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大きな海の話とビルギットさんの話

 二日目の海の上。気合いを入れたはいいものの————


「ひまだなー」

「……」


 ————僕達は、特に何の出来事もなく、昼間になってしまっていた。


 海の広さ、というものを侮っていたのかもしれない。

 陸地が見えないまま、波が揺れるのを眺めるだけ。船自体の速度は決して悪くなく、ちゃんと地図上でも進んでいるということが分かるようになっている。


 しかし……本当に何もなかったのだ。

 そりゃもうアンの気持ちもわかる。

 感動的な大海原、広い世界を初めて見る感覚。

 しかし……ここまで変化がないと、世界に僕達しかいないんじゃないかとさえ思ってしまう。


「それにしても、海ってすごいなー」

「リンデさん?」


 海を見ながらぼんやりと呟くリンデさんに反応する。

 リンデさんは一体、この何もない海に何を見ているんだろう。興味がある。


「え? だって、海ってこう、さばーんってしてるじゃないですか」

「ざばーんって、波ですか?」

「そうです。私ももちろん島にいたわけですから浜辺で波は見ていたんですが……波ってどこから来るのかなーって思ってたんですよ」


 リンデさんはそのまま身を乗り出して、水平線の彼方に目を凝らす。


「もしかしたら、この旅でその発生地点を見つけられるかも! って思っていたんですが……何もないどころか、丸一日ずっとこの波は動き続けていました。どうしてこの海はこんなに広くて、そしてこんなに波が沢山あるのでしょうね。どうして魔人王国の湖みたいに、波のない状態にならないのか、不思議で仕方ないです」


 その疑問を聞いて、一気に頭の中の感覚が拓けた。なるほどそういう視点もあるのか……!

 僕は、海を何もないとずっと思いながら見ていた。

 リンデさんは、『波』がどこまでいっても沢山ある、すごい場所だと言った。

 お互い見ている物は同じハズなのに、リンデさんの目を通した途端に、僕の視界に広がる光景が、まったく違うものに感じられるようになった。


 見れば見るほど……なんと不思議な光景だろうか。

 この波の一発一発が、人間ならば足を取られるほどの力がある。

 そしてそんな、船からしたら小さな波が、こんなに沢山集まって船を大きく揺らしている。

 そのエネルギーは収まるところを知らず、どこまで見渡しても常に揺れているのだ。

 確かにこんな光景、湖だったら絶対に有り得ない。


 ふと、この場にいる知識人ならどうなんだろうと思って聞いてみた。


「ビルギットさん、質問いいでしょうか?」

「私にですか? はい、何なりと」


 ユーリアは朝の内に睡眠を取らせているので、ビルギットさんに聞く形になる。


「波って、どうして起こっているかビルギットさんは知っていますか?」

「一応知識としては、ですが……。私の知っている範囲の仮説でよろしければ、解説させていただきます」


 さすがビルギットさん、当たり前のように知っていた。

 僕とリンデさん、あと近くに来ていたアンは頷いて、ビルギットさんに説明を促した。

 こうやって並ぶと、僕もアンも大差のない子供の生徒で、ビルギットさんは大きな大人の先生って感じだなあ。


「わかりました、それでは。まず湖の波なども、基本的に一度起こった小さな波は、必ず大きく広がりますよね?」

「そうだね、円形にふわーっと大きくなる」

「はい。波紋は基本的に小さくなることはなく、同じ力で打ち消し合っているのか通り抜けているのか、波紋が二つ入り交じっても全く関係なく円は広がります」

「なるほど……」


 なんとなく、ビルギットさんの言わんとしていることが分かった。


「この波、どんなに海が広くてもずっと広がっているのですね」

「はい。波紋というのは見ての通り、物凄い勢いで大きくなります。海でそれをやると、一体どれほど広がるでしょうか。そしてこの大地と海には、自然現象が存在します」

「そうか……! 雨、風、全部が波に影響して、永久に広がっていく」

「はい。そしてもう一つ重要なものがあります」

「もう一つ?」

「潮の満ち引きです」


 そういえば、海は必ず潮が満ち引きする。それは常識だけど、それ自体に疑問を持ったことはなかった。


「これは、空の星の動きに影響されているともいいますが、私も半信半疑ですね。ですが事実として、海は持ち上がったり沈んだりしています。でも、海の水の量そのものは変わらないのです。潮が満ちている時は、ちょっと引っ張られているんですね」


 海が持ち上がる。あまりにも果てしない話だけど、確かに増えたり減ったりするよりは現実的な話だと思う。

 それだけの水が動いているのなら、海底の大地そのものが盛り上がったり下がったりしていないとおかしい。だけどその規模の大地が盛り上がったりしていたら、海底はとんでもない場所になってしまう。


 そして、海が持ち上がることが今の話に繋がる理由も分かった。


「持ち上げてから、降ろすと……当然揺れる。それにより大きな単一の波が起こっているわけじゃなく、持ち上がって、下がる瞬間に次々とその海面の山が崩れるようになると……定期的に波が起こるのもそのあたりが理由なのだろうか……」

「さすがライ様……知識がなくとも考察だけでそんな結論に……私も満ち引きまでは知っていましたが、その山が崩れる考えはなかったです」

「でも仮説ですよ、言っておいて間違いかもしれません」


 僕は照れ隠しにそう返したけれど、ビルギットさんは茶化さずに目を閉じて首を振る。


「ライ様。正解か間違いか、それ自体は重要ではないのです。そういった『こうかもしれない』という仮説をいくつも立てることが、重要なのです」

「そう、なのですか?」

「はい。私の言った話ももしかしたら新しい発見で覆るかも知れません。ですが」


 そしてその魔人族特有の目を開けて、真剣な表情で僕を見る。


「何かを諦めずに考えること、そしてその結果を証明すること。それで前に進めることが沢山あるのです。好奇心で指先を湖に触れさせて、波紋の行く先を見つめた子供の好奇心。そういったものが、この世界のことわりを解明するのだと思います」


 話し終えたビルギットさんは、揺れる波の方を見つめた。


「海に比べたら、私の子供時代と大人時代、そして体格の差の悩みなんてなんと小さな問題なんだろうと思うほど雄大で……だから私も、海が好きなのかもしれません」


 それは、ビルギットさんの、リンデさんとは違った好奇心の表れだった。

 何事にも新しい視点で、世界を好意的に見て興味を持つリンデさん。ビルギットさんは、何事にも疑問を持ち、解明を求めたのだ。

 だからこの人は、どんなに格闘ができようと、魔法ができようと、知識の量が半端ではない。


「ありがとうございました。ビルギットさんの解説、良かったですよ」

「あっ、ご静聴ありがとうございました。なんだか最後は自分語りになってしまって恥じ入るばかりで……」

「いえとんでもない。ビルギットさんのことを知ることができて嬉しいです。また何か分からないことがあったら、教えていただければ嬉しいです」

「ライ様……はい、私でよければ、何でもお聞き下さいませ」


 ビルギットさんに微笑み返して、みんなで海を見る。

 この海の規模は果てしない……だけど、必ず果てはある。

 だから地図がああやってあるのだろう。


 僕は、まだ見ぬマナエデンにも必ず到着するだろうという確信を持ち出していた。

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