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大阪茨木屋台村(其3)完  作者: 城☆陽人
1/1

採用担当者の思い

そして、7月1日、所謂「採用解禁日」がやって来た。

義之達は早朝まで、滋賀のホテルで内定者の拘束を行っていた。何とか辞退者は出なさそうだ。ホテルに来なかった学生はいなかった。

学生達と乾杯したり、学生から一気飲みをコールされたり、そして、深夜ホテルを抜け出す学生が出ないよう、午前2時頃まで車座になって色々下らなかったりするが、学生達が興味を持ちそうな話を代わりばんこにして、学生達の自慢話なんかに耳を傾けていた。

朝8時、みんなで朝食を取って学生達は解散。もうこの時間になれば、企業同士の暗黙のルールで、9割9分他社からの引き抜きはない。

二日酔いを隠した笑顔で学生達、来年からは同じ会社の仲間となる、後輩予定者達を見送ると、義之達は顔を引き締め直し、会社の用意したライトバンに乗り込み、高速で大阪に向かった。

そう、まだ仕事は終わっていない。最後にもう一つの大仕事、だが「仮初めの仕事」が残っている。

公の「会社説明会」だ。


今朝までホテルに一緒にいた内定者で、採用者は決まっている。

そう、それは形ばかりの「説明会」。会社にとっては、飽く迄「説明会」であって、そこに参加する学生達から採用する気なんて更々無いのだ。

それを承知の義之達は、やるせない気持ちで、それでもそんな学生達に笑顔を見せる為、車に揺られながら、ほんの少しばかりの仮眠を取った。


「いいんですか?そんな服装で?」岡田君が聞いてくる。

「大丈夫だって。越谷さんは念の為、内定者が家に帰る時間を見計らって、最終確認の電話を掛ける役目で採用部屋にスタンバっているだろ。俺達だけなんだ。少しは学生達に夢を見させてやってもいいじゃないか。君たちは工場勤務だし、スズッキーは内勤、営業は俺だけなんだ。少しくらい派手な方が、学生も喜ぶよ」

「・・・それ、少しですかねぇ・・・」

義之は、ブルックスブラザーズのボタンダウン、両腕、右胸左胸、肩とその下の背中、全ての色が異なるストライプのシャツで、ジャケットも着ない服装で準備していた。


開始時間の午後1時を過ぎた。

「じゃあ、行きましょう」岡田君が言う。

借りているホールの扉を岡田君が開ける。そこには、簡素な組み立て机に3人づつ行儀よく座った学生達が、定員の600人びっしり埋まっていた。


岡田君、加藤さん、篠原君、スズッキー、そして義之の順番で入場する。

思った通り、義之がホールに入ると学生達はどよめいた。それに手を振って義之は応える。

ホールの真ん中を歩き、正面に置かれた席に座ると、学生達は静まり返った。

「えー、それでは我が社の会社説明会を開催致します。今回はより親しみやすく、入社してすぐの環境をお伝えしたく、入社2年目までの若手だけの説明会となっています。

まぁ、本音を言えば、その方が上司の顔色を伺いながら話をしなくていいですからね」岡田君の言葉に会場はどっと笑い、くだけた雰囲気になる。

全てアドリブだ。

事前に渡された資料には「1.自己紹介(5分) 2.会社紹介VIDEO(15分) 3.適性試験(30分) 4.質疑応答(10分) 計1時間」とだけ書かれていただけだ。

「それでは簡単に私から自己紹介させて頂きます。その前に一つだけ言い添えておく必要があると思いますので付け加えますが、我が社では、入社して1年間は工場で実習する事になっています。そうして、私は岐阜工場で労務の仕事をしています岡田と言います」

本当に簡単な自己紹介だ。

次にマイクを回された加藤さんは、少しうかない表情だった。


無理もない、義之は思った。

通常、工場実習後の再配属の辞令が出るのは6月25日前後(土日が挟まれば前後するが、基本は6月25日)に、各工場一斉に渡される。

だが、リクルート活動をしている彼らには、仕事に支障をきたさない為、6月30日、内定者の拘束が確定してから行われる。

加藤さんは、岡崎工場に残りたがっていた。

工場の現場に配属された人は、確実に再配属されるが、労務や総務、購買、物流等のスタッフに実習配属された者の何人かは、その道の専門になる為、数年間工場勤務となる場合がある。

