みんなで城下町へ行きました
僕は、城下町に行く前に、気になっていることを聞いてみた。
「ビルギットさん、鍋とお玉を洗う際に黒いものが少し付いていました。あれは何なんでしょうか」
ビルギットさんはびくっと震えると、あわてて頭を下げた。
「も、申し訳ございません! それは恐らく、私がデーモンを仕留めたときの血です!」
「デーモンの……血?」
「は、はい……私は武器を持たずに拳で戦うので……その時の血がついたままだったんだと思います……」
体格と武器を持っていないことからもしかしたらと思ったけど、やっぱりビルギットさん、お淑やかながらも豪快に殴るスタイルの戦士だった。
……本当に、あの神官戦士達、ビルギットさんの優しさで生きているというか、助けられたって感じだよな……。
「あと……そうだな、姉貴」
「ん、何よ」
「カールさんもリンデさんも返り血ゼロだけど、姉貴めちゃくちゃ浴びまくってるでしょ。洗おう、臭い」
「ゲフッ! ほ、ほんとライもマーレも最近あたしに容赦なくない!? もっとかわいいミアちゃんをいたわって!」
「えっと、ミアさん」
「レオンくんっ!」
「ミアさんは、どんな姿でも、可愛いですから」
「レオン君さえいたらあたしは女神が敵になってもいいわ……」
姉貴も姉貴で大概なのろけを見せつけてると思う。
あと女神を敵にするのは勇者としていいのか姉貴。背中の紋章ぽーんと突然なくなっても知らないぞ。
……まあ姉貴の性格からすると、女神とレオンさんどちらを選ぶかって、レオンさん一択だろうなー……。
「……そうね、でも確かに、洗った方が良いわよね。デーモンの血って色濃いし」
「そうか、それでそういう色なのか……魔人族は青い血、人間は赤い血、デーモンは白い皮に黒い血で、肌の白い色の下側に色が透けていると」
「そーゆーことかしらね」
姉貴は自分の体を見て、そして僕の体を見て言った。
「……ライも、なんかものすっごい汚れ方してない?」
「そうかな」
「体液ってんじゃないんだけど、砂かしら、何かこう……物凄く戦った感じがするわ」
「そうかもなあ……」
それを聞いてリンデさんが慌てる。
「あ、あの、ライさんは臭くはないです!」
「臭くはなくても汚いのよ、手は洗って砂は払っていても、細かい部分が汚れてるし、着替えないといけないわよ」
「う〜っ、そうですけどぉ……」
「はー、この体臭大好き魔人族にも困ったものね……」
姉貴は、リンデさんの反応に対して、ある程度妥協案を探っていた。
「……じゃあ、取り敢えず着替えて、体を拭くだけ拭きなさい」
「風呂に入れとは言わない?」
「……リンデちゃんと一緒に入ってもらうけどいい?」
「それは、その……」
……もちろん、色々と耐えられそうにない……。僕はもちろんのこと、リンデさんがどうなるかがあまりにも不透明すぎてこわい。
「……でも、背中とかできないよ」
「やってもらいなさいよ、隣のその子に」
僕は、隣のその子ことリンデさんを見る。
「……! あ、えっと、その……わ、わかりました……! 拭くだけ! 拭くだけですからね!」
「は、はい……」
僕は、リンデさんと一緒に、濡れタオルを持って家の中に入っていった。
-
家の中で、着替えを用意して服を脱ぐ。
「あっ……ライさん、の、……」
「……その……あまり恥ずかしいので、見ないでいただけると……」
「…………」
「……リンデさん?」
「あっ、えと……はい。なんでもないです」
リンデさん、ちょっと様子が変だった。照れてるのかな……その……いつもあんなに積極的にくっついてくるから、本当になんというか、裸の背中で無言になっちゃうあたり、照れるタイミングが未だに掴めない。
しかし、あの怪力ですぐ物壊すリンデさんだ。どうなるかな……でも、まずはやらせてみよう。
「じゃあ、拭いてもらっていいですか?」
「はい……き、きんちょうしますね……」
「普通で、普通でいいですから」
「わ……わかりました……」
リンデさんの手……濡れタオルが、恐る恐る僕の背中に触れる。
そして、その感触が下に動いていく。
少し押されて……汚れがこそぎ落とされていく感覚……。
それに抵抗して……。
…………あ、あれ……?
