マーレさんは、想像の上を行く方でした
マーレさんの氾濫の話題は、ちょうど今マクシミリアン様が話したばかりのことだった。
「魔物氾濫は、大体小規模なものなら四年に一度、中規模なら十二年、そして大規模なものなら六十年ぐらいに一度でしょうか」
「……く、詳しいですね……」
「ええ、ある程度人間の危険になりそうな情報は事前に調べてあります。魔人王国周辺はもちろんのこと、近隣の……そうですね、ここから東の一部ぐらいまでは把握しています」
マーレさん、なんと魔物の活動をかなり広い範囲で把握していた。
魔人王国の周りにいる魔猪がこちらの大陸に渡らないように討伐していることと、周囲のクラーケンが周りの国を脅かさないように討伐しているという話は知っていたけど、索敵範囲が予想以上に広い。
「マーレさんは、どうしてそこまで広い範囲を観測できているのですか?」
「これに関しては、ユーリアより広い範囲の索敵を可能としている、第六刻マグダレーナの索敵魔法と氷の道、それに伴うクラーラの遠距離攻撃などが影響しています。船がいないかどうか調べて、頻繁に北回りで討伐に出ながら調べてもらって、私がその報告を受けているのですよ」
またもや話題に現れたのは、時空塔騎士団のマグダレーナさんだった。
そうか、ユーリアがこれだけ優秀な魔術師であり、あそこまで索敵範囲が広くて詳細なんだ。その師匠の索敵範囲がどれほどのものかは、推して知るべしといったところだろう。
「それで四年に一度ということまで知っているのですか」
「どちらかというと予想ですけどね」
マーレさんによると、どんな魔物にもだいたいの魔物の現れる周期というものがあるらしい。
そして氾濫の規模もそれぞれ全く違い、人間からは普段のゴブリンが四年ぶりに一.〇二倍、六十年ぶりに一.一倍になっている程度ではスタンピードの周期としては分からないだろうと。
「六十年でその増減幅だと、確かにわからないですね……」
「ええ、どうしても大きく増える場合だけに目が行きますからね。それに四年置きには全く変化がないとか、四年置きと十二年置きだと全く同じ数だとか……更には、十二年置きに増えた魔物によって、その年だけ少ない魔物がいるとか。特に六十年に一度だけだと分からない場合も多いんじゃないでしょうかね」
……なるほど、増える量の差はもちろん、何年置きで増えるかも全然違う。そして魔物同士で増減が変化することもある、ということか。
「それで……レノヴァ公国の魔物はフレイムベアの時期のはず」
「あっ、懐かしいわね。確かに四年前ぶった切ったわそいつら」
「ミアが討伐したのはやっぱそいつらなんだ。っていうか十六歳であの巨大熊の大群を斬ってたって、本当に勇者って人間の枠を超えて強いんだね……」
「とーぜん! あのぐらいなら当時から余裕だったわ!」
姉貴が笑って親指を立てる。そんな余裕そうな姉貴にマーレさんも「調子に乗ったら駄目だよ」と苦笑していた。
……フレイムベアというのは、文字通り燃えている熊……ではない。炎のように赤い熊のことだ。レノヴァ公国の北の山に現れる、非常に獰猛で好戦的な魔物とのことだ。
僕は直接見たことはないけど、オーガより強い魔物らしい。
マーレさんは、窓の外を見た。城門から一番奥のこの部屋の窓は、北側に向かって開いている。その先に広がる光景は……かなり荒れ果てた山だ。
その原因を作った人物が、ここにいる。
「これ、誰がやったの? ミアが山火事起こしたの?」
「真っ先にあたし疑うんじゃないわよ!? あたしは南門担当だったから……これは、西門のユーリアちゃんが魔法で攻撃しまくったからこうなってるのよね」
マーレさんが首を向けて、ユーリアさんが慌てて片膝をつく。
「も、申し訳ありません陛下! キマイラの討伐を担当するにあたって、広範囲に分布していたキマイラを全て討伐するため、落雷魔法を、その……少し多めに……」
「待って」
ユーリアが説明している途中で、マーレさんが話を遮る。
