相手が動き出しました
さて、とりあえずは一通り今話せるところまでは話した。まだ予想の段階でしかない不確定要素は話さない、間違っていたときに致命的な判断ミスを起こしそうだし。
「それじゃ出ようか。会計は姉貴がやってくれるのか?」
「もちろんよっていうか払わせなさい! どーせこういう時じゃないとお金なんて使わないんだから」
姉貴は自分の手元のアイテムボックスに手を突っ込むと、雑に金貨や銀貨を鷲づかみにして適当に金貨だけを収納する。さすがというか、持っているお金の感覚が全然違う。
「野暮なこと聞くけど、姉貴って具体的にどれぐらいのお金を持っているんだ?」
「金貨百枚を超えた辺りから数えるのがめんどくさくなっちゃったけど、それの倍か十倍は余裕であるわよ」
「……マジで……?」
金持ちだとは思っていたけど、本当にとんでもない金持ちだ。二倍と十倍は誤差じゃないけど、そういう言い方をしたってことは、つまり姉貴にとってその差は大したことじゃない。恐らく……『少なく見積もって金貨一千枚』だ。
……浪費癖がなくてよかった。おだてられると弱そうだし、下手したら一人で経済引っかき回すぞこの人。絶対商人がほっとかない。
「ライさんライさん」
「ん? リンデさん、なんですか?」
「ミアさんの、そのきんかひゃくまいーってどれぐらいなんですか?」
まあ、魔人族は貨幣でやりとりをしていなさそうだから分からないよな。文化レベルは高いけれど物を作ったり調理する人がいないんじゃ、食材の販売なんてものをする人がいるとは思えない。
んー……何に例えたらいいかな。
「そうだ、城下街でテントに林檎があったじゃないですか」
「はい! ミアさんたくさん買ってましたね! すごいです!」
「あれが銅貨八枚です。そして銅貨百枚で銀貨、銀貨百枚で金貨。姉貴の手元には、その金貨が百枚以上あります」
リンデさん、最初は首を傾げていたけど、言ってる内容がだんだん理解できて驚愕に目を見開く。
「ゆ、ユーリアちゃん、計算するとどれぐらいなの!?」
「はッ、リンデ様! 計算するとライ様の家の空間を、全部林檎で敷き詰められるほどの資金かと思われますッ!」
「ひ、ひえええ〜〜〜〜っ!」
姉貴がリンデさんの驚く顔を見て、自慢げに胸を張っている。
いや、大金を持っている表現としてどうかと思うけど、さすがにここは自慢していいと思うよ。正直僕も驚いている。
でもリンデさん、改めて確認しますけど林檎は指輪ほど高級品じゃないですからね? リンデさんの笑顔を見られるから指輪ぐらい素敵ですけど。
「ってわけで、ライも欲しい物があったら遠慮なく言いなさい。まあライのことだから自分のお金も持ってるだろうけれど、どうしても必要な物とか出てきたら声をかけてくれた方が、買えずに逃したって後悔されるよりも嬉しいわ」
「そっか、ありがとう。心に留めておくよ」
僕の返事に満足すると、姉貴は会計に出向いた。戦っているときもそうだけど、こういう時はほんと頼もしい。
でも同時に、女の子におごったりしたい男性だとちょっと気が引けるというか、自分がヒモになりそうな気がしすぎて口説く気にならない……ってあたりも姉貴がモテない理由かもしれない。ヒモになりたい男はそもそも姉貴がそんなタイプを好きにならなさそうだし。
……リヒャルトは……当然前者側だったもんな。
そういえばレオンは、前者側だと思う。
そのあたりちょっと気になるな。
「レオンって、自分がおごってもらう側になってることについて、どう考えてるのかなって」
「もちろん僕からミアさんをエスコートしたいとは思っているよ」
やっぱりそうか。そりゃ丸々頼りっきりって状況を甘んじて受け入れるようなタイプじゃないよなレオンは。
「じゃあ自分がエスコートできるように動いたりする予定があるのか?」
「いいや、それはないだろうね」
おや、言い切った。すっかり自分で資金を集めるようなことを考えているのかと思っていたんだけど。
「意外そうだね」
「そりゃまあ」
「そうだなあ、それではライ。例えばリンデさんが、自分に食事を奢るためにお金を集める努力をこっそりしていたとして、それは喜ぶかい?」
「もちろんだよ」
僕のために頑張ってくれるリンデさんというのは、とても嬉しい。それがほんの少しのお金だとしても、そのために頑張ってくれるなんてとてもいじらしいというか、可愛らしく感じるだろう。
ってリンデさん、そんなに真剣に見つめないでください。もしかして今のやりとりを聞いて、そういうことを考えている?
