頭に来ていた部分はあったので
昨日は門を入った直後にユーリアに魔物の索敵をしてもらったし、どちらにせよビルギットさんが入れなかったので、今日が初めての訪問になる。
事前に予想したとおりというか、シンクレア領主の館はエドナさんの内面を表したような、非常に質素な家だった。
これが貴人の家だと言われても分かる人はいないと思う。特に、古めかしい調度品の数々を丁寧に磨いている様子から、物を大切にする彼女の生活が見て取れる。……っと、あまり女性の家の調度品や部屋をじろじろ見るものじゃなかったな。
「わーっ、なんだかすてきなおうちですっ!」
と思ったけど、そんな遠慮を飛び越える人がいましたね。
リンデさんが、近くの壺や壁の肖像画、他にも金属部が剥がれかかっていながらも綺麗に磨かれているワゴンテーブル、ガラスの花瓶など、その全てを至近距離で目に収めながら、きらきらとした満面の笑顔で観察していた。
まあリンデさんだし今更だよなあ。それにリンデさんの反応は概ね好意的、エドナさんはニコニコしていて、クラリスさんはちょっと呆れ気味に苦笑していた。
「どこの亜人か分からんが……随分と、田舎のお上りさんか、平民らしさが染みついた奴だな?」
反面こちらのクレイグは、普通に呆れていた。
遠慮をしない言い方で、リンデさんもその声が聞こえてか、少し申し訳なさそうに大人しくなってしまった。
……。
「あら、そんなに気にしなくていいのに」
エドナさんが声をかけるも、僕と視線を一瞬交差させると、もうリンデさんは調度品に目をむけつつも、さっきまでのようにはしゃぐことはなくなった。
…………。
「クレイグ、あなた初対面の相手に失礼でしょう」
「……これは失礼を。私はこういった手合いはまず見たことがなかったので慣れておりませぬ故、驚いてしまいましてね。少なくとも『私の』領地ではこういう人はいません」
クラリスさんが諭すも、どこか嫌味な感じの自身の領地自慢を挟んで批難してきた。その姿は……いつかのかつての王の姿を思い出してしまう。
……。…………。
「どうかしましたか、ライさん」
「——ああ、いえ。すみません考えごとを」
エドナさんに首を振って応え、僕はこの屋敷の広間へと足を運ぶ。
静かに受け答えをするけど、内心どうも、収まりがつかないな。
…………。
……僕はリンデさんの隣に行くと、手を握った。
びっくりした様子でこちらを振り向いたけれど、すぐに笑ってくれた。ただほんの一瞬ユーリアの方に視線が向いたその笑顔は、どこか無理しているような、申し訳なさそうな……。
……そう、僕に恥を掻かせたことを申し訳なく思っているような顔で……。
…………。
……………………。
-
部屋には、使い古された大きなソファーと、中心にテーブル。
テーブルの中央には……あれは、チェスか。
「あらエドナ、チェスをしてたの?」
「ああ、これは……クラリス様が誘拐されてから心配で、片付ける気にならなくて出しっぱなしにしていたのね」
「そう……心配かけたわね」
クラリスさんはエドナさんのそんな温かい反応に、照れくさそうに笑った。
「ふむ、チェスか」
クレイグは、ソファの中央に遠慮なく座ると、駒を動かし始めた。
そして、全ての駒が元の位置に戻る。
「どうだ、話ついでに」
クレイグは視線を向けるも、クラリスさんとエドナさんは目を合わせてどうしようかなといった顔。やってもいいけど、やらなくてもいい、みたいな感じ。
…………。
……経験者、か。ならば。
「僕でもいいですか?」
「……お前が、か?」
「ええ。平民で対戦相手もいない初心者ですが、ルールだけは知っていますよ。お二方もあまり乗り気でなさそうですので、もしよろしければですが」
「いいだろう」
クレイグの正面に座る。手元の駒は白、か。
先行だ。まずは中央のポーンから。
「……山の魔物は、いつから現れたかクレイグ様はご存じですか?」
「当然だろう。三年と半年ほど前か」
あちらのポーンに対して、こちらはすぐにナイトを動かす。
鼻で嗤う音を聞きながら、相手の動くポーンを見る。
「そういえばそちらの、カヴァナー連合国のギャレット領で合っているでしょうか。そちらに魔物は行っていましたか?」
「……いや、魔物はこちらも多くて大変だったとも」
「そうですか。ちなみに僕は直接ドラゴンのところまで行ったんですよね」
相手は少し考えナイトを動かす。僕は一切時間をかけずにナイトを動かす。
「おい、すぐ終わらせるつもりか。……で、ドラゴンだったか」
「はい。山の方です。とても強いドラゴンでした。いえ、弱いドラゴンなんていないですね、はは」
クレイグはポーン、僕もポーン。クレイグは長考してビショップ。僕はノータイムでポーン。
クレイグが僕のポーンを取り出す。すぐに取り返す。
