砂漠の騒動に決着をつけます
目の前の出来事が全く理解できない。
ビルギットさんは、確かに村にいたはずだし、一緒に来ているわけではない。
何より……ビルギットさんはやはり、大きい。尾行していたのならビルギットさんに誰も気付かないなんてこと有り得ないのだ。
それに、馬車の中でユーリアは遥か先の魔物を検知していた。
そんなユーリアが、この屋敷を直前に調べておいて、気付かないなんて有り得るだろうか。
そこから導き出される答えは————
————いや、違う。
今はそんなことを考えている場合ではない。
僕の願いに、ビルギットさんが来てくれた。
ならば頼むことは一つ。
「ビルギットさん、詳しい話は後です。屈んで下さい」
「はい、わかりました」
その巨体が、戦うリンデさんを見つつ下に降りてくる。
大きな背中に、僕は手を触れる。
……全力だ。
いけるかどうかわからないけど、調子のいい今ならいける気がする。
「リンデさんをお願いします。『フィジカルプラス・ディッセ』」
「え————」
魔法を使った瞬間。
僕の視界は、闇に飲まれた。
……。
螺旋階段で、本を読んでいる。
読んでいるのだと思う。
内容は……内容は、読めているのだろうか?
時計塔の、鐘が鳴る。
…………。
……どうやら、四時……?
階段が、揺れる。
普段なら恐怖に震える地震。
今は……あまり気にならない。
そんなことよりも、次の本……。
…………。
……。
「ライさんっ!」
急激な揺れで、僕はおこされた。
一体何だ……と思っていると、頭に柔らかい感触が触れる。
目を開けると……あれ、真っ暗だな……。
息が……あ、吸った瞬間に酔いが回るような、すごい甘ったるい匂い……。
「リンデさん、それだと返事ができないんじゃ……」
「あ、ああっ!? すすすみません大丈夫ですかっ!?」
頭が柔らかい感触から解放されて、目の前にはリンデさんの半泣きになった顔。
そしてその上から見下ろす、ビルギットさんのほっとしたような大きな顔。
「やれやれ、魔族ハレムの王はまだ夢心地かしら?」
「ら、ライ様はそういう方では……」
「あら、あなたも同じ事をしたらもっとすぐ起きるかもしれないわよ」
「あ、その……それは……」
……段々頭が覚醒してきたぞ。
「起きたわね」
「……はい」
間違いない。
リンデさんに捕まっていた。
あの感触と、あの香り。
リンデさんの胸の谷間に捕まっていた。
しかもファジル様に見られた。
……ああ、だめだ意識すると顔に熱が……。
「恥ずかしがってるところ悪いのだけれど、いろいろやること溜まってるわよ?」
「え、あっ」
そうだった、僕はビルギットさんに魔法を使って……そして急に気を失ったのか。
やっぱりレオンの見よう見まねで、レーナさんのように魔法を使うのはまだまだ早かったようだ……。
「ライ様、強化魔法を使っていただきありがとうございます。まさかあれほどの力をいただけるとは……」
「ということは、成功したんですね。不発に終わって気絶なんてことになってなくてよかったです」
「はい。魔人族と比べても遜色ないなど烏滸がましいほど圧倒的な、非の打ち所なき強化魔法でした。マグダレーナ様より受けた鍛錬の成果、このビルギット敬服いたします」
丁寧に頭を下げたビルギットさんにちょっと照れ笑いしつつ頭を掻く。
そういえば、ゴーレムは……。
「あ、あのゴーレムでしたら私が回収してますよ」
「ということは機能は」
「もう大丈夫ですっ!」
聞くところによると、リンデさんがうまく攻撃を受けて、アダマンタイトゴーレムがビルギットさんを狙っても先回りをして自由を封じたらしい。さすが、スピードは圧倒的に上だったんだな。
そしてリンデさんが作った隙をついて、ビルギットさんが後ろからゴーレムの頭を一捻りで破壊、手足もその後もぎ取ったらしい。
……あの強力なゴーレムを、捻るだけで一撃か……。強化魔法を受けたビルギットさんはまさにゴーレムの天敵だ。
「そうだ、ハリムは!」
「ハリムでしたら、今あちらに」
ファジル様が指す方を見ると、ハリムは尻餅をついて震えている。
その視線の先には……アンがいる。
