ナイトメア
向井悠斗。
それが俺の名前だ。
俺はこの名前が嫌いでしょうがない。
その理由を説明するにはまず俺の家族について説明する必要がある。
俺の家族は宗教にのめり込んでいる。新興宗教だ。
俺はその宗教を信仰していないし、その宗教の教祖の悠人から俺の名前が来ているから俺は自分の名前が嫌いなんだ。
家族だけではない。クラスメイトも教師も、家族も全員その宗教を信仰している。その宗教を信仰してる人が集まっている街で俺は暮らしている。
つまり地域ぐるみでの信仰なのだ。
さて、なぜ俺がその宗教のことが嫌いなのか。
家の家族はその宗教の制度上の一番下に位置しているからだ。
カースト制度の一番下と言えば分かりやすいかもしれない。
教典に書いてあることが絶対とし、その教典を元に修行していき、徐々に神の心に近づいていくのだという。
神の心に近づいているかどうかは誰が決めるのかというとそれは上の階級の者だ。
これがつまりどういうことになると上の者に媚びを売った者のみが階級が上がっていくことになる。
確かに名目上は上等階級の上元師という地位などに神に近づいたと認められた者が位を授かるのだがもはや賄賂や枕営業などが横行した腐った宗教というのが実情だ。
今日俺と家族は船の中にいた。
悠神教の政界進出記念祭が行われているのだ。
教祖が政界進出。あ~あ。この世の終わりだわ。
悠神教教祖の悠人は元より、その下の階級の大元師、上元師などや、政界にコネをつくるための有力者が乗船している。
俺の家族がそのパーティに参加者として乗船してるって?
「おい悠斗! もう終わったのか? どれだけ時間がかかってるんだ!」
でかい声で父が俺に進捗を聞いてくる。
俺はじゃがいもを剥く手を止めずに返した。
「あと二ケースで剥き終わる! 他のやつは終わったよ!」
俺は参加者にすらなってない。この有力者のパーティの労働者だ。
笑えるところが無給ってところだ。
俺だけが無給なんじゃない。
厨房で朝から晩まで働く父と母も無給なんだ。
父と母が無給で働いているんだ。俺がお金を貰えるわけが無い。
さらに笑えるのは父と母が悠人のあのクソデブ教祖のことを信じて素晴らしいことをしていると思っていることだ。
こうして無給で朝から晩まで働くことも、悠人のために一日三回祈りの時間があることも全て有難いことでそうしていれば悠人が良いところに導いてくれると妄信している。
兄も妹もこの宗教から逃れることはできず、今も他の持ち場で働いていることだろう。
あー……うぜぇ。
だが俺にはなんの力もない。十四歳の無力な子供だ。
早く勉強してこの狂った世界から抜け出すんだ。
決意を新たに俺は有力者達の朝食の用意が終わり、厨房の片付けに手を付けていた。
「うわっ!」
俺がダンボールを運んでいた時のことだった。
誰かに足を引っ掛けられ転んだ。
ダンボールに入っていた生野菜が床に盛大に散らばる。
「お前ええっ! 何をやっとるか!」
「す、すいません!」
「恐れ多くも悠人様から預かる食材を床にぶちまけるなど貴様は邪教のクズ共にも劣る存在だわっ!」
「申し訳ありません!」
俺は慌てて散らばった野菜を集める。
それをヌメっとした汚い目で見てくる視線に俺は気がついた。
同じクラスの下田と山路、そして滝沢が静かに笑っていた。
こいつらの誰かが俺の足を躓かせたのだろう。
「愚人がこっち見てるわwww」
滝沢が仲間と笑っている。
「愚人にはもっと相応しい仕事があるようだな?」
厨房長である上等師が俺にもっときついボイラー室の仕事に飛ばすことを暗に指していた。
「す、すみません! 二度とこんなミスはしません! それだけは……」
愚人の中でもハズレくじを引いたものが過酷な仕事を休み無しで命じられる。
「っどうしたんですか!?」
父が入っていた。
散らばる野菜、それを拾う俺、激怒する上等師。それらを父は見て俺に近づいてきた。
そして困惑した顔で俺のエプロンをつかんで這いつくばっている俺を立たせた。
「悠斗…………」
次の瞬間俺の耳は何かが奇妙な音を立ててひしゃげるのを聞いた。
俺は父に殴られていた。
「本当に申し訳ありません。こいつには私からよく言っておきますので……」
ペコペコと上等師に謝る父。
その夜、俺は部屋で家族にこう言われた。
「お前クラスメイト達とは上手くやれていないみたいだな……あんなに礼儀正しい良い子達なのにな」
父は心優しい口調で続ける。
「悠人様への祈りの時間だ。今日はしっかりと自分の反省するところを心の中で悠人様にご報告しながら祈るんだぞ」
