アンリエット様が、帰ってきました
公爵様との会話を終えて、伯爵家の馬車……だけではとても乗り切れないので、走れそうな人達は走って帰ることになった。まあなんといってもビスマルク王国とレノヴァ公国が一瞬だったんだ、隣接しているバリエ領なんてすぐそこって感じだろう。
そんな中でもやはり遠慮したがりなのが、この人。
「なんだか私が馬車に乗ったままというのは、心苦しいですね」
「いえ、マーレさんが乗ってくれないとユーリアが意地でも走りそうなので、絶対に乗って下さい」
「そ、そうです! 陛下が自らの足を使うのに私がただ乗っているだけなんて、とてもできませんっ!」
「もう……そんな貧弱じゃないのになあ……」
マーレさんは困ったように頭を掻くも、僕も王族に走らせて上司にも走らせて部下が貴族の馬車は、ユーリアの性格じゃ絶対居心地が悪いと思います。
というか、現段階で既に相当居心地が悪いと思います。
姉貴はレオンを再び腕の中に収めながら、そんなユーリアに向かって声をかける。
「もーっ、今回最大の功労者だっていってんのに、すぐに遠慮しちゃうんだから」
「み、ミアお姉様……さすがにそれは、言い過ぎだと」
「まったく言い過ぎでもなんでもないわよ。正直あたしは、あんたの師匠がどーゆーヤツか知らないけどさ……ユーリアちゃんは女王の護衛じゃないから、こうやって身一つで独立行動できるわけでしょ」
「そ、それはそうですが……」
「だったらユーリアちゃんは、特別なのよ。何でもできるのに、どこにでも連れ出せる子。あたしやライにとっちゃ、それこそその師匠の魔人族よりよっぽど優秀ね」
姉貴がこちらを向き、僕も笑顔で頷く。
本当に、今回は最初から最後までユーリアがいなければどうしようもない事件だった。まさか索敵魔法がここまで広範囲で、しかも詳細に分析まで出来るなんて。
何よりも、全ての指示を的確にこなしてくれて、しかも過不足なく能力を発揮してくれる。その上で、僕の指示を徹底的に聞いてくれる腰の低さ。完璧な補佐だった。
賢者の称号、どう考えてもユーリアが適任だ。
マーレさんも、さっきからベタ褒めの姉貴の発言を受けて、ユーリアを高く評価した。
「マグダレーナさえいなければ、私もあなたを推薦していただろうね。どうしても彼女がいる以上、立場を与えられないけど……私アマーリエの名前に於いて、あなたをレオンと同等の立場として振る舞うことを認めます。こう言っても、きっと貴方は威張ったりなんてしない。私には分かるからね」
「へ、陛下……あ、ありがとう、ございます……」
完全に頭が真っ白になっているようで、顔を濃く染めながら、下を向いて両頬を押さえるユーリア。
その隣で……ずっと黙って外を見ているのは、アンリエット様だ。そもそもバリエ家の馬車なのだから、彼女が乗っていないのはおかしいのだけれど……今はどうにも会話しづらい。
馬車に乗っているのは、僕と姉貴とその腕の中にいるレオン、対面にマーレさんとユーリア、そしてアンリエット様。
話題もなくなり、皆で外を見ていると……やがてバリエ家の屋敷に到着した。
「お帰りなさいませ、ミア様…………アンリエット様!?」
「ん……ただいま……」
「だ、旦那様〜っ!」
今日も出迎えをしてくれた方が、大慌てで屋敷の中に戻っていく。それから入り口付近で少し顔を出しては屋敷の中に大慌てで戻っていくメイドが数人現れたところで、アンリエット様はようやく事態を把握したようだ。
「こんなに、心配をかけていたのね……」
「いやいやあんた、心配かかってないとか思ってたわけ?」
「冒険者として剣を振るようになってから、あまり声をかけなくなったから」
アンリエット様の答えに、姉貴は「ふーん……」と言って腕を組んでいたけど……もしかして。
「それって、もしかしてアンリエット様を信頼していたのではないでしょうか」
「え……私を?」
「僕の……というより姉貴の両親もそうでした。本当は前衛を選んだ姉貴を心配していたんですけど、止めたい親心を抑え込んでいたと聞いていましたから。だから止めたのは、最初の一回だけでした」
「ちょっとライ、あたしそれ聞いてないんだけど」
「姉貴に言ってもつっぱねられると思ってたんじゃない?」
「うっ……」
なんといっても姉貴、あの頃はけっこー反抗期だったように思うし。
僕が姉貴に言った内容を聞いて、アンリエット様は目を見開いた。
「そんな……私の時も、確かに最初の一回だけ、止めに入られた……」
「やっぱりそうですね。アンリエット様のことが心配だけど、きっと大丈夫だと信頼していたから送り出したんですよ。そりゃあ家に戻ってこなくなると、大丈夫じゃなかったのかと心配しますって」
「……そう、だったんだ……」
