家族はやっぱり、分かりました
馬車に揺られている間、ずーっと考えていた。
『あたし、ここ最近レノヴァで活躍したことないわよ?』
そんなはずはない……んだけど、姉貴自身がそう言うのなら記憶喪失なんてことでもない限りは、そうなんだと思う。
だとしたら、真っ先に浮かぶ可能性は一つ。
———姉貴の偽物がいる。
目的は、やはり名声だろうか。もしかしたら、それに伴う何か別の目的もあるかもしれない。
しかし姉貴がまだ活躍している段階で、この勇者の村から出てきた振りをするだなんて、ずいぶん大胆な嘘をつくものだなと思う。
……もちろん、気分は良くない。
だけど、もしもそれが事実なら自分の気分なんてものを優先している場合ではない。当然そのことに関するデメリットに関しても考えてしまう。
例えば、今は評判がいいらしいその勇者が何かやらかしてしまったとき。責任が姉貴の方に擦り付けられる可能性は高い。そして……これが一番気になるところだけれど、実際にマックスさんぐらいの強い剣士だったとして、姉貴より活躍してしまった場合だ。
勇者の印というものをタトゥーとして入れている可能性だってある。もしそうなれば……姉貴とその活躍を比べられることになるだろう。今のところ姉貴はちょっと……ちょっとかな……素行が悪い程度で善行と言い切っていい活躍をしている、はずだ。
だけど……相手がどれほどのものなのかわからない。
……少し、調べておこうか。
「どーしたのよ、ライ」
「ああ、何でもないよ。ちょっと考え事をね」
「ふーん。ま、そういうことにしておいてあげるわ。でも無理はしないで、危なそうになったらあたし……というより、多分ずっと一緒にいるリンデちゃんにも頼りなさい」
笑いながら、僕の頭をくしゃくしゃと撫でる姉貴。
……僕のこと、頭が良くて似ていないだなんて言ってるけどさ、姉貴も大概勘が鋭いし頭が良いって思うよ。
「ライさん、ばしゃは今どこに向かってるの?」
ハンナが聞いてくる。そういえば言ってなかったな。
「勇者の村」
「あ、おうち、なんだ……! えっと、おねえちゃんは……」
「いるよ」
「よかったぁ〜……」
ハンナにとっては何もかもが状況が分からない。一人で帰っても、自分の知っている人はみんな年齢が一気に上がって自分の知らない人だし、自分の見た目も誰からも分からないだろう。もう母さん……マリアもいない。文字通り、知らない人だらけだ。
「僕と姉貴が責任を持ってエルマのところまで送り届けるよ」
「そーよっ! ハンナはあたし達に安心してエスコートされなさい!」
「うんっ! ありがとうっ!」
一つ言えることがあるなら……ハンナが明るいのが、何よりもの救いだ。
塞ぎ込んでいないのが本当に心から助かる。ハンナは本当にいい子だ。……年上の、背の高い美人にこう言うのはちょっと不思議な感覚ではあるけど。
僕は窓の外の夕焼けをみながら、全てをやり終えた達成感に包まれて馬車の中で背もたれに体を沈めると……緊張の糸が切れたのか、そのまま意識を手放した……。
……。んん……?
あれ、僕は、馬車の中で……そうだ、馬車の中で寝て……。
「……っ!」
目を開くと……リンデさんがいた。その顔は、ぐるっと九十度ほど回って、右から……ああでも、鼻や顎が見えない……隠れて見え、な……?
