第3話 二年S組について
転校して早々に現実離れした殺し合いゲームが始まったら真っ先に疑われるので、一か月ほど猶予をもらった。
細かいルール確認は後で行うとして、まずは別人になりきることに集中しようと思った。白狼男が用意してくれたのは、風野我路という名前の高校二年生だ。
実際に存在していたようだが、本物は子供の頃に病気で死んでしまったらしい。それで今回のゲームに参加させるために白狼男が生き返らせて、現実の方を作り変えてしまったようである。
東京に本籍がある資産家の子供で、札幌での単身生活は本人の強い希望であり、それで親のコネで転入が認められたという設定だ。
いや、設定ではなく、現実なのだ。まずは僕自身が現実であると受け止めなければ、これから始まるゲームに勝つことはできない。
翌日が初登校日ということで、新しい身体に慣れるために散歩することにした。寝室とリビングの他に三つも部屋があって、その一つが衣裳部屋になっていた。
アウターやトップスやパンツなど一通り揃っていて、そのどれもが新品ではなく、着古した感じがあるという徹底ぶりだ。
「だから言ったろう? 誰が見たって、中身がおまえだって気づかないって」
白狼男が得意げに言うのだった。
「目の前で不可思議な現象が起こったら、勘のいい人なら気づきますよ」
「それは、おまえの演技次第だろう」
暫定的とはいえ、救われた命なので、それには反論せずに着替えることにした。
五月になったばかりだけど、個性を殺すために十代にありがちなモノトーンでまとめることにした。黒のアウターとスキニーパンツに、白のインターを着て、キャンパスシューズを履いて外に出る。
風野我路は僕よりも背が少しだけ高いので、街の景色がちょっとだけ窮屈に感じられた。それでも靴の履き心地に違和感がなかったので、すぐに全ての感覚が普通になっていった。
なんとなく分かっていたけれど、大通りに出て確信した。それは実家から遠くない場所にいるということを。
頻繁に利用するコンビニにはいつもの店員さんがいて、どこにどの商品が置いてあるのか、全部分かっている。
店を出てから、これではダメだと思った。東京から転校してきたばかりの高校生が知っているはずがないからである。
通い慣れた道や、行きつけの店など存在しない。知ってる人もいなければ、気候にだって慣れていないはずだ。
四年前に札幌に引っ越してきた旧友のことを思い出そう。その時の彼と同じように振る舞えば別人として成りすますことができるだろう。
地下鉄駅のある公園近くの交差点で、信号待ちをしている宇崎さんを見掛けた。
「あっ」
と声が出たところで、しまったと思った。クラスメイトだけど、まだ知り合っていないからだ。今の僕と彼女は、ただの他人。幸いにして、スマホを見ていたので気づかれていない。
こういうミスは無くさないと命取りになる。逃げるのもおかしいので、そのまますれ違うことにした。クラスメイトの名前と顔も、すぐには覚えないようにしよう。
実家の様子が気になったけど、そちらの方には近づかないことにした。近所をうろつくのもよくない。本当は転落事故について今すぐにでも調べたいと思ったけど、今の僕とは無関係の出来事なので、知らないままでいるように努めた。
こうして散歩を終えて家に帰ってきた時、演技にミスさえなければ、ゲームを戦う上で大きなアドバンテージを得ていると確信することができた。
僕は騙せる人間だ。
ゴールデンウィーク明けが初登校日となった。ブレザーの下はYシャツだけで過ごせる時期だけど、あえてベストを重ねて家を出た。
冬場でもベストを着る人は一人もいないので、それだけで内地からの転入者であることを意識づけできるはずだ。
地下鉄で四つ目の駅で、そこから歩いて七、八分のところに英弘高校はある。晴れていれば雪が積もっていても自転車で通学するけれど、電車通学にする。
いつもより一時間も早く家を出たので在校生と顔を合わせずに済んだけど、明日からは意識して無関心を装うことにしよう。
