悪鬼王国への、準備を始めます
綺麗な星空をみんなで眺めながら墓地から離れた。
誰も言葉を発することはなかったけど、それは気まずい沈黙ではなく村の空気のように澄んだ気持ちの良い静かさだった。
村の広場まで来ると、改めて結構な人数で押しかけていたことに気付く。その中にはリリーやエルマもいた。
「二人は何か喋らなくてよかったのか?」
「ん〜……さすがにあの空気で、ミアの友達ってだけで時間割いてもらうわけにはいかないかなーって」
「あたしもだよ、さすがになあ……割り込めないって」
「そっか、まあそだよな。ありがとう。……そして改めて、ハンナ」
僕は見た目はキリッとした美女の、可愛らしい死霊術士を呼んだ。
「ありがとう、ハンナにはどんなにお礼を言っても言い足りないぐらいだよ」
「はいはい! あたしからも! ハンナちゃんありがとね。お父様とお母様に沢山言いたいこと言えて、ここ数日で悩みらしい悩み、綺麗さっぱり消化できたわ」
姉貴もすぐ隣に来ていた。そうだな、姉貴にとっては本当に僕以上に伝えたいことだったはずだ。
「どういたしまして! ……こういうネクロマンシーっていう魔法をつかえるようになっても、あたしにとってはデーモンに利用されるだけだったから、それがこんなに喜んでもらえるなんて……こっちこそお礼いいたいぐらい! ありがとう!」
僕は思わず姉貴と顔を合わせた。
そうだよな……姉貴も僕も、五年以上ずっと悩んでいたけど……ハンナにとっては二十年だ。しかも、相談できる友人も居ないような長い間。
その孤独は、僕達の想像を絶するものだろう。
「エルマ。ハンナはこれからどうするんだ?」
「そりゃ一緒に暮らしたいけど、その先はわかんねえよなあ。まあさすがに旦那も含めて相談ってとこだ。街に出ている両親も呼び戻さないと。今からどんな顔するか楽しみだな」
小さな村はエルマと旦那さん二人で間に合うようになっているので、エルマの両親は城下街で手伝いに出ている。最初はエルマが城下街に行く予定だったけど、『子供を産むなら勇者の村で』と決めていたので、こういう形となった。
「なんだかいろいろありすぎて整理がおいつかないけどさ。本当にハンナのこと嬉しいよ。まだ夢の中にいるみたいだ」
「頭の中が子供のままで止まってるから、あの明るさ元気さにあてられると、これは夢じゃないって否応なく実感させられると思うよ」
「楽しみだね」
エルマは近くにやってきて左腕に抱きついてきたハンナの頭を、右手の逞しい腕で撫でた。エルマの姐御っぽさ、やっぱり元々姉だったからってのがあるのかもな。
「それじゃ、姉妹水入らずの中でこれ以上ゆっくりするのもあれだし僕らも帰るよ。ハンナも、また明日」
「うんっ!」
僕はエルマ、ハンナ、そして店の手伝いに戻るリリーに手を振って、姉貴と一緒に帰………………ってきて思い出した。
「リンデさん」
「え? なんでしょうか?」
「家出して下さい」
「———アッ!? そそそうでしたーっ!」
僕はリンデさんに家を元の位置に出して来てもらう。
今日はさすがに下準備も何もない。リリーの店で食べて飲んでしようかな。
……初めての外の世界は、新しいことだらけだった。
村に残るのは、ちょっと意地になっていた部分もあったと思う。それでも自分の役目としては十分だったし、不満ではなかった。そう……不満ではなかったんだ。
だけど、新しい世界を見るというのがあれほどまでに新鮮な体験だとは思わなかった。
改めて思う。何だかんだと自分は手広いつもりでいた。
それなりに知識もあって、頭も回る方だと自負していた。小さな村と大きな城下街の中でも、見識が広い方だと思い込んでいた。
全然だった。
レノヴァはコースタイプだから習得しても使わないだろうとリーザさんに教わって、僕も近場ながら体験したことがないままだったけれど。
姉貴に誘ってもらって、初めてが一番のレストランで奢ってもらって。そして、姉貴からの初手に打ちのめされた。王国には公国の文化があまり輸入されてなかったし、リーザさんも一番上の店には行っていなかったんだろう。
だから今は、姉貴が体験したもの全てに興味がある。姉貴が見てきた世界を、僕も見たい。そして……リンデさんとも一緒に見たい。この、僕の料理で喜んでくれたリンデさんに、僕も知らない世界を一緒に驚いたり、笑ったり、感動したり……そういうことを横に並んで体験してみたい。
ふと、姉貴が再び頭の中に出て叫ぶ。
———奢りってね、奢られても忘れちゃうけど奢ったヤツはずーーーーっと覚えてるからね!