……あ、これ、リンデさんの……その、大きい二つの……で……。……うん、さすがにここまで状況が揃っていて、わからないなんてことあるはずない。
———膝枕だ。
「……お、おはようございます……」
「お、おひゃよろじゃらしゅっ!」
噛んでる噛んでる。もう何言ってるかわかんないレベルで噛んでる。……この状況で、僕が最初にかける言葉は何がいいか……。
……これだけ近い関係になったんだ。ちょっと欲を出して、言おう。
「……とても気持ちいいです。もう少し、このままにしてもらっても?」
「っ……! はいっ、私も、もう少し……このまま、が、いいなって……思ってました……嬉しい……嬉しいです……」
ああ……してもらってるのは僕なのに……嬉しいのは僕なのに……。これ以上幸せにならないはずなのに……。
そんなに幸せそうな顔をされたら、ますます僕まで嬉しくなってしまうじゃないですか……。
……あ、リンデさんの手が、僕の頭を撫でている……。
「……あの、嫌でしたか……」
「っふふ……リンデさんがしてくれることに、嫌なことは今まで一度もないですし、むしろ気持ちいいことしかしてくれないので安心して好きにしていいですよ……」
「……もおっ……」
困ったように笑ったリンデさん、そのまま僕の髪を撫で……その手が次第に下りてきて頬に触れて、指先で撫でるように、親指で僕の唇を撫でるように……。
……な、なんだろう、すごく、その……恥ずかしい……。リンデさんは普段が無邪気で明るいだけに、こんな色っぽい触り方で、なされるがままになっているのは……!
でも、リンデさんなんだよ? あの、子供っぽいリンデさんに対して、その……こういう気持ちになっているというか……ちょっと申し訳ない気がしてしまうというか……!
さ、さすがにじっとしているのは耐えられない。僕も……僕もリンデさんの手に、手を重ねるように伸ばす。
「あ……っ……」
「嫌ですか?」
「……まさか……」
一瞬驚いたリンデさんも、穏やかに笑いながら僕の手に握られるままになっていた。……この細くて綺麗な指が、マックスさん以上の怪力で僕たちを守ってくれる。にわかには信じられないけど……でも……。
……ありがとうございます……。
そして、今回の遠征、お疲れ様です。
リンデさんがいることが、僕は何よりも心強いんです。
「……今日も暖房要らずな件……」
「うおわっ!?」
「ひゃうっ!?」
問答無用で飛び跳ねて起きたし、リンデさんは両手を真上に挙げて直立不動ポーズになった。
こういう時に声をかけてくるのは……姉貴だ。見てみると、レオンはすっかり姉貴の体の中で安心しきって寝ている。その姉貴にもたれかかるようにしてユーリアが寝ていて、反対側ではハンナが寝ていた。……よかった、見られてるのは姉貴だけだ……いやある意味一番よくないけど……。
「二人の空間になると、ほんっとーにラブラブ空間よね……私とレオン君も大概だけど、あんたら二人には負けるわ」
「あ、う……」
「いーわよいーわよ、そー変な顔しなくてさ。どーせずっと二人で家にいるときはこうなんでしょ? むしろあたしが帰ってきたことで二人だけで乳繰り合う時間を奪っちゃってごめんね」
「やってないからな!? 変なこと言うなよ!?」
「……ほんとに? ライがあたしに嘘付くとか、まさかないわよね?」
……うう、姉貴……その言い方はずるいだろう……。
しかし、やってないはず、やってないはずだ……乳繰り合うとか……そんな……。……あれは、リリーが来たときに……一度……。
「……ないよ」
「あァン?」
「リンデさんがソファに座っている僕の上に乗ってきて抱きしめられました対面で胸に顔半分埋まってましただけど服は着ています健全です本当です」
言ってしまった。リンデさんがいつかのように「ら、ライさぁ〜んっ!?」と涙目になっているけどごめんなさい本当に今のはこわい無理。僕じゃなかったら下手したら漏らすんじゃないかってぐらいあの威圧を向けられると、その……本能が『勝てない』って警告を発する。
「そうっすか……まあ、姉ちゃんとしてはそれ以上はやく行ってほしくて楽しみだけれど、でも参考になったわ。なるほど、椅子の下に組み敷けば逃げ道ないわけね」
「……手加減してやれよ……」
「理性が保っていたら考えておくわ」
明確に絶対無理って返された。レオンを前にした姉貴に理性とかいう高尚なものが残ってる気がしない。がんばれレオン、僕は君が姉貴の心を射止めたことを誇りに思うよ。
一番の親友として骨は拾ってあげよう。
「んん……あれ、おはよーございます……」
ユーリアが起き上がった。さすがにすぐ起きたからかちょっと眠そうだ。寝ぼけ眼のユーリアさんは、僕たちを見て……言った。
「ああ……お二人も、おはようございます……ライさんを膝枕させて甘い言葉を囁かせる、リンデ様が羨ましい……」
……。
今の言葉、完全にユーリアさんの妄想だっていうのは分かるんだけれど……。
姉貴を見た。にやにやしていた。リンデさんを見た。目を逸らした。
「…………。……あ、あれ……えっと、私……あの、おはようございますライ様……もしかして私、また寝ぼけて何か変なことを……」
「……いえ……何も変なことは言わなかった、です……ユーリア、おはようございます……」
「はあ……おはようございます……?」
不思議そうな顔をしていたけど……そうか、ユーリアのいちゃいちゃ妄想と僕はおんなじことをやっていたのか……。
ううう……猛烈に恥ずかしい……!
