勇者ミアとアンリエット・バリエの戦い
姉貴は既にやる気だ。
「み…………ミア……さん……」
「忘れてくれてないようで何よりだわ。あっ黙って抜けって言った割に喋らせちゃったわね。もう斬りかかっていいかな」
アンリエット様は、姉貴らしいマイペースな会話の運び方に狼狽えつつも、振りかぶろうとした姉貴を見てすぐに剣を抜いた。
綺麗なロングソードだ。鞘の部分も柄の部分も、金の装飾が施されている。恐らく剣身もいい素材なんだろう。小さ目の円盾も、一般的なものよりも輝き方が違うことから、魔法耐性もありそうな……ミスリルか何かだろうか。
そんな立派な長剣と盾も、姉貴の暴力を体現したような大剣と並べてしまうと、どうしても心許なく見えてしまう。
「———ハッ!」
本当にやるのかどうか疑っていたけど、姉貴が先制して斬り掛かった!
「くっ! なん、なの……ッ!」
アンリエット様はこの展開が理解できない様子だったが、それでも姉貴の剣を受け止めて、場合に寄っては受け流していく。
……なるほど、確かに強い。姉貴が本気ではないとはいえ、勇者の姉貴の攻撃についてこれるだけでも相当なレベルだ。Bランクというのは単なる経験不足というか、実績不足なんだろう。
「……っく……! な、何なんですか、ミアさん……急に……!」
「もっと本気出さないと、痛い目見るわよ!」
「ッ……! 調子に、乗って……ッ!」
次の姉貴の攻撃をうまくバックラーで横に受け流したアンリエット様が、肘を引いて突きの構えを見せる。今度はアンリエット様が反撃をする!
姉貴の肩に真っ直ぐ突き刺さると思われた高速の突き技は、いつの間にか剣を目の前まで引いていた姉貴の大剣によって防がれる。
大剣の側面から金属の打楽器のように、カァン! と大きな音が鳴る。その音量から、アンリエット様がかなりの勢いで突いたであろうことが分かった。相手も本気だ。
しかし、姉貴は片手で大剣を上に向けただけの簡単な防御。扱いにくい獲物を不安定な姿勢で持っていながらも軽く押し返している。その力量差は誰が見ても歴然としていた。
「……こんなに簡単に防がれるなんて……」
「本気を見せたことがなかったとはいえ、あたし相手にあの程度でどうにかなると思ってたなんて、なめられたものね」
「くっ……!」
今度はアンリエット様からの、防ぎにくい突きの連続攻撃。それを姉貴は持ち前の動体視力と大剣一つで軽くいなしていく。
「……少し期待しすぎたかしら」
「う、ううッ……! な、何故……なんでミアさんが私を……!」
アンリエット様は、姉貴に対して悔しそうな、恐怖しているような……それでいて恨んでいるような感情の渦巻いた視線で上目遣いに見た。
そんな視線をよそに、姉貴はこちらを見る。……いや、レオンの方だ。
「あれね、今一番仲のいいボーイフレンド」
姉貴に紹介された青い肌で角の生えたレオンが、ちょっと驚きつつもアンリエット様に丁寧におじぎをする。
「…………。…………え……」
アンリエット様は、その魔人族の姿を見たまま目を見開いて固まっている。
「どういうことですか、あれは魔族じゃないですか! 勇者は」
「勇者は魔王を倒さないわよ。魔王はアマーリエっていうんだけどね、こないだ友達になってきたわ」
「…………」
今度こそ絶句という形で呆然とする。が、再びその目に闘志が宿る。
「……そう、やっぱりあなたは、勇者の偽物ッ!」
———え?
偽物?
その単語を発した瞬間、アンリエット様は勢いよく剣を振りかぶって姉貴に襲いかかった。力任せの袈裟斬りだ!
「この、このッ……!」
しかしその攻撃は些か精細さに欠いており、先ほどの高速で繊細な攻撃に比べたら力任せもいいところだった。技で対抗するならともかく、腕力で姉貴に挑むのは無謀もいいところだ。
姉貴は攻撃を、無表情で打ち返していた。
最後に振りかぶった攻撃を、姉貴は下から軽く振るうように打ち返す。それだけでアンリエット様はふらつき、剣を杖に肩で息をする。
そんなアンリエット様を余所に姉貴はこちらを振り向いて一言。
「ねえライ、今のってどういう意味?」
「って姉貴よそ見をしないで! 巷で噂の男勇者の話がアンリエット様と繋がったって意味! 考えるのはこっちでやるから集中して!」
「おっけ、難しいことは任せる」
ああもう、ヒヤヒヤする!