ははっ、わかったよ姉貴。肝に銘じておく。
僕も負けず嫌いの姉貴の血を分けた弟なんだ、奢られた分のお返しは覚悟しておいてくれ。
っていうか奢られたことを忘れるとかないからな? 姉貴が嫌と言っても、昨日の初めて最高級レストランに姉貴が招待してくれた日はずーっと覚えておくから。忘れた頃に言ってやるから。
本当に……嬉しかったんだからな。
-
翌日、朝食を作っていたところで朝一番に家にやってきたのはリーザさんだ。ちなみにリンデさんはソファで二度寝中。
「き、聞いたよ昨日のこと! マリアと会話したんだって!?」
「そういえばいませんでしたね、そうですよ」
「ああーっ! あたしも行っとけばよかった! ハンバーグ作らせてもらうってこと報告するチャンスだったのに!」
そうか、母さんにとっての仲のいい友人というなら、リーザさんももちろん会いたかったはずだ。昨日はさすがに店の方にすぐ戻っていたけど、後からリリーに聞いたんだろう。
「大丈夫だと思いますよ、母さんもリーザさん相手なら文句を言わないというか僕が言わせませんし。それに、僕と姉貴の後は魔王のマーレさんが話してギリギリって時間でしたからね」
「そ、そう? それなら仕方ないかー……って、こっちもその腹ぺこ魔王様に朝食作らないといけないんだったわね」
「こっちはもう軽くサンドイッチで済まそうと思うんですが、大丈夫そうですか?」
「……リリーのやつがね、すっかり昨日は出来上がっちゃって朝つぶれてるから、来てくれると助かるわ……」
何やってんだリリー……。
「分かりました、僕自身もみんなの食事は作りたい部分もありますので、すぐ手伝いに向かいますね」
「助かるわ、ああもーライ君が息子だったらなー」
「それは姉貴に悪いので遠慮しておきますよ」
僕の返答を聞くと、「そりゃそうよね」と軽く流して店に戻っていった。
リーザさんと入れ違いで、姉貴が部屋にやってきた。
「ふあぁ……おはよー」
「ん、おはよう」
姉貴は寝癖の頭のままふらふらと外に出ていった。そしてレオンとユーリアが少しして二階からやってきた。
「おはよう、ライ」
「お早うございます、ライ様」
「ああ、二人ともおはよう」
「……リンデさんは?」
僕はコーヒーの準備をしながら、黙って向こうを指差した。リンデさんがソファに沈みながら、寝言で「おかーさまー……」と呟いている。僕の母さんのことだろうか。
……そういえば、当たり前だけど……。
「レオンやユーリアにも、両親っているんだよな」
「そりゃいますよ。どちらも特に大きな地位や能力のない普通の魔人族の両親です」
「お兄ぃも私も、これでも結構頑張ってますから。両親よりは魔法の扱いは手慣れているんですよ」
それに関しては、全面的に信頼している。
レオンの強化魔法はもう言わずもがなというか、あまりにも僕と相性が良すぎて驚いてしまったぐらいだ。案外、レオンは村の友人達以上の一番いい男友達になるかもしれない。
ユーリアの魔法は……デーモンに直接効かない以外は万能の一言だ。本当にやりたいことをピンポイントで嵌めてくれる。
「これでもなんて思ってないよ、二人のサポートは、僕が活動したり指示したりする上で欠かせないものだからね。こんなに頼りになる兄妹がいてくれるなんて本当に心強いよ」
「僕も、魔矢の強化を担当するなんて物理と魔法両方の強化専門としては本当に楽しいよ」
「あわわわたしの魔法をそんなに……! ライ様にそこまで買っていただけるなんて、陛下からの恩賞の次ぐらいに光栄なことです!」
二人とも腰も低くて、本当にいい兄妹だなって思う。僕と姉貴も負けてられないな。