「普通だ」
「え?」
「もうちょっと、力加減ができないのかなって思ってました」
「そ、そこまで不器用じゃないですよぉ」
「塩の微調整はできないのに?」
「あれはできないです無理です」
その感覚が、全く分からないんだけど……。でも、リンデさんの体を拭く力の強さがちょうどよくてよかった。マックスさんの全体重を片手で受け止めるもんな……。
……その、やってもらうというの、初めてな気がするけど、かなり気持ちいい……。
「……ん……」
「…………ふふっ……」
「……リンデさん? どうかしましたか?」
「あっ……いえ、その……何かこう、戦い以外でライさんにやってあげることができるなんて思ってなくて、こういうの……いいなあって」
「……ああ、うん……いいですね、こういうの……」
「……はい……」
僕はそのまま、少しうつらうつらとしながら、リンデさんに背中を拭いてもらった。しかし……、
「……えっ?」
「こちらもします……」
「えっと、自分でできますよ?」
「じっとしててくださいね……」
リンデさん、なんと僕の前に座って、有無を言わさず僕の前側も拭き始めた。
「……」
「……」
無言だ……だって、照れる……正面にずっと一生懸命な顔のリンデさんと、そして、その……前屈みになって、揺れるそれが……すごい……。というか、リンデさん、僕が胸を凝視しているの、気付いてる……。
あと……指の感触。リンデさんの、明るくてもやっぱり女性だなという指の感触が、僕の胸に触れる度に……その、いけないことをされているような気になってくる……。
「えっと……できあがり、ました……」
「はい……ありがとうございました」
「……あの……ライさん……」
「な、なんですか?」
リンデさんが、緊張した面持ちで近づいてくる……ち、近い!
「今度、エファちゃんに脱がせてもらったときは、私にもして下さい……」
「えっ……!」
「約束ですよ……?」
リンデさん、照れ顔で言うだけ言って、ひょいっと出て行ってしまった。
……えっ、あの、……えっ!?
今日の、これを、やるって……!
む、無理ですっ……!
-
なんとか腕などを拭き、着替えて出てきた僕の前に、姉貴がいた。
姉貴は……なんだか、こう、ちょっと放心状態だった。
「姉貴?」
「ライはさ、あたしが一人旅して、それなりに魔法とかも使えるの知ってるわよね」
「何を今更……」
「シャワーレインっていう魔法も知ってるわよね、温水洗浄魔法。もはや冒険者の必須魔法になってるヤツ」
それはもちろん知っている。人間の中に、旅行をして野宿をして、体を洗う際にいつでも水のある場所があるとは限らない。
そのため、いつでも脱げば体を洗えるその温水洗浄魔法は、特に女冒険者にとっては温風乾燥魔法とセットで何よりもまず習得したい物と鳴っていた。
「ってわけで、あたしがビルギットさんとシャワーしたわけよ」
「ああそうか、魔族は使えないんだ」
「そもそも体臭自体よっぽど近づかないとないし、汗もあまりかかないからそこまで必要じゃないっぽいのよね。でもビルギットさんは返り血っていうか指の握りつぶしだからその辺洗ったわけ」
姉貴はビルギットさんの方を見た。ビルギットさんは……なんともいえない恥ずかしそうな目をして、もじもじしていた。
「……姉貴、何やった?」
「そう、ね……一言で言うわ」
「うん」
「…………。……チョーでかかった……」
……。
「もしかして」
「触りまくった……指を埋めたわ……あれは、女でも、気持ち良すぎてマジヤバイ。淑女が付けていていいモーニングスターじゃない」
「モーニングスターって……」
「迂闊にぶつかるとライは即死するわ」
「まあ、社会的に即死しそうではあるけど……」
「あたしは理性の方が瞬殺される方に賭ける。そんなわけで、敗北感を堪能してきたってわけよ。以上」
姉貴はそれだけ言って話を切ると、マーレさんの方に戻っていた。
