第9話 一回目の猶予期間
日曜日の昼、遊ぶ友達がいないのでリビングのテレビで恋愛映画を観ていたら、突然、画面の中に白狼男が現れるのだった。
すると映画の出演者が芝居を止めて、悲鳴を上げながらフレームアウトするのである。誰もいなくなった校舎の屋上で、白狼男がテレビの中から僕に話し掛ける。
「随分と余裕があるじゃねぇか」
僕も普通にテレビに向かって会話する。
「ゲームが続いてるってことは、一週間は生き延びたってことでしょ?」
「あれ? そんな約束したっけな?」
「『人狼モドキ』は予想を外したか、偵察を選択したんじゃないの?」
そこでルールを思い出す。
「あっ、違うか。襲撃に失敗したら情報をもらえることになってるから、今回は偵察を選択したんだ」
白狼男がカメラに向かって歩いてくる。テレビに顔がアップで映されてる状態だ。
「悪いな、ルールを少しばかり変更したんだ。昼のターンは変わらないが、夜のターンは投票が行われた土曜の夜ではなく、六日後の金曜の夜に行うことにした」
これは『生贄』が処刑される期間が延びたということだ。白狼男が理由を説明する。
「ルールを決める時に、推定無罪を重要視したよな? だったら『生贄』の真贋を見極める時間を設けるのが当然だと思ってな」
僕のためなのか? いや、考慮時間を得たのは敵も同じだ。念のため尋ねてみる。
「それって『人狼モドキ』が進言したのでは?」
「そうだが、悪くない提案だと思った」
これは罠だ。
夜のターンを先延ばしにするということは、『生贄』の千葉くんも延命したわけで、そこで情報を得ようと接触しようものなら、正体を見破られ、金曜日には殺されることになる。
得をしたのは『人狼モドキ』ではないのか?
しかし、無罪推定の原則を蔑ろにするわけにもいかないので、確かに最終判断までの時間は必要だ。どうも、こちらの弱みに付け込まれたような、痛い所を突かれたような、そんな感慨を持ってしまう。
「分かりました」
「いや、決定事項だから悩まれても困るんだけどな」
「だから『分かった』と言ってるじゃないですか」
「怒るなよ」
「じゃあ、金曜日に」
腹が立ったので、そこでテレビを消した。いや、腹を立てたわけではなかった。自分の中にある、おぞましい感情に気づいて嫌になったのだ。
他人の命を救おうなどと考えなければ、簡単にゲームに勝つことができた。そう思うことで、他人の存在が忌まわしく感じてしまったのだ。
どうして自分の命が懸かっているゲームで、僕は救済システムをルールに組み込んでしまったのだろう。
僕は、どうしようもないバカだ。
たくさん殺せる方が、その分だけ助かる確率が高くなったのに。僕に有利だと思っていたが、すでに劣勢なのかもしれない。
うじうじと悩んでいても、月曜日はやってくる。頭を戦闘モードに切り替えることができたのは、登校中の電車の中。
学校で気をつけることは、『生贄』の千葉くんが追放されていないことに対して、しっかりと驚くことだ。誰かの反応をコピーすればいいので、余裕があったら話の輪に加わるようにしていこう。
運動部の人が朝練をするように、S組にも登校時間よりも早く来て、朝自習を行う慣習がある。何をするかは個人の自由で、英単語を覚えようとする人もいれば、本を読む人もいる。
いつもなら医学書を読む時間に充てているが、この日は教室の雰囲気に変化があったので、そのまま流されることにした。
二年S組の教室
自習時間に私語が絶えない理由は、『生贄』の千葉くんが一人だけ欠席しているからだ。僕と『人狼モドキ』だけは彼が生きていることを知っているけど、他の人は追放されたと思っている。
だからそれを踏まえて、すでに千葉くんは死んでしまったかもしれない、という芝居をしなければならなかった。
そんな中、教室内の不穏な空気を察した委員長の小石川くんが立ち上がり、教壇に立つのだった。
「千葉くんに投票しなかった人に伝えたいんだけど、確かに僕は彼に投票した。他にも千葉くんに投票した人が八人もいる。だけど投票した人が悪くて、投票しなかった人に責任はない、ということではないと思うんだ」