そう思っていると、姉貴が帰ってきた。
「おかえり、どこ行ってたの?」
「んー、ないしょ」
「ほんとにどこ行ってたんだ……?」
「コーヒーもらうわねー」
うーん、コンビとしてのバランスは完全に負けてるなー僕ら姉弟。
「もう、ミアさん。墓石を朝も抱きに行ったのはわかりますが、服が汚れたまま家の中には入らない方がいいですよ」
「あっ……あはは、やっぱレオン君には分かっちゃうかー」
「もちろんですよ。……顔も、タオルで拭きますね」
なるほど、言われてみると確かにそのとおり、服が少しだけ汚れていた。そうか、姉貴は朝も両親に挨拶に行っていたんだな。そして、顔をタオルで拭くということは、今朝も墓で……。
それにしても、レオンって本当に姉貴のことをよく見てるし、観察力あるよなって思う。それに泣いていたことを悟られないように配慮した言い方をした辺りも感心だ。
「ふあぁ〜おはようございます〜……あ、こーひーさんのいいかおりがします……」
そして昨日ハンナが去ったことにより、晴れてこの家で一番大きくて一番幼い人となった、僕の同居人が二度寝から起き上がってきた。
「おはようございます。ああもう、リンデさん少し髪はねちゃってますよ。服も少し皺になっています。横になって寝ましたね? あと……これは、リーザさんのステーキソースの匂いですよね、昨日こぼしたかな? もうコーヒーが入るのを待つだけなので、ちょっとこっちに座って下さい。今直します」
「は〜い……えへへぇ〜……」
僕はリンデさんの髪の毛を、少し水で濡らした手で整えていった。
「……ライってほんと、リンデさんのことよく見てるよなあ。観察眼が鋭いっていうか……さすがだなって驚くよ」
いや? レオンほどじゃないと思うよ。
-
リーザさんの手伝いに行き、久しぶりに魔人族のみんなでサンドイッチを食べる。
「ライ君、レノヴァ公国どうだった?」
「良い刺激になりました。井の中の蛙だったなーって」
「ライ君がそこまで言うなんてよっぽどなのね」
「食文化のレノヴァでいきなり一番高いレストランに連れて行かれましたからね。対抗心も燃えます」
「それはミアちゃんも完全に狙ったわね……」
そういうところも、姉貴のいいところだと思うよ。
「ライさん、おはようございます」
「マーレさん。はい、おはようございます。何か用ですか?」
「レノヴァではリンデ達と入ったのですよね。魔人族は、どうでしたか?」
「そうですね……レノヴァの人達は大丈夫でしたが、レノヴァに出入りしている商人達や、別の領地の貴族の護衛などは事情を知らなかったですね。でも、すぐに知られるようになると思います。あれはマックスさんのおかげですよ」
「王国騎士団長の方ですよね。後日改めてお礼を言いたいところです」
その話を聞いていて、エファさんが近くにやってきた。
「あ、あのっ。陛下、お礼を言いに行くのならご一緒したいです」
「エファは彼ともよく会うのよね。いいわ、一緒に行きましょう」
「ありがとうございます……!」
二人の話がまとまった……というところで、姉貴が割り込んできた。
「マックスなら、多分酒場で働いてるとそのうち来るわよ。いつまでも復興途中の護衛ってわけじゃないんだし、すれ違いになりたくないならここで待っていることね」
「そ、そうなんですか?」
「マックスってここに飲みに来ることあるのよ。だからその時は、エファちゃんはしっかりメイド服で対応してあげてね」
「メイド服で……! はいっ!」
……いや、マックスってわざわざ城下街からここまで酒場を選んで飲みに来たことあったっけ……?
