研究者の娘 3
レティの世界はディーネと両親だけである。
旅の途中ですれ違う人とはほとんど話さない。
秘境で出会う魚や鳥と遊んでもすぐにお別れ。
最近は隣人のおじさんとクロードという登場人物が増えた。
ポカポカ陽気に眠気に誘われ、木の上でぐっすりとレティが眠っていると木の下に少年が近づく。
「レティ、起きて。食事は?」
「こんにちは。もうそんな時間?おじさんは?」
「父さんは仕事」
「寂しいね。一緒にご飯を食べようか」
レティの両親は研究に夢中で一緒に過ごせなくてもディーネがいるから寂しくない。
レティには父親と二人暮らしのクロードがいつも一人ぼっちに見えていた。木からピョンと降り、父特製の無限に物が入る四次元バックから敷布を探す。
「うちに行こう」
レティはクロードの誘いに頷き、敷き布を探すのをやめて手を繋いでクロードの家を目指す。
初めて入るクロードの家にはレティにとって見たことのない物に溢れていた。
「クロードの家は不思議なものばかり」
クロードは驚いているレティの家の方が不思議とは口に出さない。
クロードは干し肉と回復薬が主食のレティのために食事の用意を始める。
鍋を火にかけ、スープを温める様子をレティは不思議そうに眺める。
フライパンに卵を落とすと、透明なドレスに包まれた真ん丸の月が色を変えていく。目を大きく開けて見ているレティにクロードは笑う。
スープと目玉焼き、パンと牛乳を机に並べたクロードはレティに椅子をすすめる。
レティは迷宮で玉座を見たことがあるため椅子は知っているのでコクンと頷き座る。
「食べようか」
「これはなに?」
レティはフォークを持って首を傾げる。
レティの家にあるのはは種類豊富なスプーンと箸と棒とナイフ。もちろん食器もない。
クロードはフォークの使い方を教えると真剣な顔で頷き真似をする。
「クロードは物知りだね」
「スープはスプーンで食べて。熱いから気をつけて」
「スープ?これ?冷まさなくていいの?」
「火傷しないように気をつけて食べればいいんだよ」
「調合とは違うんだね。調合は分量と温度変化が鍵だもの。これは見たことあるよ。獣をおびき寄せる草でしょ?」
「野菜も知らないんだね……」
クロードは狩りが得意なのに何も知らないレティに苦笑する。
丁寧に料理と食材の説明をしているといつの間にか食事は冷めていた。ディーネが悲しそうにレティを眺める。両親の難しい話が苦手なレティは名前を知らない。食に無頓着な両親に育てられたレティが認識している食べ物は干し肉だけである。
扉が開き、帰ってきたロンドがおやつの時間に食事をしている二人に笑う。
「ただいま。今頃食事か。レティ、来てたのか」
「おじさん、こんにちは」
「丁度いいものがあるんだ。口を開けなさい」
ロンドはレティの口に採れたての巣密を入れた。
レティは口の中に広がる甘みに目が輝く。
「甘い!!不思議!!サクッ、ベチョってする!!凄い!!これが母さん達が研究する未知のもの!?」
はしゃぐレティにロンドは笑う。
「市場には出ないがすでに世に出回っているものだ」
「世の中は不思議がたくさんね。おじさん、お代は魔石でいい?」
「お代はいらないよ。子供が気にしないでいい」
クロードは何も知らない細い体のレティが心配だった。
「父さん、これからレティもうちで食事をさせていい?レティの主食、干し肉なんだけど」
「は?」
「干し肉ならたくさんあるから分けてあげるよ。鹿と兎と熊と」
「レティ、肉には干し肉以外の食べ方があるんだよ」
「え?」
きょとんと首を傾げるレティにロンドが頷く。5歳児にしては小さいレティを心配する気持ちは息子と同じ。
「そうだな。レティ、これからはうちで食事をしようか。ご両親は」
「父さんと母さんは研究中だから何も聞こえないよ」
クロードとロンドは二人で顔を見合わせる。
隣に家が建ち、一月経ってもレティの両親を外で見かけることはない。
クロードもフォンと一度会っただけである。
ロンドに娘が一人増えた日だった。
そしてレティの両親は自由な妻によく似た子供の様な大人と知り、世話をやきはじめる。
レティは非常識な人間に慣れているロンドとクロードのおかげで常識を覚えていく。
常識あるロンドとクロードの存在に一番ほっとしたのはディーネである。
***
レティにとって話しかけると視線が向けられ必ず答えが返ってくるのはディーネだけである。水の精霊が擬態している魚や水鳥は気まぐれ。両親は研究してない時だけ。
昼食と夕食にクロードの家に招かれるようになってから、人と話すことを覚えた。
「クロード、おじさん」
「どうしたの?」
「ううん。呼んだだけ」
ニコッと笑うレティにクロードが笑う。
「また研究か。寝る前に送ってあげるからうちにいなよ」
「ディーネと一緒だから大丈夫だよ。おじさん、明日は雨が降るよ」
「そうか。レティの天気予報はいつも当たるから助かるよ」
ロンドがレティの頭を優しく撫でる。
レティには頭を撫でてくれる好きな手がもう一つ増えた。
そしてレティはクロード達から魔法を使わない生活を教わる。
難しくない言葉でずっと傍で教えてくれるクロードとロンドのおかげでレティは温もりと人と生きることを覚え始める。
レティはリアンが作ってくれたローブを着て駆け出した。庭で野菜の世話をしているクロードを見つけてニッコリ笑う。
「クロード、見て!!新しいローブ!!」
「前のローブが小さくなったんだね。身長抜かされた……」
「お魚さんに踊りを教えてもらったの!!クロードも踊ろう!!」
ショックを受けているクロードの手を握ってレティはくるくると回る。
クロードはレティの細い腕を振り払わずに引っ張られるまま合わせて踊る。
「ちょうちょさんだ!!ちょうちょさんはクロードが好きだね」
二人の周りを飛ぶ蝶にニコッとレティが笑い、歌い始める。
「レティ、待って!!歌はやめて!!今、雨が降ったら困るから。おやつにしようよ」
クロードはレティが水の精霊の歌を歌うと必ず雨が降るのに気づき、ロンドがずぶ濡れにならないように遮った。
「おやつ!!うん!!」
レティは踊るのをやめて、クロードに手を引かれて家の中に入る。
出かける前にロンドが用意したおやつを食べながら、柱に刻んだ身長差を悔しそうに眺めているクロードを見て呟く。
「身長って伸びるんだね。ずっと小さいままだと思ってたから嬉しい」
「干し肉と薬だけだと身長は伸びないよ。生きる上できちんと栄養を取らないと」
「栄養?」
「栄養って言うのは――――」
養蜂一家により食生活が改善され、3歳からほとんど伸びなかったレティの身長がぐんぐんと伸び始める。
ようやくレティは両親の生活が体に悪く研究が生きる糧でも研究だけでは生きられないと知る。
「ごちそうさま!!帰るね!!急がなきゃ!!」
レティは両親の部屋に駆け込んだ。
フォンもリアンも草を凝視しておりレティには気付かない。レティは思いっきり息を吸って大きな声を出す。
「母さん、父さん、研究やめて。食事して!!」
「あとで食べるよ」
「お昼も食べてないもの。水浸しになりたくなければ」
「わかったよ!!食べるから、その水はやめて」
レティは部屋を水浸しにすると脅し両親に食事をさせることを覚えた。
クロードに家事を教わり、ロンドに教育を受け、両親の世話をしながらたくましく成長していく。