僕は自然と、ビルギットさんの方を見て目が合った。……顔だけ、顔だけ。見ないようにしようと思っても……どうしても、その、ものすごい引力から見てしまう。……確かに、大きい……。
ビルギットさんは、恥ずかしそうに、胸を抱え込むようにして目を逸らされた。……うう……やっぱりビルギットさん、反応があまりに乙女すぎる……僕も恥ずかしくなってくるんですけど……。
「い、いけない、意識しないようにしよう……意識しない意識しない……」
僕は、自分に言い聞かせて、ビルギットさんに「すみません……」「いえ……」と何ともぎこちない挨拶をしつつ、グループの中に戻っていった。
-
そのグループに入って、最初に僕は口を開いた。
「とりあえず朝食を用意するので、食べてから行動しましょう」
その一言に、まずリンデさんが反応した。
「朝食さんだ! お肉さんですか? チーズさんですか?」
「今日はパンさんにベーコンさんもレタスさんも全部挟む、サンドイッチさんにしようと思います」
「さんどいっちさん!」
「あっ……もう」
リンデさんが笑顔になって僕の後ろに回って抱きついて、僕もちょっと照れつつ笑顔に……ちょっとだらしない顔になっているだろうなって思う。リンデさんは、いつものように僕に鼻を近づける。
「……うぉっほんげふんげふん」
「あっ」「あっ」
そうだった……今日はみんながいるんだった。
「とゆーわけで、これをミアちゃん完全無視で今までやってたので、彼氏作りに魔人王国にやってきたわけよ」
「ミアの気持ちわかる……これ独り身の目の前でやられちゃたまらないわ……」
姉貴はマーレさんを味方に付けていた。照れるリンデさんと一緒になんともむず痒い居心地の悪さになったので、すごすごと調理場に行くことにした。
「ええと、作りに行きます……」
「おいしいもの作ってくれたら許すわ!」
「はは、そこは信頼してくれていいよ。すぐ終わる」
僕は姉貴からの軽口を背中で返して、キッチンに立った。
料理、といっても今日はシンプルなものだ。
麦の硬めのパンに、ある程度薄くスライスしたベーコンと、レタスを加える。
酸味のあるものは……どうだろうか。リンデさんとは一対一だったから、ちょっと実験的に食べてもらって感想を聞いていた部分もあった。
酢漬け系をみんなに食べてもらうにして、その反応はあまりにも未知数だ。
特に、女王様に料理を気に入ってもらえるかは心配だ。マーレさん……女王アマーリエ様は本当に人間に気を遣ってくれるし、それに単純に酢漬けを気に入ってくれるかもしれない。
あと、年齢と性別——年齢は不明だけど——がばらばらだから、なるべく広く気に入ってもらえるようなものにしないといけない。
……そうか、気心が知れた人と、そうでないお客様とでは、違うんだ。
確かに母さんも、お客様が来たときには、僕も姉貴も好きな料理を出していた。子供心には、好きな料理をお客様にはいつも出す、みたいな感覚だったけど……あれは単純に、お客様を大切に考えた結果、失礼に当たらない料理を出そうと考えてあの選択をしていたんだ。
なるほどな……本当に、今更だけど。まだまだ母さんと同じ場所に立つには自分で気付いていないことがありそうだ。
———同時に、それはリンデさんのことを「気心の知れた子」だと最初の頃から信頼していたという意味でもあった。
そのことを意識してしまい……僕は一人の調理場で勝手に赤面していた。
ああもう、気持ちを切り替えていこう……! さて、そうなってくると、酢を使ったソースは避けよう。どちらかというと、このままベーコンの味だけをまず堪能してもらった方がいいかもしれない。その分黒胡椒と岩塩とローズマリーを軽く挽いて、味を足していこう。
レタスも、大きく曲がって食べにくいものは避け、ある程度小さく切りつつ、平たく広げて軽く敷いていこう。
僕はベーコンとレタスを挟んだサンドイッチを人数分用意し、コーヒー……は、こちらもさすがに冒険が強い気がするので避けていこう。あと、コーヒーは人数分作ると時間が本格的に足らない……。