「あ、着くわよー」
今はその、姉貴の空気を読まない脳天気な声が有難かった……。
-
「ありがとうございました」
「なあに、魔族のお客さんと聞いていたけど大人しいし途中の魔物も一瞬で蹴散らしてくれたし、むしろいいお客様で有難いぐらいだね!」
「それはよかった。魔人族は皆いい人だから、是非みんなに伝えてくださいね!」
村に帰ってきて、馬車はそのままビスマルク王国に行った。長旅お疲れ様です。
「ちゃっかりリンデちゃん達の宣伝入れていくあたりライも徹底してるわねー」
「もうもらった恩をとても返せないからさ。せめてこういうところで、マーレさんにとって一番喜ぶことをして返したいと思うんだ」
「いいことだと思うわ、あたしも参考にする」
姉貴は村の入り口まで歩いていき、「帰ったぞー!」と元気よく宣言した。わらわらと村のみんなが集まってくる。
そしてまずやってくるのは、なんといっても村の入り口の宿と一緒に併設してある酒場から、リリーだ。
「やっほーミア、早かったじゃない! どうだった?」
「さすがライよね、完璧の上をいく成果よ! ハイおみやげ」
姉貴がリリーに、ぽんぽんとアイテムボックスの魔法から服を取り出して渡していく。
「これ……レノヴァの結構いい服じゃん!」
「あげるわ! あたしを崇めよ!」
「はは〜っ! さすがミア様〜っ!」
「ふははははーっ」
ちょっとおちゃらけつつも、二人とも楽しそうだ。さすが唯一無二の親友、一番仲の良い二人だ。
そして……ハンナがやってくる。
「あれ、この人は?」
「服あげる代わりにおつかいとしてエルマを今すぐ呼んできてくんない?」
「明らかにおつりが釣り合わないけどミアがいいならいいわよ、走って呼んできてあげる」
リリーが軽快に走り去るのを見て、ハンナが口を開いた。
「あのかわいい人、リーザさんみたい」
「ほんとハンナってよく覚えてるわね。あれリーザの娘のリリーよ」
「ほええ……そうなんだ」
そんな会話をしていると、リリーに遅れてリーザさんが現れた。……確かにリリーに似ている。まあ母娘だから当然なんだけどね。
隣にはヴィルマーさんがやってきた。
「ミアちゃん、お帰り。リリーがさっき出たと思ったけど」
「あーおばさんごめん、ちょっと使いっ走りさせてるわ」
「それぐらいいいわよ。……で、そっちの綺麗な女の人は誰かしら?」
「ああ……ちょっと説明が必要で……」
リーザさんとの会話の途中で、リリーが走ってエルマを連れてきた。
「なんだいなんだい、急に呼び出したりして。一体、何……が…………」
「……あっ……」
ハンナが、エルマを見る。
エルマは……その反応を見ればわかる。
家族なんだ。
二十年ぶりだからって、分からないわけなかった。
「……ハンナ……なのか……」
「やっぱり……おねえちゃんだ……エルマおねえちゃんだ……!」
「ああ、ハンナ、ハンナ……!」
エルマは走っていき、ハンナを抱きしめ……その体の細さと、「きついよ……」と返ってきた言葉に驚き、心が痛んでいるように顔を歪めて……それでも大切そうに、力を緩めて抱きしめていた。
「ごめんなさい……わたし、つかまってたの……デーモンに、利用されて、それで嫌だったのに……村に向かって魔物を放って……」
「何言ってるんだ、謝るのはあたしの方だよ……必死に探して、それでも見つけられなくて……! 諦めないって決めたのに、二十年前だからって、もう……もう死んだんだって諦めて……!」