白狼男によると、学校には既に二回ほど来ていて、休み前には担任とも両親を交えて挨拶を済ませているらしい。だから職員室で先生と再会しても、必要以上によそよそしく振る舞うのは避けた。
校舎のどこに何の教室があるのか全て把握しているけれど、入学したばかりの頃を思い出して、黙って先生の先導に従って歩いた。
教室に入った瞬間、見慣れた十九人のクラスメイトがいたけれど、誰か一人を凝視するといった怪しい行動をしないように心掛けた。
転生する前の僕と違う性格にしようと思って、自己紹介する時も声を大きくハッキリと発音し、アクセントに癖をつけないように注意した。
二年S組の席は出席番号順なので、奇しくも転生前と同じ、通路側の一番後ろの席になった。転生前の僕と座り方が似ていると正体を見破られる可能性があるので、背もたれを使わずに、姿勢よく座ることにした。
この教室の中に転生前の僕を殺そうとした者が三人もいるはずだが、やはりどう考えても信じられなかった。僕を除くと十九人で、その中に秘密を共有できる仲良し三人組がいるとは考えられないからである。
転生前のデータだが、女子は二人組、四人組、五人組の三つのグループに分かれていて、男子九人は全員仲良く、強引にグループ分けしても五人組と三人組と無所属一人の九人だ。
その三人組の中に転生前の僕が含まれているので、やはり『人狼モドキ』が三人というのは考えられないのである。
「はじめまして」
一限目が始まる前に挨拶してくれたのは、斜め前の席に座っている小石川くんだ。クラスの委員長であり、転生前の友達でもある。
中学生の時にお姉さんが男性アイドル事務所に勝手に履歴書を送って、それで姉弟喧嘩になった、と女子が噂話しているのを聞いたことがある。小石川くんが怒ったのはその時だけで、それくらい優しくて温厚な人というのが彼の人物評だ。
「よろしく」
前の席に座る近江谷くんも挨拶してくれた。彼も転生前の友達である。クラス替えで選抜クラスに入った男子は僕だけだったので、馴染めるか不安だったけど、彼のおかげで溶け込むことができた。
見た目が幼いので中学生に見えるけど、彼のおかげで知らない言葉をたくさん覚えたので、中身は大学生のように思える。
転生前の僕がそうであったように、今回も小石川くんと近江谷くんが親切にしてくれたけど、それだけに正体を見破られないように注意する必要があった。二人には申し訳ないけれど、ボロを出さないためにも、話が広がるような返事はしないようにした。
「あの」
その日の放課後、生徒用の玄関ホールでわざとらしく校舎の案内図を見ていたところ、クラスメイトの愛川さんに声を掛けられた。彼女は同じ中学出身で、三年生の時に告白して、「友達から」と返事をもらって付き合ったことがある。
しかし、それから話をすることもなく、気まずい関係のまま卒業してしまい、自然消滅に近い形で別れてしまった。この春から同じクラスになったけど、一度も話をしたことがなかったので、声を掛けられて驚いてしまった。
だけど表情に出さないように努めた。
「はい?」
「私、同じクラスの愛川っていいます」
おどおどしているのは好きだった頃のまま。人と話をする時、伏し目がちになり、肩まで伸びた髪を触る癖もそのまま。
「はじめまして」
「はじめまして」
声を掛けてきたのに用件を切り出そうとしなかった。
僕はこれがすごく苦手だった。
でも、今の僕は別人なので強気になれる。
「何か用ですか?」
「はい、あの」
と言いつつ、そこで言葉が途切れるのだった。
困らせているようで申し訳ない気持ちになる。
「先生から伝言を言付かったとか?」
余裕のある対応ができるのは転生したからなのかもしれない。
愛川さんが首を横に振る。
「あの、風野くんの席は、鎌田くんの席で」
「鎌田くん?」
知らない振りをした。
「はい。実は先月、自殺して」
?
「自殺?」
「あっ、でも、助かって、今は病院で治療を受けています」
頭が真っ白になった。
「入院してるけど、今もクラスの一員なので、机と椅子を大切に使ってください」
そう言い残して、立ち去るのだった。
何を言っているのか、さっぱり意味が分からなかった。