他の誰にも分からなくても、僕だけは分かる
思えば、キマイラは最初から不自然だった。
リンデさんと姉貴がオレール様の馬車と離れるように誘導していた。連携して行動し、本命を狙ってくる……それ自体は別にいい。頭の良い魔物なら、作戦を立てることもあるだろう。
しかし……しかし、それだけのために自分を犠牲にするだろうか? キマイラが姉貴に勝てないことなんて分かっている。しかしあんな同一個体の魔物が、そこまでの意思を持って動くとはとても思えない。仮に自分が死ぬと分かっていなかったとしたら、あそこまで統率が取れている理由がわからない。
この場合、考えられることは二つ。
一つは、魔物が更に上位の魔物によって動いている場合。
そしてもう一つが……『魔物調教師』だ。
ただ、魔物の調教といっても、こんな強力な魔物を操ることができるようなテイマーはいないだろう。しかし、今回それを可能にしたものが、錬金術だ。
キマイラそのものが、ゴーレムと同じように制作者の意思によって自由に動く存在であるというのなら、もはやテイマーである必要性すらない。リヒャルトは、道具に指示を命じればいいだけなのだ。
命令さえしてしまえれば、あとはある程度自立して動くのだろう。
その証拠が、リンデさんとともに集めたキマイラの核となる魔石だ。高純度ではあるけど、まさかこんなものからあそこまでの魔物を生み出せるなんて、相当な能力だ。
リヒャルトは感心しつつも、やはり少し悔しそうな顔をしていた。
「全く……何もかも君にやられちゃったようだね、ライ。それにしても、よくこの答えに辿り着いたじゃないか。もう少し分かりにくいかと思っていたんだが」
「ま、普通はそうだろうね。だけどリヒャルトも結構欲が出たよな」
「……欲?」
そう、欲だ。リヒャルトは慢性的にその小さなミスをやりすぎて、最終的に僕に辿り着かれるまでになった。
「キマイラに襲われた令嬢、助けたのはリヒャルトだろ?」
「ああ、もちろんそうだ。自作自演だよ」
「その令嬢がさ、あまりにも無傷でリヒャルトが助けすぎて、しかも綺麗な令嬢しか助けないなんてちょっと都合が良すぎるんじゃないかなって思ったんだよ。僕はルエル商会の馬車も見たけど、あの人たちは食料を運んでいたのに襲われても助けられてもいなかったからね」
僕の意見を聞いて、そのことにようやく気付いたのだろう。
リヒャルトは片手で頭を押さえると、自嘲気味に笑った。
「……はは、なるほど……確かにこれは欲だったなあ。そうだね、ライ、君の言うとおりだ。僕は令嬢を助けることに目が眩んで、選別して助けた」
「ほんとだよ、そりゃ気付くって。それでだけど……」
……やはり、ここに踏み込んで聞くしかないだろう。折角二人きりになる許可を得ることが出来たんだ。
僕はリヒャルトに、一番聞きたいことを聞く。
「仲間となる令嬢を集めていたのも、もっと言うと村から出ていったのも……姉貴が理由、だよな」
リヒャルトは、ここに着て初めて眉間に皺を寄せて口を噤んだ。……やはり、そうだったんだな……。
「……まさか、ミアにさ。出るとは思わなかった」
「……」
「妹分で、勝ち気だけど悪い奴じゃなくてさ。ライもだけど……おじさんおばさんが死んでから、ちょっと落ち着いて。良い戦士に育つだろうなって思っていた」
「……」
「本当に、魅力的だと思っていた」
顔を俯けたリヒャルトが、一歩近づく。
「でもさあ、あれは……あれは何だ!? あんな筋力で、あんな魔力で……! 今まで剣を競っていたというのに、急に人が変わったように冷めた目で俺を試合で打ち負かして! あんな屈辱……ライに、分かるわけ————」
「分かるに決まってるだろ!!」
「————ッ!」
リヒャルトの独白に……僕自身もあてられて、気持ちが抑えきれない!
近づいた彼の服を掴み、怒鳴りつける!
「世界中の誰もお前を理解しなくても、僕に、僕に分からないわけがないだろうッ! なんなんだよ、昔っから危険なところにはすぐに突っ込んでいくし、痛い事は自分の担当みたいに次々僕の代わりに前に出ては怪我するし! なんなんだよ二年早く生まれたからって!」
「ライ、お前……」
「両親が死んでから捨て身気味になってさ! それでもせっかく身長も追いついて、ようやく姉貴を護れるぐらいになったんだと思ったら、勇者の紋章って、なんだよ! どうして、どうして姉貴なんだ!」
自分の内面から、僕自身も驚くぐらい、溜まっていたものが溢れ出す。
それは……姉貴自身にも、リリーにも、ましてやリンデさんにも言えないこと。
ずっとその女勇者という存在に対して、同じ思いを抱いていたリヒャルトにしか言えないことだった。
リヒャルトは、本当に優秀だった。顔も良くて背も高く、剣も得意で頭もいい。それでいてグイグイ来ないあたりが完璧超人かっていうぐらい、村でも有名な優男だった。
だった、のだ。
姉貴に剣で徹底的に負けたリヒャルトは、その屈辱と、姉貴の冷めた目を一番浴びてしまった。
その気持ちは、痛いほど……本当に、自分の体が刺し貫かれるほどに分かる。『姉ちゃんを守ってやる!』そんな子供の頃の、男の子らしいささやかな願いは、姉貴の前では何の意味も成さなかった。
僕はずっと、頭一つ小さい女に守られるだけの、剣も碌に握れない男だったのだ。
リヒャルトが逃げ出さなかったら、あまりにも情けなくて僕が姉貴から逃げ出していたかもしれないというぐらい、僕は弱かった。
姉貴にやられる彼の姿を、自分と重ねたこともあった。
だけど……もう一つ。僕には母さんのハンバーグを再現するという人生の目標があった。姉貴においしいと言ってもらいたいという、明確な目的があった。
姉貴は……背中の紋章を出した時点で父さんを超えていたし、欲しいものは……母さんのハンバーグは、僕に託すしかなかった。
リヒャルトは姉貴に対して出来ることが何もなかった。僕と彼の差は、本当にそれぐらいだったのだ。
思えば……両親が死んで、勇者になって、『腕折り事件』で男との縁がなくなって。
姉貴は自分が寄りかかる、人生の目標みたいなのはあったのだろうか。
改めて今までのことを考えると、姉貴がああなってしまったのも、リヒャルトがこうなってしまったのも、仕方なかったのかもしれない。
そしてこれに関しては……姉貴も、リヒャルトも、悪くはない。
悪いのは……あまりにも、力を付与する相手もタイミングも最悪な、女神だ……!
