スープはドラゴンほど怖くはないと思います
ちょっとお姉ちゃんの移動範囲広すぎたので修正。
出来上がった鍋を持ってくる。
「な、なんかもう、においからしてぜんぜん違う……!」
魔族さんが目を輝かせている。
「まだ蓋を閉じているからこんなもんじゃないですよ?」
「ほ、ほんとですかっ!?」
「さて、どうなっているかな」
期待を胸に、蓋を開ける……!
「はわわわ…………」
「おーおー、悪くないんじゃない?」
黒い鋳造無水鍋の中は、たっぷりの野菜の水分を出して、やや白濁した野菜と肉のスープに仕上がっていた。
なんだか目の前のさっきまで威圧感たっぷりだった娘が、初めてケーキを見た童女みたいな反応になってて笑ってしまう。
それを器に注いでいく。
「はい」
そう言って、娘の前に器を置く。
「……未知の香りです、おいしそう……」
そして、食器も必要だろう。スプーンを置く。
「わあわあ、木ですかこれ! 綺麗なスプーンです!」
「ん……? 普通のスプーンですよね」
疑問を口にしてみる。
「はい、人間さんにはそうなのかもしれませんが、私たちはこういうものは作れないので。なので、輸送車などの余ったものとか、なんというかその、人間の……あっ山賊まがいのことはやったことないです! なのですが、捨てられたものなどを回収して使っています」
「ああいや、もう人間をわざわざ襲うとか思ってないからいいですよ。なるほどそれで、スプーンを」
「えへへありがとうございます……。はい、食器一式。銀など金属製のものが壊れにくくて好きです。陶器はすぐ割っちゃって……。主に使うのはスプーンとフォークですね。ナイフというのはあまり使いやすくなかったので使っていません」
「使いにくい?」
「魔族だけかもしれません。不器用だけど顎と歯は強いので、まるまるフォークに肉を刺してかぶりついちゃうんですよね。肉はもちろん私はオーガの骨とかもそのまま砕けますし」
なるほど、確かに噛み切れさえすれば切り分ける必要はない。
しかしこの子、かわいい感じに言ったけどオーガの骨とか顎の力だけでかみ砕くらしい。
受け答えは普通の女の子なのにスペックだけ強すぎる……。
「スプーンは塩味が足らない時に、鍋のスープを少し飲んだりするときに使いますね」
「———スープを……少し飲む?」
「はい。薄めた海水のスープです」
何を言ってるんだ? と思ったけど、そういえば味付けは基本ないと言った。
「あれ、人間さんはスープ飲みません?」
「海水は飲みませんねえ……塩辛いですし」
「そりゃもちろん味が薄い時用にちょっとずつ飲むんですよ。スープってそんな感じですよね」
……ふむ。
「違います」
「へ?」
「スープはそれだけで完成された料理です」
「スープが、それだけで完成されている?」
「個人的には、味が凝縮されたそれは、肉より、野菜より———
———圧倒的においしいものです」
そう宣言する。
やがて、僕の言ってる内容がじわじわ理解できたのか、僕を見て、手元の器を見て、僕を見て、
「……それが、これですか?」
器を指差した。
「はい」
彼女が器の中を見て、オーガキングの前にいた時の比ではないぐらい歴戦の戦士の戦う前の顔をして緊張する。
脂汗を出しながら、呼吸を浅くする魔族。
……いや緊張しなくてもいいよ。
なんだその「次に戦うのはドラゴンか……」みたいな顔。
スープだよスープ。
「いただきます」
「えっ! あっまってくださあっもう食べ始めてるっ!」
ちょっとらちがあかなさそうなので、取り敢えず僕はもう食べ始めてしまおう。
-
まずは一口。とにかく肉の脂が浮いて、そのスープが飲みやすい。そこそこ濃厚、薄くなく、おいしい。塩も悪くない感じだったな。しっかり削った分が溶けているし、足らないこともない。
……黒コショウはもっと欲しいか。レッドペッパーをそのままで追加しよう。
そして、野菜の甘さが出ている。タマネギが甘いのはもちろんだけど、いいキャベツがいい甘さを出している。食欲も増進だ。さすが姉貴が僕に作らせるために持たせた鍋。ていうかさっさと帰ってこいよ姉貴。
んんんー、意外と、羊? ラム? うーん、そういえば魔族の角とかって山羊だよな……。魔物は山羊系の味? わからない、今度はクローブにしようか……。
でも、うん。これかなりおいしい。すごく食べやすい。
まあ、素材に助けられて、及第点ってところかな。
と、自分の世界に入っていると、正面の魔族が器を持って震えていた。
「こんな、おいしいもの……私ごときが先にいただいてもよかったのでしょうか、陛下……」
思いの外すごい反応をいただいてしまった。
「スープ一つに大げさすぎます」
「おおげさ、では、ありません」
はっきりとした声が聞こえてきた。
「おおげさではありません。私は、ずっと、ずっとこの日が来るのを待っていたのです」
それから、魔族はぽつりぽつりと話し始めた。
「私、その、魔王陛下から、人間には近づくなと」
「でも」
「豊かな、文化があって」
「おいしい、料理があって」
「綺麗な服、綺麗な指輪、腕輪、宝石」
「美しい絵、楽しい音楽、建築、彫刻」
「何もかもが、まぶしすぎました……私は、私は人間の世界に行ってみたくて、でも、魔王陛下はお許しにならず……」
「じゃあ、なぜ」
「頼み込みました。自己責任で。絶対反撃せず、人間に殺されてもいいという条件で許可を得たのです」
人間に……殺されても良い?