よし、完成でいいかな。
「できました、簡単なものですがどうぞ」
「いえ、ライさんの作るもので、我々にとって簡単なものなど一つもありません、有難く頂戴いたします」
マーレさん、女王様だけどまるで王に剣を賜る騎士のように恭しくサンドイッチを手に取る。……なんだか、余計に緊張するんですけど……。
その様子を見て、カールさんも、レオンさんも、エファさんも、ユーリアさんも、それはもう恐る恐る手に取っていた。
いえ、王家の宝剣でもなんでもないです、いつもより簡単なサンドイッチです。
ちなみにリンデさんはいつも通り取っていた。
「わあ、かわいらしいですね」
姉貴も取った後、最後にビルギットさんが手に取った。……そうか、ビルギットさんにはこれがかわいいサイズに見えてしまうんだ。その感想を聞いて「しまったな」と思った。
「すみません、ビルギットさんの体の大きさに合わせて、もう少し大きめに作るべきでしたね」
「あっ、その、いえ……わ、私、そんな沢山食べて、恥ずかしい限りです……」
「いえいえ、体が大きい人が沢山食べるのは何も恥ずかしいことではありませんし、いっぱい食べて喜んでくれる人が僕は好きですから」
「えっ……あの、ありがとう、ございます……」
ビルギットさん、さすが淑女。沢山食べる女性の自分のことを、恥ずかしいことだと思っていた。でも、この体で小食は無理だと思う。
「むっ、ライさんがビルギットさんに優しい……」
「リンデさん……多分誰でもビルギットさんと会話すると優しくなると思いますよ」
「むーっ、それは、否定しないですけどぉ……ビルギットさんかわいいからなぁ」
リンデさんにそう言われてじーっと見られて、ビルギットさんはやっぱり「そんな……」と顔から火が出そうなぐらい照れていた。
「あの……もう食べても」
「あれっ、マーレさん、待っててくれたんですか? もちろんいいですよ。そこの姉貴とかもう半分以上食べてますし」
「えっ? ……ああっ! ミア、あなた食事前の挨拶もなしに!」
「んぐっ、げっぷ、マーレは真面目ねー」
姉貴とマーレさん、なんだか本当に、真逆なのに近しく仲良くて、本当にいい友達だなーって思う。
さて、僕も食べよう。
……うん、予想通りの味といったら予想通りだけど、やっぱり最大公約数というか、間違いないだろうなって味になっていた。
きっとこれなら、苦手な人もいないだろう。
「……」
なんだか静かになったので、マーレさん達を見た。みんな、目を閉じて黙って食べていた。そこへ、聞き慣れた声が届く。
「ライさん、今日のもおいしいですっ!」
「ふふっ、いつもありがとうございます」
「もーっ! だからお礼を言うのは私ですよぉ。ベーコンさん、やっぱりいつ食べてもおいしいですね!」
「自家製だったんですが、作り甲斐があって嬉しいです」
僕はリンデさんがすぐ近くで笑顔を向けてくれて、気分が高揚する。やっぱり、何度言われても前と変わらず新鮮に嬉しいし、リンデさんの笑顔は、前よりもドキドキするぐらい可愛い。
「ふふっ」
「あ……へ、陛下っ?」
そこにマーレさんが、ニコニコしながらやってきた。
「羨ましいとは言いましたが、やはりあなたたちの関係を見ていると、なるべくしてなったと思いますし、邪魔するわけにはいきませんね」
「へ、陛下ぁ……照れますよぅ」
「明るいあなたを送り出して本当によかったわ」
マーレさんは、背の高いリンデさんの頭を優しく撫でると、僕の方を向いた。
「ライさん、このサンドイッチなるもの、本当においしいくて、なのに食べやすいです。これなら持ち運びにも便利なのに手を汚さずに済みますね」
「そうですね、食べながら王都へ歩いてもまた違った気分でよかったぐらいです」
「まあ、確かに! みんなで歩きながら食べる、それも楽しそうですね」
「覚えていたら、今度やりましょう」
僕はマーレさんの後ろを向いた。魔人族のみんなが、笑顔で頷いていた。