「キマイラ? キマイラの討伐をしていたの?」
「は、はい……。正確には、そちらのリヒャルト殿の生んだキマイラを討伐していたのです」
「……? ライ様、申し訳ありませんが説明をしていただけないでしょうか」
そういえば、キマイラに関しては省略してしまっていた。
僕はマーレさんに魔石を見せながら、リヒャルトが錬金術を極めてキマイラを自ら生み出せるようになったこと、それらを利用して令嬢を助けるマッチポンプを仕組み続けていたことなどを説明した。
マーレさんは、次にリヒャルトへと向き直る。
「あなたがリヒャルト様ですね」
「は、はい」
「緊張しなくて結構ですよ。ライ様にはお世話になっていますし、何より私は少なくとも魔人族を理由にあなたを断罪するつもりはありません。それよりも……キマイラを山に放ったのは、いつからなのですか?」
「……キマイラは、半年よりも前からでしょうか。山に潜伏させていました」
結構前から……ともいえるし、比較的最近からともいえる時期だな。
「ふむ……キマイラには、何か命令を出していましたか?」
「ええと……自分自身が山に住んでいましたから、周囲に魔物がいた場合は倒すように命令していました」
「手持ちのキマイラは減りましたか?」
「最初は出来が悪く、かなり減りましたが……最後はほとんど大丈夫でした」
マーレさんは一通り話を聞き終えると……ソファーに沈み込んだ。
そして一言。
「はぁ〜っ……なんかアホらしいわね……」
そんなことを言ってのけた。
「……ちょっとマーレ、どーゆー意味よ」
「そのまんまだよーミアー、今回の騒動が結果的に茶番みたいで、なんだかこの騒動そのものがコントの一幕みたいだなーっておもったところー」
「めちゃくちゃ言うわね」
「めちゃくちゃも言うわよ。ま、でもこの状況を説明しないといけないんだけど……えっと、ライ様はなんとなく察していただけましたよね」
マーレさんに急に話を振られたけど……僕もどういう状況か分かってしまった。もしもマーレさんの言ったとおりだとすると、これはまさに茶番もいいところだ。
でも本当に、こんな結果があっていいのか?
「ライ様、お疲れのところ申し訳ないのですが、私の代わりに解説をしていただけないでしょうか。私はもう、ここで聞き流していますので」
「……了解しました。間違ってそうなら途中で止めてくださいね」
「それはないと思いますけど、わかりました」
僕に話の主導権を渡して、マーレさんはぼんやり天井を見つめた。皆の視線が僕に集中する。
皆に向かって、僕は解説を開始した————。
————リヒャルトは、姉貴との関係が拗れて村を出た。
そのリヒャルトがいつ完成させたかはわからないけど……キマイラを自分で作り出して命令できるようになった。
リヒャルトは半年前からずっと山にでキマイラを作りながら、ここレノヴァ公国で勇者を偽りながら人々を助けていた。
令嬢をキマイラに襲わせて、そのキマイラの間に割って入りキマイラに逃亡命令を出す。そんなマッチポンプを繰り返しながら令嬢から支援を受けるようになっていた。
そんな中に、姉貴が現れた。
そしてアンリエット様に自分が本物の勇者であることを証明し、僕がマクシミリアン様と姉貴を引き合わせて本物の勇者であることを証明してもらい、広告の回りに大量発生したキマイラを全て討伐した。
その結果が今だ。
「……ライ、あんたそんなことあたしが分かってないとでも?」
「そうだね、ここまではただの状況説明だ。しかし……ここでさっきのマーレさんの説明に戻る」
「……フレイムベアと、スタンピード?」
「そうだ」
ここレノヴァ公国の北の森から現れるフレイムベア。
そしてマーレさんが言った、『もう終わったぐらいかな』という発言だ。
初期のキマイラが、出来が悪いから減っていた。
フレイムベアのスタンピードが始まっていた。
もしも……もしもリヒャルトのキマイラが、最初から完璧だったら?