加藤さんは岡崎工場が気に入っていたのか、とある噂では、彼氏らしき人が岡崎工場にいるとかで、工場勤務を望んでいた。彼女は勤労課だから、その可能性は大いにあった。

しかし昨夜、彼女に渡された辞令は「東京ニットテキスタイル課」だった。

岡田君がそのまま岐阜工場の労務を続ける辞令が出たのを横で見ていた分、落胆は大きかったに違いない。

因みに篠原君は、花形の炭素繊維の営業部署だった。


「岡崎工場で、勤労の仕事をしています、加藤と言います」加藤さんはそう言うと、一礼して篠原君にマイクを渡した。

さぞ、自分が口にしたその言葉は、自分の胸に突き刺さっている事だろう。

辞令発行日は7月1日。

同期のみんなはもう新しい部署に再配属している。

リクルーターの彼らは、その仕事の為、少し遅れるだけで、加藤さんは望んでいた、今言葉にした岡崎工場の勤労課の人間ではもうないのだから・・・。


優しいスズッキーは、少し丁寧に仕事の内容を学生達に伝えた。

義之にマイクが回る。

「NON-WOVEN、って分かりにくいかな?不織布、って言っても難しいか。まぁ、そんな商材の営業をしています、山田と言います。よろしくお願いします」

ここではあんまり詳しい説明をしない方が良いだろう。なんだか分からないが、横文字の、日本語に訳しても分からない、なんとなく格好良さそうな仕事、そう思ってくれればいい。


「それではまず、我が社の紹介ビデオをご覧下さい」岡田君の言葉に、自分達でテーブルを隅に動かし、照明を消し、正面のスクリーンにビデオを映す。

疲れからか、暗くなったのでウトウトしてしまいながら、ちらりと学生達を見る。

熱心にメモを取る学生もいる。


・・・なぁ、君・・・もう終わってるんだよ・・・今朝、俺達は、内定者を見送ったんだよ・・・


心の中で義之は呟く。

このホールの中、全てが偽善だ。

「会社説明会」?確かに「説明会」だろうよ。でも、学生達はそう思っていないんだ。若手でのざっくばらんな説明?誰も会社の事なんて殆ど分かっちゃいない。ただ、人手が惜しいだけだ。

君たちは選ばれてこのホールにいる訳じゃない。いや、ある意味「選ばれている」とも言えるか。内定者を選ぶ大学でも私立はある意味無作為に選ばれている面もあるが、君たちは、本当に、全くの本当に「無作為」と言う言葉にも当たらない、僕たちが「適当」に選んだだけの、ただ、企業としての体面を保つ為だけに、わざわざ交通費と時間を浪費して来ているんだ・・・。


ビデオが終わり、明かりをつけると、岡田君が、

「それではこれから簡単なテストと、アンケートに答えて頂きます」と告げる。

残りの4人で用紙を配る。一応ここは本格的な、その手の教育会社が作成している適性検査テストだから結構な厚みだ。4人で手分けしても、600人分は流石に重い。

「皆さん、事前に開封するフライングはやめて下さい」岡田君の声が響く。

「皆さん、用紙が手元に無い方はいらっしゃいませんね・・・では、30分、お願いします」

形式的に腕時計を見て、壁に掛かった時計を見て、岡田君はホワイトボードに、

「13:22~13:52」と書いた。


静かに鉛筆を走らせる音だけが聞こえる。みんな真剣そうだ。

就職に優位にする為、適性検査の練習も行っている大学もあるらしい。そういう大学で、たまたま同じテストだったりして、「ラッキー!」と思っている学生もいるのかもしれない。


・・・ラッキーなんかじゃないんだよ・・・逆に真剣に問題に取り組んでいる人達は、少なくとも頭を使う時間を使っている。この時期に内定者を確保出来ていない中小企業対策にはいい勉強だ。なのに君は、そんな時間を無駄に浪費しているんだ・・・


