養蜂家の息子 2
地の精霊ノームを信仰する辺境の村の外れに森がある。
森には危険な魔物や獣が住んでいるため決して村人は近づかない。
そんな危険な森の前には3年前から変わった一家が住んでいる。
大柄な体と小さい漆黒の瞳を持ち熊男と呼ばれるロンド。
養蜂家の両親を流行り病で亡くしてからは蜂を家族のように可愛がり、養蜂の虜になった変わった青年である。
変わった青年に恋をしたのが旅人のシーラ。
大柄な体で小さい蜂をつぶらな瞳で見つめながら、美味しそうなお弁当を食べる姿に一目惚れし、分けてもらったロンドの料理に胃袋を掴まれ熱烈に求婚した蜂蜜色の髪と金の瞳を持つ美女である。
危険な森の前に住むのは村で一番変わっている夫婦である。
変わっている夫婦もかつては村に住んでいた。
村には言い伝えがある。
精霊に愛された者は地、火、風、水のうち一つの属性を持つ。
辺境の村を統治する領主は地属性を持つ一族。
地の精霊に愛された土地では地の精霊の祝福を受けた子が生まれると花々が咲き誇る。
シーラが息子を生んだ日に村の花が満開になり地の精霊の祝福を受けたと村人達は盛り上がった。
「地の精霊の祝福だ!!」
「今年は豊作だ!!」
「シーラは風使いだろう?もしかして…」
「ロンドじゃ満足させられねぇか。俺もシーラなら喜んで相手を」
「相手は誰だろうな。若長か?」
地の精霊の祝福を受けるのは地属性の者のみ。
村では魔力は遺伝と言われており魔力を持たないロンドと風属性のシーラから生まれた地の精霊の祝福を受けたクロードをロンド以外は父親を疑っていた。
「私の一族は精霊に愛されているもの。精霊に祝福されるのは当然よ。無知は罪、彼らには関係ないか」
シーラは村人に魔法について教えない。
両親に魔力がなくても魔力持ちは生まれる。
精霊に気に入られる者に魔力は宿るとも言われている。
魔法についてはいまだに解明されてないことが多く、どれも憶測の世界の話である。
精霊魔法が主流のフラン王国では精霊は気まぐれと学のある者は教えられる。辺境の村ではシーラとクロードしか知らない。
自由を愛する冒険者として世界を飛び回るシーラ。一ヶ所にとどまらず頻繁に出かけるシーラはロンド以外の村人とは交流せず、村の行事にも参加しない。
村人はシーラの自由奔放さを受け入れられないが、ロンドだけは違っていた。
「シーラ、おかえり。怪我はないか?」
「もちろん!!私は強いもの!!ロンドのご飯が恋しくて帰ってきたの!!」
全力で好意を表現する嘘をつかないシーラ。ロンドは蜜蜂のようなシーラを愛していた。
ロンドは冒険から帰るとロンドの料理を食べながら楽しそうに話をする妻との時間を気に入っていた。留守は多くても養蜂に夢中なロンドは寂しさを覚えることはなかった。
夫婦は寄り添いずっと共にいるものという村の夫婦の概念とは違った夫婦関係を築いていた。
ロンドはクロードに大人達からの嫌な言葉を聞かせないため村から離れた場所に家を建てた。
クロードの父親をロンドではないと言った大人は実はシーラに制裁を受けている。
家には防衛魔法がかけられており、邪な者が近づけないことはシーラしか知らない。
クロードが歩き始めた頃にシーラの冒険が再開した。
「久しぶり!!クロード、大きくなったわね。訓練はきちんとしている?」
「おかえり。きちんとしているよ」
「お土産の新しい魔道書よ」
「シーラ、おかえり。何日いるんだ?」
「一週間。ロンドの料理が恋しくて。色々食べるけどロンドの料理が一番!!材料をたくさん持ってきたから、作って!!」
ロンドは子供を産んでも美しい容姿のまま、無邪気な子供のように笑うシーラのために料理を作り始める。
器用で凝り性のロンドは熊のような外見と反して繊細な料理が得意である。
お土産の魔導書を片付けたクロードは父の料理を手伝う。シーラはロンドの淹れたお茶をうっとりと飲みながら男達を眺める。
「クロードは私に似て美人に育つわ。美しい容姿は争いを生むのよ。だからきちんと力をつけなさい。自由に生きるために必要なのは力よ。力だけは絶対に裏切らないから」