以前広場で鍋パーティしたときはリンデさんのことが気にかかって思わなかったけど、こうやって大人数で食べるって、楽しいな。
-
食べ終わった魔人グループの中では、話が進んでいた。
「つーわけで、俺が残るっすよ陛下」
「わかった、任せるわね」
「うし、お任せください」
カールさん、どうやら村に残るようだった。
「カールさんは、行かなくていいんですか?」
「おっライさん。興味ないって訳じゃないんすけどね。街に見張りが必要だし、正直宝飾品って、綺麗ではあるんすけど、一緒に見に行くとなると長いかなーって。俺はそこまで興味ないっすから」
「ああ、それは確かに……女の子は店を見ているだけで長いです」
僕は、姉貴とリリーに昔王都で服と宝飾品を買いに行く際、何時間も棒立ちで最後は荷物持ちになって、帰って即泥のように眠ったぐらいに付き合わされたことを思い出した。
「じゃあ……カールさんには、僕たちが帰ってくるまで、街の見張りをお願いします」
「了解っす!」
カールさんは元気よく言って、外のパトロールに出向いていった。
-
城下町に入る寸前、再び昨日の門番と顔を合わせた。
「おおっ、魔人族様のご一行ですね! どうぞ!」
……なんと、門番さん、完全に魔人族への歓迎ムードだった。
「すっかり魔人族のこと、受け入れることにしたんですね」
「おっと昨日魔族の子と一緒に来ていた人! あれだけゲイザーがいて入るのも恐ろしかった城下町が本当に一体も残ってないんだ、認める以外ないさ!」
「そうですか! それはよかったです!」
門番さんからの感触は非常に好印象だ。さていざ城下町に入るわけだけど、果たしてどれほど受け入れられるか……。
……。
結論から言うと、中心街はまだ怪しかった。
話しかけてくれる人が数人、窓から見ている人がちらほら。
まだまだ僕たちを信用しているとは言いづらい雰囲気だった。
「ビスマルク国王に啖呵を切ったのはまずかったですかね……」
「マーレさん?」
「堂々と、みんな味方ですみたいなこと言っちゃったの、あの時は自分で自分が制御できなかったと言いますか……まだまだ未熟ですね」
「いえ、姉貴から話を聞いていたというのなら……それだけ怒ってもらえて弟としては、孤独な姉の味方が増えたというだけで嬉しいです」
「ライさん……」
「それに、すぐにみんな、受け入れるようになります」
マーレさんの発言に、僕は少し先のことを予想していた。
なんとなくだけど、きっといずれ、受け入れてくれる。そう昨日言葉を交わした子供を思い出して思った。
リンデさんが、笑顔で手を振った子だ。
-
宝飾品店の前に来て、リンデさんがそわそわし出した。
「どうしたんですか? リンデさん」
「ら、ライさん、だって、宝飾品ですよ?」
「お店に入るだけなのに大げさですよ」
そう言うと、
「……本気ですか?」
「ライ様、これは魔人族最大のイベントです」
「はわ、す、すごいことなんですよっ!」
「この日をどれだけ楽しみにしてきたか……!」
他の魔人族女子達に、全力で否定された。
「……えっと、その、わかりました」
そのあまりの満場一致の迫力に気圧されてしまった。
……と、とにかくまずは僕が入ろう。
「いらっしゃい……おっ! ライじゃないか!」
「おっちゃん! 約束通りやってきたよ!」
「おうおう……おうっ!? これはまた沢山来たじゃないか」
「この魔人族の女の子はみんな、街に魔物を放った奴らを倒してくれた人達だから、見ていってもらおうと思って」
「なんと、そうか! そりゃあしっかり見てもらわねえとな!」
おっちゃんは、そう言って店の端っこの椅子に座った。
そのおっちゃんの元へ、リンデさんが行く。
「あ、あの!」
「おう、あんたライと一緒にいたヤツだな」
「はいっ! そ、その、昨日はこの腕輪、ありがとうございました! 無事勝てたので、あの、おっちゃんさんにお返ししようと思います!」
リンデさんは、そう言って腕輪を外すために手をかけた。
「あーっ! いいって!」