カンニング監視、と言う名目だが、実際は30分暇なだけで、ぶらぶら歩いて学生達の様子を見て回る。

関西屈指のお嬢様大学の女の子は、噂に聞いた通り胸にエンブレムの刺繍が入った制服で説明会に来ている。

・・・事務職で就職活動したらいいのに・・・

チラリとアンケート用紙を見る。

冒頭は、ありきたりの「志望会社を順番に3社書いて下さい」だ。

思わず笑いそうになって、必死で堪えた。

勿論、第一志望はウチの会社だ。第二志望は「ルイ・ヴィトンジャパン」だった。

・・・その選択ってどうなの?ウチの会社、衣料用テキスタイルだけやってるんじゃないよ。少しだけでいいからもっと会社を勉強しなきゃ・・・って、その時間は無駄か・・・


「それでは試験を終えて下さい。筆記用具を置いて下さい。でも、アンケートの方は、この後の質疑応答の間も記入して頂いても構いません」

と言いつつ、適性検査の用紙を回収もしない。明らかに杜撰だ。聡い学生なら気付くだろう。


再び自分達でテーブルを戻し、もう司会役となった岡田君が、

「それでは、時間は短いですが、簡単に質疑応答に入りたいと思います。希望の方は挙手願います」と言った。

アピールしたいが為、みんな学生達は一斉に手を上げる。

司会役の岡田君、そして1人だけの女の子の加藤さんと実際に再配属されて仕事をしているスズッキーと義之が座り、篠原君がマイクの受け渡し役となった。


でも、折角のアピール出来る時間の筈なのに、

「職場の雰囲気はどんな感じですか?」

「残業はありますか?」

「休日はどんな事をして過ごされていますか?」等、下らない、ありきたりの質問ばかりだ。


・・・でも、自分もそんな感じだったかも知れなかったな・・・


そう思いながら、適当な答えであしらっていた。


一人の女性がマイクをもらった。

「男女雇用機会均等法が86年に制定されてから10年が経とうとしていますが、一般企業で本当に女性が総合職に登用されるようになったのは、ここ数年だと思います。それまでは殆ど事務職の、お茶くみや機械的な事務処理が仕事だったと聞きます。

でも、今回、御社はこうして総合職に女性を採用頂く機会を与えて下さいました。

でも、不安感はあります。女性でも希望する職種に付けるのでしょうか?ご教示願います。

出来れば、折角女性の方がいらっしゃるのですから、その方から感じている事をお聞きしたいと思います」

素晴らしい質問だ。採用担当者がいたら関心を示した事だろう。

しかし、自分達にはもう何も権限は無い。本当の「仕事」は昨日で終わったのだ。今は「残務処理」でしかない。


義之達は顔を見合わせた。加藤さんはじっと前を向いている。

どうしよう?

ほんの昨夜、加藤さんは、あれ程嘱望していた岡崎工場での勤務継続を断られ、一番希望していなかった営業に配属されたのだ。

確かに義之も、願ってもいない、事業開始以来、万年赤字の、同期の中でも「ババ」と言われる部署に配属され、地味な営業を行っている。でもそれは、購買畑で育てようと、3年程は三嶋工場で働く事をそれとなく言われていたのに、まぁ今から考えてみればどうって事もないちょっとした人間関係や、同じ文系の同期が去る事への寂しさがあって、残っていれば良かったものの、断った事に対する、ある意味「報復人事」だった。

でも加藤さんは勤務態度も優秀だったらしく、工場勤務を希望していた。それなのに、希望もしていなかった営業への配属となったばかりだ。


・・・今、加藤に答えさせるのは酷だと思います・・・

・・・マイク渡したらとんでもない事言ってしまうかもしれないぞ?

・・・僕が答えようか?


そう男連中が目配せして、ちょっとの間思案していると、すっくと立ち上がり、加藤さんがマイクを持った。


「あ・・・」男達は心の中でそう思っていた。


「ご指名有難うございます。女性の視点で、との事でしたから、私から答えさせて頂きます。

先ず、男女雇用機会均等法に関してですが、私をご覧頂ければお分かりだと思いますが、お茶くみなどではなく、立派に一人前の仕事を任されています。別にお茶くみが立派な仕事ではないとは言いません。ですが、ここにいらっしゃる先輩の鈴木さんも山田さんも、工場に配属された当初から、新しく新入社員が入ってくるまで、早朝一番に出社して、皆さんの机を雑巾がけしていたと伺っております(確かにそれは事実、とスズッキーと義之は頷いた。別に見せかけではない、本当の話だ)。