「仕方ないよ……あの森、深かったもん……」
それは、二人の二十年を埋める会話だった。
……二十年の空白は長い。
それでも……それでもここまで帰ってこられた。
「エルマ、いいかしら」
「っ! ミア、かい……あんたがやってくれたのか……」
「ライよ。今回のこと、ハッキリ言って最初から最後まで全部ライがやったって言い切っていいわ。リンデちゃんがいたらあたし要らなかったかもってぐらい、ライが小難しい部分全部解決してくれた」
「そうか、そうなのか……! ライ、ありがとう、もうどうやってお礼をしたらいいか……!」
あ、姉貴……ちょっと過剰に言ってくれるなよ……。
なんだか普段はカラッとしている男前なエルマの姉御がこれだけしおらしく泣いていると、調子狂うな……。
「あー、えっと、エルマ。その、僕もやることやっただけって感じだし、なんかこー慣れないよそんなふうに言われても。また普段どおりギルドの仲介を普通にやってくれたら、僕にとっては一番助かることだから」
「ああ……やっぱあんた良い奴だねえ……ミアよりよっぽど勇者って感じだよ」
「あはは、エルマもそう思う? あたしもそう思うわ!」
以前も同じ事を言われたはずだけど、今度は卑屈にならなかった姉貴。
珍しいな、と思っていると……姉貴は、今まで見たこともないような、少し大人びた満面の笑みをして言った。
「あたしとライはね、二人で勇者だから!」
———ああ、そうだ。
姉貴自身の口からはっきり断言されて、再認識した。
魔人族の助けがなかったとして、果たして僕一人でここまでのことができただろうか。
姉貴一人で、果たしてここまで考えて、一人でハンナの呪いを解除して連れ帰ることができただろうか。
いや、無理だ。僕たちは……最初から一人だけでは何もできなかったんだ。
僕と姉貴はきっと、二人で勇者。
そして……とても強くて、食事場所を提供してみんなの安全な旅を保証してくれるリンデさん。
勇者の姉貴だけでなく、僕の魔矢を強化して、本人も考察能力の高いレオン。
どんな魔法でも自由自在に操る天才魔法使いのユーリア。
今回の旅は……本当にいい旅だった。
姉貴がいいパーティだと言っていたけど、僕も間違いなくそうだと言い切れる。
「そうだね、僕と姉貴は、一心同体。二人で勇者だ」
「そーゆーことよ!」
長い長い、二人の壁。
それが取り払われたことをはっきり確認出来た旅だった。
「ねえねえ、マリアさんは?」
そのハンナの声に、僕が反応する前に……エルマが返してしまった。
「マリアは魔物にやられてね……十年ぐらい前か」
「えっ……!?」
ハンナが僕の方を見る。エルマは自分がやらかしてしまったことに気付いて、「すまん」と言ったのを片手を上げて気にしてないというふうに応えた。
「そうなんだ……マリアさん、どこに?」
「……あの通りの……そう、あの奥の森の中だよ」
「……そうなんだ。ちょっとでいいからお話したいな……」
そんなつぶやきを、みんなで切なそうな顔をして反応した。
「お話、しに行っていい?」
お墓の前で挨拶に行くんだろう。
自分も苦労したのに……本当に、いい子だなあ。
「いいよ、一緒に行こう」
僕と姉貴は顔を合わせると、久々に墓へ足を運んだ。
———このときは、まさかあんなことになるなんて、想像もしていなかった。