結界
夜。
手持ち無沙汰となった透は、テレビをつけた。
珠緒は今お風呂に入っている。お風呂から出たら、護身術について教えてくれるそうだ。
テレビでは恋愛ドラマが流れていた。他に見たい番組もなかったため、そのままドラマを観る。
透は恋愛ドラマが好きではない。流行りの俳優が歯の浮くようなセリフをしゃべるところが、現実味がなさすぎて苦手なのだ。もちろん、創作なのは分かっているが。
「……そういえば綾部は、恋愛ドラマ好きだったな……」
恋愛の「れ」の字もない弥生だが、意外と女の子っぽいところがあるのだ。少女漫画雑誌を購読しているらしいし、彼女の爪はいつでも綺麗に整えられている。
「綾部大丈夫だったかな……」
珠緒が妖怪であることは、口外してはいけないだろう。だが、弥生なら「そうなんだ! 猫屋敷さんかわいいもんね! よくわかんないけど妖怪ってすごいね!」とか言ってあっさり受け入れそうではありそうだが。
しばらくして、風呂から上がった珠緒が姿を現した。
「何見てるの?」
「ドラマ」
「ふーん」
見ると、珠緒は腕を組んでドラマを眺めている。
だが。
(やばい、雰囲気からしてこれからラブシーンはじまりそうだ!)
しっとりとしたBGM。向き合う男女。
明らかに入る。確実に入る。
さすがに恋愛関係にないクラスメイトの女子と観るのは厳しい。チャンネルを変えようと、リモコンに手を伸ばしたとき。
「――っ!?」
遅かった。男女の唇が重なり、キスをしてしまった。
「と、透、こんなのが好きなの!?」
珠緒を見ると、顔がポストのように真っ赤に染まっていた。開いた口が塞がらない、とばかりにわなわな震えている。
「ちが、誤解!」
「ゴカイ!? 何で今釣りの話をするのよ!」
「何でその用語は知ってるんだよ!? てか違うし!」
「ま、まあいいわ。不健全な透もまた透だからね。さあ、行くわよ」
「お、おう」
なんだかよく分からない理由で許された。
テレビを消し、廊下を闊歩する猫を避けながら、珠緒の後をついて行く。
珠緒からはナチュラルフローラルな香りがした。確実にメ〇ットである。妖怪もシャンプー使うんだな、と珠緒の存在を身近に感じた。
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猫屋敷を出て、林の奥へ歩を進める。
もちろん街灯などない。頼りとなるのは、背の高い木々の間から差し込む月明かりだけだ。
五分ほどだろうか。しばらく歩くと、木の生えていない開けた場所に出た。
直径十メートルくらいの円形の空間。周りを木々に囲まれているため、不思議な雰囲気を醸し出している。
珠緒は巫女服の袂から紙を二枚取り出した。うち一枚を透に手渡す。
「和紙?」
手のひらサイズの白い和紙に、黒で文字が書かれている。字が崩れており、何と書いてあるのかは分からない。
「これは御札よ。術式を唱えて使うと結界が発生するの」
「……御札って初めて見た」
「今からわたしが使うわ。そうね、端の方まで下がってくれる?」
「ああ」
透が木の真ん前まで下がったのを確認して、
「御札に自分の血を流す。そうすると、結界が発動するわ」
珠緒が親指を噛み、溢れた血を御札に垂らした。
瞬間、御札を中心に淡い光が生まれる。
「なんだこれ!」
あっという間に、珠緒の半径一メートルが光に包まれた。
「これが結界。石でも投げてみなさい。当たらないわよ」
いくら大丈夫といえども、珠緒に石を投げるなんてできない。戸惑う透に、珠緒が苛立ったように、
「大丈夫よ!」
透はしばしの逡巡の後、手近にあった石を拾い珠緒に投げた。
石は綺麗な弧を描き、珠緒へ飛んでいく。
だが。
珠緒へ向かった石は、まるで壁に当たったかのように跳ね返った。
光に包まれた部分が結界ということか。
「こっちに来なさい」
珠緒の傍へ歩く。光の中に入った途端、体が言いようのない浮遊感に包まれたのを感じた。
「結界には、自分が許した者だけは出入りできるのよ」
「便利だな……」
透たちを包む光が、次第に失われていった。
「大体二分くらいで結界が解けるのよ。……もう終わりよ」
珠緒の言葉に、透は目を丸くする。
「護身術っていうから、なんか特訓とかすると思ってた」
珠緒が透に向き直る。彼女の表情は、いつになく真剣だった。黄金の瞳が妖しく光っている。
「ダメ、透に危ないことはさせないわ。透に戦う術なんて教えない。だって人間は死んじゃうもの」
「でも」
「もう終わり! 早く帰るわよ」
透の言葉を遮って、珠緒は猫屋敷へと歩いて行った。
速足の後ろ姿を眺め、透はぽつりと呟いた。
「でも、妖怪だって、死ぬんじゃないかよ」