第20話 三回目の猶予期間
月曜日の朝、教室に行くと気になる会話を耳にして、そのまま聞き入った。話をしているのは主に孤高の諸星くんと知的メガネの武藤さんと幼馴染の西村さんであった。
他のクラスメイトも既に登校しており、自分の席で朝自習の準備をしているが、三人の会話に耳を傾けている感じであった。
席に座る二人の探偵の傍らに立って、西村さんが報告する。
「頼まれた件だけど、鎌田くんのお母さんは『会うのは構わないけど、何も反応がないから、お見舞いにはならないよ』って心配してた」
諸星くんがお礼を口にする。
「わざわざ、ありがとう。突然みんなで押し掛けると迷惑になるかもしれないから、事前に許可をもらえて良かった」
武藤さんも労う。
「私が連絡しても良かったんだけど、幼馴染なら話を通しやすいと思ってお願いしたんだけど、頼まれてくれてありがとうね」
西村さんが心配そうにする。
「でも、お見舞いに行っても話を聞くことはできないけど、それでもいいの?」
諸星くんも不安そうだ。
「過去の事例だけど、植物状態だと思っていた人が、実は意識があって、ちゃんと意思表示をしていたって話があるんだ。その後に回復して、元の生活を取り戻した人がいる。まぁ、奇跡のように語られてるから、稀な例だとは思うけどね」
武藤さんが捕捉する。
「他にも事件解決に繋がる何かを掴めるかと思って」
そこで慌てて弁明する。
「あっ、大丈夫、鎌田くんのお母さんにヘンな質問して迷惑を掛けるようなことはしないから、それは約束する」
いや、ウチの親なら真実を望むはずだから気遣いは不要だ。
「あの、私も行ってもいい?」
そこで参加を表明したのはアイドル系の美山さんだった。犯人が会いに行くということで急に心配になった。
「いいよ」
武藤さんがあっさりと許可してしまった。
「私も行ってもいいかな?」
対角線上の一番遠いとこから参加を求めたのは愛川さんである。彼女は『生贄』の状態なので、教室内が異様な雰囲気に包まれた。
武藤さんが諸星くんに判断を委ねるように顔を向ける。
「うん、いいよ、俺たちに止める権利はないから」
ここはチャンスかもしれない。
「あの」
諸星くんと目が合った。
「僕も一緒に行ってもいいかな」
理由が必要だ。
「どうしても後学のために興味があって、あっ、その、興味本位で申し訳ないけど」
諸星くんが困惑しつつも同意する。
「うん、それも俺が断ることじゃないから」
そこで教室にいる全員に確認を取る。
「他にも一緒に来たい人?」
後には誰も続かなかった。
「じゃあ、俺と武藤さん、西村さんと蓮見さん、美山さんと愛川さんと風野くんで、合わせて七人だね」
ということで、週末の早上がりとなる金曜日の放課後に七人で僕に会いに行くこととなった。
翌日の火曜日、それとは別に気に掛かる会話を聞いてしまった。放課後、尿意を催したので、誰も使わない特別棟のトイレに行こうとしたところ、階段を上がった踊り場の上から聞き慣れた声が聞こえてきたのである。
「本当に?」
一人は妹系の古橋さんだ。かわいらしい特徴的な声質なので見なくても判った。
「誰にも言うなよ?」
こちらは声を潜めているということもあり、男子の誰かとしか判らなかった。
「本当に『村長』なの?」
「ああ、俺が引いた」
ということは、ウチのクラスの誰かだ。
「じゃあ、私が選ばれたら助けてくれる?」
「当たり前だろう」
コイツめ……。
「よかった」
「絶対に俺が守るから」
腹立つ。
「私は『村人』だから『人狼』から狙われても大丈夫だけど、もしも『生贄』にされたら『村長』に信じてもらえるか不安だったから、すごく怖かったの」
だから蓮見さんの生存を誰よりも喜んでいたわけだ。
「もう心配はいらない。といっても、俺が『人狼』に襲撃されたら全員を死なせてしまうんだけどさ。だけど、大丈夫だと思うんだ。『人狼』に見抜かれないように気をつけてるからさ」
それをやっているのは、この僕だ。
「『村長』さん、ありがとう」
それは僕が受け取るべき言葉だ。
「今度の日曜日だけど、生き残ることができたら二人でどっか行かない? 映画でも何でもいい。家にいるのも辛くて、話をするだけでもいいんだ」
声の判別が苦手なので断言できないが、岸くんか、日比谷くんか、勅使河原くんか、その三人のうちの誰かだと思う。
「大変だもんね、私でよかったら話を聞いてあげる」
こういう人たちを救わなければならないのが『村長』の仕事なわけだ。
話は変わって水曜日の放課後、家に帰ろうと校門を出たところで後ろから友達の近江谷くんに声を掛けられた。
「一緒に帰ろう」
と言って、横に並んで歩くのだった。地下鉄の駅まで一本道で、高校の隣が大学なので、札幌の郊外だけど人の往来が少なくない。
「金曜日のお見舞いだけど、一緒に行けなくてごめん。いや、僕が謝ることじゃないよね。分かってるんだ。ただ、どうしても、誰かに謝りたくてさ」
