誰かの役に立てることは、やっぱり幸せです
リンデさんが何か僕に話しかけるより前に、敵が動いた。
地上を走る四足歩行型のキマイラ三体は、森から出てくるとぐるりと迂回してリンデさんの反対側に位置取りをした。かなり露骨に、僕だけを狙うようだ。
しかし———。
「……キマイラ程度が、まさか私の目の前でライさんに触れられるとでも?」
もちろん、剣を持てば別人となるリンデさんが黙って見逃すわけがない。
襲いかかるように動くまでもなく、僕の目の前に立ったまま三体同時に首が吹き飛んだ。そして一瞬で、リンデさんがもう僕の背中側に立っている。
森から更に四体のキマイラが現れ、更に空を飛ぶキマイラが五体同時に現れる。最早それまでの日常はなんだったのかというほどに数が多い。
しかし、相手が悪かった。
リンデさんはもちろんのこと……この世界一頼りになる護衛に護ってもらっている僕が、今更キマイラごときに恐怖を覚えることはない。
絶対に、地上のキマイラは、僕に一切触れられない。これはもう確信しているというより、確定した未来だと知っているというレベルだ。
ハッキリ言って役者不足もいいところ。実力差がありすぎて、こちらに到達するヴィジョンが全く思い浮かばない。
鳥型のキマイラを僕の魔矢が次々と墜とす。レオンの強化をもらった魔矢の威力は半端なものではなく、それは破壊力だけでなく速度にも現れていた。
単純な話、速すぎて矢を回避できないのだ。これならフェイントをする必要もないし、回避されても対応しやすい。
「一、二、三、四……おっと!」
僕が順調に墜とすものだから、最後の一匹はヤケになったのか突撃してきた。もちろん僕が矢を射れば倒せるけど、しかし僕に向かって接近攻撃はあまりにも悪手だ。
僕を狙うということは——。
「——だから、私の目の前であなたたち程度がライさんに触れられるわけがないと言ってるでしょう」
リンデさんの、黒い剣の範囲だ。
キマイラは縦から真っ二つになり、その上で僕を通り抜けて……はいかない。リンデさんの一振りから放たれる剣圧で、左右対称のキマイラの死骸は森の奥まで吹き飛ばされた。
その中心部分から、中身がぱらりと落ちる。
あの黒い剣に『時空塔強化』の黒い魔力が重なった攻撃は、どうやらリンデさんの身体能力の上昇だけでなく、剣先が伸びるというか魔力の先まで攻撃が飛ぶらしい。届く範囲が広いわけではないけど、見ての通り滅茶苦茶強い。
そして現れるは、再びの追加キマイラ。もう何体居るのかなんてわからない、終わった頃には死骸で小さい山にでもなりそうな勢いだ。
「リンデさん」
「はい!」
「キマイラの中心部分から真っ二つになるようにお願いできますか? 既に死んでいるものから、僕が撃ったものも含めてです」
「了解ですっ!」
リンデさんは僕の曖昧な要求に、疑うこともなく頷いてくれた。それは、彼女からの絶対の信頼の証だった。
——ありがとうございます。
僕は周囲を吹き荒れる黒い嵐となったリンデさんに心の中でお礼を言い、再び外を飛ぶキマイラに向かって矢を撃ち始めた。
しばらくして。
「……ふぅ〜っ……これで、終わり……ですかね」
「そですかね? ぴたっと止まっちゃいましたねー」
リンデさんが剣を仕舞って周囲を見渡した。
そこには、積み上がる死体の数々。
「さすがに多かったですね」
「ほんとですねー。……それより」
リンデさんが、ずずいっと顔を近づけてくる。うっ……ち、近い。いや、いつも近いけれど、今日はまた一段と近い……。
「ライさん、あの……ありがとうございました」
「えっ?」
「え、じゃないですよ。その……私が……」
少し離れて、俯きながらリンデさんが呟く。
「私が……おいしいごはん食べさせてもらうお礼に、絶対にお守りするって……それが等価交換なんだって思って頑張るつもりだったのに、今日はその、助けられちゃって……」
ああ、そういえばそうだ。
僕はレオンの強化を受けた魔矢を、リンデさんに見せていなかった。
「これはレオンの強化魔法が、一番いい形で僕に乗ったからですよ。一人だとなかなかここまでできるはずがありません」
「そ、それでも……っ! わ、私は、えっと、こんな、なんでもライさんにお任せするような————」
「嬉しかったんです」
