
そのまま剣を床へと逸す。
こうすれば、勢いのままに体勢が――――――
「クソッ」
そう上手くは行かないか。
寧ろ、状況は悪化したかもしれない……再び、槍斧が手に収まっている。
後方へ構え……突進?!。
猛烈な勢い、とてつもなく速い。
回避が間に合わない、間近で重なる鋭い瞳が放つ、必殺を予期させる視線に身体の自由が奪われる。
寸前での停止、槍斧が迫り……瞬きの瞬間。
「ガッ――――――」
風切り音、そしてガラスが砕ける音が耳へと入り込む。
背中から全身へ広がる、大きな衝撃。
「ゲホッ……ガホッ……」
月明りが瞼を照らし、生ぬるい風が身体を撫でる。
些か呼吸の苦しさは有るが体は動く、骨も折れてはいないな。
「まったく……受けて、避けて、期待外れだな。興が醒めぬ内に、一行もろとも切り捨ててしまおうか」
見え透いた挑発だが、乗ってやらない事には埒が明かないな。
「そいつは困るな」
両の剣を握り直し、懐目掛け一直線に駆ける。
「良いぞ!そうでなくては!」
豪快に歯を見せ、槍斧を振りかぶる。
間合いに入ると同時に、叩き込まれる事は明白だが……異形の眼前にて、ほんの一時の静止。
突然の停止によって生じた、須臾にも満たない一瞬の迷い、頭上に迫る鉄塊の軌道が僅かに乱れる。
静止を解き、身体を逸らし確実に軌道の外側へ避け、剣を振るう。
轟音を轟かせながら、地面を叩き割らんとする槍斧の側面を、二つの刃が捉える。
接触と同時に揺らぐ、異形の足元……畳み掛けるか?
いや……。
即座に体勢を持ち直してしまう。
しかし、俺の方が些か判断が早かったみたいだな。
十分に距離は取れている、此処からは俺のペースに持ち込む。
間合いへ向け歩を進める、同時に横向きに構えられる槍斧。
間合いが重なったその瞬間、襲い掛かる巨大な刃……足元へ滑り込み、斬撃を回避。
そしてそのまま背後からの不意打ち……いや、追撃が来る。
横へ薙ぎ払った勢いのままに、後方へ半回転。
「おいおい勘弁してくれよ、ただでさえ古い建物なんだ」
ライドの悲痛な叫びに耳を傾ける事も無く、火花を散らしながら建物の外壁を削り取る。
行けるか?……いや、まだ追撃が来る!。
半回転、そして一回転……勢いを失って地に着いた鉄塊が土埃を舞い上げる。
其れを払いの除け、唸る風の如き音を響かせ迫る鉄塊。
躱せる……前方へ飛び込み、力を込めるべく低く落とした腰、そして開かれた両脚の隙間を抜け背後へ。
まるで何かが爆ぜたかの様な音を轟かせ、又も外壁を豪快に破壊する。
良し、此処だ!。
俺を見失っている上に脇腹が、がら空きだ……だが、殺すつもりは無い。
切っ先が皮膚を裂く程度で良い、全速で距離を詰め、開かれた足を飛び越えると同時に浅く皮膚を裂く。
瞬時の反応、少量の血液が飛び散ると、時を同じくしてスラリと長い腕が此方へ迫る。
掴まれる……否、着地と同時に再度跳躍。
接近する腕を紙一重で回避し、手の甲を一振り、二振りと斬り付ける。
そして腕を足場に、もう一度跳躍、大きな体躯を飛び越える。
再び捉えた背後、右手に握る剣を逆手に持ち替え、振りかぶり、投擲。
「何処を狙っている?」
異形の顔から大きく逸れた長剣は、壁の亀裂へと突き刺さる。
残念だったな、狙い通りだ……思わず笑みが溢れる。
刹那の内に間合いへと侵入する。
やはり反応が早いな……即座に近距離へ対応すべく、槍斧の長い柄を中程へ持ち替える。
だが、想定内だ……俺の突撃が緩む事は無い。
切っ先を後方へ構え、更に距離を詰める、互いの間境が重なり合った瞬間に槍斧が素早く振られる。
上体を後方へ逸らし、斧刃の側面を斬り上げる。
大きく軌道がずれたと同時に揺れる、異形の体勢……が、油断は出来ない。
追撃を警戒し、後方へ転回。
戻らない体勢を確認し、前方へ数歩、崩れた外壁の残骸から残骸、そして突き刺さる剣を支えに壁をよじ登る。
そして首を目掛け降下、しがみつき、全体重を任せ地面へと叩き付ける。
起き上がらせる間も与えず、首元へ刃を突き付ける。
「まだ続けるか?」
口角を上げ、愉快と言わんばかりの表情を浮かべる。
「その剣技……卓越した技術、全てが平和に相応しい」
「何処かで聞いた様な台詞だな……しかし、未だに俺はその言葉の意味が理解できない」
突き付けた刃を徐に握り締め、眼を此方へ向ける。
其れを収めろとでも言う様な視線……最早先程までの敵意は感じられない。
剣を収め、異形へと手を伸ばす。
「話に聞いていたより、紳士的な様だな」
あいつ、また余計な事を……。
「さて、平和になった世界に剣技、技術……即ち、武力が必要なのか?と聞いたな」
「あぁ、剣技、武力がある限り……人を殺める術がある限り、争いが無くなる事は無い」
「そうか……若いな。では問おう、剣技が、力が人の命を奪うのか?その腰の剣が、我の持つ槍斧が誰かの命を奪うのか?」
異形から放たれる言葉に、俺は背後から何かで突かれた様な感覚を覚える。
「物分かりは良い様だな。ライドが信頼するのも頷ける……して、我の言葉を何と捉える?」
「兵器が、武器が、そして技術が命を奪う訳じゃ無い。あの言葉の意味が、今やっと理解できた気がする……肝心なのは在り方、そして其れを向ける先」
「……忠臣よ確かに、お前の言う通り、平和な世界に卓越した剣術、弓術、槍術、何かを奪う術として有する必要は無い。だが平和を築く迄、そして其れを守る為には、時としてその技術は必要となる」
「まさか、其れを持っているかを確認する為にこんな真似を?」
顔一面に表れる笑み、その表情に当初見せた不気味さは無く、何処か無邪気さすら感じさせる。
「唯の戯れだ。しかし、忠臣よ忘れるな……この国が平和になったとて、全ての国が、世界が平和だと思うなよ?」
「何が言いたい?」
「力無き者は得る事も、守る事も能わない……今のお前には必要のない言葉かもしれないがな」
得る事も、守る事も……。
そうだ、しかし力を、同志を得た今、次は必ず守らなければならない。
いや、今ならきっと成し遂げられるだろう。
杞憂は要らないだろう。
――――――