第2話 ルールについて
目を開けると、知らないベッドの中にいた。
実家の布団よりも心地がいい。
その感触を、この手で実際に確かめられたことが何よりも嬉しかった。
感覚を得られることが、これほど尊いことだとは思わなかったからだ。
立ち上がったところで、自分の身体じゃないことが分かった。
つま先までの距離が違うからだ。
足の大きさも違う。
視界に入る鼻の高さも違う。
髪がサラサラしている。
男であることは局部を触らなくても分かった。
他人の身体に入っている違和感は徐々に消えていくだろう。
髪を切った後のように。
歯が抜けた後のように。
怪我をした時のように。
ベッドとクローゼットと窓とドア。
ドアは怖い。
だからカーテンを開けてみる。
「え?」
五階、か、六階。
マンション?
の一室。
それも多分、札幌。
三十六号線の、見たことのある道。
知らない施設に監禁されてるわけじゃなかった。
ドアを開ける。
廊下に出ると玄関の他にドアが四つも。
洗面所があったので、顔を確認。
見たことのない顔。
有名人にいそうだけど、おそらく一般人。
年齢は高校生で間違いなさそうだ。
新品の歯ブラシが一つ。
ということは、誰も住んでない?
リビングに行くことにした。
「おはよう」
昨日の狼男がいた。
ソファで足を組んでいる。
関節が人間の可動域と同じだ。
それが面白かった。
「それが生きた心地ってやつだな」
「患者さんの気持ちを初めて知りました」
「身を持って経験しないと分からんよな」
「はい」
カーテンが開いているけど、バルコニーの向こうにビルはないので、今の状況を覗かれる心配はなさそうだ。
「水を飲んでもいいですか?」
「おまえの家だから好きにしていいんだぞ?」
ということで、キッチンに回って、冷蔵庫を開けてみた。
ペットボトルの水があったので尋ねてみる。
「飲んでも?」
「だから好きにしろって」
まずは一口。
身体に沁み込む感覚。
やっぱり生きていたい。
それにはゲームに勝つことが条件だ。
狼男の斜め横にある一人掛けのソファに座る。
差し込む太陽光の下、間近で見て、作り物でないことがハッキリした。
間の前にいるのは間違いなく人狼だった。
「僕はてっきり、どこかに閉じ込められて、そこで人狼ゲームをやらされるのかと」
「そういうの、よくあったよな」
ブームがピークアウトしたことも知ってるようだ。
「あったといっても、あくまで創作の世界ですけど」
「俺は現実世界で、それが見たいんだよ」
「だから別人にして戦わせようと?」
狼男が鋭い牙を見せながら説明する。
「極限状況では、極限状態で判断を迫られるから、非情な行動を取らざるを得なくなるわけだ。それだと同情の余地がある分だけ優しさを感じてしまう。しかもプレイヤーは強制参加させられたという可哀想な一面もあるからな」
優しさと言ったが、ぬるいと言いたいのかもしれない。
「日常と非日常を行ったり来たりすることで、おまえも思い悩むことだろう。それが人狼ゲームにおいて決定的に足りていない部分なんだよ。その、日常部分をゲームに取り入れることこそ、リアルってもんだ」
それはゲームじゃない。
戦争だ。
日常があるから兵士はPTSDを発症するのだ。
僕は大丈夫か?
そんなことを気にしてる時点で勝てないのではないか?
いや、大丈夫だ。
僕は殺されたのだから。
殺された瞬間、人間ではなくなった。
人狼に生まれ変わったのだ。
狼男が僕を見る。
「おまえを殺そうとした人殺しは、自分のことを神、もしくは神の代理だとでも思ってやがるから相当手強いぞ?」
「村人は裁くどころか、見つけることすらできていないんですね」
狼男が笑う。
「村人がいかにアホか、明日学校に行けば分かるさ」
「学校?」
狼男が肉球で頭をかく。
「そっか、話してなかったな。おまえは転校生として学校生活を送りながら人狼ゲームをするんだよ」
意味が分からない。
「ゲームって、僕の学校で?」
「当たり前だろう? 事件の犯人が『人狼モドキ』だから、ゲームをしながら見つけて殺すんだよ」
質問。
「犯人がクラスの中に?」
「もちろんだ」
「知ってるんですか?」
「もちろん」
二年S組は選抜クラスだから二十人。
その中に僕を突き落とした犯人が?
ありえない。
ほとんどが出会ったばかりの人だ。
喋ったことのない人もいる。
だから、ありえない。
絶対にありえない。
しかし学級裁判が関係あると言っていたような……。
狼男が忠告する。
「言っとくが、早く見つけてしまわないと、おまえの方が『人狼モドキ』に殺されるかもしれないからな」
ルールがまるで理解できない。
「僕が人狼なんじゃないんですか?」
「これは本物と偽物の対決でもある」
「ちょっと待ってください」
それはフェアじゃない。
ここはルール確認が必要だ。
「クラスで人狼ゲームをするのは分かりました。しかし現実離れしたゲームが突然始まったら、謎の転校生が最初に疑われるに決まっています。それだと最初のターンで殺されるじゃないですか」
そこで、なぜか狼男が悩む。
ということは適当に始めようとしていたということだ。
「だったらこういうのはどうだ? おまえを殺した犯人が『人狼』としてクラスに潜んでいるから、全員で見つけるように言うんだよ。それで『人狼モドキ』には、みんなとは別に敵討ちしようとしているヤツがいると言う。それならまさか転校して来たばかりのおまえを『人狼』とは思わないだろう。むしろアドバンテージになるかもしれないぞ?」
譲歩するギリギリのラインだろうか。
「復讐の意志を持った者の存在を伝えてくれるわけですね?」
「役職をそのまま『復讐者』とでも呼んでおくか」
僕が『人狼モドキ』を見つけるか。
それとも先に犯人が『復讐者』を見つけるか。
その戦いだ。
狼男が器用に腕を組む。
「つまり昼と夜のターンで互いに二度殺すチャンスがあるわけだな。昼のターンではいかに村人を誘導するか。それに失敗しても夜のターンで襲撃が成功すればいいんだからな」
ん?