姉貴が剣を構えると、憎々しげに姉貴を見るアンリエット様が再び剣を振りかぶる。……僕も姉貴を見ていないで、自分の役目をしよう。
……勇者の偽物……それはつまり、アンリエット様が『本物の勇者様』を知っていることになる。もちろん姉貴を本物と知っている僕にとっては『本物を騙る偽物の男勇者様』だけど。
もう一つ、アンリエット様が魔族の噂を流しているということは、その話と男勇者は繋がる可能性が高い。
特に姉貴がレオンと一緒にいる以上、偶然ではないだろう。
ここで魔族が悪だというイメージがつけばどうなるか……。
「……なるほど、魔族が悪人だという共通認識があれば、姉貴ともう一人の自称勇者の男が現れたときに、姉貴は信用されにくくなる」
「ライさん?」
「ああ、リンデさん。もしかしたら僕達は核心に触れられそうかもしれません。魔人族の悪い噂、その出発点が分かりそうです」
「ほっ、本当ですかっ!」
明るい顔で笑ってくれるリンデさんとは対照的に、アンリエット様はリンデさんを見ると更に眉間に皺を寄せた。
「まだ魔族がいる!?」
「よそ見なんて余裕じゃない」
「なっ!? く……ああっ!」
一瞬の隙を突かれて、姉貴に大剣を押し込まれたアンリエット様は、構えていた盾と剣ごと吹き飛ばされた。
武器を取り落とし、仰向けに倒れ込むアンリエット様の首の横に、姉貴の剣が降りてくる。
「動くなよ」
「…………」
姉貴の、勝ちだ。
「……あたし、教えたわよね? 剣は、力は誰かを守るためにあるって。特に護りたいものもない状態で力を振るうべきではないって」
「…………」
「アンリエット、あなたの剣は強いし、あなたの爵位もそれだけで力なの。あたしの勇者の紋章と同じで、産まれ落ちて自分で何かを選ぶわけでもなく湧いたような、そういう努力とは違うものによって生じた力よ。使うだけで影響が大きいの」
姉貴は、真剣な顔で剣士のあり方を説いていた。それは勇者の姉貴のスタンスであり、僕にとっては初めて聞く話だった。
まあ……目立ちたがりなのに僕に対してちょっと恥ずかしがりな人でもあるからね。かっこいい姿はあまり弟には見せてくれないタイプだ。
「……だったら」
「ん?」
「だったら何で魔族と一緒にいるんですか! あなたはそれだけの力があって、人類の味方じゃないとでも!?」
「ああもうこいつは、めんどくせえな……」
姉貴は剣先を、首の側面に近づけていく。
「そこのあいつがあたしの弟なんだけどさ、あいつってそこの魔人族のジークリンデって子に助けてもらったんだよね」
「……それは、騙されているからで」
「正直な奴は助けてくれんの? 城下街が魔物に襲われている中で、狼一匹殺してないような綺麗な服で魔人族に説教していたあのボンクラ神官戦士どもがあたしの弟を助けてくれるわけ? 有り得ないわね。あたしはもう教皇とかも信じてないから」
「な……そんな不敬な———」
不敬。
その単語を聞いた瞬間、姉貴の表情が消えた。「ひえっ……」とリンデさんが小さく呟くのが聞こえてきた。
アンリエット様もそのあまりもの変化に息を呑む。
「アンリエット。あんたには言ってなかったけど、あたしは主にビスマルク十二世とかいうクソデブ野郎のせいで貴族全般嫌いなのよ」
「う…………あ…………」
「特に、敬意を払えなんて言うヤツ、国王とか教皇とか全部気に入らない質でね。それでもオレールさんと奧さんみんなはいい人達だから、あたしは自主的に敬意を払っているの。……そうよ、人との付き合い方で敬意なんて相手次第で自発的に生まれるものなの。あんたはどうやら、あたしから剣を教わったけど、両親からは大切なことを教わり損ねたわね」
姉貴はもう興味を失ったように、剣を引いた。アンリエット様が立ち上がる。
「あたしはオレールさんに、わざわざ娘が心配だからって勇者の村まで馬車走らせて頼み込まれたからやってきたのよ」
「え……」
「いい親じゃない。……ライ……そこにいる弟ね。あと残りの魔人族はオレールさんのお願いにわざわざ付き合ってくれた、あんたを探すためだけにやってきてくれたメンバー。更に言うと、行きがけに襲われたキマイラに対処してくれたメンバーよ。あたしだけだったら今頃どうなってたか」
「……そんな、まさか……」