以前と比べて近江谷くんに元気がないことは分かっていた。再会した時から気になっていたので人狼ゲームとは関係ないと思われる。
「月曜日の朝に諸星くんがお見舞いに行く人を募っただろう? 本当は僕も手を上げなければならなかったんだ。でも、できなかった。どうしても鎌田くんに会うのが怖くて」
ここにも恐怖と闘っている人がいた。
「こんなおかしな世界を見せられても、僕は未だに鎌田くんが誰かに突き落とされたのではなく、やっぱり警察がいうように自殺したと思ってるんだ。ゲームに関しては、ありもしない事件を理由に参加させられてるだけだって」
そういう風に考える人もいるわけだ。
「だって千葉くんも関係ないって言ってたし、愛川さんだって人を救うことはあっても、殺すような人ではないからね。いや、票を入れちゃったから偽善者に見えるだろうけど」
彼は自分に罰を与えるタイプの人のようだ。
「でも、蓮見さんが助かったというのは本当に良かったよ。自分に助かる道が見えたからではなく、心の底から生きていてくれて良かったと思ったんだ。その気持ちに偽善はない」
優しい人だ。
「だけど鎌田くんに対しては今も力になってあげられなかった無念さがあって、会いに行く勇気が持てないんだ。クラスで一番仲良くしていたから、みんなから『お前、友達に何したんだ?』って責められてるようで」
自殺というのは苦しめたい相手を喜ばせて、楽にさせたい人を苦しませてしまうということを認識する必要がある。
「こんな話に付き合わせてごめんね。近いうちに僕もお見舞いに行くことにするよ。会って語り掛ければ、反応してくれるかもしれないもんね」
その気持ちだけで嬉しかった。だけどゲームに勝つまで気を抜くわけにはいかないので、気の利いた返しもせずに別れてしまった。
金曜日の午後、僕たち七人は予定通りに僕が入院している遷延性意識障害者専用のケアセンターに向かった。
僕の場合は事故後三ヶ月を経ていないので厳密な定義からは外れているけど、治療による改善が見られないため初期の段階で専門治療を受けることになったわけだ。
教室で諸星くんが「植物状態」と口にしたが、この言葉は障害者本人と親族や関係者に不快感を与えるため公の場で使うことはない。
彼も場所を選んで使っただけで、そのことは充分理解している。その証拠に諸星くんが病室を訪れる前に、同部屋の障害者や親族に配慮するようにレクチャーしていたからである。
同じ病名で括られているけど、症状には個人差があり、最少意識状態や高次脳機能障害では必要な治療も違うため、真剣に理解するには自発的に根気強く学ぶ必要がある。
僕の場合は後遺症が残るほどの脳損傷は見られなかったので短期での回復が見込まれるが、骨折治療を伴うということで、個人部屋での治療が施されていた。
ベッドで固定された状態で寝かされている僕を見た印象は、普通に眠っているように見えた。
親切にも武藤さんが何度も呼び掛けてくれるが、僕はというか、彼はピクリとも反応しなかった。
彼の意識というか、僕の意識は風野我路の身体にあるのだから、当然かもしれない。それでも両親はずっと手を握ったり話し掛けてくれたりしていたわけだ。
久し振りに母親と会ったが、同じ病室には『人狼』も紛れ込んでいるため、徹底的に他人の振りをした。
「どうして自殺なんかしたのか、今でも分からなくて」
母親の言葉だが、ここにも苦しんでいる人がいるというわけだ。
「不運な事故だったと思います」
嘘をついたのは武藤さんだ。
「放課後だったので窓掃除をしていたか、鍵が締まっていると思った窓に手をついたか、身を乗り出して外の景色を見てたか、窓から何かを落として拾おうと手を伸ばしたか、いずれかだと思います」
立て続けに嘘をついたが、嬉しかった。僕のために、家族のために、嫌な思いをしてまで嘘をついてくれたからだ。
「そうですよね、警察にも自殺する理由はないと言ったんですが」
諸星くんも合わせる。
「鎌田くんが目を覚ませばハッキリすると思うので悩む必要はないと思います」
遷延性意識障害の障害者にはネガティブな言葉は避けた方がいいとあるので、それを実践したのだろう。
「それ」
と言って、諸星くんがサイドテーブルの上にあるスマホを指す。
「鎌田くんのスマホですか?」
間違いなく僕のだ。
母親が答える。
「警察に返してもらった話を先生にしたら、『音楽を聴かせた方がいい』って言うので、時々イヤホンで聞かせてあげてるの」
嬉しいけど、風野である僕は感動してはいけない。
「見てもいいですか?」
諸星くんによる厚かましいお願いだが、やはり探偵の素質があるようだ。
「いいですよ、この子、ロックしてないんで」
お金を入れてないし、何より面倒くさいからだ。
「それじゃあ、失礼します」
事件直前に美山さんとの通話記録が残っているはずだが、警察はちゃんと調べたのだろうか?
