馬車が魔物に狙われました
馬車に乗ってバリエ領へと赴く。前方には護衛の馬車もあり、それなりに兵士が乗っているようだった。
事前に話したとおり僕が馬車の中心に進行方向と逆向きに乗って、右にリンデさん、左にユーリアさんが乗った。正面左側……つまり進行方向側の座席の左側にはオレール様、右隣には姉貴がレオンを抱えて乗った。さすがにレオンはちょっと恥ずかしそうに、姉貴の腕の中で振り向く。
「あの、ミアさん……オレール様の前でもここに座るのですか?」
「見せつけていくスタイル。……だめかな?」
「もう……僕がミアさんにそんな顔されて断れるわけないじゃないですか。しっかり捕まえていてくださいね」
「んふふ〜、絶対離さないもんね〜」
早速姉貴はそんなやり取り含めて見せつけていくスタイルだった。オレール様もこれには驚き。
「お二人は……本当に仲がいいのですね」
「当たり前よ、レオン君はとってもいい人なんだから!」
「いい人の人間代表ミアさんに言われると鼻が高いですね」
そんなやり取り一つ一つがちょっと見ていてこっぱずかしくなるレベルで、オレール様は困ったようにこちらに視線を向けてきた。
僕も軽く笑いながら、「最近はいつもこうですよ」と肩を竦める。
馬車はさすがというか、中もとても大きく椅子のクッションもゆったりしていて乗り心地が良かった。先日乗った、木で出来た屋根つきの荷台とはまるで違う。
「ふかふか! ふかふかだ〜っ!」
リンデさん、貴族の馬車の感触にすっかりご満悦だ。
「ほんとにふかふかですねー、さすがバリエ伯爵様の馬車です。家のソファも座り心地が良かったんですが、これは比べようもないぐらい格別気持ちいいですね……」
「えへへぇ……きもちいい〜……」
リンデさん、だらしなくにへらっと笑いながら座席の中にずぶずぶと沈んでいった。完全にゆるみきってしまって幸せそうで、そんな姿を見ると僕も嬉しくなってくる。
「魔族殿にも気に入ってもらえて何よりだ。道中ゆっくり休んでくれ」
「ああっえっとオレール様ですよね。ジークリンデです。はい、遠慮なく休ませてもらいます! ……んふふふふぅ〜……」
きりっと背筋を伸ばしたかと思ったら、すぐにずぶずぶと座席に沈み込んでしまったリンデさんを、オレール様は微笑ましそうに見ていた。
「そうだ、オレール様。差し支えなければご令嬢の話を聞いてもよろしいでしょうか。事前にどういう方なのかオレール様より聞いておきたいです」
「うむ、そうだな。ではアンリエットのことを話そう」
娘の名前はアンリエット・バリエ。正妻の娘であり、現在は十七歳。姉貴と会ったとき十二歳だったらしい。オレール様は側室が男児を産み、そちらに将来的に領主の座を譲ることを正妻も同意しているとのことだ。
「ってことは権力争いではありませんね」
「そうなのだ。娘を家から遠ざける理由がないし、第一セリアとジョゼは仲も良い。ジョゼもアンリエットのことは気にかけていたし、何よりセドリックとアンリエットの仲が良かったためジョゼ自身がアンリエットの帰りを望んでいる」
アンリエット様が娘、セドリック様が息子。セリア様が正妻でジョゼ様が側室。
まとめると、正妻と側室の仲が良く、家督争いもなく、正妻の娘と側室の息子の仲が良い。
つまり……。
「……全く問題ないというか、話を聞くだけで家族間のトラブルではないということははっきりわかりますね」
「ああ。だから娘が一体自主的に誰の元に行ってるのかというのがわからなくてな」
誰の元へ行ったのか。確かに問題は全てそこに集約されている気がする。