「それじゃあライ、もう一つ質問だ。リンデさんがライの収入の十分の一を稼ぐために、ライと会えるプライベートの時間が食事の時以外ほとんどなくなったら?」
「それは嫌だ。……なるほどそっかそりゃそうだ、うん、それは嫌だなあ」
僕がレオンに対して頷くのと同時に、リンデさんがぶんぶん頷いているのが目の端に映る。
リンデさんがサプライズプレゼントをしてくれるのは嬉しいけど、そのためにリンデさんとの時間がなくなってしまうんじゃ本末転倒だ。
「自惚れじゃなくて、僕はミアさんと会える時間を削ってまでエスコートしたいとは思わないし、それはさっきまでの会話に出てきた『男のプライド』というものに心底めんどくさがりそうなミアさんを見て改めて実感したよ。何もかも甘えるのは誠実じゃないけど、ミアさんの頼れる部分に頼らないのもまた誠実じゃないと僕は思う」
確かに……姉貴が金を持っているのにレオンが自己満足のエスコートのために稼ぎ出したら、姉貴はそれこそ自分が金を持っていることそのものに嫌気が差すんじゃないだろうか。
「それに、奢る側の気持ちよさを実感した上で、ちゃんと相手を見てお金を使っているとミアさんは思うから。出来る限りミアさんにとって一番気持ちの良いことをしてあげたいと思うんだよ」
な、なるほどなあ……よく考えてくれている。
姉貴には、好きな男であるレオンの能力に頼っている部分がある現状、他のことでは頼られたいと思っているからその気持ちを汲んであげたいと。
本当にレオンは、僕の胸の下ぐらいまでしか背丈がないのに、時々本当に僕より大きく感じるほど大人びて見える。見た目は少年というより少女ってぐらいの感じなんだけど、姉貴が惚れるのも分かるぐらいかっこいい。
しかし……それにしても。
「それに、自慢げに胸を張っているミアさんのドヤ顔とか、褒められてだらしなくなっている顔って可愛いから好きなんだよね。でもやっぱり剣を持って肉食獣みたいな顔をしているときが一番かわいいかな」
そこはどうなんだろうと、レオンのセンスにちょっと疑問を持ってしまうのだった。まあ、あの女子力を胎内に忘れてきたんじゃないかっていうレベルの姉貴に、相手が出来る日が来るのかずっと心配してきた弟としては本当に有難い限りだけどね。
そんな兄の姿を見て微妙そうな顔で溜息をつくユーリアに、上手く言葉が掛けられないけど……まあ、二人が幸せそうなら、いいとしよう。
結構長いこと話してたなと思いだした頃、姉貴が帰ってきた。
「うし、払ってきたついでにコーヒーも新しいのたくさん買ってきたわよー。後でうちのキッチンに入れときましょ」
「会計に時間かかってたと思ったら買ってたんだ、助かるよ」
確かになくなりかけていたし、ちょっといいコーヒーも使ってみたいなと思っていたところだ。こういうところも気が利いて有難い。
思えば紆余曲折あったとはいえ、高い調味料や調理器具は姉貴が買ってくれたものがたくさんある。特に、ビスマルク王国付近では手に入らなかったものがあるのは大きい。
それに、こういうプライベートな会話のできるお店をさらっと紹介できるあたりもすごいなと思う。
「姉貴、今日は世話になったよ、ありがとう。なんだかこういうことに頼ってしまって申し訳ないぐらいだね」
僕が正直にそう伝えると……何故か姉貴は溜息をついた。……んん?