「この中で、宍戸さんっていう方はいますか?」
母親が尋ねた。
「いませんけど」
代表して武藤さんが答えた。
「ああ、そうですか」
ガッカリした様子だ。
「この子が学校に行けなくなってから、ノートのコピーをポストに入れてくれているんですよ、手紙を添えて。それでお礼が言えたら良かったんだけど」
宍戸さんが僕のためにそんなことをしてくれていたとは知らなかった。
「ありがとうございました」
そう言って、諸星くんがスマホをテーブルに戻したが、収穫があったのか分からなかった。
「あの」
誰かと思ったら、愛川さんだ。
「鎌田くん、私のこと、ご家族に何か話されていましたか?」
母親が困惑している。
「ごめんなさい、どちら様でしたっけ?」
「愛川です」
「愛川さん……」
彼女の話題を出したことはないので知らなくて当然だ。
「一昨年からお付き合いさせてもらっている者です」
「あら、そうだったの」
ここで言わなくてもいいのに。
「ご挨拶もせずに申し訳ありませんでした」
「いえいえ、この子がね、家ではずっと部屋に籠っちゃうから」
そこで母親が思い出す。
「昔はね、この子が小学生の頃だけど、家に女の子を連れて来てよく紹介されたんだけど、中学生になってから何でも隠すようになったから、でも、他の子のお母さんと話すと、男の子はみんなそうだっていうので、だから知らなくて、ほんとにごめんなさいね」
こういうことを人前でペラペラと喋るから母親が苦手なのだ。
「『ユナちゃんと結婚するんだ』って言ってて、二年後には別の子を連れて来て『リッカちゃんと結婚する』って言うから、『ユナちゃんはどうしたの?』って聞いたら、『別のクラスになって話さなくなった』って、そういう子なの」
止めてほしかったけど止めるわけにもいかないので地獄だった。
「ヒロミちゃんにも同じこと言ってたよね?」
西村さんの下の名前を口にしたのは蓮見さんで、彼女も一緒になって過去の話を蒸し返すのである。
「幼稚園の頃に結婚式を挙げて、それで新婚さんみたいに遊んでた」
ママゴトに付き合っていただけだ。
「それは御飯事で遊んでいただけだから」
そう言って、西村さんが迷惑そうに答えたのだった。それに対して母親が申し訳なさそうにする。
「ヒロミちゃんもごめんなさいね。この子は昔からね、そういうところがあって、他にも迷惑を掛けませんでしたか? 愛川さんも大丈夫?」
元カノが即答する。
「順調にお付き合いさせてもらっています」
「そう、それなら良かった」
身から出た錆とはいえ、僕のせいで迷惑を被った子は、僕が認識している以上に多くいそうだ。これは、さすがに、よくないことだ。
それからも耳を塞ぎたくなるような立ち話が続いたが、風野が止めるわけにもいかないので、我慢して耐えるしかなかった。
「それじゃあ門限があるので、この辺で失礼します」
武藤さんのおかげで話し好きの母親から逃れることができたが、それとは別に、自分の目で確かめておくことがあった。
それは僕のスマホである。諸星くんが中身を検めたが、通話履歴に証拠が残っていることは知らないと思うので、どうしても確認する必要がある。
全員が廊下に出て、母親が出口まで見送ると言うので、その機会を利用して、みんなに気づかれないように集団から離れ、病室に引き返した。
そこでサイドテーブルのスマホに手を伸ばした瞬間、
「どうしたの?」
後ろから犯人の美山さんに声を掛けられたと思ってビクッとなったが、振り返ると西村さんだったので安堵した。
「いや、部屋を出る時、身体が動いたような気がして、もしかしたらと思ったんだ」
と言いつつ、伸ばした手で鎌田真澄の手を握ったが、我ながら上手に誤魔化すことができたと思った。
「どう?」
「気のせいだったのかな?」
「一応、お母さんに報告してあげたら?」
「うん、そうだね」
ということで引き揚げたが、こういう一瞬の反応で正体を見破られてしまう可能性があるので、これからはもっと気を付けなければならないと思った。
スマホに関しては別の日に訪れればいいので、この日は諦めて、家に帰ることにした。
といっても、話し好きの母親のことだから、僕が別日に見舞いに行くと、そのことも誰かに話す恐れがあるので気を付けなければならない。
その時、頭に浮かんだのは近江谷くんの顔であった。