「————こと、は……え?」
リンデさんがぽかんとした表情をする。
そうだ、僕はやはり、嬉しかった。
姉貴の隣に立つという目的で弓を取った。遠距離魔法を覚えた。
姉貴の役に立つために頑張ってきたけど、やはり同時に僕の鍛錬の時間は報われたのだろうかと思ってしまう部分もあったのだ。
でも今日は、僕が一番好きになった女の子の役に立てた。
同時に、リンデさんじゃないと僕はここまで安心して弓矢を撃つことはできなかっただろうと思う。
高威力だけど無防備な僕の魔矢が、一番活躍できるのがリンデさんの隣なのだ。
「姉貴が、誰かの役に立つということはそれだけで嬉しい、自分が役に立てないというのはそれだけで焦ると。僕はもう姉貴の役に立てるような戦闘技術は持ってないんですが、僕自身がこうやってリンデさんの役にたてるなんて、とても嬉しいんですよ」
「ライ、さん……」
リンデさんといると、五年間自己否定を続けてきた自分の全てを、予め知った上で肯定してもらえているようにさえ感じるほどだ。
本当に、この子に僕はどれほどのものをもらっていて、どれほど僕の心の支えになってくれているか分からない。
「リンデさんには、僕の料理を美味しいって言ってくれて、そして僕の魔矢が役に立つ場面で一番撃ちやすいように護ってくれて。……姉貴の役に立ちたかったけど駄目だった僕は、リンデさんのお陰で努力が報われているんだって実感できるんですよ。
……本当に、救われているんです。だから、ありがとうございます」
リンデさんは、そんな僕に対して……正面から抱きついてきた。体が密着して、腕で少し強めに体を寄せられて心臓が跳ね上がる。
だけど変な興奮はしなかった。リンデさんの反応に、すぐに心が温かくなったからだ。
「……っぐす……ライさんは、優しすぎますよぉ……」
「そ、そんなこと」
「ありますよぉっ……! わた、し……なんだか、してもらってばっかりで……なのにいっつも、ぜんぶ、ライさんが先にお礼をいっちゃうんです……っ! そん、なの……ずるいじゃないですかぁっ……!」
————ああ、本当に。
この子には、かなわない。
「……ぐすっ……もう、私、ライさんと一緒にいると、幸せすぎて、わけわかんなくて怖いぐらいで……!」
僕が感謝をしていることを、もらいすぎだと、そんなふうに気にしている。
剣を持てば、世界一安心できるほどの天才剣士。
だけどその内面は、不機嫌な表情を見せただけで泣いちゃうような優しい子。
僕が嬉しいから、喜んでいるから感謝しているのに。
僕にに感謝されると、幸せすぎて不安になっちゃうぐらい、優しい子。
ねえ、女神様。
どうやったらこんなに良い子が、人類の敵になるっていうんですか?
むしろリンデさんほど女神に相応しい子はいないと本気で思いますよ。
だってこんなに……僕を幸せにしてくれるんですから。
僕は完全にやられてしまって、体の中から湧き上がる熱と込み上げるものを抑えきれずに、リンデさんの背中に腕を回して抱きしめ返した。
「リンデさん……本当に、優しいあなたが僕の隣に居てくれて幸せです……」
「……っ! だ、だからぁそういう、のが……ぐすっ……」
「しばらくこのままでいてくださいね。……僕も……その、もらい泣いているというか、見られると恥ずかしい、ので……」
リンデさんの息を呑む音と小さく掠れた返事を聞いて、僕達はしばらくの間キマイラの死骸に隠れて、幸せを確かめるように抱きしめた。
……少し落ち着いて、お互いに何かを言うでもなく顔を離して……まあ、その、頬を掻いたり頭を掻いたりしながら二人でなんとも気まずくも、嫌じゃない空気の中で小さく笑い合った。
「え、ええーっと、その、あっそうだ!」
何かを思いついたように——そして気恥ずかしさを誤魔化すように——リンデさんが大きく声を上げる。
「ほらほら、あれ、キマイラを真っ二つに斬るって指示があったじゃないですか。あれはどうしてなんでしょーかっ」
「あ、そうですね」
説明不足でもリンデさんがやってくれて、周りはすっかり綺麗に切断されたキマイラだらけだ。
「それじゃ行きますか」
「行くって、どこにですか?」
僕が振り向いて一言告げると、リンデさんの表情が輝いた。
「とってもすてきな、宝飾品の材料回収タイムです」