月の下の彼女
聞き慣れたメロディとともに、自動ドアが開く。
「いらっしゃいませー」
だるそうな店員の声。もう24時を回った頃だ、疲れているのだろう。
透と珠緒はコンビニにいた。
珠緒はコンビニに入るなり、スイーツコーナーに急いだ。あれからしばらくして、珠緒が「甘いものを食べたい!」と言い出したため、ついでに夜食を買いに来たのだ。
「でももっと近くのコンビニで良かったんじゃないか? わざわざ遠いとこ来なくても」
「違うのよ、ファ〇マでしか売ってないのこのザクザクプリンは!」
随分と人間社会に溶け込んでいる珠緒であった。
「あれ、……雨宮? ……と、猫屋敷さん!?」
と、透たちに声をかけたのは、弥生だった。
「ちょっとちょっとちょっと~!」
コンビニを出た後。弥生はシュークリームを片手に、わざとらしくにやにやしている。
「雨宮と猫屋敷さんってどういう組合せ? もしかしてそういう関係ですかぁー?」
「いや、ちが……」
と言いかけて、透は言葉に詰まった。
そういう関係。傍目から見ればそう見えるだろう。
「た、たまたま会っただけ!」
珠緒が答えた。透はほっとするとともに、少し寂しい気持ちになった。
「ふーん? 雨宮くんもスミにおけませんなぁ」
弥生はにやにやをとめると、珠緒に視線を向ける。
そして。
「にゃ!?」
珠緒を抱きしめた。
「おーい、セクハラだぞ」
「違いますー、委員長権限ですぅ」
珠緒が視線で助けを求めるが、透は目をそらした。
「はーごめんね、猫屋敷さん。私今日疲れたのー、癒し成分補給させて」
結局珠緒が解放されたのは二分後であった。
「猫屋敷さんいい匂いだよね! シャンプー何使ってるの?」
「え、えとメリ〇ト……」
「そうなんだ! 私も使ってみようかな~」
「ってか、綾部はどうしてこんな時間にコンビニ?」
透の質問に、弥生は分かりやすく「ぎくり」と肩を震わせた。
「んん!? ななな何で私!?」
「いや、気になっただけだけど?」
「ううーん……」
弥生は腕を組んでしばらく考えた後、
「ダイエットかな!?」
「そんな訳ないだろ! 分かりやすい嘘を吐くな!」
透のツッコミに、
「んー、違う! ちょっと今日色々あったから、明日からがんばろーって甘いもの食べに来ただけ!」
確実に何か隠している様子だが、深堀しても言ってくれないだろう。弥生はこう見えて口が堅い。
「シュークリーム二つも食ったら太るぞ」
「違うし! もう一つはさつ……、んんっ! んげほ!」
透の悪態に、弥生は何か言いかけて必死に誤魔化し、
「わ、私もう行くね! シュークリームとけちゃうから! じゃ!」
風のように去っていった。
「……何だったのかしら」
珠緒が呆然と弥生が去っていった方角を見る。
「……あ」
透はここで思い出した。弥生が今日の出来事をどこまで覚えているのかを、訊き損ねたと。
#
夜中。
目が覚めた透は、スマートフォンに手を伸ばした。
「まぶし!」
目を細めて、時間を確認する。
午前三時。
「中途半端に起きちゃったなあ」
布団から起き上がる。隣で寝ていた三毛猫が迷惑そうに身体をよじった。
「ごめんごめん」
三毛猫の背中をなでながら、周りを見回す。
四畳ほどの和室。透が使う布団と彼の荷物しか置いていない、殺風景な部屋だ。
窓から見える三日月を眺めながら、今日の出来事を振り返る。
今日一日、色々なことがありすぎた。
弥生と神社へ行った。
神社で妖怪に襲われ、珠緒に助けられた。
珠緒は人間ではなく、猫の妖怪だった。
躑躅の背に乗って、空を飛んだ。
珠緒に結界の使い方を教えてもらった。
コンビニで弥生に会った。何か様子がおかしかった。
そして今、珠緒の家「猫屋敷」にいる。
「……あれ?」
と、ここで透は重大な事実に気づいた。
もしかして今は、半ば同棲のような状態なのではないか。
それに、自分らしくもないと思った。
珠緒は命の恩人だ。彼女の力になりたい。だが、家に泊まるのはやり過ぎではないか。
同じクラスのため何度か顔を合わせたこともある。その時は特に何も思わなかったのに。
――なぜ、こんなにも珠緒のことを愛おしく思うのだろうか。
「……水飲もう」
透は思考を中断し、台所へ向かった。猫たちも大半が寝ているのだろうか、廊下には夕方と比べて猫の数が少ない。
食器棚からコップを取り出して水道水を入れる。
水を一気飲みして、部屋に戻ろうとして。
「……?」
かすかに、水音が聞こえた。お風呂場だろうか。
最後に風呂に入ったのは透だ。蛇口を締め切れていなかったのだろうか。
透は洗面所へと足を運ぶ。
夜目に慣れたからだろう、電気をつけなくても問題はなかった。洗面所と風呂場を隔てる扉の奥から、水滴が落ちる音が今度ははっきりと聞こえた。
浴室の引き戸を引く。
そこには。
一人の女の子がいた。湯船の中で立っている。
腰まである色素の薄い髪、小柄で華奢な身体。
珠緒だ。
出窓のブラインドから差す月の光が、彼女の肢体を照らす。
濡れた長い髪が細い身体に張り付き、どこか扇情的だ。
逆光により暗い表情の中で、黄金の瞳が妖しく輝く。
「……」
不思議と透の心の中は、酷く落ち着いていた。
そして冷静に、ただ一つ思ったことは。
――綺麗だ。
珠緒の表情はどこか物憂げで、儚く感じられる。
透は暫く、彼女の肢体に見惚れていた。
だが。
「はっ!」
珠緒の顔がみるみるうちに赤く染まっていくのを見て、正気を取り戻した。
「た、タマ、その、電気ついてなかったから……」
「……にゃ、にゃに見てんのよーーー!」
「ごめんなさい!」
扉を勢いよく閉めた瞬間、シャンプーやコンディショナーが投げられて扉越しにぶち当たった。