「またどこかの国のお姫様を助けたの?」
「ううん。美女に追いかけられる青年を助けたのよ。私は自由を愛する風の一族。それでもモラルを守らないものは嫌いなの」
「シーラ。人助けはいいがあまり危険なことは」
心配そうなロンドと呆れた顔のクロードにシーラはパチンとウインクをする。
「強いから大丈夫よ。私は世界最高峰といわれるフラン王国の王宮魔導士にも負けない。私が負けるのはロンドだけ。貴方の料理を人質にされたら降伏するわ」
「私の料理よりも自分の命を大事にしてくれ」
「命よりも大事なものがあるのよ。クロードも冒険したい?」
クロードは走り回るよりも植物を観察するのが好きである。
物理で解決を好む母に攻撃され再起不能にされた相手に同情する優しく穏やかな性格である。シーラの常識がズレているのを理解している早熟な子供は首を横に振る。
「冒険よりも植物を育てるほうがいい」
「そう?冒険に行きたくなればいつでも連れてってあげるよ。男の子は冒険が好きと思ってたけど違うのね」
「私はドラゴン退治はしたくない」
「ドラゴンはそんなに強くないよ。今度は種でも集めてこようかな。クロード、もしも王都に行くことがあればこの腕輪をつけてね。貴方の美しい瞳は人を魅了するのよ。えらい人と会う時もよ。約束よ」
「王都になんて行かないよ」
「人生は何があるかわからないものよ」
クロードは自由気ままな母の数少ない約束に頷く。
自分が容姿が優れているかはわからない。
村に行くと目がギラギラした大人に囲まれ、ベタベタと体を触られるのは容姿の所為だと教わっていた。
またシーラの容姿に惹かれて追いかけてきた男との決闘を聞いてからは気をつけたほうがいいと認識する。
争いが嫌いなクロードはシーラの性格とは正反対である。
母親譲りの容姿と父親譲りの穏やかな性格のクロードは風のように旅立つ母を父と一緒に見送った。
しばらくしてクロードは不思議な少女に出会う。
****
不思議な少女と出会ってもクロードの日課は変わらない。
シーラは冒険に出かけてほとんど帰らないためロンドと二人で生活している。
ロンドは夜明けとともに出かけるため朝は一人。
窓から差し込む光に目が覚めてベッドから起き上がる。
ロンドが用意したスープを温めながら、肉の挟んであるサンドイッチを食べる。
鍋が温まれば火を止めて、スープを器に盛る。
野菜のたくさん入ったスープと果物を食べ最後にミルクを一気に飲んで、食器を洗う。
顔を洗って着替えて庭に出る。
植物が好きなクロードのために両親が広い庭を作り、必要な道具も揃えた。
シーラがお土産に様々な種を贈るので国外の野菜や草花も豊富に植えられている。
植物に愛される土属性の魔力を持つクロードが丁寧に世話をするためにどんな植物もすくすくと育ち気付くと庭は畑になっていた。
傍から見れば農園だがクロードにとっては庭という認識である。
「おはよう」
クロードは近づいてくる蝶や蜜蜂に笑いかける。
「これから水をまくよ。魔法の勉強は今はしないよ」
魔法の勉強をすると集まってくる蜜蜂や蝶が庭から出ていくのを眺め、桶を持つ。
雨水を溜めている大壺から桶に水を汲み、畑に水を撒く。
「クロード、これありがとう。何してるの!?」
「おはよう。水をあげてるんだよ」
「おはよう。お水?お礼に手伝うよ」
「重たいから」
クロードにパンと蜂蜜をおすそ分けしてもらったレティはバスケットを返すために会いにきた。
ディーネにお礼という習慣を教えてもらい、自分にもできそうなお礼に目を輝かせニッコリ笑う。クロードよりも小さいレティの申し出をクロードが断る前に、レティは目を閉じて両手を組んだ。
レティは魔力をこめて空に祈りを捧げる。
「精霊様、雨の恵みをお願いします」
雲一つない快晴の空が雲に覆われ大粒の雫が降り注ぐ。
クロードが突然の雨に濡れながら驚いているとレティの肩にディーネが飛び乗り、声を掛ける。
「レティ、もういいわ。これ以上は迷惑よ」
「精霊様、ありがとうございました。あれ?」
レティが祈り終えると雨がやみ、雲が去り消えた太陽が姿を見せる。
