四ツ橋の少女
「おはようございます」
「きゃあああ!?」
目を覚ました弥生は、自分を覗き込む顔に悲鳴をあげた。勢いよく起き上がり、額と額をぶつけ、布団から這い出て壁まで逃げる。
「痛ーっ! 何、誰!?」
「ご挨拶が遅くなってしまい申し訳ございません」
弥生を覗き込んでいた少女は慌てる弥生に構わず、その場に正座した。痛そうに額を抑えている。
「わたくしは四ツ橋小月と申します。本日より弥生様のお世話係となりました。未熟な身ではありますが、どうぞよろしくお願いいたします」
「よ、よろしく……?」
その顔立ちは幼い。13、14歳くらいか。
「って、朝!?」
壁掛け時計は10:20を示している。
「寝坊じゃん!!」
「いえ、夜の10時です」
「そうなの!?」
スマートフォンの電源ボタンを押す。小月の言う通り、22:20と表示されている。
「良かった……。っていうか、私寝ていたの? 神社にいた気がするんだけど……」
「夕方、弥生様のご友人が寝ている弥生様を連れていらっしゃいました」
「うーん、雨宮かな……、なんで私寝てたんだろ」
今すぐ透に電話をしたいところであるが、目の前には小月がいる。今優先すべきなのは小月との話だろう。
弥生は息を吐くと小月に向き直る。
「突然ですが。弥生様は妖怪をご存知でしょうか」
「あ、あのぬりかべとか一反木綿とかぬらりひょんとか……、そういうののこと?」
アニメや漫画で見たことがある。
「はい、そのような認識で結構です。綾部家は先祖代々から続く妖怪祓いの一族です。大造様が第16代当主であり、弥生様はその跡継ぎでございます。そして本日より」
「待って待って! ちょっと待って!」
現実的でない単語が多すぎて、何を言っているかが分からない。
「はい」
小月は頷いて、喋るのをやめた。
(私の家が妖怪祓いの一族? 何それ、どこの漫画?)
だが、今目の前にいる女の子が嘘を吐いているようには思えない。
「……それから」
「喋り出した!? なんで!?」
「『ちょっと待って』とおっしゃいましたので、ちょっと待ちました」
バカ真面目なのかボケているのかが分からない。弥生は頭を抱えた。
「とりあえず、お父さんと話したいんだけど」
「大造様とですか。申し訳ございませんが、それはできません。大造様直々に『弥生様用フローチャート』が作られていますので、その通りに動こうと考えています」
「何それ!」
小月が一枚の紙を見せた。弥生が取ろうとするが、ひょいと避ける。
「まずは、実際に妖怪退治をしているところを見ていただきます」
「ええー……」
「お召し物はこちらに用意してあります」
見ると、弥生の私服が畳んで枕元に置いてあった。
「部屋の外で待っています。では」
「ま、待って」
機械的に話し、出て行こうとする小月。弥生は思わず呼び止めた。
小月が振り返り、弥生の目をじっと見つめる。
「どういたしましたか?」
しばしの静寂。
「や、ごめん、なんでもない」
「承知いたしました」
今度こそ小月は、ふすまの向こうへ姿を消した。
綺麗に畳まれた私服を広げながら、弥生は一人ごちる。
「……なんなんだろう」
この外堀を埋められていく感覚は、弥生にとって良いものではなかった。それに、四ツ橋小月という少女。何を考えているのだろうか。人間味を感じられない、あの態度はわざとなのだろうか。
それに。
覚えている最後の記憶は、クラスメイトの猫屋敷珠緒を尾行し、神社に行ったところだ。
確か神社で何かに遭遇したような。透が何か怒鳴っていたような。
「とりあえず今は、このよく分かんない状況だよね」
あまり長いこと待たせるのも悪い。弥生は思考を中断し、私服に着替え始めた。
#
着替え終わった弥生は、部屋の前にいた小月に声をかけた。
「お待たせ」
「それでは、参りましょう」
小月が立ち上がる。見ると、小月のスカートのベルトには鞘に入った日本刀が。
「……日本刀?」
「はい」
それがどうした、というように真顔を崩さない小月。
「……どこに行くの?」
「西の方角から、嫌な気配がします。わたくしの後についてきてください」
「気配」ときた。もうファンタジーだなぁ、と呑気に思っていた弥生であった。
住宅街を二、三分歩いた頃。
「!?」
弥生は、自身の背筋が冷たくなったのを感じた。
なんてことないただの住宅街なのに、何か言いようのない違和感がある。
「弥生様も気づきましたね。……見てください」
電灯が寿命なのか、チカチカと不定期に点いたり消えたりを繰り返している。奥の街灯はもはや点いていない。暗闇に隠されたゴミ置き場には、カラスに食い散らかされたゴミがそのままになっている。
「このように、人気を失い、かつ人の負のエネルギーのある場所には湧きやすいのです。あそこですね」
小月の指さした先を見て、弥生は息を呑んだ。
誰かが立っている。一見人のようだが、よく見たらおかしい。
やけに頭が大きいのだ。
じっと見つめる。見てはいけないものだとしても、目が離せなかった。
「……あ」
目が合った。
瞬間。
「それ」はこちらへ走り出した。
怖い。恐怖で足がすくみ、逃げられない。
弥生をかばうように小月が一歩踏み出した。同時に、腰から日本刀を抜く。
そして、こちらに迫った「それ」に日本刀を振るう。
「――」
声にならない悲鳴をあげて、首と胴体が真っ二つになり倒れ伏した。
切断面から、どくどくと赤黒い血が流れる。
「弥生様」
見ると、小月の横顔には返り血がついていた。それに構わず、
「見ていてください、今息の根を止めます」
小月が日本刀を「それ」の頭に突き刺した瞬間。
断末魔の悲鳴とともに、姿が消えた。
「このように、殺したらその痕跡ごと消えます」
確かに、小月の頬についていた血もなくなっていた。
「今の、私たちを襲おうとしてたんだよね」
小月は頷いた。「ええ、そうです」
「わたくしたちは、あのような、人に危害を為す妖怪を退治します。弥生様にも、同じように妖怪を退治していただきたいのです」
小月は血の消えた日本刀を鞘にしまう。
「今日はこれまでにしましょう。申し訳ないですが、しばらく学校は休んでいただきます」
実際に見てしまったからには、もう信じざるを得ない。現にまだ、弥生の体は震えていた。
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「申し訳ございません」
帰路の途中、小月がぽつりと漏らした。
「言い訳になってしまいますが……、わたくし、同世代の女性と話したことが少ないのです。わたくしの態度が弥生様を不快にさせてしまったでしょう」
弥生は、ここで自分が大きな勘違いをしていたことに気づいた。
四ツ橋小月という少女は、決して感情のないロボットではないのだ。馬鹿みたいな真面目さも、すべて彼女が本気であるからこそだったのだと。
寂しげな小月に思わず、
「それは違う! 私は突然妖怪がうんたら言われて戸惑っているだけ! 態度が悪いとかそんなの思ってない」
「弥生様……」
小月の瞳が弥生を捉える。
「まだ分からないことは多いけど、あんなところまで見せられたら信じるしかないじゃん。だから、これからもご指導ご鞭撻よろしくお願いします!」
弥生は半ばやけくそ気味に答え、小月の腕を掴んだ。
「さ、早く帰ろう、小月!」
その言葉に小月は頬を緩ませた。
「はい!」