何かおかしい。
なんだ?
「昼のターンで村人による投票があるんですか?」
「それが人狼ゲームだからな」
「投票に選ばれた者は?」
「死ぬに決まってんだろう」
「それって、犯人、つまり『人狼モドキ』が選ばれるとは限りませんよね?」
「人狼ゲームではよくあることだ」
「それでも殺すんですか?」
「殺すのは俺じゃなく、投票する村人だけどな」
それだ。
違和感の正体。
人狼ゲームの致命的な欠陥でもある。
「それって、おかしいですよ」
「は?」
そこは絶対に譲れない。
「僕が人狼ゲームに飽きた理由でもあるんですけど、占い師や騎士が残っている状態で、追放すれば村人側が不利になると分かっているのに、わざわざ最初のターンで殺すのはおかしいんです。現実的に考えれば、追放したり殺したりせず、監視対象に置くと思うんですね。それが無罪推定の原則でもあるので、リアルとはそういうことなんです」
狼男が首を捻る。
「だが、ピンポイントで始末できれば、夜の襲撃を免れるかもしれないんだぞ? 相手が『村人』ではなく、『人狼』であることを忘れてないか?」
しかし、これはゲームではない。
命が懸かっている。
その命とは僕だけのものではないのだ。
「関係のない他人の命を巻き込むことはできません」
「他人を巻き込んでしまうのが社会で、それがリアルってもんじゃないのか?」
まさに、それが戦争だ。
「しかし」
と続けようとしたが、言葉が出てこなかった。
そこで狼男が閃く。
「だったらこうしよう。昼のターンで『村人』に選ばれた者を『生贄』と呼ぶことにする。その生贄を捧げるかどうかは『村長』の判断に委ねるとして、おまえにその『村長』の役職を与えようじゃないか」
僕にとってはリスクでしかない役職だ。
それでも引き受けた方がいい。
なぜなら、いざという時に『村人』を味方にできるかもしれないからだ。
「ちょっと待て!」
別の声がした。
声がした方を見ると、入り口に黒い狼男が立っていた。
白狼男と黒狼男。
姿は同じでも毛色だけが違う。
その黒狼男が呆れていた。
いや、表情からは分からないが、そんな雰囲気を醸し出している。
「それではあまりに『人狼モドキ』が不利すぎるぜ」
「そんなことはない」
反論したのは白狼男だ。
黒狼男が訴える。
「こっちにしたら昼のターンが無意味になるってことじゃないか」
「じゃあ、夜のターンで先に殺す権利をやるよ」
どうやら二人で勝手にルールを作っていたようだ。
「それじゃ、足りないな」
「先手を譲るんだぞ?」
「昼のターンが実質的な先手だ」
「じゃあ『村長』が昼に指名されたら、そこで終わりでいいよ」
黒狼男がダイニングテーブルの椅子に腰掛けて、悩む。
どうやら白が僕の味方で、黒が偽物の味方をしているようだ。
黒い方が閃く。
「そっちが『村長』なら、こっちにも役職がほしいな」
「何がほしい?」
「何がいいかな?」
「ゲームバランスが崩れるようなのはダメだぞ」
二人からしたら、僕のことはどうでもいいようだ。
「『占い師』の能力をいただこう」
「は?」
「『復讐者』を見抜く目だよ」
「チートすぎるだろう」
「でも、それが人狼ゲームだからな」
このままではまずい。
どうすればいい?
白狼男に任せるか?
いや、ここは話に割って入るべきだ。
だけど気をつけろ。
バランスを欠けば不利な条件を押し付けられる。
「あの、こうしてはどうですか? 『人狼モドキ』には夜のターンで『襲撃』と『偵察』のどちらかを選ばせるんです。『襲撃』を選んだ場合、『人狼モドキ』は人間なのだから、『村人』を指名しても殺せません。さらに『襲撃』に失敗した情報が『村長』に伝わるんです」
バランスが大事。
「一方で『偵察』を選んだ場合、誰か一人を指名すれば、それが本物の『人狼』であるか分かるようにします。当然、隠密行動なので誰を『偵察』したか分からないようにします。情報戦において、それは有利に働くと思うんですね。もちろん僕にとっては不利なんですが」
黒狼男からの反論がなかった。
白狼男も納得した感じだ。
黒が白に尋ねる。
「『人狼モドキ』が『人狼モドキ』を襲撃した場合はどうする?」
?
「仲間を切り捨てる場合もあるな」
白狼男が普通に言葉を返した。
ここは質問が必要だ。
「あの、『人狼モドキ』って一人じゃないんですか?」
黒と白が顔を見合わせる。
「言ってなかったのか?」
「敵の数を始めから把握してるって、おかしいだろう?」
白狼男も完全には僕の味方ではないようだ。
「でもルールに関わるからな」
「もう言っちゃったぞ?」
「だったら向こうにも伝えなきゃな」
「ああ、本物はコイツ一人で、偽物のモドキは三人だ」
三人。
つまり僕を殺そうとしたのが三人もいたということだ。
ありえない。
目の奥が熱くなる。
そんなこと気にも留めず、黒狼男が話す。
「仲間を売るのも人狼ゲームではよくあることだ。戦略の一つとして、そこは認めた方がおもしろいだろうな」
それからも協議が続き、ルールがコロコロと変わっていった。
しかし、僕は、もう、何も考えられなくなっていた