そして、職種の事ですが、別に女性だからという訳ではありません。男性も希望の職場に必ず行ける訳ではないのが事実です。どの職場でも必要要員があります。過剰に希望しているから、と受け入れても、逆に仕事が無い、という状況になりかねません。

ただ、与えられた職場で頑張って成果を残し、会社に認められる人材となり、希望部署にも望まれる人材となれば、必ずその職場に行けると思います。

でも、人の心は移ろうものです。

多分、サッカーをしている人はFWをしたがるでしょうし、野球なら4番ピッチャーでしょう。しかし、与えられたポジション、それはキーパーかも知れませんし、ライトかも知れません。それを黙々とこなしている内に、その与えられたポジションが楽しくなってくる事があります。そういう話はよく聞きます。

それは仕事だけじゃありません。どんな事でもその道を究める事、それは当初望んでいた事と異なるかも知れませんが、それこそがかけがえのない事だと思います。

そして、しれが出来る会社だと思い入社しましたし、今でもそう思っています。

・・・

以上でよろしいでしょうか?」

「丁寧なご説明、有難う御座いました」そう言うと、質問した女の子は丁寧にお辞儀して、席に付いた。


義之には言葉が無かった。

どうして昨夜、あんな辞令が出たばかりなのに、これだけの話が出来るのだろう。

落胆しているだろうし、少なからず会社に失望しているだろうのに。

多分、他の男連中も同じだったのだろう。篠原君もマイクを受け取るのを忘れ、岡田君も質疑応答の進行を暫し忘れている様で、加藤さんの手元に置かれたマイクを受け取るのを忘れていた。


加藤さんがマイクを岡田君に渡し、漸く岡田君は我に返った様に、

「次の質問のある方」と言った。

あんな質問と、それに対するあれだけの答えの後、質問出来る度胸のある学生はいない。


午後2時を過ぎた。


「それでは会社説明会を終了致します。皆様、有難う御座いました。適性検査の回答とアンケート、そして履歴書は机の上に置いておいて下さい。問題は持ち帰って頂いても構いません。アンケートに記入が足りない人は、後10分だけ待たせて頂きますから、時間内に記入願います。記入が終わり次第、各自退席を願います」

多分、次の会社説明会に向かうのだろう。急いで席を立つ人。アピールの様に最後まで必死にアンケートの自由欄を書き続ける人・・・


学生達が帰った後、解答用紙・アンケート・履歴書を回収しながら、義之は加藤さんに近づいて、そっと、

「・・・加藤さん・・・」

「何も言わないで下さい。言いたい事は分かっています。でも、これが女として一人、この役割をまかされた私の『仕事』だと思っていますから」そう言うと、黙々と書類の回収作業に戻って、続ける。

義之には、もうそれ以上かける言葉は見つからなかった。


採用部屋に戻ると、言いたくない辛い作業がまた待っている。

新たにレンタルされたシュレッダーが人数分6台置いてある。600人分の適性検査の解答用紙、アンケート、履歴書は、誰にも読まれる事無く、シュレッダーに飲み込まれていく。

「越谷さん、あんな感じで良かったんですかね?」バリバリ紙を砕いていく音の中、岡田君が聞く。

「知るか。俺は会場にいなかったんだ。でもまぁ、俺も何も分からずやらされたけどな」次々と、もうただの紙切れとなった、恐らく学生にとっては貴重な書類を、シュレッダーに飲み込ませる。