「護るのって難しいしクソめんどくせーのよ、一人で自分の身を守りながら勝つなんて簡単だけど、誰かを護りたいとなると能力なんていくらあっても足りない。その上でね、護りたい相手が自分より強い可能性があったりしたら……自分が護られる、剣を持っていながらお荷物になる可能性が生まれたら焦るわ」
……それは、僕自身も思う話だった。
本来ならリンデさんみたいな可愛らしい女の子、僕の力で守ってあげたい。だけど、手も足も出ない姉貴の更に上にいるのがリンデさんだ。
だからレオンの強化を受けたときは本当に喜んだ。そして喜んだ後で……やっと気付いたんだ。
———ああ、僕はこんなにも強くなりたいと思っていたんだ。
それは強欲な願いなのかもしれない。
烏滸がましいのかもしれない。
だけど……それでも、護られるまま諦めたくなかった。
「だから、護りたい相手が出たら本当に、際限なく強くなるわ。あたしは……レオン君と会った後のあたしは、強化魔法を抜きにしても、全然違う。間違いなく強くなった」
姉貴はアンリエット様が立ち上がったのを見て、用件を伝える。
「帰って、顔だけでも見せてやりなさい。いつまでも会えるとは限らないんだから」
「……何だか、らしくない説教ですね、老けているというか」
「ハッ、まあそうね。でも……まだ言ったことはなかったわね」
姉貴は、もう戦う意思はないというふうに剣を仕舞いながら言った。
「あたしの親、十三の時に二人とも死んだから」
「———え……?」
「リンデちゃんに感謝しなさいよ、襲ってきたキマイラは八体、うち六体をリンデちゃんがものの数分で瞬殺したの。ハッキリ言ってあの子がいないとあんたのパパは今頃死体ね」
急に話を振られて、リンデさんはおろおろしつつも、いつもどおり「ど、どーもどーも……」と頭をぺこぺこ下げる。
「……あな、たは」
アンリエット様が口を開いて何か言おうとした瞬間……!
「キマイラが出たぞーーーーーーー!」
広場に広がる声。それと同時に、ユーリアとレオンが索敵魔法を使った。
二人の索敵結果を聞く前に、姉貴は話を遮られたことに怒り叫ぶ。
「ぐおおうぜええええ! いつの間にレノヴァはくそキマイラ野郎の特産地になったのよ! 食えない肉なんだから出てくるなっつうの!」
レオンは叫ぶ姉貴を見ずに妹と視線を交わす。
「おい、ユーリアこれって……!」
「間違いないよ、お兄ぃ! 」
そしてレオンが慣れた様子で姉貴に強化魔法をかけながら、ユーリアが叫ぶ。
「東門と南門にいます!」
「っ! リンデちゃん昨日東に行ったわよね! そっち頼むわ!」
「えっ、あ! わ、わかりましたっ!」
姉貴はレオンを抱えて、リンデさんは返事をすると即、そのまま屋根まで跳んでいった。……しまった、今度は取り残された。
広場でぽつんと僕とユーリアの二人が残されてしまい、二人で視線を交わす。
「ついていき損ねてしまった……リンデさん、一人で大丈夫かな……」
「あ、あはは……まあ、リンデ様はあまり下手なことをする方じゃないですから。明るい方ですけど、頭はいいですからね」
「魔法は全然使えないんだよね」
「ええ、魔力は有り余っているのに、コレクター気質が祟ったのか収納魔法以外に何一つ習得できなかったようで……」
そう、なんだよな。子供っぽく感じるけど、れっきとした大人だと思う。魔人王国の事情を話してくれたときにいろいろな情報を教えてくれたし。
ただ……一緒にいることが多いと、失礼かと思いつつもどうしても一人でいるリンデさんのことが心配で気になってしまう……!
「……ふふっ……」
「ん?」
「あっ、すみません。その、リンデ様愛されてるなーってちょっと見ていて思ってしまいまして」
うっ……そ、そんなに顔に出ていたか……!
「素敵な方なんですけど、強くて地位が高いのに子供っぽいので……魔人族の男性も自分の力に多少のプライドはありますから、ライ様みたいな気に掛け方をされることがない方なんですよ」
「はは、ちょっと恥ずかしいね……」
「いえいえ、是非とも今のライ様のまま胸を張ってくださいませ。その姿が我々にとって…………ッ!?」
話している最中でユーリアさんが東門方面を見た。そちらは……リンデさん!
「ああっ、追いかけてしまいました! 門に出た時点でどちらのキマイラも逃走していたのですが、リンデ様は思いっきり追いかけてしまったようです……!」
やっぱりダメだったーっ!