「……え?」
「だから、いいって。あんたが使って、あんたが活躍した。じゃあそれはもうあんたが嵌めておくべき物だ」
「えっ、だってこれは、貴重なものだって」
「そうだ、貴重な物だ。だが……これで、城下町を守った宝飾品店って箔が付くじゃないか!」
「え? え?」
おっちゃん、昨日も逞しいと思ってたけど、本当にこの騒動を自分の店の宣伝のために使うつもりでいたようだった。
「ここで、ちょっとした約束だ」
「や、約束ですか?」
「ああ。もしもあんたがその腕輪を聞かれたり、他の人、他の国、そういう時に店を紹介する機会があったときは、ここを紹介してくれ。城下町で一番の店だってな!」
「! わ、わかりました! 必ずここを紹介しますね!」
「よっし! これは幸先いいな!」
さすがおっちゃん、リンデさんに頼み事を綺麗に取り付けた。そうしておっちゃん、再び店の端へ、みんなの邪魔にならないように移動した。
店の中を見ながら、マーレさんが感激していた。
「すごい、すごいです! 私が身につけていたような宝飾品が、こんなに沢山あるなんて! どれも状態が素晴らしい! 新品の磨かれた金の輝き、それが並ぶ様がこれほど壮観だとは……! もう! たまらないです! 幸せぇ……!」
マーレさん、感激のあまり顔つきもすっかりとろけきっている。魔王様の責務を外せば中身は普通の女の子、宝飾品は大好きだった。
そんな陛下を微笑ましく見そうな陛下の臣下たちも、今回ばかりは陛下同様に部屋の中を見ては目をきらきらさせている。
恐るべし、宝飾品。魔人族みんなただの女の子に早変わりだ。
「…………」
そこで、僕は外の人に気付いた。
ビルギットさん。当然だけど、3メートル以上の身長で、この店に入ることはできなかった。……当たり前だよな……特に、ビルギットさんの性格だ。店内を壊しそうな行動は、絶対に避けるだろう。
僕はおっちゃんに小さく声をかけた。
「おっちゃん。外の大きい子……そう、あの子とってもお淑やかな子なんだ。多分、お店壊したくなくて入れないんだけど、絶対興味持ってる。何かできない?」
「へえ、あの子も活躍してそうだな」
「西側の魔物、あの子が仕留めたよ。潰れたり引きちぎられてる魔物は、全部。だから南西は特に、全部なんじゃないかな?」
「そりゃ功労者だな。……よし」
おっちゃん、二階に上がっていった。そして少し経って、降りて出口に歩いて行った。手に持っているのは……。
僕はおっちゃんを追いかけた。
「おう、あんた」
「えっ! 私ですか、は、はい」
「ライのヤツに聞いたんだけど、西の魔物を倒してくれたんだってな」
「あっ、はい。火を吐くヘルハウンドが多かったんですよね、テントや街路樹を燃やしていたので……」
「なるほど本当らしいな……よし、あんたにはこれだ」
「え」
おっちゃんは、ビルギットさんに二つの物を渡した。それは……
「……これは、一体?」
「首用の装飾品だ」
「首、用? この二つがですか?」
「ああ。どうにもやや大きさが合わないのか、装着すると小さい女には重い、重さを感じないような力強い女には小さくて苦しいと全く売れなくてな。素材は良いので店の飾りになっちまっている」
「これが、どうかしたのですか?」
「お前さん、これ、昨日来たあの子みたいに手首に嵌めたり出来ないか?」
「あの……って」
あの子、ことリンデさんを見た。リンデさんは、おっちゃんからもらった腕輪をつけたまま、店を回っている。
「ものは試しだ、ちょっとやってみてくれ」
「おっちゃん、嵌めるのは僕がやるよ」
ビルギットさんの手首に、首輪……もとい大型腕輪をつける。二つの金属の曲面に宝石をつけてたものを繋げたそれは、ビルギットさんの手首にかちりと嵌めると少し大きく、そしてビルギットさんの筋骨隆々な腕と、人間と比率の違う、二倍の身長にくっついた三倍の手からは、すっぽ抜ける様子がなかった。
まさに、ぴったりだった。
「おお、いいんじゃねえか?」
