第1話 人狼からの招待状
満月の夜だから、目の前に狼男がいても不思議だとは思わなかった。それよりもどうして病院の個室にいるのか、そちらの方が疑問だった。
しかも足と腕はギプスで固定されていて、頭には包帯が巻かれている。眼球を移動させて分かるのはそれくらいだけど、これではミイラ男と変わらない。
「そっか、喋れないんだったな」
白い毛並みの狼男が言った。
しかし人間であるはずの僕は返事をすることができなかった。
「今だけ話せるようにしてやるが、今だけだから騒ぐなよ」
試しに声を出してみる。
「あ」
口の筋肉を動かすことができなかったけど、何とか声を出すことができた。腹話術の練習なんかしたことないけど、案外とできるものだ。
「自分が何者か分かってるか?」
人に尋ねる前に自己紹介してほしいと思ったが、素直に従うことにした。
「英弘高校二年、鎌田真澄」
「記憶の方は大丈夫そうだな」
ということは、狼男は僕のことを知っているということだ。
今度はこちらから尋ねてみる。
「だれ?」
「見ての通りだ」
と言われても、理解が追いつかない。
全身毛むくじゃらなので、狼であることは一目瞭然だ。
でも、二足歩行で腕を組める狼など存在しない。
その狼男が牙を見せる。
「お前たち人間がイメージする『人狼』って、こんな感じだろう?」
「人狼」
「いや、正しくは『死神』なんだけどな」
そこで狼男がかぶりを振る。
「いや、いやいや、もっと正確にいうと『神』なんだが、お前たち人間は勝手に分類するだろう? 全部一緒なのにな」
死神が来たということは、お迎えが来たということだろうか?
「僕、死ぬの?」
「ああ、今は喋ってるけど、意識が戻らないまま、そのうち死ぬよ」
「そっか、頭を打ったから遷延性意識障害になったんだ」
「おまえ、やっぱ頭がいいな」
医科大志望だから知っていただけだ。
「意識が回復する例があるけど、僕はダメなんだね」
「残念ながら助からない、このままではな」
「このままって?」
「わざわざ俺が会いに来てやったんだぞ?」
「助かる見込みがあるっていうこと?」
「それは、おまえ次第だ」
目の前にいるのは狼男だ。
白い毛に覆われているが、白衣を着た医師ではない。
その正体は死神。
リハビリの手伝いをしに来たんじゃない。
だとしたら?
「生き返らせてもらえるなら何だってする」
「その言葉に嘘はないな?」
「どうしてこんな酷い目に遭ったのか、それだけでも知りたいんだ」
そう、僕は、なぜ自分が殺されそうになったのか分からなかった。
でも校舎の三階から突き落とした人がいるのは確かだ。
それが誰か分からない。
心当たりが一つもなかった。
恨まれることも憎まれることもしていない。
「どうしたら生き返らせてくれるの?」
そこで狼男が『待った』のポーズを取る。それがお手をしているようで滑稽に見えたけど、笑うのは止めておいた。
「その前に、こちらの質問に答えてもらおう」
それによって運命が決まるようだ。
「なぜ人間は人を殺してはいけないと思う?」
単純にして最も難解な質問だった。
考えたことはある。
でも答えを出したことはない。
なぜなら答えはないと諦めているから。
でも本当に答えはないのだろうか?
倫理?
道徳?
社会で共存するため?
自分たちで作った法律だから?
だが、裁かれない人もいる。
それでも、
「人殺しを罪人にすることで自分の命を守れるから」
狼男が睨む。
その顔が近い。
鼻息が顔にかかるほどの距離にいる。
それから口を開く。
「おまえ、それ本気で言ってんの?」
呆れているというより怒りに近い感じだ。
「でも法律とは、そのためにあるから」
「おまえは、その法律に守られもせずに殺されて死ぬんだぞ?」
言い返せない僕を見て、狼男が失望する。
「さっきの言葉だけど取り消すわ。やっぱ、おまえもバカだな」
何が正解だったのだろうか?
「人選を間違えたか」
と言いつつ、狼男が悲しそうに窓の外を見る。
「なかなか上手くいかねぇな」
と言って、寂しそうに満月を見上げるのだった。
どうしたらいい?
こういう時は質問を思い出せ。
テストと一緒だ。
質問の中に答えがある。
『なぜ人間は人を殺してはいけないと思う?』
なぜ、
人間は、
人を、
殺しては、
いけないと、
思う?
……分かった。
そういうことか。
『なぜ人を殺してはいけないと思う?』
という質問ではない。
わざわざ主語が『人間は』になっている。
ということは、
「人殺しは神の領域だから」
そう言うと、狼男が振り向いて、僕を見つめたまま、しばらく固まるのだった。
答え合わせがしたい。
「違いますか?」
「いや、その通りだ」
「人間に殺傷与奪の権利はない」
「それは俺たちの仕事だからな」
「神の仕事」
「それが分かるとは大したものだ」
「では、蘇らせてくれるんですね?」
「よかろう」
生還。
「ただし、ゲームに勝利すればの話だがな」
ゲーム?
「何の?」
「見て分からないか?」
「人狼ゲーム」
「察しがいいな」
だから狼男の姿となって現れたわけだ。
とはいえ、意味が分からない。
「なんで人狼ゲーム?」
「思い出せ」
と狼男は言う。
が、まるで思い当たる節がなかった。
「裁判で被告席に立たされなかったか?」
あった。
二年になったばかりの四月。
校則違反を告発されて起訴された。
くだらない学級裁判。
「だけど陪審員が下した判決は無罪だった」
「村人はそれで納得したわけだな」
村人?
「判決に納得しなかった人がいるということ?」
「突き落とされたということは、そういうことだ」
「判決が不服だったということ?」
「それが直接の動機かは分からんぞ?」
「ああ」
つまり追放できれば何でも良かったわけだ。
無理やり校則違反をこじつけた可能性もある。
いや、その可能性の方が高い。
「でも誰かに殺されるようなことはしていない」
「人狼モドキにとっては、どうだろうな?」
「人狼モドキ?」
「おまえを襲撃したヤツだ」
「人狼ではなく、モドキ?」
本物の人狼が説明する。
「そいつは村人の振りをして、おまえを『人狼』に仕立て上げたわけだが、背後から襲撃したということは、そいつこそが『人狼』なわけだ。でも本物であるはずがないんだから、『モドキ』としか言いようがないよな」
人間には人狼になる権利はない。
本物の人狼が、僕を誘う。
「おまえを本物の『人狼』として蘇らせてやるよ」
神に選ばれた瞬間だ。
「それで『人狼モドキ』を見つけ出してみろ」
それが本物の人狼ゲームだ。
「どうだ、やれるか?」
やれる?
殺れるか?
「やれます」
「よし、おまえに殺す権利をやろう」