何よりも未だに特定されていないというのが不気味だ、よっぽど魔物が多い地域に住んでいるのか……。
僕が思考の海に沈んでいると、隣より声が聞こえてきた。これはユーリアさんだ、どうやらずっと索敵魔法を使っていてくれていたらしい。
「ライ様、ミア様。魔物がいるようです、左前方の十一時方面」
「えっ!? 出ます!」
リンデさんはユーリアさんの報告を聞くや否や、馬車から降りて一瞬で走っていった。その姿を目で追うように右側……馬車の左側の窓から外を見ると、獅子の首が空高く吹き飛んでいるのが見えた。
青空を背景にした獅子の生首を見ていると、銀と赤の光が馬車の隣に飛んできた。それはリンデさんの髪の色だった。
「キマイラですねー。あんまりお肉はおいしくないんですよね」
そのまま軽くジョギングでもする感じで、馬車と同じ速度で併走しながら報告するリンデさん。キマイラを一撃で倒して尚、感想はいかにもリンデさんだった。
そうか、キマイラ肉はおいしくないか。じゃあ回収しなくてもいいかな。
「お疲れ様ですリンデさん。えっとユーリアさん、今ので全部ですか?」
「いえ、索敵範囲外から出現! くっ……! かなりいます! 同じタイプでしょうか、相当数が……これは、七匹……!? キマイラが七匹います! 左右の一時と十一時に展開!」
「『フィジカルプラス・セプト』!」
ユーリアさんの報告を聞いてすぐにレオンが強化魔法を使い、姉貴は聞き終わる前に既に外に降りて馬車右側を併走していた。姉貴とレオン、二人の息の合い方は最早名前を呼び合う必要もないぐらいで、まさに文字通りの以心伝心だ。
「リンデちゃん、あたしは右行く! ブッ倒してすぐ戻ろう!」
「了解ですっ!」
そしてそのまま二人は、前方へと走っていった。
「……なるほど、ミア様とあちらの魔族、両方とも剣を使う戦士なのだな」
「はい。リンデさん……ジークリンデさんは普段はあんな明るい子ですが、いざとなると本当にとてつもなく強いです」
「どれぐらい強いのだ?」
「姉貴より強いし魔王様より強いんですよリンデさん。姉貴は一度リンデさんと戦って負けましたから」
「……それ、ほどか……」
「ええ、ですから安心して悠々と構えていてください。リンデさんに倒せない魔物はいないと思いますよ」
「ふむ……確かにそう言われると安心できる。君が落ち着いているのも分かる気がするよ、彼女を信頼しているのだね」
「はい」
リンデさんがいるから、今の僕は生きていると言っても過言ではない。いや、僕だけじゃないだろう。
そんなリンデさんが僕を守るために行ってくれたのなら、きっと大丈夫だ。後はもう、無事を祈りつつ待つだけだ。
———だが、その甘い想定は、すぐに崩されることになる。
「……! そんな!? リンデ様、ミア様、どちらか……まだ、戻ってこない……!」
「どうしたんですか、ユーリアさん」
「……ライ様! キマイラが来ます!」
「なっ……!」
そんな、リンデさんか姉貴が取りこぼした!?
「いえ、リンデ様は間違いなくキマイラを倒しています。ミア様も。……二人が出た瞬間、キマイラはどちらとも全速力で逃げ出しました」
「待ってください、来ているって言いませんでしたか?」
「……リンデ様の方に五体、ミア様の所に二体いました。ミア様よりリンデ様の方が足が速いのですが、リンデ様は一体目を倒した後に、更に東の十二時方向に見えていたキマイラを追いかけて走ったんです。それが……四体ずっと縦に並んでいて、まるで馬車から離すように……」
まさか……!
