魔人族は、信頼できる仲間なんです
目の前の少女が発した言葉。
……勇者さま。
確かにそう言った。
「あの、すみません」
「……っは、はい、すみませんぼーっとしていて」
「いえお気になさらず……あの、何があったか差し支えなければ教えていただいてもよろしいでしょうか」
僕がそのことを質問すると、再び視線をどこか宙空に彷徨わせて、ぽーっとした顔で話し始めた。
「つい先ほどのことです……。私たちノディエ商会の馬車はここレノヴァ公国へ商品を届けにやってきていました。門の待ちも我々で最後になったというところで、突然森の中からキマイラが現れてこちらへ襲ってきたのです!」
僕たちの時と同じだ。やはりこの辺りに、キマイラが出没してきているのか。
「そして私は、護衛の人たちが為す術なく吹き飛ばされるのを見て、恐怖のあまり腰が抜けてしまい、恐ろしい想像が頭をよぎるようになって……」
その女性は両手を合わせて顔を伏せたと思うと、再びその顔を上げて熱を入れて語り出した。
「そこで現れたのです! あの御方は……剣を抜き一振りすると、キマイラの足に傷をつけて、キマイラは恐れをなして逃げていきました! 私はあの御方に救われたのです!」
「その人が……」
「はい、勇者と名乗りました」
おかしい、姉貴はずっと街の中心にいたし、とてもここに来て帰ったとは思えない。
「ちなみに、どのような方でしたか?」
「……あの御方は……それはもう長い金髪で……」
……ん?
「背がちょうどあなたの頭半分ほど高い、見目麗しく優しい顔立ちの男性でした」
「……。なるほど、情報ありがとうございます」
この女性の話と、中心街で聞いた話が一致した。さっき聞いた時は驚いたけど、ここまで明確に情報が揃うと確実に分かる。
———姉貴じゃない、勇者を名乗る男が確実にいる。
その勇者が今レノヴァ公国で活躍しているということか。だから皆その男性のことを話しているし、とりわけ見目麗しい男性となると、女性達が話題にしたがっていたのも分かる。
ここで訂正することは簡単だけど……せっかく助けてもらったばかりの人にそんなことを言うのはどうだろう。特に僕は助けに間に合ってないし。
「……えっ!?」
「ん? …………ああっ!」
目の前の女性がこちらを見たと思ったら、少し視線を左にずらして驚いた顔をしていた。状況が状況だったから忘れてしまっていたけど、僕はリンデさんの背中に乗ってやってきたんだった。
女性は魔人族を見て尻餅をついて驚いている。僕は慌ててリンデさんのところに駆け寄る。
「こ、この人はその、仲の良い魔人族の子で、明るくて元気な子です!」
「……そんな、騙されてる……」
「騙すようなことはしないですよ。広場でも言いましたけど、最初に噂を流した人が騙して……」
「———いえ、騙しているのは魔族です!」
それまで小さい声でお淑やかそうにしていた少女が、急に大声を上げたので驚いた。でも僕以上に驚いたのは……。
「ひうっ!?」
リンデさんがびくっと震えて、僕の後ろに隠れてしまう。
「そうですか……僕から何かを言って信じてもらえるかどうかは分かりませんが、僕とリンデさんはもう長い間一緒に暮らしています。その上で言いますけど、勇者より魔人族の方が圧倒的に強いですよ」
「え……」
「騙し討ちなんて必要ない。我々人間が魔人族に敵対された場合、真っ正面から挑まれて勝てる人間なんていません」
「そんなことはありません! 勇者様なら!」
「僕もキマイラに襲われたんですけど、リンデさんは一人でキマイラ数体を相手にして、見てる範囲では全て一撃のもとに倒しましたよ。弓矢で牽制するぐらいなら僕もできますけどね」
この件で議論をしても仕方がない……と思う。僕は僕で言うことは言ったし、恐らくその美男子である男勇者様を信じているのなら、自分で言うのはどうも空しいけど、僕が言ったところで信じないだろう。美男子じゃないですしー。
「行きましょうリンデさん。このまま喋っても平行線だと思います」
「でも……」
「言ったでしょう、世界中誰も信じなくても、僕はリンデさんの味方ですって」
僕はリンデさんに、遠慮無く背中から乗る。こうなったら一度も二度も変わるものか。
「う……はい、わかりました」
リンデさんも少し恥ずかしそうに少女の方をちらちら見ていたけど、僕を背中に乗せるとそのまま広場の方まで跳んだ。
屋根に着地して、喧噪が眼下に広がる中でリンデさんが一言。
「あの……」
「ん、何ですか?