「鈴木さんは?」

「良かったと思うよ。何も台本も無い中で、あれだけの議事進行が出来るのは流石だよ」紙が割ける音が叫んでいる。泣いている。

「中野さんは?」

「そんなん、分かんねぇよ。お手本も見せて貰ってないんだから、正解なんて誰にも分からないとちゃうか?」虚しい、学生を馬鹿にしたやるせない作業を淡々と続ける。


「・・・申し訳ありません・・・あんな差し出がましい事を言って・・・」

多分、悔しくて、悲しくて堪らないだろう。あんな質問をした女の子の履歴書も、誰かが、加藤さん自身かも知れない、シュレッダーに掛けられているのだ。

こんな作業は女の子に、特に今の加藤さんにさせる作業じゃない。


「何があったか知らないけどさ、もうこれからは気楽にしてりゃいいんだよ。ほら、工場見学に来る小学生に接する感じでさ。

・・・そう思わねぇと・・・やってらんないよ、後2日・・・」励ます様に気楽なだった越谷さんの声は、最後だけ呟きになっていた。


後の2日は、本当に事務作業だった。氷になっていた。学生達が蟻に見えた。

適当に自己紹介して、ビデオの間うたた寝し、適性検査の間、適当に学生の様子を見て、適当に質問に答え、そして、何も思わず、ただの紙をシュレッダーに投じていた。



そして3日後、採用部屋の掃除をしながら一応学生らしき人達からの電話応対をしていた岡田君達が帰る日となった。


もう殆ど手伝う事のなくなった義之とスズッキーは、それでも最後の挨拶に採用部屋に行った。

そこは、あれだけあった書類も綺麗さっぱり無くなり、それを飲み込んだであろうシュレッダーも無く、あれだけしがみ付いて学生と話をした電話も無くなっていた。何も無かった。


「お疲れさん」義之は後輩3人に言った。越谷さんはもう自分の仕事に戻っている。

「僕はいいですけど、篠原と加藤は大変ですよ。戻って、荷物まとめて引っ越して、すぐに新しい職場ですから」岡田君は言う。

「本当に嫌な仕事だったね、リクルーターって・・・人を選ぶと言うより『人を切る』のが殆どの仕事だもんね」スズッキーが言った。

「でも、僕は工場で勤労だから、来年もするんでしょうね・・・慣れましたよ」笑いが痛い。

「・・・私も、来年は先輩たちみたいな立場になるのかな・・・私、先輩たちみたいに堂々と話、出来るでしょうか?」加藤さんが尋ねて来る。

「俺らが堂々?何も分からず、適当にやってただけだって」

「鈴木さん、山田さん。最後まで時間を割いて頂いて有難う御座いました」篠原君が頭を下げる。

「君たちの方が大変だったろうに。少しの時間だけど、ゆっくり疲れを癒してね」

「おう、営業はもっとえげつないぞ!」

みんなで笑った。それが最後だった。


仕事がひと段落して午後10時に寮に戻った義之は、秘蔵の裏ビデオを選別に、岡田君と篠原君に渡そうと部屋に行ったが、もうもぬけの殻で、寮から貸し出されていた布団もなくなっていた。


・・・あぁ、本当に今年の採用活動は終わったんだ・・・


岡田君が寝泊まりしていた部屋で、スズッキーと二人、あと2本のビールを置いて乾杯した。

暫くすると、義之達以前にリクルーターをした連中も集まり、自分達の経験をネタに酒を飲んだ。


畳の上に、今日付けの白紙の人事部名義の領収書が1枚、ピンで止められていた。

「どうぞご自由に」岡田君の硬い文字が付箋で添えられていた。


それ以降、茨木駅前の屋台村に行く事はなかった・・・。


翌年も岡田君は常駐のリクルーターとして大阪にやって来た。

そして、義之も少なからず採用活動に関わらされた。と言っても、去年みたいな電話番なんかの張り付きではない。岡田君が「落としたい」と思った義之と岡田君の出身大学の学生を落とす為の切り札として使われていたのだ。