「残りの一体は、北側九時方面ですか!」
「はい、大きく迂回しています! まるで気取られないように……!」
「———レオン!」
こうなったら、僕が対処するしかない。
「了解だ!『フィジカルプラス・セプト』『マジカルプラス・ゼクス』!」
「ライ様! お兄ぃ! 馬車八時方向!」
ユーリアさんの悲鳴に近い声を聞いて、森の中からキマイラが出てきた。僕はそいつに向かって矢を放つ。
木で出来た矢は、キマイラの前足に当たって折れた。キマイラは全く避けずに当たりに行き、速度も落とさなかった。
オレール様の慌てた声が聞こえてくる。
「大丈夫なのか、ライ殿……!」
「大丈夫です、少し待っていてください」
僕はキマイラの様子を観察する。どれぐらい知能があるかはわからないが、今の反応を見てもしかしてある程度牽制できるのではと可能性を見出していた。
もう一発木の矢を放つも、体に当たって当然あっけなく折れる。もう一発撃つ、体に当たって折れる。
三発とも全く避ける気配すらなかった。大きな馬車を引いている馬と、何一つ進行の邪魔をするものがないキマイラは、どんどん距離を縮めていく。
(……よし)
僕はその様子を見て成功を確信し、四発目の矢を放った。キマイラはもちろん、全く避けなかった。
……賭けは、僕の勝ちだ!
キマイラは、前足の肉を大きく抉られて吹き飛んだ。バランスを崩したところにもう一発撃ち込み、後ろの足へと矢を当て更に吹き飛ばす。
一発目から三発目は全部木の矢を弱く当てただけ、四発目と五発目はレオンの強化魔法を存分に受けて威力を上げた魔矢だ。
そして六発目を撃つと、当然キマイラは回避行動をして……もう一つの後ろ足の肉を大きく抉られることになる。
怒り心頭となっているかどうかはわからないが、全力で走ろうとこちらにやってきたキマイラに矢を放つ。もちろん相手は避けて———最後の前足を負傷する。
四本全ての足の肉が抉られたキマイラの完成だ。
「ゴブリン相手で、回避運動をするような敵に当てるのは慣れてるからね。レオンの強化魔法付きの僕の魔矢だと、相当速度も出るようだ」
「ライ殿……君は」
「最初はわざと油断させて、相手が当たっても避けないのを確認してから撃ちました。そして当たった直後は混乱しているから二つ目も当たります」
オレール様に解説しながらも、僕は魔矢を連射する。キマイラは大きく速度を落としてこちらを追尾するが、避ける判断をしてからはジグザグ移動でこちらに来ているので、当然怪我と重なって大幅に速度が落ちている。
これなら、しばらくはもつだろう。
「三発目は避けるだろうと思ってましたが、倒れたときに横を向いてて助かりました。動物って後ろに走るようにはできてないですからね、相手の進行方向に撃ったんです。最後は正面で向かい合っていました。でも次は絶対避け、怪我していない最後の足に力を入れて反対側に回避するだろうと予測して、二本時間差で撃ちました」
そして足を四本とも負傷したキマイラに対して、少し手前側の地面を狙って近づきにくいように撃ち続ける。
「なんとそこまで頭が回るとは……それにこの弓矢の威力。勇者と魔族が強いと聞いていたのに、この中では唯一私に近いと思っていたライ殿も十二分に強いのだな……!」
「光栄です。でも間違いなく僕はオレールさんに一番近いですよ、それぐらいこの馬車のメンバーはみんな極端に強いんです」
「素晴らしい! ミア様とも話しやすく魔族からの信頼も厚い君が、これだけ賢く強いとは本当に助かるよ。まさに勇者の弟という肩書きに相応しい賢者といっていいのではないかな?」
「お褒めにあずかり恐縮です」
冷静に礼を返していたけど、内心小躍りしたい気分だった。『勇者の弟に相応しい賢者』とは言い過ぎな気もするけど、それ故に貴族様からの色眼鏡のない状態でそこまで評価していただけて本当に嬉しい。
「しかし、キマイラはなかなか仕留められそうにないな」
「大丈夫ですよオレール様」
「おや、何故だね?」
オレール様の疑問も尤もだろう。キマイラは怪我をしながらも少しずつ近づいてきていた。