と思ったけど、後ろを振り向いた姉貴が悪い顔をしていた。……まあ、マックスさんのあの様子なら、きっと来るだろうとは思うけどさ……。
これで迷惑かけてるようなら僕も止めに入るけど、自分から言い出しただけあってエファさんはマックスさんに対してとても好意的だ。騎士団長のマックスさんと顔の広いおばさまのことも併せて、魔人族との関係にいい空気を持ってきてくれている。
二人はいい関係になってくれそうだ。
朝食を終えて、広場までやってきた。いつもどおりにトーマスがカールさんとビルギットさんに合流する。今日はそこへ、マーレさんが話を挟んできた。
「トーマスさん、よろしいですか?」
「お、マーレさんじゃないですか。どうしました?」
「南方面、どこまで開拓しても大丈夫でしょうか」
「そりゃあ南方面は魔物が強くて誰も手を出さなかっただけなんで、できるんなら綺麗さっぱりやっちまっていいですよ。木もその際にあると助かりますね」
「分かりました。……カール、ビルギット、聞いたな? あと……クラーラ!」
マーレさんは、そのトーマスの手伝いとしてずっと働いていた二人にクラーラさんを追加で呼んだ。
「この南の森、ある程度は引き抜きまくって真っ直ぐ道にしてほしい。クラーラは抜いた木の枝を整理するように。くれぐれも三人は離れず、地面の不自然な草には注意すること。虱潰しに調べるためある程度の等間隔で印を付けていく」
「うっし了解っす!」
「はい、陛下。ご用命承らせて戴きます」
「……私は、抜かなくていいです……?」
「時間が余るようなら抜くのと整理するの一人でやってもらえる?」
「……ふむ、わかりました……」
なるほど……どうやら本格的に南の森を広げていくつもりだ。リンデさんを除いての騎士団上位三人が協力したら、この強力な魔物が棲むといわれている森も余裕で開拓できるだろう。
そしてこの先に……両親が命と引き替えに見つけてきた悪鬼王国の手がかりがある可能性がある。
「トーマスさん、少しこちらの事情で三名を返していただいても……」
「ああいや、むしろ助かってるのはこっちだし、多分魔王さんが今からやることもこっちの利になることだからいいですよ」
「そう言っていただけると気が楽です」
マーレさんはトーマスさんに安堵した顔で返事をすると、再び表情を引き締めて三人の方を見た。
僕もそちらを見ていると、ふらっと姉貴が近くにやってきて腕を組んで森を見た。……姉貴も、やっぱり南の森に関しては思うところがあるよな。
「……そうなのよね、あたしも入ったことはあるんだけど、入り口を隠していたら何も分かるわけないんだもの」
「姉貴……」
「ライには感謝してるわ、この辺のオーガロードがデーモンによって召喚された種であるという可能性は全く考慮していなかったから」
「その辺も、リンデさんには感謝しないとな」
「……リンデちゃんに?」
姉貴に、今までのことを説明した。
今回のこと、デーモンと複数回戦ったからこそ気づけたことだった。
魔物だけを見ても、デーモンだけを見ても、わからなかっただろう。デーモンと戦って、城下町が特定の魔物に荒らされて。何度か戦ってようやく頭の中で繋がった。
僕一人でも姉貴だけでも、この結論に辿りつくことは無理だったんじゃないだろうか。
デーモンの幹部は何らかの理由で僕がそのことを悟ると察知して、僕だけを狙ってきた。だけどリンデさんの圧倒的な強さには、オーガの上位種を何体用意しても無駄だった。
そして最終的に、僕に見抜かれた。父さんと母さんが遺してくれた、恐らく……人類史上最も重要な情報とともに。
その結果が、今日の魔人王国の南の森の調査だ。
「なるほどね、ライの言うとおりだわ」
「ああ。……両親の敵であり、お世話になった魔人王国の敵だ」
「倒し甲斐があるわね、デーモンの国」
本格的に森を調べ尽くすには、もう少し時間がかかるだろう。魔法にも妨害がかかっていると見て間違いない。
だけど、今回の協力者は今までの比じゃない。
普通なら有り得ないようで、有り得てしまった勇者史上最高の仲間達だ。
今まで、後手に回ってばかりだった。
今度は、こちらから攻める番だ。