「私は、陛下の言っていることがわかりました。魔族とは討伐されるもの、魔族の国別の差もわからないどころか、魔物との差もわからないもの」
そう言って、伏せっていた顔をこちらに向けた。
「私は……もしも、最初に出会ったのがあなたでなかったら。もしも勇者と呼ばれる、ハンスさんより強い人に出会ったのだったら。目を閉じて、命を差し出すつもりで来ました」
「そ、そこまでして……」
「そこまでしてでも。私は、来たかったのです」
彼女の目が、細く柔らかくなる。
「そして、私は、あなたに出会えました……ここまで優しくしていただけるなんて思ってもみなかった」
「いや自分めっちゃシリアスに独白してもらってるところ悪いんですけど」
「……ふぇ?」
「まるで僕のことすっごい聖人みたいに言ってますけど、そもそも僕が殺されそうになるのをあなたが助けたところからスタートしていますからね!?」
「あっ、そうでしたね? ふふっ」
そのことを指摘すると、楽しそうに目を細めて笑った。
「でも、心配ですね……」
「心配? どうしたんですか?」
「いえ、オーガキングに出会いましたよね」
「確認するまでもなく」
その肉をおいしく食べている。
「あれ、3体目なんですよね」
「……は?」
「オーガキング程度でも、この村の村人って苦戦するんですよね?」
「程度……って」
どう考えても王都のギルドからAランク連れてくる敵だと思うのですけど。
「えっと、下位種ではないですが、基本的に一撃だとあんまり強く感じないですよね」
「…………」
そりゃまあ。ゴブリンとスライムの差ぐらいになりますよね、オーガキング。
「……あッ! すみません私っ! 悪気があったわけではっ!」
「あー! わかりますわかります、ええ! 悪気ないですよね! あなたが素でこの村の村人より強いってだけで普通に話しているのわかりますから!」
「あなたの理解の深さにただただ感謝いたします……ほんとに最初に出会ったのがあなたでよかったです」
「ははは……」
だんだんこの子の会話に慣れてきた。
「話を戻しますね。3体目で、一応もう3体とも討伐して首は捨てて肉をアイテムボックスの中に解体してないまま入れてるんですけど」
「たくさん食べれますね」
「はい! じゃなかった、ええっと、3体ともさっきと近い場所なんですよ」
……はい?