「まるでこのためにあったようにぴったりじゃないかおっちゃん」
「ああ、これで在庫整理ができたわ、ハッハッハ」
ビルギットさん、自分の手首を見て呆然としている。
「……あ、あの……もしかして、これ……」
「おう、ライのやつが、入れないあんたのことを気にしているようだったからな。どのみち売れなくて困ってたんだ、使ってやってくれ」
ビルギットさん、おっちゃんに言われてすぐに道の真ん中で膝を突いて、大きな体を小さく曲げて土下座した。
「あ、ありがとうございます! 私のような者のためにこのような、何とお礼を言ったらいいか……!」
「おおう、そこまでしてもらわなくてもいいさ、お礼はライに言いな」
「ライさん、私、ここまで気にかけていただけるなんて……ありがとうございます!」
「いえいえ、僕がやったわけじゃないですって。それよりおっちゃん」
「ん?」
おっちゃんに、店の中を指差す。そこには当然……物欲しそうな目をしている、マーレさんと、エファさんと、ユーリアさんがいた。
「結果的に先に部下にばかり渡しちゃったわけだけどさ、おっちゃん。あの紫の髪の人が魔王様だからね」
「……マジかよ、こりゃ、まいったな……」
「あとおっちゃん、もう一人この中にいないけど、真っ先にこの街にやってきた、魔王様よりもぶっちぎりで強い子がいるから、その子の分もね」
「…………。……ええーい! わかった! こうなったら大放出だ、街を救った英雄さんたちに、売る気のなかったもの全部渡そうじゃないか! 命あっての物種、どのみち売るつもりがなかったんなら大差ねえ!」
おっちゃんのその宣言に、魔王とその直臣、改め宝飾品大好き女の子達は、黄色い歓声を上げた。その嬉しそうな声は、人間の女の子と変わらない、女の子の歓声だった。
-
「来てよかったですね!」
「はいっ! クラーラちゃん用にもいただけました!」
マーレさん達は、おっちゃんからそれぞれネックレスや指輪をもらっていた。
「それにしても、装備するだけで強くなった感覚があります。こういったものを沢山装備して、何人も組んで戦略を練って、人間達は上位種を討伐するまで強くなるんですね」
マーレさんは、その自分の首に新たに掛かったネックレスを触りながら言った。体力増幅の、黄色の魔石のネックレスだった。
「私、燃費が悪いので、この指輪はとても助かります。本当に、こんなに形を整えた魔石の力で変わるんですね」
エファさんが、魔力増強の緑の魔石を取り付けた指輪を撫でながら言った。
「ふふ、エファ様とおそろいです。マグダレーナ様に内緒でこんなものをいただいてしまって良かったのか心苦しいですけど……」
ユーリアさんも、エファさんと同じように指輪を撫でていた。
……何か、こう、元々の身体スペックで人間が魔族に近づく能力を得ていたのに、魔族の装備を調えてしまって、実は自分は、今とんでもない人達を作ってるんじゃないだろうかと思ってしまう……。
まあ、その、味方だからいいんだけれど。
「おらーっどけどけーーー!」
「だ、誰か捕まえてくれ!」
町中に、突然声が響く。何かと思うと、目の前をナイフを持った男が通り過ぎた。身なりの悪い男にしては、妙に綺麗な鞄を持っていた。
その後から、その鞄に見合った感じの男が同じ方向に走り過ぎる。
「リンデさん!」
「な、なんですか!?」
「恐らく泥棒です! 最初の男は悪人と思われますので捕まえて下さい!」
「! はいっ!」
リンデさん、一瞬でその男を視界に捕らえると……僕の隣から消えた瞬間、もう相手の正面にいた。
「止まって!」
「ひっ! ……ま、魔族!?」
「はい、泥棒は許さない魔人族です!」
リンデさんは、余裕を感じさせるやり取りで泥棒の目の前で剣を抜いていた。慌てて足を止めた泥棒に対して、目の前で、皮膚に触れるか触れないかの目の前に剣を出現させていた。
リンデさんの戦闘力を知っていると分かる、一瞬の抜刀だった。
……。
僕は、何か、その姿に違和感を覚えた。