どうやらアンリエット様、ちょっとした反抗期みたいな部分も外に出ていた原因だったらしい。
なるほど、ほんの少しのすれ違いだったんだな。決して仲が悪いわけではないようで、安心した。姉貴もうんうんと満足そうに頷いている。
「アンリエット!」
と、そこでオレールさんがやってきた。
「お父様、ごめんなさい。ご心配をおかけしました」
「まったくお前は…………? 久々に会ったと思ったら……ずいぶんとしおらしいじゃないか」
「うん。もう私から何かを言うより、詳細はミア様から聞いていただいた方がいいかなーって……」
姉貴は視線が集まったところで、屋敷の中で説明することを提案した。
-
そして皆が集まったバリエ家のサロンで、姉貴は今までのことを語った。
アンリエット様のこと、リヒャルトのこと、魔人族のこと。
オレール様はころころと表情を変えていたけど、最終的には優しい目をしてアンリエット様を見ていた。
アンリエット様の方は……やはり気恥ずかしくてオレール様のほうを見られないようだった。
「ミア様は、アンリエットのことをどう思うか聞いてもよろしいでしょうか。愚かな娘だと思いますか?」
「めっちゃ愚かね。特にあたしに楯突いて勝てると本気で思ってる辺りとか……いたっ」
僕は調子に乗りかけていた姉貴の頭を叩く。
「そういうこと言ったらダメだろ、元々姉貴の力だって、半分は自分のものじゃないし、今は強化魔法さえ自分のものじゃないし」
「うう、ちょっとした冗談のつもりじゃないの……」
「すぐに調子に乗る上にただでさえ高い地位なんだから、僕が諫めてるんだよ」
「わ、わかったわよ。えーっと、まあアンリエットって聞いての通り、ちゃんとお姫様願望あるっていうか、けっこー可愛いところあんのよ。だからこーゆーアクシデントも、結果的にはよかったかなってオレールさんが思ってもらえたらいいんじゃないかなって」
「……そう、ですね。ありがとうございます。ミア様が寛大な方でよかった」
「ま、半分は許してないけどね。オレールさんに、アンリエットへの罰を任せたいと思うのだけれど、いいかしら?」
「もちろんです。さてアンリエット、まずは自宅謹慎だ。家にいる間は、放置していたマナーの講習を受けてもらう」
「う……わかりました」
オレール様は心底安心したという様子で、ソファに深く腰掛けた。
僕はそこで、黙って話を聞いてくれていたもう一人に話を振る。
「マーレさんも、アンリエット様のことは許すのですよね」
「当然です。彼女のやったこと自体は私にとって悲しいことですが、それは人間がずっと行ってきたこと。その上で彼女が騙されてやっていたというのなら、彼女もまたリヒャルト様……いえ、ミアの言葉を借りるなら『ハイリアルマ教に唆された』と言ってもいいのではないでしょうか」
「ありがとうございます、マーレさんならそう言ってくれると思っていました」
僕とマーレさんの会話を聞いて、オレール様が声を挟む。
「すまない、ライ殿。彼女は……」
「はい。この方は姉貴の友人にして、魔人王国の女王。魔王アマーリエ様です」
「————え?」
集まった皆様、完全に凍りついた。そしてマーレさんに視線が集中する。
そんな周りの様子を見ながら、笑って手を振るマーレさん。
「いえ、そんなに構えないで下さい。オレール様もここの領主なのでしょう? 私もただの領主であり、同時に一人の魔人族でしかありませんから」
「……そ、そうなのですね……」
「はい。……もしよろしければ、レノヴァ公国とも友好関係を結べましたし……バリエ伯爵の領地もいかがでしょうか。決して悪いようにはいたしません、必ず約束します」
「ええ、ええ。レノヴァ公爵様とミア様が、何よりライ殿が認めた方なら間違いないでしょう。よろしくお願いします」
「まあ、本当ですか! 嬉しいです、よろしくお願いします!」
今度は積極的に、マーレさんは前に出てオレール様との友好関係を結んだ。なんだかオレール様の言う順序がおかしかったような気もするけど……まあいっか。リンデさんもとってもニコニコしているので、細かいことはいいや。
皆が穏やかな気持ちになっているところで……セリア様が立ち上がった。そして少し思い詰めた顔で、アンリエット様のところへと向かう。
「お母様……」
「私は、まだ怒っていますからね」
「あ……」
「怒っているんですからね!」
「ッ!」
セリア様は、険しい顔つきで腕を組んでいた。それは初めて会ってから今までで、見せたことのないほどの……と思ったら、姉貴もオレール様も驚いていた。怒ったセリア様は、本当に珍しいらしい。
確かに初対面から、穏やかに微笑む貴族の夫人といった様子で、穏やかで綺麗な人だった。アンリエット様は、この人を怒らせるだけのことをしたのだ。