リアン特製の複雑な魔法陣が描かれているローブのおかげで濡れることはないレティはびしょ濡れのクロードを見て、そっと手をかざす。水滴がレティの手に集まりクロードの体が乾く。
「お礼になった?」
ニッコリと笑うレティにクロードは迷惑とは言えなかった。
「ありがとう?」
「どういたしまして。じゃあね」
レティは曖昧に笑うクロードにバスケットを返し、手を振って森に消えて行く。
クロードは風のように立ち去るレティが自由な母親にそっくりに見え、不思議な気持ちよりも心配が勝った最初の日だった。
「父さん大丈夫かな…」
クロードは家に入りずぶ濡れで帰ってくるだろう父を迎える用意をはじめる。
天気を操る魔法が難易度が高いことをクロードもレティも知らなかった。
ずぶ濡れのロンドが帰宅したのでタオルを渡し、久しぶりに二人で昼食を食べる。
庭の椅子に座りシーラからもらった魔道書を読んでいると蜜蜂や蝶が近づいてくる。
クロードが呪文を唱えると蝶が踊り出す。
「レティ、遅いな。大丈夫かな…」
クロードは家に入り料理をしているロンドの背中に声を掛ける。
「父さん、森に行ってくるよ」
「もうすぐ暗くなるから危ない」
「レティが朝から出かけて帰って来ないんだ」
「お隣の子か。私も行くよ。子供だけで暗い森は危険だ」
クロードは帽子を被りロンドと手を繋いで森に行く。
蝶の群れを見つけると、蝶に囲まれた木の上で猫のように丸まってぐっすりと眠っている小さな塊を見つける。
「レティ!?」
屋根よりも高い木の上で眠るレティを見て驚いているクロードに気付いたディーネに起こされレティはゆっくりと目を開ける。
「うん?おはよう」
「クロードが呼んでるよ」
「木の上で眠るのは危ないよ。レティ、降りられる?」
レティは心配そうな顔で叫ぶクロードに首を傾げる。
「レティ、呼ばれたら降りてお話するのよ」
「うん。わかったよ」
レティはディーネを抱き、木の上から飛び降りる。
猫のように頭から降ちるレティにクロードが悲鳴をあげて駆け出すとくるんと宙返りを披露し、危なげもなく地面に着地した。
「こんにちは?どうしたの?」
クロードは固まり、シーラに慣れているロンドは身軽さに笑いながらも膝を折り視線を合わせる。
空を飛ぶシーラに慣れているロンドはレティに注意はしない。
「君がレティか」
「うん。えっと、はじめまして。レティです」
「えらいな。ロンドだ。これをやろう」
クロードの挨拶を真似してレティはロンドにペコリと頭を下げた。
ロンドは礼儀正しいレティにポケットの中に入れてある蜂蜜飴の詰った瓶を渡す。
「これはなに?」
「飴だよ」
「あめ?」
「甘い物は嫌いかい?」
「甘い物?新種?」
驚きから回復したクロードは瓶を手に持ち首を傾げるレティがパンを知らなかったことを思い出す。
「飴っていう食べ物だよ。口に入れて舐めるんだ」
クロードはレティの持つ飴の詰まった瓶の蓋を開けて、二つ取り出す。一つを自分の口に入れ、もう一つをレティの手の上にのせる。
レティはクロードの真似をして飴を口に入れた途端に、口に広がる甘さに目を輝かせ満面の笑みを浮かべる。
「これ蜂蜜と似てる!!不思議な味がする」
ディーネは興奮してはしゃいでいる食べ物をあまり知らないレティに言葉を教える。
「レティ、その不思議な味は甘いって言うのよ。食べ物には苦いと濃いと薄い以外もあるの」
「これが甘いもの?凄いね!!おじさん、ありがとう。お代は魔石でいい?」
「お代はいらないよ。森は危ないから大人と入らないといけないよ」
「大丈夫だよ。そろそろ暗くなるから帰らないと。あめをありがとう。クロードは物知りだね。またね」
レティは手を振ってディーネを連れて走り去る。
クロードは飴の瓶を渡し忘れたけどいいかと母に似た少女の背中を見送る。
「クロードの初めての友達は可愛い女の子だな。女の子には優しくしてあげなさい」
「うん。意地悪しないよ」
二人はまだわかっていなかった。
少し変わっている小さい少女が予想を越えることを。
無事でよかったと笑いながら手を繋いで帰路につく。
いつの間にか蝶の群れは消えていた。