「追いついたぞ!」
「ぐっ、しまった……!」
後ろから追いかけてきた男、泥棒に追いつくと、鞄を取り返して中身を確認していた。袋の中の金貨を確認すると、安心して息を吐いた。
「泥棒を捕まえていただき、ありがとうござ……」
男は、リンデさんを見て固まった。
「ま、魔族……」
「はい、魔族です。泥棒は許さない、魔人族のものです」
リンデさんは、先ほどと同じようにハッキリと応えた。男は……何か言い淀んでいるようだったけど、それでも状況は分かるようだった。
「泥棒を、止めてくれたのか」
「そうです。ライさんがこの人が泥棒だと」
「ライ、さん?」
男が僕の方を向く。
「この魔族は、君の言うことを聞く個体なのか?」
「魔人族の、個人です。言いなりになるというわけではないですけど、話せば普通に話は通じますし、感動すれば泣くし、失礼なことを言うと怒る、普通の魔人族ですよ」
「……そ、そうか……」
「僕たち人間と同じです」
「……」
男は……恐らく、熱心な教会の信者なんだろうなと思った。そのことを聞いてみることにした。
「やはり、ハイリアルマ教ですか?」
「……私は、ハイリアルマ僧侶の一人だ」
「そうでしたか。僕も一応ハイリアルマ教です、両親も姉も」
「そうなのか? ではなぜここまで魔族に?」
「それは、話してみたら普通だった、ってだけです」
僕はリンデさんの方を見た。リンデさんは注目されて頭を掻いていた。
「話せば話は通じる、ちょっと人間の常識外なまでには強いけど、人間より横暴は働かない、常識的な子です」
「……そう、か……わからないものだな……」
「僕も最初はあなたと同じで、あまりに反応が信じられなくて本当に魔族なのか聞いたぐらいなんです。そんなものですよ」
「……」
僧侶の人は、再びリンデさんを見た。
「教会の教えである以上、魔族にお礼を言うわけにはいかないが、君個人にはお礼を言いたい」
「……えっと、はい……」
「ありがとう」
「……ん、はい。どういたしまして」
リンデさん、すっきりしない顔だったけど、それでもお礼を受け取っていた。
「しかし、悪人だからといって殺さないのは感心だ」
「はい、もちろん人間に怪我をさせるようなことは絶対いたしません!」
「感心だ。君のことは覚えておこう。それでは」
僧侶の人は、手短に言うとそのまま去っていった。
「……はー。またまたきんちょうしました」
「リンデさん、なんだか面倒事に巻き込ませてしまって申し訳ありません」
「いえいえー、お力になれて良かったです」
「それにしても、堂々としていましたね」
「ライさんが、悪人だってハッキリ言ってくれましたから!」
リンデさんはそう言って、満面の笑顔になった。……そうか、僕が相手を悪人だと言ったから、それを全面的に信用してくれたんだ。
それを嬉しく思うと同時に、同時に僧侶さんの言っていたことも思った。
確かに、言うとおりになっているようなものだった。自己判断は出来ないし、自己判断をさせるわけにもいかない。
僕がしっかり手綱を握っていなければ。
そこで気付いた。
さっきの違和感だ。
「マーレさん」
「はい?」
そこで後ろで見ていたマーレさんに聞いてみたいことがあった。
「リンデさんが泥棒に剣を抜いたのを怒らないんですか?」
「……え? 悪人で、リンデはそれを解決したんでしょう?」
「でも、寸止めですよ? 距離を間違えると、相手を斬ってしまいかねないような行為だったと思います」
「そこまで戦闘に関して能力が低いわけではないと思いますが……皆さん今まで距離感などの把握を間違えたことはなかったですよね? 私もある程度は近いレベルで可能ですし、私より強いリンデなら、間違いを起こすことはないと」
……僕は、その違和感の正体がはっきりと分かった。
「あの、マーレさん」
「はい」
「——どうしてナイフを持った料理は手を怪我するほど不器用なのに、剣を持ったら正確な距離感覚をあのスピードで出せるんですか?」