「……ライさんが私を信じてくれるように、私もライさんを信じてますから。ライさんの言ったことなら、私は必ず……信じますから」
そうはっきりと言って、僕が返事をする前に屋根から屋根に跳び移りだした。
……そうか、僕があの少女に言ったことを否定されたことを、リンデさんは気にしてそう言ってくれたんだな……。
やっぱり、リンデさんは……魔人族は、いい人揃いだと思う。こんな子を疑うなんて僕にはできないし、何より少しでも力になりたいと思う。いつでも喜んで笑顔でいてほしいと思うし、悲しい顔はしてほしくない。そのためなら、何だってしたいと思う。
僕はリンデさんに捕まっている腕に力を込めて、リンデさんの体を感じながら広場まで戻った。
戻ってきてみると、まだそれほど人は解散していなかった。本当に僅かな間の出来事だったんだろう。
「お帰り、ライ。おんぶはどうだった?」
「ただいま姉貴。リンデさんの体は温かかったし良い匂いだし乗り心地は気持ちよかったよ」
「うわー、そこでのろけるとかないわー」
姉貴が笑いながら茶化してきて、僕もかなり余裕が出てくる。
「で……どうだった?」
「既にキマイラは去っていた。でもそんなことより……どうやらいるみたいだよ、男勇者を名乗るやつ」
僕は姉貴に、西の門であった出来事を話した。姉貴は僕の話を聞いてから。腕を組んで唸り出した。
「うーん……キマイラ、キマイラねえ。なんだか急な話ね、いきなり群生しただなんて。そんな生き物じゃないでしょ」
「僕もそう思う。悪鬼王国……ということも考えられるけど、だとするとオーガやゲイザーがいないのも気になる。何故今キマイラばかりなのか」
可能性としては十二分にあり得る。だけど、今回どうしてもキマイラばかりというのは、何か別の要因があるように感じられた。
こういう時は、知識がありそうな人に声をかけよう。
「レオンは何か知らないか? 悪鬼王国の他に魔族の国は……」
「今活動しているのは悪鬼王国の他は妖魔帝国があるけど、かなり東であまり外に出ない国だよ。そもそも僕らも、ライに言われてオーガロードとオーガキングとゲイザーが悪鬼王国の眷属であるということを知ったぐらいなんだ」
「そうか、わかった」
レオンも知らないのなら、リンデさんもユーリアも知らないだろう。
「とりあえず当初の目的に戻ろう。アンリエット・バリエ様の情報を聞き込むこと。そして……一体誰が、魔人族の悪い噂を流しているかということだ」
僕の提案に、一同頷く。
そうだ、まずはアンリエット様の件を片付けなければならない。そのためにレノヴァ公国に来たのだけど……どうしても魔人族が受け入れられていない状況だと情報を集めるのが難しくなる可能性がある。
「姉貴は情報収集のため、冒険者ギルドか酒場に単独で向かってくれ。僕は魔人族の皆と一緒にここで待っているよ」
「わかったわ。それじゃレオン君、ユーリアちゃんリンデちゃんも。すぐに戻ってくるからね」
姉貴は手を振ると、冒険者ギルド方面の北側へと走っていった。
僕はリンデさん達と中央公園のベンチに座ると、周りを見渡す。
……やはり、当然のことながら皆こちらを見ている。ビスマルク王国では既に魔人族が城下街の人を助けて久しいけど、レノヴァ公国の人たちにとってはどんなに無害だと訴えても珍しい魔族でしかない。
待つと提案したのは僕だけど、居心地はあまりよくない。
悪いことをしているわけではないのだ。周りの人たちだっていきなり襲ってきたりすることはないだろう。
しかしこの時間を何もせずに持て余すには、ただ何もせずにいるだけなのが負担になりそうな微妙な空気だった。
ベンチに座って、まだ昼になっていない曇天をぼんやりと見上げる。
「どうしたものかな……」
なんとなく独り言を呟くと……その声を聞いておずおずとユーリアが僕の視界に現れた。そして僕がユーリアの方に振り向くと、気付いてもらったことを喜ぶような反応をした。
こういう場合あまり主張してこないのに珍しいな、と思う。
「あの……ライ様っ!」
「うん、何かな?」
「ライ様は……ジークリンデ様と大変仲良くしていらっしゃいますが、どうしてそこまで仲良くなったのか、私は大まかなことしか聞いていなくて……是非知りたいですっ!」
両手をぎゅっと握って目を瞑り、まるで勢いに任せて言いにくいことを言い切ったという雰囲気で叫ぶユーリア。
ちょっと大きい声だったため、みんなが注目してしまっている。本人は目を閉じていて気付いてないけど。
それにしても、そういえば話してなかったなと思う。元々持て余していたし、この時間を潰すにはちょうどいいかもしれない。