「『ストーンスプレッド・トリプル』!」
反対側の窓から身を乗り出して魔法を放つは、ユーリアさんだ。石の礫が視界いっぱいに広がり、キマイラは当たった瞬間にたたらを踏む。
「ここまで近づけば私も援護できます!」
「ありがとう、ユーリアさん。でも索敵に集中してないってことは、もう大丈夫なんだよね」
「はい!」
僕はユーリアさんの返事を聞いて、予感が確信に替わった。
「大丈夫とは?」
「すぐに分かりますよ、オレール様」
僕が返事をした直後、一番聞きたかった声が聞こえた。
「ライさんに———」
黒と紫のオーラが視界の隅を通り抜ける。
「———手を出すなああアアァァァッ!」
リンデさんはキマイラを視界に捉えると、その体をなんと水平に斬り飛ばした。首や背骨などお構いなしで綺麗に切断されたキマイラの上半分が空高く吹き飛び、下半身は力を失って慣性のままに数回地面を跳ねて止まる。
それを確認すると同時に、馬車の横にリンデさんが現れた。
「ら、ライさん大丈夫ですかっ!?」
「見ての通りみんな無傷です、来てくれるって信じてましたよ!」
「よ、よかったですぅ〜っ!」
リンデさんが、馬車から身を乗り出していた僕に飛びついて、勢いに押されて僕は座席に背中から寝転ぶように倒れた。
背中までリンデさんの腕が回されて抱きしめられており、僕の髪に鼻を埋めてすんすん匂いを嗅いでくる。
……ところで、僕を抱きしめて上に乗りながら、僕の髪をリンデさんが嗅いでいるということは……当然、その……いろいろ密着しているわけでして……!
い、今完全にふかふかの座席に首が磔にされています。ふかふかの凶悪な二つの杭で……!
「り、リンデさんっ……!」
「ライさんのにおい、おちつきます……心配だったから」
「え、ええっとありがとうございます僕もリンデさんのにおいが近くにあると安心できますってそうじゃなくってですね———」
「———ってわけなのよオレールさん」
僕とリンデさんは、同時に跳ね起きた。
いつの間にか座席にいた姉貴は、オレール様の肩に手を置いてしたり顔だ。
「いやー勇者のお仕事で久々に魔王退治の進捗報告に帰ってみたら? 堅物の弟が魔王直属の部下とコレっすよ? ほんともー、おねーちゃんやってらんないっすわー」
「な、なるほど、ライ殿は随分とその、リンデ殿と仲が良いのですな」
や、やられた……ッ!
「あう、あうう〜〜っ……」
……リンデさんは、さっきまでのキマイラを六体余裕で仕留めた凛々しさを全く感じさせない、ウブな女の子の顔で両手を頬に当てて恥ずかしそうに涙目になって震えている……。
……いや、僕も、多分大差ない顔だと思う……。折角いい感じに聡明そうな印象を与えられていたと思う伯爵様の目の前で、魔族の巨乳に埋もれて狼狽えていたとか恥ずかしすぎて死にたい……。
「ね? 魔人族、チョーかわいいでしょ?」
「……ふはははっ! なるほどこれは可愛らしいですね! すっかり事前に想像していたような印象はなくなりましたよ! 魔人族、もう間違えますまい」
これを怪我の功名と言いたくはないけど……オレール様は、今ので完全に魔人族を信頼してくれるようになって警戒しなくなった。
ちなみに居たたまれなくなったリンデさんはどうしたかというと、よりによって顔を隠すために僕の後ろに座って足の間に僕を挟んでお腹に腕を回して抱きながら、座席に体を沈めた。
姉貴とレオンがやってるやつだ。
……いや、あの!? 余計に恥ずかしいと思うんですけど!? っていうかものすごく当たってますけど!?
そして僕の顔を隠す場所がないっていうか目の前の四名に真っ赤な顔を見られて恥ずかしいんですけど!?
ああもう、だめだ全くふりほどけない、こうなったら冷静になって紅潮した顔を静める……冷静に、冷静に…………って、無理! 馬車がガタンガタン揺れる度に、背中に当たっているものの大きさや柔らかさが分かるぐらい変形してますけど!
僕の座席、最高に柔らかすぎるんですけど!?
聞いてますかリンデさん、リンデさーん!?