上空にて
「ちゃんと来たわね!」
神社に戻るなり、仁王立ちをした珠緒に迎えられた。
「ついてきなさい」
透が頷くと、珠緒は歩き始める。
本殿の裏に回った。
後ろから見た本殿は不気味だった。辺りには所狭しと木が生えている。神社を囲むように林があるのだ。
歩くこと二分。木々の間に小さな家が建っていた。
「猫屋敷」
と、珠緒が言った。
「え?」
「わたしの住まい、通称・猫屋敷よ」
「猫がいっぱいいたりするのか?」
「けっこう住みついてるわね」
驚いた。名の通り「猫屋敷」だ。
「猫神様が猫屋敷の気配を消してくださっているのよ! 普通の人間は近づくことさえできないし、強盗とかの心配はないわ。まぁ、神社の方も参拝客全然来ないけどね!」
珠緒が得意げに透に笑いかける。嬉しそうにしている珠緒は可愛いが、参拝客が来ないのは非常事態ではないのだろうか。
「猫屋敷」は、昔の平屋建ての日本家屋のような外観をしていた。
引き戸を引いて、透は息を呑んだ。
――妖怪の家に、ファ〇リーズが置いてある。実家に帰ったような安心感があった。
それよりも目を引くのは、いたる所をうろつく猫だろう。三毛、トラ、ペルシャ……、色々な種類の猫がいる。
「猫を踏まないようにね」
「分かった。おじゃましまーす」
靴を脱ぎ、猫を避けながら珠緒について行く。
珠緒は一部屋一部屋を軽く説明していった。
全ての部屋の説明が終わり、珠緒と透は居間のテーブルに座った。珠緒がコップに麦茶を注ぐ。
「ほら、お茶よ」
「ありがとう」
「まあ、妖怪に関わるんだったら、自分の命は自分で守らないといけないわ。そうね……、用意とかあるから夜になったら護身術を教えてあげるわ」
「分かった!」
スマートフォンを取り出し、親に「今日遅くなる」とメッセージを打ったところで。
珠緒の何気ない一言が透を凍りつかせた。
「夜遅くなっちゃうわね。今日泊まっていく?」
スマートフォンが手から落ちて、音を立てる。だがそれに構わずに、
「い、今なんて?」
「今日泊まって行かないかって聞いたのよ」
「……」
動きを止めた透に、怪訝そうな表情の珠緒。
今日初めて話したクラスメイトそれも異性の家に泊まる。一歩どころか十歩ほど進んだ気分である。
透は辺りを見回す。自分はドッキリを仕掛けられているのではないか。どこかにカメラとドッキリ大成功のプラカードがあるのでは――。
なかった。
「どうしたの?」
「……あの、何卒、よろしくお願いします……」
声を振り絞る透を、
「あっ、でも猫屋敷に男物の下着なんてないわね。やっぱり帰りなさい」
珠緒が無慈悲に蹴落とした。
「いや大丈夫だから! 下着くらい変えなくても大丈夫だから!」
「ちょ、ちょっと裏声になっているわよ。何焦ってるのよ。それに汚いでしょ!?」
「…………はい」
透の落胆ぶりを可哀想に思ったのか、引いたのか、珠緒は大きくため息を吐いた。
「いいわよ、こうしましょう。わたしは今から夕飯の準備をする。その間に雨宮は家に荷物を取りに行きなさい」
「タマ……!」
透の顔がパッと明るくなる。珠緒は「うっ」とたじろいだ。
「いいから、早く行ってきなさい。くれぐれも気をつけるのよ」
「ああ!」
透は席を立ち、忙しなく部屋を出て行った。廊下から「ふしゃー!」「ああっごめん!」と聞こえてくる。
珠緒はお茶を一口飲んで、
「……まったく、騒がしいわね」
そう言った珠緒は、言葉とは裏腹に笑顔を浮かべていた。
#
荷物を取って神社に戻った透を迎えたのは、珠緒ともう一人、いや、一匹であった。
「な、妖怪!?」
驚く透。無理もない。これまた大きい――体調三メートルはあるだろう――妖怪がいたのだ。
「怖がる必要はないわ。わたしの友達の躑躅よ」
まんま大きい猫であった。珠緒は躑躅の頬を撫でた。
躑躅は顔を珠緒に擦り付ける。珠緒は嬉しそうに身をよじった。「もう、やめてよー」
微笑ましい光景であった。
ひとしきりじゃれあった後、次に躑躅は大きな鼻を透に向けた。
「なっ、なんだ!?」
「大丈夫よ。どんな人間なのか調べているのよ」
生温かい鼻息が顔にかかる。髭が刺さってチクチクする。細かな息遣いに、どこか愛おしさを感じる。
しばらくの間、透は躑躅になすがままにされていた。
「……」
何分経っただろうか、躑躅から解放された透に、珠緒が聞く。
「ね、雨宮って飛行機に乗ったことある?」
唐突な質問に、透は戸惑いながらも答える。
「小さいころに乗ったことはあるけど、覚えてないな」
「躑躅の背に乗ってみない? わたしは飛行機に乗ったことはないけど、躑躅の背に乗るのはとっても楽しいの!」
嬉しそうに提案する珠緒。呼応するように躑躅が尻尾を揺らす。人間の言葉を分かるかどうかは分からないが、嫌がっているようには見えなかった。
「乗ってみたい、かも」
「そうこなくっちゃね!」
珠緒が流れるように躑躅の背に飛び乗った。そして、手を透に向かって伸ばす。
「ほら、透、来なさい!」
「……」
今、名字でなく名前で呼ばれたのでは。少しの嬉しさと女の子に引っ張り上げられる情けなさを抱えながらも手を握ると、珠緒は片手で透を引っ張りあげた。
こんな小さな事で、珠緒が人間ではなく妖怪だと身に染みて味わう。
そんな透の気持ちを知ってか知らずか、躑躅は地面を蹴って飛び上がった。
強い浮遊感を覚えつつ、下を見る。
神社が、家が、小さく見えた。
――落ちたら、確実に死ぬ!
躑躅の毛をぎゅっと掴む。痛かったらごめん、と心の中で謝った。
そんな透の心中を知ってか知らずか、躑躅の空を飛ぶ速さが遅くなった。人間が歩くようなスピードで滑空する。
ほぼ水平な体勢となったため、落ちる心配はなくなった。だが、透の両手は躑躅の毛を掴んだままだ。
「怖いの?」
珠緒がからかうように聞いてくる。
確実に馬鹿にされる。だが、もうバレているだろう。透は小さく頷いた。
珠緒の反応は、予想とは異なっていた。
「!」
右手に、温かいもの――珠緒の手が被せられた。そのまま強引な手つきで、手が繋がられる。
「震えてるじゃないの」
悪戯っ子のように、珠緒が笑う。
そんな珠緒の笑みは優しく、繋がれた手は温かい。透は、自分が上空にいることも忘れて彼女の体温を感じていた。
「ほら、下を見てみなさい。手を握っているんだから落ちないわよ」
恐る恐る、下を見る。
相変わらず眼下に広がる街並みがある。だが、
「綺麗だな」
思わず口を吐いて出た言葉。
街の明かりは人工的な光である。だとしても綺麗なことに変わりはない。
「そうでしょ」
二人はしばらくの間、手を繋いだまま、躑躅の飛行に身を任せていた。