「い、今から追いかけた方がいいかな!?」
「ライ様まで慌ててしまってはいけません! 冷静になってください、リンデ様はすぐに戻ってきますし、本気になったリンデ様はミア様でも追いつけません、ライ様が向かうより戻ってくるのを待つ方が早いです!」
うっ、そ、そうだった……情けないかな、間に合わないのは正論中の正論だ。
それと同時に、ユーリアに諭されるまで完全に自分を見失っていた。
「すみません、迷惑をかけました。ところで姉貴の方は?」
「キマイラに襲われた住人と喋っているみたいですね、そこで止まっています。あ、キマイラはもちろん逃走したようですね」
こちらは昨日の僕とリンデさんのパターンか……。
「分かりました、姉貴が帰ってくるまで待ちましょう」
「はい」
こちらから動いていても仕方ない。広場の椅子に座って待つことにしよう。……さっきのやり取りでちょっと注目されているけれど……。
先に戻ってきたのは意外にも姉貴だった。
「おかえり」
「…………」
「どうした? 昨日に増して不機嫌じゃないか」
姉貴がレオンを下ろすと、腕を組んで僕の横に座った。
「もめたのよ」
「え?」
「なんか、男勇者に助けられたっつうんで、あたしが勇者だっつったらちょっと口論になったってわけ。都合が悪くて魔人族にいい印象ないやつが相手だったから話聞いてくれそうになくてね」
「……なるほど、やっぱり魔人族の悪い噂ってこういう時のために流していたと考えていた方が自然だろうね……」
姉貴は僕の話を聞きながら、レオンを呼び寄せると座っている自分の股の間に挟むように抱きしめた。
「ライには改めて言うまでもないけど、あたしは人類と魔人族どっちを取るかって言われたら、現状だと魔人族を取るわ」
「人類の中に僕は入っているの?」
「ライがリンデちゃんと人類のどっちか選べなんて言われて人類側につかないことは分かっているわよ」
「じゃあ、魔人族容認派と排斥派という形で分かれるってところかな」
「それそれ」
……確かに、その二つで分かれた場合なら、排斥派がどんなに多くても僕は容認派の方になるだろう。長くない期間一緒にいたけど、リンデさんと別々の生活なんて最早あらゆる意味で不可能だ。
「もどりましたっ!」
そのリンデさんが、ようやく戻ってきてくれてほっとする。
……僕の顔を姉貴とユーリアが覗き込んで微笑ましく見ていて、ちょっと恥ずかしくはあるけど。
「お疲れ様です、リンデさん。キマイラの討伐はできましたか?」
「はいっ! ちょっと変な方向に全速力だったんですが、おいついてやっつけました!」
変な、方向?
「このレノヴァって、東門の左側は森というか山というか、そんな感じじゃないですか」
レノヴァ公国は、北側の山を背にして南向きの門のある城を建設し、その周囲に城下街が広がり、門は西、南、東となっている国だ。城下街のの北側は比較的高い城壁になっており、その北側はすぐに山の斜面となっている。門はあるけど、基本的に冒険者が採取をするためのもので商人などが使うことはない。
「キマイラは、そっちの森の中に逃げていったんですよね」
「……キマイラが、森の中に逃走した?」
「そうなんですよ。それでおっかけるのに時間かかっちゃって」
キマイラの習性はあまり知らない。正直魔物の中でも特異な見た目だし、憶測が多い部分もある……何より討伐するには強いので、ほとんど研究がなされていない。
僕が悩んでいる中、口を開いたのはユーリアだった。
「実は『エネミーサーチ』の途中なのですが、ずっと張っていたところ気になることがありまして」
「気になること?」
「はい。キマイラは南に逃走して林の中に逃げた後……西側を迂回して、人から見えるような道に露出してまで北側の森に向かったんです」
それは、リンデさんの話を補強する意味で、非常に重要な情報だった。
……それにしてもすごいな、ユーリアの魔法は。この公国中心にいながら、撒いたつもりの敵の動向を完全に把握している。
「なるほど、確かに不自然だ……帰属意識というか、縄張り意識の強い魔物なんだろうか」
「……もう一点不自然なところがありまして」
「どんな些細なことでもいいので教えてくれ」
「正確には分からないのですが、西側の門にいたのが恐らく食料品か被服の商人、南にいたのが金属……武具が宝飾品の商人のようなのです」
それは……! 確かにおかしい!
姉貴でもその不自然さにはっきりと気付いているようだった。
「腹減ったから問答無用で人間様を襲ってんじゃないの、魔物ってやつは。なんで遠回りしてまで金属なのよ」
「はい、私も西側を襲わなかった理由が分からなくて……」
「んー……。…………。……あー、だめだ。ライ、レオン君、まるなげ!」
姉貴はお手上げジェスチャーで、考えるのをやめたようだ。
「あ、あのあの、私は?」
「リンデちゃんの頭脳には、ま〜ったく期待していないからもう楽にしてていいわよ! お仕事終了、お疲れ様!」
「えーっ!? そんなぁ!」
リンデさんが叫んで、みんなで笑って、リンデさんも頭を掻きながらも笑い出して……それでようやく、変な緊張も解けた。
僕はレオンと目を合わせると、しっかりと頷き合った。
ここからは、僕達の頑張る番だ。