ここから逆算できる事実は一つ。
「リヒャルトのキマイラが、フレイムベアを一体残らず討伐してしまったんじゃないのか?」
その答えに、目を閉じてマーレさんが頷いた。
「ユーリア、索敵」
「ハッ! 『エネミーサーチ』!」
「どう、山に魔物はいる?」
「……まだ山に残る魔力に阻まれている部分もありますが、大きい個体はいません。そもそも最初の段階で、キマイラ以外に大型の魔物はいなかったですから」
その回答は、如実に僕の予想を裏付けるものだった。
ユーリアの出した答えに頷くと、マーレさんは公爵様に向き直った。
「マクシミリアン様。ここレノヴァ公国でのフレイムベアによる被害、近年ではどれほどですか?」
「……こ、ここ近年では、ミア様が来て下さった四年前にはギリギリ抑えられていましたが、その前は死者も少なくない人数が出てしまいまして……」
「ミア、いつ戻ってきたんだっけ? 半年よりは後じゃない?」
「そりゃ……リンデちゃんが来た後だもの、半年は経ってないわよ……」
「まったく、そんなので皆してリヒャルト様を断罪しようとしていたの? はーっ……もう一度言うけど、茶番ね……」
結論。
リヒャルトは、勇者の名を騙っていた。
そして令嬢をキマイラから助けていたわけではなかった。
しかし————キマイラは、レノヴァ公国民を救っていた。
「マクシミリアン様」
「う……うむ……」
「リヒャルト様を断罪するのは結構。しかしそうなると、フレイムベアのスタンピードに対して何か行動を起こしていないレノヴァのギルドや兵士にも責任が発生するように思います」
「……それは、確かに……」
「いいですか。間違いをすれば、謝ればいい。失敗をすれば、もう一度挑戦すればいい。ですが……死んでしまえば、もう何も出来ない。出来ない、のです」
マーレさんが立ち上がり、マクシミリアン様に近づく。姉貴と同じ背丈の女性ではあるけど……その貫禄は、やはり王族のもつものだった。
「罰するのは、本当に簡単なのです。しかしそうした場合、今後もしフレイムベアに襲われて死ぬ人が現れた時……必ず思い出すでしょう。思い出す度、あなたは必ず自らの行いを後悔することになる。私は、自らの部下に後悔しないように生きよと教えています。後悔は……長く、続くからです」
「……」
「あなたもお年を召していますが、その先はまだまだ長生きするかもしれません。その時間を時々思い出す後悔で生きてほしくはないのです。自らの国の頂点に立つ者ならば……間違えてはいけません」
「……そう……ですな。ええ。儂もそう思います」
マクシミリアン様は観念したように、姉貴にの方を向いた。
「ミア様。彼の断罪についてレノヴァ公国からはもう口出ししません。いえ、できませんね。兵士の無策を晒す羽目になる。彼に関しては、ミア様に一任します」
「わかったわ! えーっと、リヒャルト。なんつか、その、あたしもあの頃は余裕なかったというか……その、申し訳ないと思ってるわ」
「ミア……いや、いいんだ。元々罰を受けるつもりでいたんだから」
「あたしが心苦しいのよ。罰を受けるようなことをするようにけしかけたみたいだからさ……」
姉貴とリヒャルトは居心地悪そうにしていたけど、お互いの目が少しずつ合うと、やがてばつが悪そうに笑った。
まったく……なんて人だ。
僕はマーレさんに、リヒャルトを断罪する流れを止める力があるんじゃないかと期待して呼んだ。
とんでもない。僕がマーレさんの器を推し量るだなんて、烏滸がましいにも程があった。
マーレさんは、与えられた情報を元に自ら分析し、リヒャルトの問題行動を全て功績に変えてしまった。
姉貴が戻ってくるのが遅かった分、リヒャルトが姉貴を助けていた。
それは偶然のことだ。偶然のことだが……それでもリヒャルトのやったことは、命に関わることだ。
「ヴィクトル様、ここ一年で魔物によって殺された公国民はいますか?」
「……そう、ですね。ある程度把握していますが、確かにここ一年では多少の怪我までで、死者が出るほどの魔物の報告はありません」
「二年前は?」
「魔物が原因のものは、七名。この魔物は二件の例がありましたね」