「いいよ」
「ほ、本当ですか……!」
「隠すようなことでもないからね。でも、あまり面白い話ではないと思うよ」
「いえいえ、そんなことはありません! 私にとっては一番気になる話で……!」
そういうものなんだろうか……人によってはそういうものなのかもしれない。
僕は、レオンと僕の間に体を滑り込ませて、リンデさんと反対側の隣に座ってきたユーリアに僕とリンデさんのことを話した。
最初に、オーガキングに襲われた僕を助けたリンデさんと山の中で出会ったこと。
警戒する僕に、剣を仕舞って僕が助けられたことに気がつくと、『分かっていただけて嬉しい』という反応をしたリンデさん。
あまりにも想像していた魔人族の雰囲気と違い、警戒心は大幅に下がった。それに僕は、リンデさんに助けられなければとっくに死んでいた。
村の皆にも受け入れられ、僕が作った比較的シンプルで素朴な方のスープで大袈裟すぎるぐらい感動してくれたこと。
「いやいやライさん、あれ全然シンプルじゃなかったですし大袈裟な反応でもなかったですよ!?」
「そういう反応をしてくれたところも含めてかわいらしい人だなと」
「かわっ……!?」
「あ……!」
リンデさんが言葉を反芻し賭けて、顔の色を濃くして目を見開いたまま下を向いて頭から湯気を出しそうなほど照れている。う……本心とはいえ思いっきり言ってしまって、僕も後から顔から火が噴きそうなぐらい照れてしまう……!
リンデさんはそのまま「あうあう……」と言い出して、両手で顔を覆って俯いてしまう。
「お、お兄ぃ! 馬車でも凄かったけど、あのクラーラ様を除いて魔人族きっての天才剣士と云われたジークリンデ様が、完全に恋する乙女モードだよぉ!?」
「話には聞いていたけど、最初に会ったときからお互いこんなだったと思うと、本当に見ているだけでこっちまで照れてくるね……」
「ゆ、ユーリアちゃんにレオン君も、言わないでぇ〜っ!」
今度はリンデさんが、両手を握って必死に訴える。
でもそんな姿も今はレオンはおろかユーリアでさえ、微笑ましいものを見るようで取り合っていない。
「いけませんよ、ジークリンデ様。この話は私も乙女として、そして陛下からライ様との同伴を認められた者として聞かなければなりませんからね〜?」
「ううっ、ユーリアちゃんが攻め攻めだぁ……!」
「話を聞いたら、馬車での出来事を含めて後でエファ様にも今の様子をお伝えしますね」
「あうう……!」
一転攻勢、ユーリアは普段はしっかり敬っているリンデさんに対して、かなり押しているムードだ。そして涙目のリンデさん、とてもかわいい。
ユーリアは期待に目を輝かせながら「さあ、続きを」とせがんでくる。普段は見ないユーリアの積極的な一面が新鮮で、せっかくなので僕も今のユーリアのノリに乗っかる方向にすることにした。
「なるほど、マーレさんにもお伝えするのだった、ちゃんとお話しなければなりませんね」
「ら、ライさん!?」
「こうなったら思う存分認めてもらいましょう!」
なんだか楽しくなってきた。さあ話を続けよう。
それから僕は、リンデさんの歓迎パーティをするためにリンデさんが村のために討伐してくれたオーガロード五十体の肉に合うだけの鍋の仕込みを行った。いろんな種類のものを食べたがっていたリンデさんのために、レノヴァより遙か東の料理をたまたま勇者の姉貴が手に入れていた本とスパイスも利用して、盛りだくさんの宴会をしたこと。
そして……その時に、デーモンという『人間と敵対する魔族』が現れたこと。
「あの時でした。僕たちが敵だと思っていた魔族が敵じゃなくて、僕たちがあまり認識していなかった敵が、ずっと強い魔物を送り続けていたって」
「……ライさん……」
「両親の敵でさえ……デーモンが一枚噛んでいた……!」
僕が話しながら手を握りしめていたのを、リンデさんが上から手を被せてきて気付いた。……こうやって見ると、本当に寒色だけど暖かくて、細くて綺麗で柔らかい、女の子の指だ。
「……ありがとうございます。僕は両親の二の舞になるところだったんです。それに……今思えば、リンデさんがいなければ姉貴を一人で置き去りにしているところでした」
「…………」
「あの性格です。リンデさんは初日からあのチーズ入りハンバーグだったから、にわかには信じられないかも知れませんが……姉貴はね……食事中、全く笑わない人で……」
姉貴は、常に母さんの料理とそれ以外の全てを比べていた。味に対しての文句は人一倍で、僕は何度も自分の無力さを実感した。