セリア様の……手が上がる! 反射的に目を瞑って身を竦ませるアンリエット様に、セリア様の…………両腕が伸びて、その母親以上に大きくなった娘の体を包み込む。
「……え……?」
「…………まったく……心配を、かけて……何度、探しに行こうとして止められたか……」
「あ……ッ! ごめん、なさい……ごめんなさい………! ごめんなさい、お母様ッ……!」
セリア様は、本当にアンリエット様のことを心配していた。表に出さないだけで、自分が危険を冒してまで飛び出そうとするほどに心配していたのだ。
ようやく、それが実感として分かったアンリエット様は、ついに決壊し……セリア様の胸の中で泣き始めた。
二人の姿を見て、この依頼を引き受けて、そして完遂することが出来て……本当に、良かった。
「う、うぅ〜っよがったでずぅ〜〜……」
そして、当然のようにもらい泣きしてしまった子がいた。
「こうして全てが丸く収まったのは、リンデさんのお陰でもあるんですよ。ありがとうございます」
「うぅ……ぐすっ、はいぃ……来て、よかったです……一番、良かったって、思えましたぁ……」
「はい……リンデさんが来てくれて、よかったです。」
そんな優しいリンデさんの頭を、僕は優しく撫でるのだった。
……リンデさんを抱き寄せて頭を撫でる僕は、当然注目されていて、なんとも恥ずかしくなってしまったけど……。
でも、本当によかった。マーレさんをすぐに連れて来てくれて、最悪の状況は回避できた。それどころか、マーレさんとしてはトラブルを利用して、一気に人間の貴族達と友好関係を結ぶ結果となった。
かなり無茶なお願いだったけど、リンデさんはやり遂げてくれたのだ。
最後の最後で、頼りになる。
やっぱりリンデさんは、素敵な人です。
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サロンが一旦お開きになり、マーレさんは残った者に心配をかけるから、そして他の者にも何があったか説明をしておきたいと言い、勇者の村へクラーラさんと一緒に帰っていった。
再び最初のメンバーへと……いや、アンリエット様が増えて、家族が元通りになったバリエ領。夕食までの待ち時間に、一人で静かに暗くなった空を見上げている姉貴を見つけた。
向こうは既に、こちらに気がついていたようだ。
「ライはさ」
姉貴の顔がこちらを向く。
「セリア様を見て、どう思った?」
「ん、アンリエット様とのこと?」
「そうよ」
姉貴は再び、空の方を向く。
「子供のころ、最初にゴブリン討伐する時さ……あたしが剣を持って飛び出したその日の晩は、随分と止められたわよね」
「そうだったね」
「ライは知ってたみたいだけど……やっぱり、見送られてた毎日ず〜〜〜っと、心配かけてたんだろうなあって……思っちゃってね……」
姉貴はセリア様を見て、今は亡き両親のことを思い出しているようだった。
娘が勝手にいなくなってしまう。自分の子供を持っているわけじゃないので、正確にはわからないけど……自分の危険を身に晒してまで…………。
…………いや、いたじゃないか。
僕たちの、両親だ。
「やっぱり、命張ってでもってなっちゃうんだろうね」
「……そーね……それで命張られた方、残された方はたまったもんじゃないけどさ。でも……セリアさんがそれこそ一人でキマイラの森まで行きかねないぐらい、娘のことになると暴走するとは思わなかったからびっくりしたわ……。ほんっと、アンリエットのやつ、親不孝もいいところよ。しばらくは家ん中でセリアさんにひっついてもらいましょ」
まったくもって、それには同意だ。アンリエット様は、しばらくセリア様の側で安心させてあげてほしい。
僕たちは、もう世界で二人だけの家族になってしまった。アンリエット様は貴族として、そしてあの家族に囲まれて順風満帆に生活してきただろうから……セリア様がいなくなった後も、セドリック様の母親であるジョゼ様を見ながら暮らすとなると、その喪失感は計り知れないだろう。
父さん、母さん。
勇者の姉貴と一緒に、この国で一人救えました。
……僕たちみたいにならずに、済ませることができました。
まだまだ頑張りますから、見ていてくださいね。
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翌朝、朝食を食べ終わったバリエ家に、来客があった。
「オレール様、ご無沙汰しております。それでこちらに……ああっ、ライムント様! お会いしたかったですわ! ささ、お父様」
「おお、貴殿が勇者ミアの弟、ライムント殿か!」
そこには、一日ぶりとなるエステル・ロワイエ様、そして彼女の父親であるヴァレリー・ロワイエ様がいた。