「でしたら、二年前より魔物が活性化しているにも関わらず死者がいないことになりますね。リヒャルト様の活躍によって命が救われたと考えるのは、決しておかしな話ではないのではないでしょうか。むしろ報酬を与えるべきだと私は思いますね」
ヴィクトル様がその発言を受けて、なんとも難しそうに頷く。
しかし……これでリヒャルトは断罪なしどころか、報酬つきなのか? 僕としてはもやもやしたところで事件が終わりそうだ。
「あら、それでしたら一つ私からよろしいかしら?」
そんな中で声を出したのは、それまで話に加わってこなかったシモンヌだ。
今一瞬、こちらと目が合ったような……。
「私、まだリヒャルト様に騙された部分、ちょーっと納得いってないですわ」
「ちょっとショボンヌ、あんたこの期に及んで————」
「シ! モォォン……ヌッ! ですわ! 一応私もあなたと同じ貴族社会の一人なのですから、礼節を守って名前ぐらい覚えなさいな!」
「そうだよミア、名前を間違えるのは駄目だよ。ライ様が優秀なんだから、弟に胸を張れるお姉ちゃんにならなくちゃね」
「マーレぇ!? このタイミングで話挟んでこないでよ!?」
まさかのマーレさんの発言に、さすがに姉貴もたじたじである。やっぱりマーレさん、しっかり者の友人という感じで、姉貴に対しては強い。
その二人を尻目に、シモンヌが続ける。
「コホン……さて、リヒャルト様。私はあなたを信じて叫んで叫んでそりゃもう広場で叫んだ結果、一族の恥のように醜態を晒しましたわ。この落とし前、どうやってつけてくれるつもりかしら……!」
「そ、そうだね、本当に申し訳ないことをした。……そうだ、マクシミリアン様。僕にもしも報酬を出すというのなら、そのお金を詫びとして、令嬢達に渡してはくれないでしょうか」
「……ふむ……なるほど。確かに貴方自身がそれを望むのなら問題はないでしょう。シモンヌ嬢もそれでよろしいですかな」
「ええ、そうですね。それで手を打ちます」
リヒャルトの討伐報酬は、どうやらリヒャルトには入らないらしい。ちょっと下品ではあるけど、どこか納得しない結末になりそうなところで修正が入り、僕は少しすっきりした。
するとシモンヌが近づいてきて、僕に一言。
「これで少しは、値下げ分に宛てられますわ」
と、軽くウィンクしてきた。
そうか、そういえば安く買わせてもらうという約束をしていたんだった。もしかして僕が納得いかない顔をしているのを見て、ここまで考えて動いてくれていたのか。さすが商会令嬢、気が回る人だ。
そもそも、目上の人だしな。そろそろ心の中でも呼び捨てはやめるべきだろうし、ましてパラディール商会はお世話になっている人達だ。迂闊に呼び捨てにしたりしたら、後が怖い。
「ありがとうございます、その時はよろしくお願いしますね、シモンヌ様」
「あら、呼び捨てでも結構ですのに」
そういうわけには参りませんって。
ふと、姉貴が心底恐ろしいといった表情で眉根を寄せて「うっそこいつも……?」と呟いていたけど、姉貴は最近謎の独り言増えたよな、なんなんだよそれ。
「……これで、話はまとまったかな?」
最後にマーレさんがやってきて、ずっと隣にいたクラーラさんの反対側に寄ってきた。
「あの、さっき勢い余ってリンデちゃんと離すようなこと言いましたけど……絶対しないですからね。リンデちゃんとライ様の仲は、私にとって希望ですから」
「もちろん、マーレさんがそんなことをする人じゃないって分かってますよ」
「……よ、よかったぁ……ライ様に嫌われかねないと心配でした……そのような方ではないと分かっていたつもりでしたのに……」
なんとマーレさん、僕に嫌われる可能性をずっと気にしていたらしい。……まったく、本当に……これだけの地位と能力がありながら、そんな小さなことを気にかけるぐらいに控えめな人なんだから……。
「大丈夫ですよ。僕がマーレさんを嫌う事なんて有り得ないですから」
「その発言、信じてますからね」
マーレさんがそう言って、クラーラさんの反対側に陣取るように……ち、近いですね?
そしてマーレさんの僕を見上げた目と目があった瞬間————。
「あーーーーーーーーーーーーっ!!?」
後ろから、とても聞き慣れた声。
リンデさんが帰ってきた。
魔王様、今までで一番慌てた。