「……それって、もしかして」
「ええ、集まってきてると思います。食事が困らないのは助かりますけどねー」
感想の大胆さのスケールがあいもかわらずでかい。
「でも、私がいない時に、ひょいっと5体ぐらい来たら大変なんじゃないかなと」
「それは……確かに……」
大変なんてもんじゃない。一度対峙したから分かる。
確実に、この村は全滅する。
「あっ、スープが冷めちゃう!」
「おっとそうでしたね」
僕たちはそれまでの会話を切って再びスープを口に含んだ。「はわあぁぁ〜」って声を出してうっとりする魔族。本当に、いい顔で食べてくれる。
「おいしそうに食べてくれて、僕も作った甲斐があります」
「天才的な料理技術です! 百点満点ですね!」
「七十点ぐらいですね」
楽しそうな魔族の顔がそのまま凍る。
「……は? これが、七十点?」
「はい。もっと時間をかけて骨を沸騰させると、それだけでオーガキングのオーガ骨汁が出来ると思いますし、ちょっと血抜きは手を抜きましたかね。もう少し臭みは消えるはずです」
「……」
「あとやっぱりこれだけ濃厚ならもっとスープを作り込んで芋類があった方がよかったでしょうね。またガーリックを忘れていたのは渾身の失敗です」
「……」
「正直、素材のおいしさと姉貴の買ってきてくれた鍋に助けられた部分が大きいですかね」
「……」
「まあ料理に点数つけるってのも可笑しいですけどね。いろんな味の種類が楽しめますし」
「———しゅ、るい?」
「はい、その辺はご存じないですか?」
「全く、です」
「じゃあ、はい」
そう言って、手元にあったクミンを多少ふりかける。結構味が変わるが、カレーの味に近くなる。
「よく噛んで食べてみてください」
「えっと、はい……」
恐る恐る食べる……すると、噛みながらじわじわと彼女の目が大きくなっていく。
「ち、違う! 全然さっきと違います!」
「面白いですよね、それがスパイスです」
そう言って手元の袋を見せる。正面の子が、台所の袋の山を少し目で見て、僕に目を合わせて真剣な顔で聞いてきた。
「あの……もっと、教えていただけませんか?」
「もっとですか、そうですねー」
軽く思いついたものを言おう。
「トマトってわかります?」
「はい、こちらの島でも野生で結構ある野菜ですね。酸っぱいですが、嫌いじゃないです」
「あれで煮込んだりします」
「あれで、煮込む?」
「はい」
「他に、バターとか、チーズとか、ドミグラスとか……この辺は焼く感じで」
「……」
「さっきのクミンに、ターメリックに、ガラムマサラって辛いスパイスをまとめたもので僧帝国の味になって……」
「……」
「北の寒い方はビーツです。トマトと違って味がないですが、スープが真っ赤になるボルシチは格別です、でもスメタナは今なかったな……」
「……」
「姉貴はもっと東や南に行ってみたいと言ってたけれど、さすがにそこまでいくと遠いんですよね……」
「……」
「…………あっすみません! なんだか完全に僕ばかり話してしまって」
正面の魔族が震えている……ど、どうしたのかな? 勝手に喋りすぎたかな?
「……あの」
「はい?」
「それ、どれぐらい作れるんですか?」
「うーん、僕のアイテムボックスに大体は入ってますけど、再現できないのも多いですね。基本的に姉貴が買い込んだものを料理出来る僕がもらって使っている状態なので、なくなるとそれっきりです」
そこまで聞いて、正面の魔族が僕の方を向く。
「あ、あああのっ! 交渉、していいですか!?」
「は、はい!? 交渉ですか!?」
「はいっ!」
気合を入れる正面の子。
「……村に来る、オーガキングと、あと言ってなかったですがオーガロード40体ぐらい」
「は? 聞いてないんですけど」
「言うほどでもないかなと思って忘れてました。殆どは来る途中で倒しましたけど」
ごめん今ほとんどって言わなかった? 一体でも残ってるとやばいんですけど。
「ええと、それで、ですね」
「はい」
「わ、私が、村を、守ろうと思います!」
「え、え?」
「どうですか! 護衛として! かなり優秀な自信ありますよっ!」
「も、もちろん存じております! というかあなたが来なかったらとっくにこの村全滅してますよ」
でしょう! とエヘンと胸を張る。でかい。
「……あっ!」
がばっと胸を自分で抱え込むようにして、「あはは……」と照れたように笑う。……なんだか段々、本格的にかわいく見えてきた……。
照れるのをごまかすように声を出す。
「でも、どうしてそこまでしてくれるんですか?」
「そこが交渉ポイントです」
そして、器を大切そうに持って、僕の方を見た。
「わ、わわわわ私にっ! こ、このスープを毎日食べさせてください! あっこのスープだけじゃなくていろんな種類あると嬉しいですっ!」
そうして、プロローグに戻る。
まあ、早い話が、断れないのである。断った時点でオーガロードが何体残ってるか分からないまま蹂躙されておしまいである。
それに———
「やった……! やったやったぁ……! ……えへへ……」
———なんだかんだ、もうリンデさんのこと、一緒にいたいと思えるほど気に入ってしまったのだ。
でも、これ。
完全にプロポーズ受諾だよなー。
んー、まいっか。