「何がハイリアルマだ、何が女神だ! 人の運命を勝手に弄びやがって!」
「お、おい、女神に対してそこまで言うのか……!」
「もうハイリアルマ教なんて、信じられることの方が少ないんだよ! なんで敬虔な信徒だった両親が死んで、どうして今更姉貴なんだよ! 遅いだろ! 全然姉貴が救われてないだろッ!」
僕だって両親の死は悔しいけど、力を持った姉貴はそれ以上の無力感だったはずだ。だから……今だから分かる。いつもどおりに見えた姉貴はあの時、本当に余裕がなかったのだ。
僕がどうして姉貴なんだよと思った反面、姉貴もどうして今更自分なんだと思っていたはずだ。
本当に、酷い宿命だ。
いつもお気楽なことばかり言っている姉貴。
だけど、外で母さんのハンバーグを食べただけで泣き出してしまった。
……食べるだけでああなるぐらい、本当はギリギリだったんだ。
「……だからさ、リヒャルト。姉貴を許してやってくれよ……。姉貴は、姉貴は本当に、誰よりも自分に失望していたんだ。今ああやって立ち直れているのが奇跡なぐらい、なんだよ……」
許す。それは本当に、いくつになっても難しいことだ。
でも、ここから一歩踏み出さなければ進めない。
生きている限り、立ち止まるわけにはいかないのだ。
「……僕は、先に出るよ。逃げ場所もないし、リヒャルトも納得してからゆっくり出てきたんでいい」
伝えたいことを伝えた僕は、彼に背中を向ける。
「…………」
「…………」
お互い一言も発しないまま、僕はゆっくりと、礼拝部屋の扉まで歩く。
一歩、また一歩。
後ろは……動く気配はない。
そして、扉に手を掛ける。扉がゆっくり開くと……そこには、すぐ近くにリンデさんがいた。不安そうな金色の瞳に笑いかけると、完全に外に出る。後ろから扉の閉まる音が聞こえた。
……ふぅ〜〜っ……。
良かった。
僕が安堵すると……リンデさんが急に抱きついてきた。すぐに顔を上げたリンデさんと目が合う。それはとても不安そうな顔で……。
「心配しなくても、大丈夫だったでしょう? 安心してください、リンデさん」
「…………」
「……リンデ、さん?」
リンデさんが不安そうに視線を左右に揺らすと……恐る恐る、口を開いた。
「……ライさん……気付いて、ないんですか……?」
「え?」
気付いて……? と思っていると、姉貴がアイテムボックスからタオルを出して、僕の顔に投げつけてきた。
「うわっ、なんだよ姉貴」
「男同士で何喋ってたのよ」
「……姉貴には言わないよ」
言えるわけがない。信頼してないわけじゃないけど、盗み聞きとかされてなくて安心したけど……でも、何だろう? この反応。
僕が半端にキャッチしたタオルを、リンデさんも持つ。
「ライ、さん……」
「リンデさん?」
「ライさんは、その……泣いているまま、出てきたんですよ……?」
————えっ!?
……ああ、そう、だったのか……。
リンデさんは、タオルで僕の顔を優しく拭ってくれた。気持ちいい……リンデさんにこうしてもらうの、いいな。
泣いてスッキリしたんだと自分で意識すると、こうやって涙を流したことも含めて良いように捉えることができて、心に余裕が戻ってくる。
「すみません、心配をおかけしました。もう大丈夫です、話したいことも話しましたし、懸念事項は全て取り払われましたから」
「懸念事項ねえ……それ本当なんでしょうね?」
「本当だから、僕が無事に出てきたんだよ。恐らくすぐに……っと、言った矢先に出てきた」
後ろの扉から、リヒャルトが出てくる。リヒャルトは姉貴を見て…………姉貴は気まずそうに視線を逸らした。
……ああー……。そういえばリヒャルトが落ち着いて意思を固めたとしても、姉貴の方がまだだったな……。
「————えー、コホン」
と考え事をしていると、横から咳払いの音。
そうだった、僕の我が侭でわざわざリヒャルトを呼び寄せて対応してもらったんだ。
「あっ! 申し訳ありません、ヴィクトル様。お時間を取らせてしまいました」
「いえいえ、構いませんよ。どうやら聞きたいことは聞けたようですね」
「はい」
ヴィクトル様に頷くと、リヒャルトとも頷き合って再び公爵様の部屋へ向かう。
時間を置いたからか、リヒャルトはかなりすっきりした顔になっていた。
さて、最後の交渉だ。
完全勝利を目指していこう。
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