「……? ドラゴン……ああ、ドラゴンはやはり強いな。それを討伐したというのだから、やはり大したものだ」
「はい。関係ないのですが、ギャレット領の民はどうですか? 皆平穏に暮らしていますか?」
「我が領にそんな粗暴な連中はいないぞ。……何が言いたい」
「いや、シンクレア領が海賊だらけになったんですから、姉貴が山賊退治し終えても、以前にも増して山賊が増えてるかなって思いまして。海に面してないですもんね」
クレイグの指が、一瞬止まる。
「……こちらは……冒険者ギルドがシンクレア領よりも優秀でな。そうだ、平野の魔物ぐらいなら問題なく倒せるとも」
「そうですか。ところでマーレさんからの信頼も厚いユーリア、平野の魔物は討伐したんだよな?」
「ハッ恐縮です、魔物は認知できる範囲の全てを討伐いたしました!」
クレイグの駒が、少し滑るように再び僕の駒を奪う。
「全て、討伐しただと?」
その駒をノータイムで奪い返す。
「はい。こちらのユーリアは優秀ですよ。シンクレアの街では昨日皆に歓迎されていました。でしたよね、リンデさん」
「はいっ! すごかったですね! わーってみんな手を振ってて!」
クレイグがビショップを此方に切り込む。僕はそれを無視し、ナイトを動かす。
クレイグがそのままルークを取る。それも無視し、クイーンを動かす。
「マーレさんも喜んでくれますよ」
「ああいうのこそ陛下にお見せしたかった!」
クレイグが、ルークに手を置く。……遂に、やらかしたな。
動かさないわけにはいかないので、それが中央に動くのを見る。僕はそれを無視し、クイーンを更に動かす。
「……陛下、とは?」
「マーレさんと呼んでくださいと言われた人です。正式名称は……魔人王国女王アマーリエ様」
クレイグが、盤面で手を止める。
「……ばかな、相当取ったはず、こんなことが……」
「持ち時間から溢れますよ、僕は初心者なんですから、気楽に指してください」
「くっ!」
クレイグもクイーンを動かす。僕はそれを予想して残った駒を動かす。
クイーンが再び動く。僕はここで、温存していたビショップを切り込む。
先手で取った数が多いから、クレイグはあまりそうは思わなかっただろうけど……僕はその返しで重要な駒を、ずるずると引きずり下ろしている。相手にはもう守る駒がないし、ポーンによって動かない駒も多い。
白黒模様のチェス盤で、ビショップは当然同じ色にしか移動できない。基本的にナイトやルークより扱いやすいが、今のクレイグのように動揺している状態だと、この基本的な部分を見落としかける。
左右のビショップは同じようで、全く違う駒。
白い駒と黒い駒に、白マスにしか移動しないビショップと、黒マスにしか移動しないビショップがそれぞれ一つずつだ。
故に、この駒は強いのに、扱いを誤ると致命傷になる。
クレイグのビショップは残り一つ。この盤面では今、絶対脅威にならない色にいる。
「……あっ!」
「リンデさんは、身の丈も大きい割に子供っぽくて、確かに最近まで料理も食べてこなかった田舎者に違いはないのですよ」
クレイグが、震える手でクイーンを動かす。ルークを取れる位置に陣取る。
「でも、リンデさんはドラゴンの首を一瞬で斬れる天才剣士であり、それを魔王アマーリエ様に見出してもらった王の側近。王族に近い立ち位置の人です」
「う……!」
「あとはまあ————」
クレイグのキングが逃げるように一歩動く。僕はクイーンをルークの横に並べる。
駒を置いた自分の手の、薬指の指輪をもう片方の手で撫でる。
「————これでも僕の妻なので、あまり馬鹿にしないでもらいたい」
チェックメイト。
「初めてやりましたけど、面白いですね」
「……。……参った……」
「いえ、僕も熱くなってしまいましたね、すみません。相手していただきありがとうございました」
自信満々に煽っておいて完全初心者の僕に終始圧倒されたからか、思いっきり頭を下げてうながれているクレイグ。それをクラリスさんとエドナさんに見られたことも、彼が凹んでいる原因になっているだろう。
……さっきから頭に来ていたから、相手に恥をかかせることで仕返しとしてしまったけど……思った以上に熱くなってしまった。こういうところが姉貴に似るのはちょっとやだなー……。
僕がソファーに沈み込むと……リンデさんが横から勢いよく抱きついてきた!
そのまま僕の匂いを嗅いで、ってエドナさんとクラリスさんに見られてる!
「……えへ、えへへへへぇ……」
「ちょ、リンデさん、みんな見てますから!」
僕がそんな調子だから、
「……なによ、ミア様……確かに似てないけど……弟君、ミア様よりよっぽどこえーじゃん……怒らせないようにしよ……」
そんな呟きがあったことも、聞こえてはいないのであった。