「ずっと言ってるけど、動いちゃダメだよ。ミカエル……じゃなくて、なんだっけモハメド君? は、ぶすっとやったからね。おじさん彼より遅そうだし」
「…………。…………」
本気で怯えるハリムを見て、もう隠し球はないであろうことがわかった。
こいつは隠し球とか、温存できるタイプではない。間違いなく自慢げに使ってしまうタイプだ。
「……さて、ファジル様は」
「もう言いたいこともないけれど……」
二人で呆れ顔をしてハリムを見ていると、こちらの視線に気付いたハリムが大声を上げた。
「っ! くそっ……! なんなんだ、その異様な魔族は!」
「魔人族のビルギットさんですよ。僕が頼りにしている女性です」
「女性だと……! そんな、男どころか野生の雄動物ともつかんような怪物が……!」
————。
「やはりこんな人外の怪物など、魔族など、人間とは分かり合えるわけがない!」
「え……」
「奴隷として契約するか、見世物小屋に入れるかしなければ、もしくはやはり滅ぼさなければ————」
「おい」
自分でも驚くほど、低い声が出た。
さっきの言葉。
ビルギットさんが、急に顔を俯けた言葉。
リンデさんが、すごく寂しそうに反応した言葉。
「自分のことを棚に上げて、よくもまあ言えたものだな」
「なに……!」
「奴隷になって見世物小屋か。自分が入ってみたらどうだ?」
「き、貴様……ッ!」
僕は先ほど小さく声を漏らしたリンデさんを、後ろから抱きしめる。
すぐに「ひゃうっ!?」と言って固まる姿を可愛らしく想いながら、ビルギットさんを見上げる。
困惑しながらこちらを見る目にしっかりと頷き、ハリムを見る。
「ま、この魔族の皆の可愛らしさと優しさは、僕が一人で独占するよ。例え僕が失脚したとしても、きっと皆はついてきてくれる。それぐらい、内面を信頼しているからさ。お前は失脚しても、金がなくても、慕ってくれる人は残るかな?」
「……」
「それにしても……生まれで地位が決まると考える人の気持ちははわからないな」
ハリムの考えは、決して珍しいものではない。
しかし同時に、それが普通であると考える僕たちの感覚そのものを疑う段階に来ている。
それはやっぱり、あの魔人王国女王アマーリエその人を知ったから。
そして皆が、あの人に影響されて地位に驕らず優しく育っているから。
そして地位に驕らず実力を付けたリンデさん達を、ユーリアみたいな子が慕っていることも分かるから。
その関係は、お互いがお互いを尊重し、棘がなくて理想的で良いものだと思う。
地位を笠に威張らなければ慕われないということも。
地位が上の人を自然に慕わなくなるというのも。
どちらも、どこかで破綻してしまうものだろう。
————だから僕は、こいつに使う。
リンデさんから離れて、ハリムの前に行き、上着を脱ぐ。
元々暑いだけあって軽装にしていたので、中はシャツ一枚だ。
そしてそのシャツを脱いで、ハリムに背中を見せる。
「見えるか?」
「……! そ……それは……まさか……!」
「そうだ」
僕の背中にあるもの。
姉貴がずっと背負ってきたもの。
その地位を、盤石にしたもの。
「そんな、まさか……いや、捏造だ! ミア様を見て後から色を塗ったに違いない!」
「その姉貴が、今魔人王国の女王と一緒に住んでるんだよなあ」
「……あ、姉……まさか……」
肩越しにハリムを振り返る。
僕の目は、髪同様に姉貴と同じ色をしている。
髪の色は似せることができても、目まではそう簡単には似ないはず。
「こういう地位を利用する威圧は、本当はやりたくないんだよ。だけどお前には、これを使うことでしか説得ができないというのが空しいな……」
「ほ、本当に……勇者の弟……」
「……生まれの地位なんて、何の意味があるのか。勇者の紋章があるから偉いという理屈の、なんと薄っぺらいことか。姉貴の背中の紋章なんて本当はそれ自体に価値なんてない。姉貴がこの城下街を救うと自分で決め、行動した。勇者にとって、その事実だけが大切なんだ。だから————」
何を成したか。
「————今回は、僕の番だったということ」
それだけが、大切なんだ。