でも今になって思う。姉貴ももう、僕に縋ることでしか母さんの記憶を繋ぎ止めることが出来なかったんだ。
もしも……もしも僕が、オーガキングにやられていたら……デーモンにやられていたら。姉貴は、レオンとも知り合えず、母さんの味も忘れ、ネクロマンサーのハンナに会うこともなく、ビスマルク国王敵対したまま、騎士団長の腕を折った噂とともに世界中を歩いて……一体誰に、寄りかかればいいのか。
「本当に、ギリギリのところだったんです。姉貴はあまりにも強すぎて孤独な人ですから、きっと最終的には自分一人で戦うことを選んでいたと思います。老いて歩けなくなるまで誰にも好意を向けられないまま、一人で剣を持ち続けて…………ってうおわ、リンデさん!?」
リンデさん、話の途中で泣いていた。
「あ、あの、こう言ってはなんですけど、またですか!?」
「うう……ずびばぜん……一人っきりになったミアさんを想像すると、あまりに悲しくなっちゃって……ぐすっ……勇者のミアさん、あんなに、あんなにいいお姉さんなのにぃ……」
「……そう、ですね。姉貴は逞しい人です。だけど外で母さんのハンバーグを出した時、急に泣き出してから思ったんです。僕の姉貴は、こんなに危うい孤独さの上で勇者をやっていたんだって……」
そう。誰だって自分より強い人間は、まるで理解の外の生物のように扱う。
人間じゃない、勇者という人種だと。
でも、姉貴はどこまでも人間で……親を亡くしたただの女の子だった。
それを思い知らされてしまった。
同時に……どれほど世界が、あの人一人に重荷を背負わせているのかも。
「勇者ミアは、間違いなく人類最強で、本物の勇者です。でも……その前に人間なんです。だから、姉貴が一人で抱え込むはずだったものを、みんなで支えてほしい。僕は支える力がなかったけど、摩耗した心を補うことができた。今はその『自分にしかできないこと』があったことが、心から嬉しく思うから」
リンデさんは、少し潤んだ目で。
レオンと、ユーリアは、力強い目で。
「はいっ!」
「もちろん、あの人のためならこちらから望みたいぐらいだよ!」
「私がミア様の支えになれるのなら何よりです!」
みんな本当に、良い人たちだ。こんな魔人族のみんなが悪人なんて到底信じられない。
見た目じゃない、中身だ。力、魔力、そして良き内面。その全てを魔人族は持っている。
持ってないのは……器用さぐらい、かな?
僕がみんなと顔を合わせると、姉貴がちょうど戻ってきていて「ライーっ」と声をかけながら手を振ってきた。
そこでようやく顔を上げると……周りの様子がおかしい。
「……どったのこの空気」
「いや、僕も気付いたらこうなってて何が何だか……」
「ふうん……ま、いいわ」
あっさり流すと、姉貴は聞いてきた情報を話し始めた。
「まず最初、アンリエットは頻繁に来てるみたいで、昨日も普通にギルドに顔を出したっぽいわよ」
「そうなんだ。よく情報くれたね」
「あたしも活躍してたから、勇者ミアといえば顔なじみっちゃ顔なじみなのよ。逆に男勇者の件は全く知られてなかったわね」
む……そうなのか。そちらがないというのはちょっと分からないなあ。
「分かった、姉貴はそのまま情報収集に徹していてくれ」
「…………」
「……姉貴?」
返事がくるかと思ったら、何故か姉貴は急に押し黙った。姉貴は知ってのとおり遠慮無く喋る性格の人だから、こうやって言いづらそうな顔をするのは本当に珍しい。
「……どうしたんだ、何か言いたくないことでもあったのか?」
「…………たのよ……」
「え?」
姉貴が顔を上げる。その顔は……今まで見てきた中でも怒りとも困惑ともつかない難しそうな顔だった。
「魔族が悪だっていう情報……集めてきたのよ」
「そ、それは重要じゃないか! どうだったんだ」
「…………」
「姉貴! ……姉貴?」
本当に、珍しい。こういう時は無理に聞き出さない方がいいだろうか。
僕が姉貴をじっと見ながらしばらく待っていると、姉貴は天を仰いで「……ふー……」と息を吐くと、リンデさんやレオンのほうをぐるりと見渡して、僕の方を向いた。
「皆の言う特徴は一致したわ。可愛い子に相席されると断らないから、みんな話を聞いちゃうのよねー。……金髪、ポニテのセミロング、背が高めの綺麗な女。身なりの良さそうな服と、腰には剣が二本。それが酒場で魔族の話を聞かされた複数人から得た情報」
「……ま、まさか……そんな!」
「ええ、間違いないわ」
そして姉貴は、残酷な一言を放った。
「魔人族の悪評を流布しやがった元凶は、恐らくアンリエット・バリエよ」