「それを言うならこっちの台詞よ、本来あたし一人でどーにかしなきゃいけなかったのに、それこそ迷いの森の頃から何から何まで解決への糸口はライ任せにしちゃってるのよねー。あたしにできることだってリンデちゃんとユーリアちゃんの方が上だし、せめて土地勘あるうちに財布係になるぐらいはさせてもらえないとちょっと困るわ」
ちょっぴり拗ねたように呟いて、立ち上がっていたレオンを後ろから抱いた。
……言われてみると、姉貴視点ならそうなるか。勇者として何でも一人で解決してきたっていうもんな。ちょっとフォローしようか。
「いや、正直姉貴がいないと一瞬で瓦解しかねないよ。勇者の紋章を持つ姉貴が一人いるだけで信用を得られるし、信用があるだけで動ける範囲が一気に変わる。アンリエット様の情報をギルドで得られたのは姉貴しかいないから」
「……なんか、思いっきりフォローされてるわねあたし」
「うん、姉貴だから隠さずに言うけどフォローのつもりで言ってるよ、だけど本心。特に今は僕一人と魔人族三人だけじゃ、とてもではないけど今のレノヴァで活動なんてできないからさ」
本当に、本心だった。
姉貴は何もしなくても自分が勇者であるというだけで、どれだけ有利に動けるようになってるのか自覚があまりない。
「特に、リヒャルト相手だと姉貴が決定打だ。もし姉貴なしでレノヴァに来て、リンデさんがリヒャルトを倒してしまったら……間違いなく人間と魔人族の関係は拗れる」
今のリヒャルトの女性人気を見ると、それは確実だ。
そして同時に……リヒャルトの周りにいるであろう助けた美少女陣がリヒャルトにつくとなると、果たして男女含めてどれほどの相手が僕の言うことに耳を傾けてくれるか……。
「そうなった場合、僕はアンリエット様を救うよりリンデさんを護る方向になっていたと思う。そしてこれは、マーレさんにとって最悪の展開だ」
「……それは、嫌ね」
「ああ、だから————」
姉貴の真剣な表情を見ながら、その小さくも逞しい背中を叩いた。
「本気で頼りにしてるよ」
「……ふふ、弟のくせに生意気。わかったわ、あたしに任せなさい」
そう勝ち気に笑った姉貴は、やはり頼りになる勇者の顔だった。
実際のところ、内心本気でびくびくしている部分もある。元々こうやって立ち回るタイプでもなかったし、腕っ節が強いわけでもない。原動力は……やはりリンデさんだ。
この誤解はなんとしてでも解かなければならない。それも、将来的には人類全体を相手に、だ。
僕はリンデさんの方を見る。
目が合って、口元スマイルのまま不思議そうに首を傾げた。
うん、何も気にしてなさそうな、自然な顔だ。
このリンデさんを、維持したい。
僕は「行きましょう」と声をかけると、「はいっ!」と笑顔で応えてくれたリンデさんと一緒に、先に店を出た姉貴の背中を追った。
周囲のお客さんは珍しそうにリンデさんを見ていたけど、リンデさんは「どーもどーも」とぺこぺこ頭を下げながら店を出ていて、そんな姿も皆の警戒心を解くことに一役買っていた。
うん、自然体でさえあれば、リンデさんは中身を知れば誰も警戒しない優しくて明るい人だ。それを、みんなにも分かって欲しい。
そろそろ晩になる。バリエ家に長居をするのは、恐らくオレール様やご家族はは気にしないだろうけど、さすがに成果が出ないまま大人数が世話になっているのはちょっとな……。
しかし明日以降の捜索はどうすればいいだろうか。基本は向こうから出てくることが
「ですからッ! あの魔族は危険なのですわッ!」
広場に出た途端に声が上がっており、思わず体を強ばらせる。アンリエット様ではない、リヒャルトでもない、別の女の人の声だ。
先に出た姉貴が指示を仰ぐようにこちらに真剣な表情で向く。
「姉貴、相手はやはり来た……! 恐らくあの声はリヒャルトの———」
「知ってるわあの声。だってつい先日聞いたばかりだもの!」
ということは、南門で姉貴と対峙した女性か!
レオンも、ユーリアも既に覚悟を決めた顔だ。二人を見ていると、手を掴まれた……リンデさんだ。
そちらを見ると、少し怖々としつつも意思の感じられる表情で頷いた。リンデさんも、一緒に立ち向かってくれるんだな。
無理矢理できる力もあるのに、そんなこと絶対しないと分かる、優しい人。
僕はリンデさんを安心させるため、力強く頷いた。
「よし……それじゃあ姉貴、乱入する。付き合ってくれ」
「ッシャ任せなッ!」
僕は姉貴の言葉に力をもらいつつ、広場まで足を運んだ。