今日も『レザリオ』から「監獄室」に連れ込んだ学生を落としに掛かる。

「Tで何やりたいの?」

「色々やらせてくれるって話です」

「Tで色々やれると言ったって、限られてるでしょ。ウチなら、本当に多種多様な商材を扱っているから何でも出来る。希望したらスタッフももちろん」

「でもあっちは世界的企業ですよ!」足立、と言う学生は、こんな部屋に連れ込まれ、半ば怒っている。

「でもさぁ、Tが扱ってる製品の素材って、ウチが売ってるんだわ。ウチが無いと成り立たないし、君があっち行く事で取引がややこしくなるって事もあるかもね」

「・・・脅し、ですか?」

「いや、それだけ君が欲しいって話」

この一年で義之も図太くなったものだ。随分、人を見ての駆け引きも上手くなった。

この足立って奴は自信家で、甘やかすよりも挑発する方が乗ってくると見た。

思った通り、暫く少し手綱を緩めたり、その後ギュッと引っ張ったりしていると、

「分かりましたよ!電話します!」と受話器を取った。

その会話の中で、義之は、足立君が天秤に掛けていたのが、陶器メーカーのTでなく、自動車メーカーのTである事を知った。


「おい、TはTでも全然違うじゃないか。あの自動車メーカーのTならもっとそれなりの対応するぞ」足立君が帰った後、岡田に義之は言う。

「あれ?そっちのTだと言ってませんでしたっけ?」岡田も本当にそう言っていて、義之が聞き間違えただけなのか、それともわざと間違えて言ったのか、表情では読み取れない。

こいつも図太くなったもんだ。

「でも、山田さん、凄いですね。勘違いしていても、頓珍漢な会話になっていないって」

「そりゃ、たまたまだ。今、こっちは冷や汗もんだよ、全く・・・」



そんな足立君は、平成最後の年の今、産業資材部ナイロン課の課長になっていると聞いた。バブル期の上が詰まっている中では異例の出世だ。


会社を辞める前、黒田君に会った。義之に会う度に嬉しそうな笑顔で駆け寄ってくる。

炭素繊維の営業だ。

「今度、マクラーレンのF1のシャーシの話をするんっす」大きな声で義之に言った。


篠原君も同じく炭素繊維の営業。ボーイング向けの担当をしている。

「全部部長と課長がネゴするから、僕はデリバリーの仕事しかないんです」

そんな贅沢なボヤキを義之にした。


岡田君は人事畑一本。

「人事って嫌ですよ・・・言えない話は沢山あるし、人の目が疑心暗鬼になります・・・」

そんな苦労からだろうか、もうかなり白髪になっていた。

「なら、営業するか?」

「山田さんみたいな事は出来ませんよ」

「俺の部署が特別。他の部署ならもっと楽だって」

義之の仕事場の不織布事業は事業開始以来、万年赤字だったが黒字化し、不採算用途だったカーペット基布を、何とか義之が(勿論、上司の助けもあったが、担当の義之が一番苦労したと思っている)撤退させ、新規用途を開拓し、今はその用途は後輩に譲り、韓国から紙おむつ用の不織布を輸入販売する、本来なら関連会社の商社がする事を、たった一人でやり繰りしていた。

「ここだけの話ですけど、山田さんの評価って分からないんです。それ程イレギュラーな存在なんです」こっそり岡田君が囁いた。


加藤さん、加藤祐子は苦労しながらもマイクロファイバー織物担当として、有名デザイナーと対等に商売している。

あのリクルーター活動の体験からなのか、それとも慕っていた義之と同期の鈴木康子や久保紀子がたまたま義之と同じ三嶋工場で実習をしていて、それが縁だったのか妙に仲が良かったからなのか、加藤祐子は義之に妙に慕っていた。

韓国からPP不織布を紙おむつ用に輸入販売する業務となり、東京に異動してからは、喫煙室に義之が行く度に付いて来たり、お昼となると義之を誘って来たり、東京の部のメンバーからは、「恋人か?」と思われてもしていた。


韓国と取引先との間に挟まれ、精神を病んで休職した後、復帰した時は、涙を流して抱き着いて来た。



あぁ、懐かしい思い出だ。


この平成最後の年、ホームセンターでの仕事の昼食、朝顔さんが作ってくれたお弁当を食べながら、テレビのニュースで就職活動開始の話題になった時、それらが走馬灯の如く思い出された。


ODの自殺未遂で再び休職し、復職出来ず、特別休暇も使い切り、退職したあの会社・・・

今は大学3回生から就職活動は始まっているらしい。

今は、どんな採用活動をしているのだろうか?あの、平成の初めの頃の、就職氷河期の始まりの頃とは随分変わっているのだろう。

今の大学生は幸せだ。そして、リクルーターも幸せな叫びを上げている事だろう。


でも、後悔はない。

こうして、朝顔さんの手作り弁当を食べられるのは、あの会社を退職したからだ・・・


テレビのニュースは地方ニュースとなり、地元の祭りを取り上げている。


義之は、自分にとっては少し甘い、でもそれが朝顔さんらしいと思う卵焼きを口にした。



完)




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