母が合いの手を入れる。
「私たちがこうして生活できるのも全て悠人様のおかげなんだから」
父と母の顔は悠人教を信じ切った曇りのない顔をしていた。
祈りが終わり、父はニコニコと俺に言った。
「お父さんがちゃんと謝っておいたからな。ボイラー室への配置換えは無くなった。明日は上等師にお礼を言い、明日からはうんと働けよ」
「うん。ありがとう……おやすみ」
俺はベッドで泣いた。
翌日。
今日も厨房での仕事がある。
「惜しかったわ~wwもうちょいであいつをボイラー室送りにできたのになぁ」
「野菜拾う時の虫みたいなカサカサした動き見た? マジキモかった~ww」
滝沢と女子の齋藤彩音が二人で俺を嘲笑っていた。
働いている俺の手の寸前のところを包丁が突き刺さった。
「っ!!」
俺は声に鳴らない叫びを上げた。
俺の周りは悪意で溢れている。
犯人は滝沢だった。
「あぶなかったねぇ~www」
ズボッと包丁を抜いた。
まるで人間扱いしていないような容赦のない嫌がらせ。
それもそのはずだ。
悠人教では愚人は人間ではないという教えだからだ。
その日の夜。
結論から言えば俺は甲板から突き落とされた。
集会で今日の神罰者が決まった。
俺だった。
「この斉藤彩音を暴行しようとした罪で向井悠斗。お前に神罰を下す」
悠人様の厳かなお言葉が場に響く。
「は……?」
俺はそんなことをしていない。
斉藤はクラスメイト達に支えられさめざめと泣いている。
だが手で顔を覆っているがその手の下で斉藤が笑っているのを俺は確かに見た。
「嘘です!! こいつらのでっちあげです! 俺はそんなことしてない!!!」
斉藤達を指さし俺は悠人に訴えた。
「お前のクラスメイトもその現場を見たと言っておる。言い逃れはできんぞ」
「そんな……信じて、信じてくださいよ」
「お前がやったことが実際の斉藤彩音達の言っていることと違ったとしよう。だがそれは問題ではないのだ。お前が愚人で、斉藤彩音がお前に暴行されたと証言されたことが問題なのだ。罪を償うがいい……断ざあああああい……!」
「「「断ざああああああああい!!」」」
信者達の復唱がびりびりと麻痺したけた俺の頭を叩く。
「罪……? 罪だって? 一体何が罪なんだ……?」
ふざけるな。
「父さん、母さん……」
父と母と姉と弟が俺を最後の別れであるように見ていた。
「しっかり罪を償うんだよ……!」
母が俺の手を握り俺を励ますように言う。
「魂を浄化して、私たち家族が少しでも神に近づけるように頑張ってくるんだよ」
姉が俺の肩を叩く。
そこで俺は精神の限界を迎えたらしくそこからは記憶が無い。
断片的に信者が俺を神杭とか呼んでいた棒に括りつけていたのが見えた。
そして担ぎ上げられ、海に落とされた。
真っ暗闇の波の上がる海にみんなに突き落とされた。
それは今まで人生で経験してきた中で一番恐ろしい体験だった。
恐怖に囚われている中俺は死んだ。
俺は何も無い空間にいた。
「ここは……?」
何も無い空間に天使のように綺麗な女性が現れた。
目の白い部分が黒くなっていて、瞳の色が夕方の月の赤色になっている。
「私は女神」
「女神? あんたは悠神教の聖典にある神の一人かなにかなのか?」
「悠神教? そんなわけないでしょう。ありえませんよ。唯の人間の愚かな集団行動に神など顕現しませんよ」
「俺は死んだのか……」
「ええ……死にました。貴方はこれから記憶を失い転生します。そして今と同じ歳になると記憶が戻るでしょう。今まで苦しかったですね。でもあと貴方が今まで生きてきた年月分は苦しむ事になっているみたいです。アカシックレコードにそう記されていますから」
女神は穏やかに俺に言った。
「言ってらっしゃい。✕✕✕」
「?────」
俺は光に包まれた。
◇
────アーレム王国
悪夢の森。
「う……」
木の上で頭を抱えうずくまる少年の姿があった。
「思い出した……。一度目の生は向井悠斗という名前で生まれたこと。二度目はロイド・ベルマンとして生まれたこと」
(だが俺はカムイという名前で生きていく。もう、一度目も二度目も全てどうでも良い。この世界には悠神教もなにもないからな)
黒い腕で俺は葉の切れ目から見える月に手を伸ばした。
(今まで散々な思いをしたんだ。必ず帳尻を合わせてやる)
『行ってらっしゃい。カムイ 』
彼が名前をカムイにした瞬間、女神が彼にカムイと言った事が確定した。
女神が彼になんと呼びかけたのかはっきりしなかったのは固定されていない変動している事象だったからだ。
女神は過去と未来を自在に編纂することが出来る存在だった。