委員長が反応を見ながら続ける。
「その理由として第一に、僕たちには拒否権がなかった。誰かに投じなければならなかったわけで、今回は少数派に投じた人も、次回は多数派に投じる可能性もあるんだ。だから千葉くんに投票した人を悪く思うのは違うと思う」
そこで問い掛ける。
「反論があるなら聞かせてほしい」
声を上げる者はいなかった。小石川くんが束の間、ほっとした表情を見せた。そこで手を上げたのが知的メガネの武藤さんだ。
「反論がないわけじゃなくて、みんな言いたいことがあっても言えないだけなんだと思う。なぜなら、積極的な発言はデメリットでしかないから」
設定に疑問を感じるのは当然だ。武藤さんも反応を確かめながら続ける。
「千葉くんが『人狼』であることは明白なのに、どうして満票じゃなかったのか考えてみたんだけど、それは『人狼』に投票したことが知られると、夜の襲撃で狙われてしまうから、あえて入れなかったんじゃないかと思ったんだ」
納得できる仮説だ。武藤さんが周囲の反応を見る。これは『人狼』を探してくれているのか? それは分からないが、続ける。
「でも、仕方がないよね。『村人』が自分の身を守るには、『人狼』に目を付けられないように、なるべく係わらないようにするしかないんだもん。だけど高確率で成功できるはずの一日目の襲撃に失敗しているということは、『騎士』の数が思ったよりも多いのかも」
その仮説は間違っている。だけど頷くことにした。一番後ろの席だけど、小石川くんには見られているからだ。
その時、教室の後ろのスライドドアが静かに開いた。黙って入ってきたのは、お喋りの千葉くんだ。分かっていたけど、唖然とした表情で見つめる芝居をした。
「え? なんで?」
小石川くんの問い掛けに、千葉くんは応えなかった。無言で教室の真ん中にある自分の席に座るのだった。後ろの席に座る目立ちたがりの勅使河原くんが肩に手を置く。
「生きてたんだな」
「触んな」
と、千葉くんが振り返りもせずに払いのけた。
「え? どういうこと? 追放されたんじゃないの?」
妹系の古橋さんによる素朴な疑問だ。千葉くんに注目が集まっている状態だ。裏設定を知らない『生贄』の千葉くんが大きく息を吐き出す。
「だから言っただろう、俺はやってないって」
そこで教室内がざわつき始める。
「ねぇ、これって、ゲーム自体が嘘だったっていうこと? やっぱり動画か何かのドッキリ?」
教壇に立つ委員長に尋ねたのは、グラビア系の多田さんだ。小石川くんも混乱しているので答えられないでいる。代わりに答えたのが、知的メガネの武藤さんだ。
「どうしてそんな疑問を持った?」
多田さんが左後ろを振り返る。
「だって追放されなかったから」
「罰は受けなかったの?」
多田さんが否定も肯定もしない。
「私は家に帰ってからお母さんに報告しようとしたら頭が痛くなったよ? そういう経験してないんだ?」
地味な剣崎さんが手を上げる。
「学校を休もうと思ったら、ずっと頭が痛いから、仕方なく登校しました」
多田さんに注目が集まる。しかし彼女は何も発言しなかった。代わりに発言したのが、ムードメーカーの岸くんだ。
「いや、ちょっと待って。俺もまだ罰を受けてないよ。だって、口外したらダメだって警告されたから。従っただけなのに疑われるのは、それは違うだろ、と」
一理ある。何をされるか分からないのだから、オープンに振る舞うのではなく、むしろ殻に閉じこもるのが自然だ。今度は岸くんが武藤さんに尋ねる。
「家に帰ってからも罰を受けたってことは、武藤さんだけ二回もお仕置きされたっていうこと?」
「そうだね。でも、二回目は顎周りが痛くなったから喋るのは無理だった」
試してみたということだ。恐怖心よりも好奇心が勝るタイプのようだ。武藤さんが事件を解決させるキーパーソンになるかもしれない。
それから五日間、千葉くんは誰とも喋らずに学校生活を送った。その間、僕は彼と一言も口を利かなかった。罠を仕掛けた『人狼モドキ』にとっては当てが外れたに違いない。悪いが、動くには、まだ早いのである。
こうして金曜日の夜を迎えたのだった。